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神社を占う

神社での祈りについて、大変興味深い記事を見たので、ご紹介したい。それは石井清龍さんという占い師の方のホームページに掲載されていた「神社を占う」という記事である。

石井さんは江戸時代の天才的な易者、真勢中州が中国伝来の易に研究改良を加え編み出した流派を継承する宗家である。正式には真勢中州流 谷川龍山派本筮易(ほんぜいえき)という。古代中国の易経に書かれている占いといえば筮易の事である。四柱推命や占星術などの生年月日を基にした統計学的占いとは違い、「心を無にして神様に祈り質問することのできる占い」と石井さんが語るように、どんなものも占えるという利点がある。HPをご覧になっていただければ、よくお分かりになると思うが、石井さんの偉ぶらない姿勢と言葉の端々からあふれる、暖かい人間味に大変好感が持てるHPである。


●石井清龍の本筮易 易日記 より引用掲載
「神社を占う」 2007年1月1日
(前文省略)

はてさて、そんな気分の新春ですが、神社の参堂に大勢の人が行列をつくりはじめましたので、初日記は神社について書くことにしました。先日、易の勉強会で、神社に参拝に行く事が神様のご加護がいただけるのかと言う質問が出ました。

(中略)

私のお弟子さんに、とても信仰心が深く宗教に密着しているような方がいます。
何十年間も神仏を心のよりどころとし、どこかへ行けばその土地の神社を参拝することを日常の生活の中に取り入れているような信仰心を持っているのです。
その信心深いお弟子さんが易の勉強会で占う内容は、どこどこの神社にいる神様はどういう神か?とか、さまざまな宗教に関しての信憑性や私の聞いた事の無い神様の名前を沢山ご存知で、そういう知る人ぞ知る神様の本質に関して沢山占っていました。

わたしはお弟子さんの知っている神仏や霊能力者の話を聞きながら、神様のことを占っても見えない世界の事だから当たっているかどうかの保証が無いので、もっと現実的な事を占った方が易の実力がつくと、神社や神様の質問をするお弟子さんに言っておりましたが、このお弟子さんの信仰心はかなり深いものがあり、将来は宗教を起こすというほどの強い意志があったほどで、神社めぐりを生きがいとしているような性格でした。

ところが、最近このお弟子さんの意識が変わってきて、宗教にこだわる意識が抜けて神社めぐりをしようとも思えなくなったというのです。また宗教を起こす意識も泡のように消えてしまったのです。 毎年お参りに行っていた神社に今回は行く気持ちも消え、今まで行っていた神社に参拝することが自分にとってどういう加護があるのか、それを占いたいと言うのでした。

私は私の中にある思い込みで、神社に参拝してもそれで神様が守ってくれる事は無いと易に出るに違いないと思ったのです。お弟子さんが何十年も参拝をつづけた神社の一つに箱根神社と九頭龍神社があり、その神社に行くことの神様の加護について占いました。箱根神社は霊峰である富士山に近い関東地区であることから、関東総鎮守となっているそうです。九頭龍神社は箱根神社の家来のような繋がりがあるんだそうです。 箱根神社に正式参拝をすると、神殿の上の方から頭の頂点に気がすーっと降りてくるのを感じるそうで、このお弟子さんは、確かに霊的に敏感で心霊の存在を見たり感じたりすることがあり、今までの話を聞いていてそれがあたっている事も多くあり、このお弟子さんがすがすがしい気を感じるというのならば、本当なのだろうと思えます。

そして、箱根神社を参拝することのご加護について占った答えが私にとって意外だったのです。参拝してご加護がいただけるかどうかは、参拝する側の意識によるものだそうです。また、このお弟子さんが長いことこの神社に通っていた事を、神様はご存知だと易に示されたのです。彼の神様に向ける姿勢が真剣で神様にすがろうとする強い宗教心だったと易は示し、彼の気持ちが易の卦面にでていました。

神社にわざわざ遠くから参拝にくる彼の純粋な姿勢が信仰心として、神様の気に反応していたというのです。そして、ご加護とかご利益を願っての参拝が大半の参拝者の姿勢なのですが、そのような自己都合の祈りは神様の意識に届かず風のように流れていくだけというのです。 神様に向かう望ましい姿勢はお願いにうかがうのではなく、感謝の祈りをするために参拝する心が、神様のご加護をいただける姿勢になると易は示すのです。

箱根神社の神様はかなり厳しく霊格も高いようで、欲求の祈りは次元が低く高い意識とはならずに天に届く祈りにならないようです。純粋な気持ちで神様に感謝できる人が神様の心に通じるという易の答えを読みながら、日頃参拝など考えてもいない私でしたが、「感謝の祈りをするために参拝させていただこう!」としみじみとおもったのでした。初詣は感謝のお祈りに行くべきと言うことです。

すべてのものには気があります。どんな気を備えているか、気の風格と言いますか、人にも動物にも植物にも神社にもそれぞれみな気がありますし、良くも悪くも神社は様々な霊の溜まり場となりやすいところです。 小さな神社には動物の霊も集まっていますし浮幽霊もいます。

気の神々しさを感じる神社に参拝し、さらに自分の意識も心から感謝できる意識を持つこと、これが自分自身の気を清め高め、神様の崇高な気をいただけるにふさわしい波長に繋がる事ができるのだと思いました。ご加護を願わず感謝をする気持ちは簡単に出来ることではありません、困っているとき苦しいときに神様に感謝できるような大きな穏やかな心を持てる人は、並みの人とは言えない気がします。心の深さが高い神格をもつ神様の波長に通じると言う易の説ですが、高い神様の波長にふさわしい意識を持てるようになりたいと思います。

