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日本の霊界通信 「小桜姫物語」



日本のスピリチュアリズム研究の先駆者「浅野和三郎」についてと世界の代表的な「霊界通信は」過去ログでいくつかご紹介してきた。浅野和三郎の著書の中で、特筆すべきもののは、なんと言っても「小桜姫物語」であろう。浅野の夫人である、「浅野多慶子」の守護霊が《小桜姫》である。小桜姫は実在の人物で戦国時代の武将・三浦荒次郎の妻であった。小桜姫は死後、地元の人々によって神として祀られ、その祠は「小桜神社」として、今も三浦市諸磯に現存している。

●「小桜神社」http://www.geocities.jp/sizen_junnosuke/ichigojinjya5.html

「小桜姫物語」は夫人を霊媒として、小桜姫が語った言葉を浅野和三郎がまとめたものである。夫人は霊媒のタイプとしては入神霊媒(トランス霊媒)の部類に入るが、生涯この小桜姫と名のる霊以外の霊がしゃべったことはなかったようである。浅野氏は修行によって優れた審神者(サニワ)としての能力を身に着けており、夫人に降りた霊が、下級霊ではないことを確信していたようである。
注:審神者 http://www.interq.or.jp/mercury/w22525/koushin-gijutsu5.htm

多慶子夫人はトランス中のことは何一つ覚えていないために、自分の守護霊が小桜姫であることを浅野氏から知らされても、何の感慨もなかったそうである。

浅野氏が他界して32年が経過して後、すなわち昭和44年のことであった。夫人の元に《三浦一族会》の会長、岩間 尹氏が訪ねてきた。岩間氏の話によれば、ある日の午前二時ごろ、ふと岩間氏が目覚めると、部屋の中に平安朝風の着物をまとった美しい女性が伏し目がちに座っているのが目に入った。誰だろうと思っているうちに姿が消えた。そして次の夜も、また次の夜もその女性は枕元に現れた。数日後には美しい女性はついに口を開き、自分は横浜の鶴見に住む浅野多慶子という未亡人の守護霊で、地上時代は三浦の武将・三浦荒次郎の妻であったっという趣旨のことを述べたという。

多慶子夫人はこの話を聞いたとき、初めて死後の世界と守護霊の実在に得心がいったということである。

昭和12年に発刊された「小桜姫物語」は、すでに著作権が切れているため、サイト(心霊図書館)で全文が公開されている。
原文に送り仮名をふったものと現代語訳のものがあるので両者をご紹介する。
※原文は現在は掲載されていないようだ。現代語訳とはいえ戦前の漢字遣いなので、ルビ無しは、若い世代には読みにくいかもしれない。ルビ有りとルビ無しが用意されている。

●「小桜姫物語」現代語訳(ルビ無し)心霊図書館
●「小桜姫物語」現代語訳(ルビ有)霊界通信

コメント一覧

フォトン
やぶさめさん
わが身を捨てて人を助ける事は仏教で言うところの喜捨にあたります。自分の命と引き換えに他者を救う事は最大の喜捨であり、大変素晴らしい事です。

しかしこの世に生を受けた以上はどんなに苦しい事があっても、精一杯自分の生を全うしなければならない義務があります。貴方は本当に心底から人を助けたいと思っていますか?

そうでなければ貴方の言う臓器提供は人助けの美名を借りた自殺と同じです。

神も仏もお喜びにならないでしょう。
やぶさめ
はじめまして
http://blog.goo.ne.jp/tds_yabusame_cle
私は、今すぐにでも臓器提供をしたいです。
条件は安楽死です。

臓器を貰うために人の死を待つくらいなら、私の願いを聞いてくれた方がいいと思います。
私と同じことを考える人も、一万人くらいはいると思います。

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