高木彬光が「大予言者の秘密を」を書いた時代にあっても高島嘉右衛門の名を知る人は少なく、その業績は忘れさられようとしていた。 そんな時代にあって高木が、嘉右衛門を主人公に小説を書く気になった訳を伺い知ることが出来るエピソードをご紹介しよう。
推理作家の高木彬光(1920~1995)の作品といえば名探偵・神津恭介シリーズが著名である。この神津恭介が登場する彼の処女作は「刺青殺人事件」(昭和23年刊)であった。そして序文は何と当時の推理小説界の第一人者であった江戸川乱歩である。無名の新人の為になぜ大御所の江戸川乱歩が序文を書いてくれたのか? それには次のような経緯があった。
高木彬光は、旧制青森中学校(現・青森高校)の出身で、学校始まって以来の三本指に入る秀才と評された。旧制一高、京都帝国大学工学部を経て中島飛行機製作所(富士重工の前身、隼などの軍用機を生産)に入社し、エリート航空技師としての限りない未来が開けているかのように見えた。しかし、敗戦と同時にGHQの占領政策(軍需産業とみなされる企業は解体され、関係者の就職は公職追放等によって制限された)により職を失って極貧生活を味わう事になる。万策尽き果て失意の日々を送る中、ある易者から骨相が作家の「中里介山」に似ている事から長編小説を書く事を勧められる。
注)中里介山: 大長編時代小説「大菩薩峠」の作者
高木は一念発起し、寝食を忘れて粗末な藁半紙に僅か三週間で書き上げた長編小説が「刺青殺人事件」であった。高木はその原稿を清書し、一面識もない江戸川乱歩に送ったのである。その年の大晦日、高木の手元に届いた江戸川乱歩からの返事には「探偵小説としては大変感心いたしました。出版に努力いたしたく存じます」と書かれてあったという。
占いによって奇跡的な人生の大転換を体験した高木にとって、高島嘉右衛門は絶好の小説のモチーフである事は想像に難くない。高木は現存する嘉右衛門の資料を調べながらこの小説を完成させた。「事実は小説よりも奇なり」という名文句があるが、作家の想像力や創作力を超えるほどの数奇な生涯を送った嘉右衛門を、小説として描く事は大変な苦労であったと思われる。
しかしながら、高木の筆は冴え、嘉右衛門の一生を忠実に再現しながら、エンターティメントとしても格別な仕上がりを見せている。また高木は処女作のタイトルに見られるように「刺青」文化に対しても造詣が深く、いくつかの刺青研究に関する著書がある。この小説の中でも、正式の記録にはない美貌の女刺青師と西郷従道のロマンスを盛り込み、ストーリー展開に花を添えている。このエピソードは刺青師の世界に伝承されてきた秘話であるという。
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