神様のご加護を頂きたい下心を隠せませんが、そのうち箱根神社に感謝の参拝に行ってみようと思います。

引用終了

●真勢中州流 谷川龍山派 本筮易 
http://www.asahi-net.or.jp/~pa6c-isi/top.htm

コメント一覧

フォトン
saoさんが、自分の「気づき」に基づいた正しい生き方を実践され、身を持ってその結果を示されることが、お母様の気づきを早めることになるかもしれませんね。良い方法だと思います。

sao
深く納得致しました。

言っても聞かない人なので、早く気がつくといいのですが…、いえ気づいていても実行しないだけかもしれません。元々他力本願な人なので…。反面教師というか、私は自分で頑張りたいと思います。

解答ありがとうございました。
フォトン
依存症 2
占いや霊能者依存症と信仰という名の神仏依存症も、根っこは同じです。つまり、何でもかんでも自分の外の存在に依存してしまう他力本願の心の病です。

過去ログにも度々書いてきましたが、悪の霊的存在達は人類をコントロールするために、自分を神と信じ込ませました。また手下達を使って信仰の本質を捻じ曲げ、人間とは愚かで無力な存在と思わせ、神仏に全面依存するように洗脳してきました。この洗脳によって人類は自らの力で現実を作り上げることが出来る創造力という素晴らしい能力を失ってしまいました。

しかし真実は違います。キリストも釈迦も、人には神性や仏性が宿ると説いています。日本の神道も人には天御中主神の分霊が宿ると説いています。言い換えれば人は心の中に神が宿っており、皆、神の子であると言うことです。

自分に宿る内なる神に祈り、親神の宇宙創造神と繋がれば、人はクリエーター(創造神)として現実を創造し、願望を容易に達成することが可能となるわけです。(外部の存在に祈るから願いは叶いにくいのです)


いずれにしろこの依存症から抜け出す方法は、この世とあの世の正しい仕組みを正しく理解することです。神とは仏とは何か、霊とは何か、人は何のためにこの世に生まれるのか等々。宇宙の摂理を理解することに他なりません。


霊能者巡りや神社仏閣巡りをいくらやっても、運と幸せは自分で切り開くという意思と行動がなければいつまでたっても願いは叶いません。神様は総てをお見通しです。神社に行かなくても、毎日神様に祈らなくても、正しき方法で一生懸命頑張っていれば、必ずご加護くださるものだと思います。
お母様が一日も早く、それに気づかれると良いのですが。
フォトン
依存症 1
占い師や霊能者の鑑定やお祓いで運勢が良くなることはありえません。要するに開運とはいかに自分が正しく行動し、努力するかにかかっています。それが天の意思に沿ったものなら必ず成就できるでしょうし、自から運は開けます。

注意しなければならないのは、信頼できる占い師や霊能者の存在は本当に稀です。能力に優れているだけでなく、人格的にも霊性的にも優れた方を選ばないと、道を誤ってしまいかねません。狸や狐の霊が憑いているだけでもかなりの的中率や霊能は発揮します。

また優れた占い師や霊能者はその人の宿命を言い当てることが出来ますが、運命までもは変えることはできません。鑑定結果で自分の宿命を知り、それを参考にしながら、考え、行動するのは自分です。未来や運命も変えることが出来るのは自分自身だけです。

あれこれ細かく指図をしたり、法外な金銭を要求するような占い師や霊能者は怪しいと思ったほうが良いでしょう。怪しい霊能者ほど、先祖の祟りだとか、悪霊が憑いているなどと言いたがります。

多かれ少なかれ人には善霊(守護霊)と悪霊(悪というよりは頼ってきている霊もある)が憑いているものです。本人の魂の波動が下がれば下級霊や動物霊を引き寄せます。波動が上がれば悪霊は自然に離れていきます。一時的にお祓いをしてもらっても本人の波動が上がらなければ、また悪い霊を引き寄せてしまいます。要するに明るい心を持ち、前向きな生き方を心がければ、お祓いなど必要ないのです。むしろ自分の力で祓うくらいの気概を持たなければなりません。

sao
そうですよね…
年始や旅行ついでに宗教心や感謝の気持ちなく都合のいいお願いの為に参拝しても、右から左に受け流してしまうのですね…、反省。



私事になってしまいますが、私の母は占いやスピリチュアル(都合のいい部分)が大好きです。信仰心などは全くありませんが、お祓いや占いによく行きます。

先日も占いに行ってきて、その占い師の方は占いとご祈祷みたいな事も出来るということでした。

そして、母が子供時代に飼い犬が間違って保健所に連れて行かれたことがあり(当時は犬は多くが放し飼いだったそうです)その犬の供養の為、川にお供え物をした船を7日間流しなさい、そうしたらこれから運勢がよくなるから、と言われたそうです。

遠方な為、7日間終えたら電話しなさい、そうすれば成仏出来たか見えるから、と言われたそうです。

母は船を流していないのに電話をして、その占い師さんは「成仏した」と答えたそうです。

私は、なんでそんなことをするのか、信じる者は救われる、信じて船を流さずに逆に占い師を試すようなことをしても運勢はよくならないと言いました。

母は、お金払ったんだから試すでしょ!船を流したかどうかは電話すれば相手は判ると言った、船を流してないのに成仏した、と言うなんてインチキでしょ!と言います。

全くお恥ずかしい話ですが…。

私は宗教や占いは、信じる心が無ければ報われないと思ってます。

母は占いと言えば食いついて、勿論占い師ごとに言うことも変わりますからその度に仏壇の位置を変えたり、水晶を庭に埋めてみたり、ほとほと参っております。だからと言って信心深いわけではありません。

何かに縋りたい気持ちも判らないでもないですが…。

占い師と母について、フォトンさんにご意見、アドバイス伺いたいのですが…。長文すみません。

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