5月30日(木)
昨日は、大変多くの方が ブログを見てくださいました。
松城幼稚園・浜松教会の関係者以外の方々も、こうして 真剣にブログを見てくださっていることに 感謝です。
今日は 郷土の偉人として 加茂巌先生について 記したいと思います。
加茂巌先生は、知的で謙虚で、クリスチャンとしても 大学関係者・教会関係・幼稚園関係・・多くの方々から慕われ 愛されたそうです。
そして、加茂巌先生も、一人ひとりを愛された方です。
今回は、母が 加茂巌先生の記念会の時に 皆様にご挨拶した一部を掲載します。
『 前略
私が静岡英和学院大学及び短期大学部同窓会会長を受けて、初めて発行しました同窓会会報「楓」がございます。私がどうして理事をお受けしたか、同窓会会長をお受けしたかが記載されています。
1971年から5年間、静岡英和女学院院長及び短期大学学長をされた加茂巌先生と、浜松教会で繋がりがあったことが私を英和短期大学にホームカミングさせたと思えてなりません。
英和女学院同窓会浜松支部を「引馬野萩の会」と命名していただいたその夜、巌先生が天に召されたことを昨日のように覚えております。
「何か見えない糸で手繰り寄せられたような結着」で学長を受けられたとおっしゃっておられた加茂巌先生、私も同じような想いで理事と同窓会長をお受けしました。巌先生の意志は、巌のように堅固(けんご)ですが、心は幼子のように柔らかい心を持っておられ、私は、巌先生から本当の強さを教えて頂きました。
私は、92年11月頃から体調を崩し(くずし)、2年ほど浜松教会を離れました。その間、何度となく巌先生はお鍋いっぱいの加茂カレーをお届けくださいました。「みどりさんが元気になるなら」とおっしゃった巌先生の優しさ、深いお心に随分励まされ、生きてくることができました。そして、快復に向かったある日、静岡英和女学院から理事就任の要請があり、巌先生にご相談しました。
先生は、それはそれは嬉しそうに「みどりさんが理事を受けてくれたらこんなに嬉しいことはない」とおっしゃられ、お父さんのような存在の巌先生のお言葉とおりに理事を受けました。
その翌年、96年10月21日ホテルコンコルドで英和女学院浜松支部発足の会を持ちました。巌先生は、嬉しそうに笑みをいっぱい浮かべて英和女学院浜松支部を「引馬野萩の会」と命名してくださいました。そしてお席に戻られたのですが、「ちょっと、大事なことを言い忘れました」とおっしゃって再びマイクを持たれました。
「みなさんが英和女学院のお姉さんなら、松城幼稚園は小さい小さい妹です。
どうか妹を可愛がってください。」
そして、2時間後、花束を持ってお礼に先生のお宅を訪問しました。その数時間後に天に召されたことをお聞きしました。夜が明けるのを待って伺いましたとき、奥様の美恵子さんは、巌先生の隣で休んでいらして「どうしたことでしょう」とおっしゃったことを覚えております。由彦さん(現 松城幼稚園事務長)に、巌先生と生前約束してあったこと、私が今、生かされているいのちは巌先生のお陰ということをお伝えし、「巌先生との約束でしたので、葬儀の式次第を作らせてください」とお願いしました。
私は99年に、巌先生が学長をされた短期大学の同窓会会長を受け、巌先生への感謝の気持ちと一人のクリスチャンとしてミッション大学の同窓会会長として英和に置かれたという使命を感じ、英和短期大学を英和学院大学へと改組転換の労苦を担ってまいりました。
卒業式、入学式には、教職員と500名近い学生、保護者に祝辞を述べますが、いつも、私の心には、学長としてご労苦された巌先生のお姿があります。
