2020年10月24日(土)
今日のブログも、体調不良の為、母に手伝ってもらいました m(._.)m
今日のブログは、「真の勝利者」について記したいと思います。
是非 ご一緒に考えてください。
勝利者とは 勝負・競争などに勝った者。勝者。
反対語は 敗北者
これは、この世的な意味です。
非条理とは、この世の道理にかなっていないこと。また、そのさま。を言いますが、信じられない非条理な現実、又、苛めが学校でも職場でも問題視されています。そんな現代に問題を投げかけてみたいと思います。
以前 2019年6月13日(私の人生 28)で、投稿させていただきました小坂忠さんの「勝利者」について、再びここに掲載し、ご一緒に考えていただけましたら幸いです。
『 勝利者 』 小坂忠
作詞:小坂忠 作曲:小坂忠
何が苦しめるのか
何が喜びを 奪い去るのか
心の中にはいつでも
嵐のような戦いがある
勝利者はいつでも
苦しみ悩みながら
それでも前に向かう
君がつまずいた時
失望の波に 揉まれていた時
君は一人でいたんじゃない
君を支えていた 誰かがいた
勝利者はいつでも
傷つき悩みながら
それでも前に向かう
どんな力も 神の愛から
君を離すことなどできない
勝利者はいつでも
苦しみ悩みながら
それでも前に向かう
勝利者はいつでも
傷つき悩みながら
それでも前に向かう
人生における勝利者とはを 改めて考えてみたいと思います
『勝利者』の誕生は、第23回ロサンゼルスオリンピック大会(1984年、米国)の女子マラソンで、ふらふらになりながらゴールしたスイスのアンデルセン選手。「勝利者」は、アンデルセン選手の "あきらめない走り" からインスパイアされて生まれた曲で、1997年に、小坂 忠(こさか ちゅう )さんによってリリースされた。
本名、小坂 正行(こさか まさゆき)。 シンガーソングライター、作曲家、ゴスペルシンガー、牧師。
1969年、小坂忠さんは細野晴臣(はるおみ)らと「エイプリル・フール」を結成し、日本のロックの黎明(れいめい)期に活躍しましたが、後に解散。その後、小坂さんはゴスペル音楽をロック風にアレンジして教会を回って歌ったが、なかなか受け入れらず、評価されなかったのでした。
小坂さんは迷い苦しんだが、そんなとき目にしたのがアンデルセン選手の姿だった。
「彼女の姿を見て、ヒット曲のために歌うのではない。ひとりの人に感動を与えられたら、それは大ヒットだと思った。たとえ売れなくても、自分が信じる歌を力の限り歌う」。
小坂忠さんは、そんな思いで「勝利者」を作りました。
小坂忠さんのお言葉です。 ↓
何が苦しめるのか/何が喜びを 奪い去るのか/ 心の中にはいつでも/嵐のような 戦いがある
勝利者はいつでも/苦しみ悩みながら/ それでも前に向かう
これは自分自身の応援歌です。 そしてこれを聞いてくれたあなたへの応援歌です。
私がこの歌を書いた時、私は人生の最もつらい時を過ごしていました。 何もかも捨ててどこかに消えてしまいたいとさえ思っていたのです。 まさか自分がこんな気持ちになるなんて想像もしませんでした。 そんな時、私はどこかで私を励ますかすかな声をはっきり聞いたのです。 私にはその声がどこから来たのかがはっきりとわかりました。 そのときから私の心から孤独が去り、もう一度前に向かって進む希望が生まれたのです。
「挫折」、「失望」、「孤独」 これらの言葉は勝利者と無縁だろうか。 表彰台の一番高い所で、大観衆の拍手でたたえられる勝利者。 それが多くの人の知る勝利者の姿かもしれない。 しかし、それは私たちが知ることのできる勝利者のほんの一面にしかすぎない。 汗を流し、歯を食いしばって前に向かう時も。 挫折や失望や孤独に倒れそうになった時もあった。 それでもあきらめずに前に向かって歩み続ける。 それが勝利者だ。 私にはどんな時にも私を応援してくれる方がいる。 彼は決して私を見捨てない。 彼はあなたも見捨てはしない。
勝利者はいつでも 傷つき悩みながら それでも前に向かう。
↑ ネット からコピーさせていただきました。
「人との争いに勝った者が勝利者ではなく、傷つき悩みながら、それでも前に向かう者が真の勝利者」。小坂忠さんはそう歌うのでした。
私も、今回の出来事は この世的に匠な人々によって仕組まれた罠、醜い世界においては敗北者かもしれない。私が受けた心身の大きな傷は、関係者によって見事にこの世から消されてしまった。
でも、私は生きている。 この世で・・・。 神様は、この世的にはとても耐えられない試練を、この約3年半 耐えさせてくださった。 今も・・・。
でも、それは 言葉では表現できないほどに辛く悲しく、深い肉体的な痛みをも背負ってきました。 勿論 心の傷は深く 今でも 鋭い刃物でえぐられているかのようです。
神さまの愛を伝えるミッション松城幼稚園で
現実に起きた出来事と 誰が信じるでしょうか?
