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冥土院日本(MADE IN NIPPON)

月光仮面 スーパーヒーローとバイクとピストル ①

●憎むな。殺すな。赦しましょう。

『憎むな。殺すな。赦しましょう』
お馴染みのノスタルジックヒーロー『月光仮面』のキャッチフレーズである。今年の4月6日に原作者『川内康範』氏がお亡くなりになった。奇しくも今年は月光仮面誕生50周年である。

1958年(昭和33年)2月24日、毎夕6時から月~土の10分間のベルト番組としてKRテレビ(現TBS)から放送開始された。第一部は『どくろ仮面(全72話)』であった。毎週日曜日午後6時から30分枠で放映されたのは第二部『パラダイ王国の秘宝(全21話〕』からであった。(その後、日曜午後7時のゴールデンタイムに昇格する)

月光仮面はテレビ劇映画の草分けとして後のテレビ映画に大きな影響を与えたエポックメイキングな作品であった。同時代を描いて大ヒットした映画『三丁目の夕日』の鈴木オートの一人息子、鈴木一平君よりも少し年少である私たちの世代もすっかり月光仮面の虜になってしまった。

日本の家庭のテレビ受信機普及率が大きく伸びたのは、翌昭和34年の皇太子(今上天皇)御成婚が契機になったと言われている。月光仮面放映開始当時、我が家にはまだテレビはなかったのだが、新し物好きの叔父がいち早くテレビを買ったおかげで、幸運にも叔父の家で月光仮面を第一回目から毎回見ることが出来たのである。

月光仮面誕生のいきさつは次のような流れであった。当時の娯楽産業として全盛を誇っていた映画会社はテレビなどには目もくれなかった。テレビ局の開局時には製作スタッフとして映画会社の助監督クラスの人たちが数多く移籍したが、その送別会で「テレビなんてやくざな業界に何で行くのだ」と言われたそうである。また送られる側も泣きの涙であったそうだ。当時テレビは映画人から「電気紙芝居」と揶揄され一段も二段も低いものとして見られていた。

このような状況の中でテレビ映画製作に乗り出したのは映画会社ではなく、広告代理店の「宣弘社」であった。宣弘社は前年9月から放送されていた時代劇『ぽんぽこ物語』(小鳩くるみ主演)の時間枠(武田薬品提供、製作は東京テレビ映画社)を持っていたが、時代劇で制作費がかさむ上に視聴率が伸びず放映打ち切りとなろうとしていた。

この番組がなくなり武田薬品がスポンサーから降りれば時間枠を失うことになってしまう。そこで新たなテレビ映画製作を行うこととし東映に製作依頼を打診した。製作予算は10分1話で10万円であったという。当然ながら東映からはそんな予算で出来るわけがないと一笑された。そこで宣弘社の製作部門として宣弘社プロダクションを設立し、テレビ製作に乗り出すことになったのである。

そして新番組の原作・脚本を依頼したのが『ぽんぽこ物語』の脚本を書いていた川内康範氏であった。

次回へ続く

★月光仮面 第4部オープニングタイトル
http://jp.youtube.com/watch?v=nb7GjSuqU6A

★月光仮面 第5部オープニングタイトル(最後にキャッチフレーズ)
http://jp.youtube.com/watch?v=BrLa1CpMK6w&feature=related

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