私の母は、英和の寄宿舎で美恵子さんとご一緒でした。美恵子さんは私の母のような存在、そして巌先生は父のような存在でした。巌先生の加茂カレーに込められた温かいお心と支えのお陰で、巌先生のお言葉を胸に、静岡英和学院大学を育て、教職員、同窓生の心のカウンセラーとして一日一日を、主に生かされ生きております。巌先生の記念会のこの日、改めて、英和を愛し、英和の為にお働きくださった巌先生に感謝の想いでいっぱいでございます。 』
母から聞いた話ですが、引馬野萩の会の写真撮影は、写真を撮るのが大好きで友人の小倉祥司さん(現 松城幼稚園理事長)にお願いしたそうです。
加茂巌先生の前夜式・葬儀式次第は、我が家に 教会の仲間が集まり 夜遅くまで心を込めてつくりました。
そして、前夜式・葬儀は、母が すべてを仕切って 写真撮影まで行っていました。
母は、加茂巌先生から頂いた毛筆と手編みの靴下を今でも 大切にしています。
浜松教会のバザーでは、いつも 「加茂カレー」の食券は完売、
静岡英和学院大学でも「加茂カレー」は有名で グルメとして評判だったと、母から聞きました。
後先になりますが、加茂巌先生の記念会には、その当時勤めていらした 松城幼稚園の先生方もご出席、私の姉が園児だった頃です。その当時は、優秀な教員を採用する為北陸学院等にも声を掛けて 採用されていたそうです。素晴らしい知的な愛ある先生方ばかりだったそうです。
≪ 母から一言 ≫ ↓
『 キリスト教精神の幼稚園のレベルは いかに知恵と知識を兼ね備えた優秀なクリスチャン教師を採用し、イエス様の愛を惜しみなく園児に行動を持って伝えていくことだと思います。
加茂巌先生のように 一人ひとりを愛し、大切に育てていかれる姿勢が 今 求められているのではないでしょうか? 』
二度と私のように心身の痛みを受け、働くことさえできなくなってしまう人を出さないでほしい!!
決して いじめや暴力をするような事があってはならないと思います。
栞作りが大好きな母が、幼稚園から依頼されて 栞を作りました。
昨日は、大変多くの方が ブログを見てくださいました。
松城幼稚園・浜松教会の関係者以外の方々も、こうして 真剣にブログを見てくださっていることに 感謝です。
今日は 郷土の偉人として 加茂巌先生について 記したいと思います。
加茂巌先生は、知的で謙虚で、クリスチャンとしても 大学関係者・教会関係・幼稚園関係・・多くの方々から慕われ 愛されたそうです。
そして、加茂巌先生も、一人ひとりを愛された方です。
今回は、母が 加茂巌先生の記念会の時に 皆様にご挨拶した一部を掲載します。
『 前略
私が静岡英和学院大学及び短期大学部同窓会会長を受けて、初めて発行しました同窓会会報「楓」がございます。私がどうして理事をお受けしたか、同窓会会長をお受けしたかが記載されています。
1971年から5年間、静岡英和女学院院長及び短期大学学長をされた加茂巌先生と、浜松教会で繋がりがあったことが私を英和短期大学にホームカミングさせたと思えてなりません。
英和女学院同窓会浜松支部を「引馬野萩の会」と命名していただいたその夜、巌先生が天に召されたことを昨日のように覚えております。
「何か見えない糸で手繰り寄せられたような結着」で学長を受けられたとおっしゃっておられた加茂巌先生、私も同じような想いで理事と同窓会長をお受けしました。巌先生の意志は、巌のように堅固(けんご)ですが、心は幼子のように柔らかい心を持っておられ、私は、巌先生から本当の強さを教えて頂きました。
私は、92年11月頃から体調を崩し(くずし)、2年ほど浜松教会を離れました。その間、何度となく巌先生はお鍋いっぱいの加茂カレーをお届けくださいました。「みどりさんが元気になるなら」とおっしゃった巌先生の優しさ、深いお心に随分励まされ、生きてくることができました。そして、快復に向かったある日、静岡英和女学院から理事就任の要請があり、巌先生にご相談しました。
