前回の続きです。
●『個人的存在の彼方』
G・カミンズ(著)浅野和三郎(訳)より抜粋引用
地上での動物的本能の赴くままに生きた人間が、今度は知的ないし情緒的生活を体験するために再び地上に戻ってくることは、これは紛れもない事実である。言い換えれば、私のいうアニマル・マンは間違いなく再生する。
私のいうソウル・マンの中にも再生という手段を選ぶ者がいないわけではない。が、いわゆる輪廻転生というのは機械的な再生の繰り返しではない。一個の霊が機械が回転するように生と死を繰り返したという例証を私は知らない。百回も二百回も地上に戻るなどということは、まず考えられない。その説は明らかに間違っている。
もちろん原始的な人間の中には向上心、つまり動物的な段階から抜け出ようとする欲求がなかなか芽生えない者がいるであろうし、そういう人間は例外的に何度も再生を繰り返すかもしれない。しかし、まず大部分の人間は二回から三回、ないしはせいぜい四回くらいなものである。
もっとも中には特殊な使命または因縁があって八回も九回も戻ってくる場合がないではない。従っていい加減な数字を言うわけにはいかないが、断言できることは、人間という形態で五十回も百回も、あるいはそれ以上も地上をうろつき回るようなことは絶対にないということである。
「たった二回や三回の地上生活では十分な経験は得られないのではないか」----そう仰る方がいるかもしれない。が、その不足を補うための配慮がちゃんと為されているのである。
物貰い・道化師・王様・詩人・母親・軍人----以上は無数にある生活形態の中から種類と性質のまったく異なるものを無造作に拾い上げてみたのであるが、注目すべきことは、この六人とも五感を使っているという点においては全く同じ条件下にあり、ただ肉体器官の特徴とリズムがその表現を変えているに過ぎないということである。
続く
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