沖縄戦 日本軍の住民自決命令はなかった が・・
沖縄戦の集団自決裁判(2005年)で大江健三郎と共に被告となった岩波書店は、2008年に 証言 沖縄戦の日本兵 (國森康弘)を出版した。
軍は敵との戦いを本分としており、住民を守るという意識は薄かった、と多くが証言、むしろ戦闘の邪魔だった、という証言も有った。 P66,93,95,123,後書P146
上層部は軍機漏洩を危ぶみ、兵士は自身が中国で行なった捕虜刺殺体験から、共に住民の投降を案じた。 P45,73,119
沖縄方言が分からず沖縄語で談話したらスパイと見なして処刑した。 P87,134
壕は軍が優先し住民は攻撃にさらされた。 P26,27,92
幼い子供は一張羅を死に装束として着せられ、女は正月の晴れ着を死に装束とし、重傷者には手榴弾や青酸カリ、モルヒネが渡された。 P22,29,53,57,75
住民はラジオもない離れ小島で軍の言う鬼畜米英、女は強姦、男は八つ裂き、 を信じるしか情報がなかった。 P22,32
住民は差別され、日本人以上に日本人であろうとした。 P33,108
阿嘉島で山に逃げず残留し米軍から食料を貰った後藤松雄(60歳)斬首、妻は刺殺
Q)なぜあんな年寄りをスパイ扱いして殺したのか(親戚の義勇隊員、中村仁勇 20年後)
A)罰せよとは命令したが殺せとは言ってない(野田義彦隊長) P86
阿嘉島では日本軍がいたのに集団自決が無かった、その訳は
野田義彦隊長は玉砕方針だったが、鈴木茂治中隊長は住民に、自決は軍が全滅してからにせよと厳命 P67,68
米軍と住民の間に日本軍という位置関係 P67
米軍の猛攻撃が一時収まった P68
山に逃げた義勇隊員、中村仁勇(14歳)は弟が「いやだ!死にたくない」と言うので自決を躊躇った P49,64