先生は、それはそれは嬉しそうに「みどりさんが理事を受けてくれたらこんなに嬉しいことはない」とおっしゃられ、お父さんのような存在の巌先生のお言葉とおりに理事を受けました。
その翌年、96年10月21日ホテルコンコルドで英和女学院浜松支部発足の会を持ちました。巌先生は、嬉しそうに笑みをいっぱい浮かべて英和女学院浜松支部を「引馬野萩の会」と命名してくださいました。そしてお席に戻られたのですが、「ちょっと、大事なことを言い忘れました」とおっしゃって再びマイクを持たれました。
「みなさんが英和女学院のお姉さんなら、松城幼稚園は小さい小さい妹です。
どうか妹を可愛がってください。」
そして、2時間後、花束を持ってお礼に先生のお宅を訪問しました。その数時間後に天に召されたことをお聞きしました。夜が明けるのを待って伺いましたとき、奥様の美恵子さんは、巌先生の隣で休んでいらして「どうしたことでしょう」とおっしゃったことを覚えております。由彦さん(現 松城幼稚園事務長)に、巌先生と生前約束してあったこと、私が今、生かされているいのちは巌先生のお陰ということをお伝えし、「巌先生との約束でしたので、葬儀の式次第を作らせてください」とお願いしました。
私は99年に、巌先生が学長をされた短期大学の同窓会会長を受け、巌先生への感謝の気持ちと一人のクリスチャンとしてミッション大学の同窓会会長として英和に置かれたという使命を感じ、英和短期大学を英和学院大学へと改組転換の労苦を担ってまいりました。
卒業式、入学式には、教職員と500名近い学生、保護者に祝辞を述べますが、いつも、私の心には、学長としてご労苦された巌先生のお姿があります。
私の母は、英和の寄宿舎で美恵子さんとご一緒でした。美恵子さんは私の母のような存在、そして巌先生は父のような存在でした。巌先生の加茂カレーに込められた温かいお心と支えのお陰で、巌先生のお言葉を胸に、静岡英和学院大学を育て、教職員、同窓生の心のカウンセラーとして一日一日を、主に生かされ生きております。巌先生の記念会のこの日、改めて、英和を愛し、英和の為にお働きくださった巌先生に感謝の想いでいっぱいでございます。 』
母から聞いた話ですが、引馬野萩の会の写真撮影は、写真を撮るのが大好きで友人の小倉祥司さん(現 松城幼稚園理事長)にお願いしたそうです。
加茂巌先生の前夜式・葬儀式次第は、我が家に 教会の仲間が集まり 夜遅くまで心を込めてつくりました。
そして、前夜式・葬儀は、母が すべてを仕切って 写真撮影まで行っていました。
母は、加茂巌先生から頂いた毛筆と手編みの靴下を今でも 大切にしています。
浜松教会のバザーでは、いつも 「加茂カレー」の食券は完売、
静岡英和学院大学でも「加茂カレー」は有名で グルメとして評判だったと、母から聞きました。
後先になりますが、加茂巌先生の記念会には、その当時勤めていらした 松城幼稚園の先生方もご出席、私の姉が園児だった頃です。その当時は、優秀な教員を採用する為北陸学院等にも声を掛けて 採用されていたそうです。素晴らしい知的な愛ある先生方ばかりだったそうです。
≪ 母から一言 ≫ ↓
『 キリスト教精神の幼稚園のレベルは いかに知恵と知識を兼ね備えた優秀なクリスチャン教師を採用し、イエス様の愛を惜しみなく園児に行動を持って伝えていくことだと思います。
加茂巌先生のように 一人ひとりを愛し、大切に育てていかれる姿勢が 今 求められているのではないでしょうか? 』
二度と私のように心身の痛みを受け、働くことさえできなくなってしまう人を出さないでほしい!!
決して いじめや暴力をするような事があってはならないと思います。
栞作りが大好きな母が、幼稚園から依頼されて 栞を作りました。