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信仰に組織は不要

冒頭にお断りしておくが、前日の記事「四十九日の意味するものPART2」の内容は霊的真実ではない。内容はあくまでも仏教の説く死後観である。宗教文化の解説文としてご理解していただきたい。大昔ならいざ知らず、21世紀の今日においても、残念なことに、この説を人々に得意げに説く僧侶も少なくない。そのような人物に限って死後の世界など信じていないものである。

世界宗教と呼ばれる人工宗教の捻じ曲げられた教義が、どれだけ人々の霊的成長を妨げ、多くの紛争の火種を作ってきたかは、カテゴリー「宗教の真実」で述べてきた通りである。

そして、人工宗教の持つマイナス面の一つに宗教組織がある。組織化することにより、利害関係、支配関係が生まれる。宗教は組織存続、拡大の為の集金システムと権力闘争の場と化し、信仰の純度を低下させてしまうのである。信仰の本質は自発的な個人の行為である。基本的に信仰に組織は不要である。

シルバーバーチの霊訓などの翻訳で知られる近藤千雄氏もその著書の中で同様の意見を述べている。その一節を引用してご紹介しておく。


●日本人の心のふるさと《かんあがら》と近代の霊魂学《スピリチュアリズム》
 近藤千雄(著)星雲社 より


(引用開始)

信仰には、本来、組織は不要のはずである。かんながら流に考えれば質素な神棚があって、地域に氏神、即ちその地域の守護神を祀る神社があればそれで十分なはずで、さらに理想を言えば、感覚の鋭い霊能者、治癒力の強いヒーラーがいてくれれば申し分ないのであるが、現実は、いい加減な霊能者やヒーラーが法外な料金を取ったり低俗な教えを説いたりしていることが多い。

地上界は様々な意識レベルの人間が同じ平面上で生活している世界である。したがってその中に、どこか組織に属している方が心が安まるという人がいてもおかしくはない。その意味では組織宗教の存在義務も皆無とは言えない。

一方「○○教」という看板を掲げながら、実質的には教祖ないしは中心的指導者の人格および霊格の高さが多くの信奉者を引き寄せ、看板も組織もあって無きがごときサークルもあれば、反対に「組織はいけない」「宗教になってはいけない」と公言しながら、暗々裏の締め付けによって実質的には営利を追求し、おまけに常識的な倫理道徳にも悖るような人間関係がはびこっているサークルもあることを筆者は確認している。

そうした事実を踏まえた上で、では一体、日常生活でいちばん大切なのは何かと言えば、守護霊を中心とした背後霊との感応道交であろう。抽象的に響くかもしれないが、難しく考える必要はない。要するに背後霊団が指導しやすい精神状態を維持することである。

(引用終了)

日本人の心のふるさと“かんながら”と近代の霊魂学“スピリチュアリズム”

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