2020年10月24日 、今も 継続しているのです。
神様の裁きは これからです。
11月3日は 毎年 松城幼稚園でバザーが催される予定です。
羊の毛皮を被った狼の演技に騙されないでください。
松城幼稚園の中心におられる方々、外円の方々のなかで 一人でも 神様の愛を知っている方がおられたら 真実を伝えていって欲しいです。
きっと、伝えてくださると信じます。 実際におきた悲惨な出来事を・・・。
決してうやむやにしてはいけない現実を、子々孫々にまで伝えていってください。
この世から いじめがなくなることを願ってやみません。
私たちを愛して下さった神様によって、私たちは、勝ち得(え)て余りがある、圧倒的な勝利者となるのです。
今日のブログも、体調不良の為、母に手伝ってもらいました m(._.)m
今日のブログは、「真の勝利者」について記したいと思います。
是非 ご一緒に考えてください。
勝利者とは 勝負・競争などに勝った者。勝者。
反対語は 敗北者
これは、この世的な意味です。
非条理とは、この世の道理にかなっていないこと。また、そのさま。を言いますが、信じられない非条理な現実、又、苛めが学校でも職場でも問題視されています。そんな現代に問題を投げかけてみたいと思います。
以前 2019年6月13日(私の人生 28)で、投稿させていただきました小坂忠さんの「勝利者」について、再びここに掲載し、ご一緒に考えていただけましたら幸いです。
『 勝利者 』 小坂忠
作詞:小坂忠 作曲:小坂忠
何が苦しめるのか
何が喜びを 奪い去るのか
心の中にはいつでも
嵐のような戦いがある
勝利者はいつでも
苦しみ悩みながら
それでも前に向かう
君がつまずいた時
失望の波に 揉まれていた時
君は一人でいたんじゃない
君を支えていた 誰かがいた
勝利者はいつでも
傷つき悩みながら
それでも前に向かう
どんな力も 神の愛から
君を離すことなどできない
勝利者はいつでも
苦しみ悩みながら
それでも前に向かう
勝利者はいつでも
傷つき悩みながら
それでも前に向かう
人生における勝利者とはを 改めて考えてみたいと思います
『勝利者』の誕生は、第23回ロサンゼルスオリンピック大会(1984年、米国)の女子マラソンで、ふらふらになりながらゴールしたスイスのアンデルセン選手。「勝利者」は、アンデルセン選手の "あきらめない走り" からインスパイアされて生まれた曲で、1997年に、小坂 忠(こさか ちゅう )さんによってリリースされた。
本名、小坂 正行(こさか まさゆき)。 シンガーソングライター、作曲家、ゴスペルシンガー、牧師。
1969年、小坂忠さんは細野晴臣(はるおみ)らと「エイプリル・フール」を結成し、日本のロックの黎明(れいめい)期に活躍しましたが、後に解散。その後、小坂さんはゴスペル音楽をロック風にアレンジして教会を回って歌ったが、なかなか受け入れらず、評価されなかったのでした。
小坂さんは迷い苦しんだが、そんなとき目にしたのがアンデルセン選手の姿だった。
「彼女の姿を見て、ヒット曲のために歌うのではない。ひとりの人に感動を与えられたら、それは大ヒットだと思った。たとえ売れなくても、自分が信じる歌を力の限り歌う」。
小坂忠さんは、そんな思いで「勝利者」を作りました。
小坂忠さんのお言葉です。 ↓
何が苦しめるのか/何が喜びを 奪い去るのか/ 心の中にはいつでも/嵐のような 戦いがある
勝利者はいつでも/苦しみ悩みながら/ それでも前に向かう
これは自分自身の応援歌です。 そしてこれを聞いてくれたあなたへの応援歌です。
私がこの歌を書いた時、私は人生の最もつらい時を過ごしていました。 何もかも捨ててどこかに消えてしまいたいとさえ思っていたのです。 まさか自分がこんな気持ちになるなんて想像もしませんでした。 そんな時、私はどこかで私を励ますかすかな声をはっきり聞いたのです。 私にはその声がどこから来たのかがはっきりとわかりました。 そのときから私の心から孤独が去り、もう一度前に向かって進む希望が生まれたのです。
「挫折」、「失望」、「孤独」 これらの言葉は勝利者と無縁だろうか。 表彰台の一番高い所で、大観衆の拍手でたたえられる勝利者。 それが多くの人の知る勝利者の姿かもしれない。 しかし、それは私たちが知ることのできる勝利者のほんの一面にしかすぎない。 汗を流し、歯を食いしばって前に向かう時も。 挫折や失望や孤独に倒れそうになった時もあった。 それでもあきらめずに前に向かって歩み続ける。 それが勝利者だ。 私にはどんな時にも私を応援してくれる方がいる。 彼は決して私を見捨てない。 彼はあなたも見捨てはしない。
勝利者はいつでも 傷つき悩みながら それでも前に向かう。
↑ ネット からコピーさせていただきました。
「人との争いに勝った者が勝利者ではなく、傷つき悩みながら、それでも前に向かう者が真の勝利者」。小坂忠さんはそう歌うのでした。
私も、今回の出来事は この世的に匠な人々によって仕組まれた罠、醜い世界においては敗北者かもしれない。私が受けた心身の大きな傷は、関係者によって見事にこの世から消されてしまった。
でも、私は生きている。 この世で・・・。 神様は、この世的にはとても耐えられない試練を、この約3年半 耐えさせてくださった。 今も・・・。
でも、それは 言葉では表現できないほどに辛く悲しく、深い肉体的な痛みをも背負ってきました。 勿論 心の傷は深く 今でも 鋭い刃物でえぐられているかのようです。
神さまの愛を伝えるミッション松城幼稚園で
現実に起きた出来事と 誰が信じるでしょうか?
2020年10月24日 、今も 継続しているのです。
神様の裁きは これからです。
11月3日は 毎年 松城幼稚園でバザーが催される予定です。
羊の毛皮を被った狼の演技に騙されないでください。
松城幼稚園の中心におられる方々、外円の方々のなかで 一人でも 神様の愛を知っている方がおられたら 真実を伝えていって欲しいです。
きっと、伝えてくださると信じます。 実際におきた悲惨な出来事を・・・。
決してうやむやにしてはいけない現実を、子々孫々にまで伝えていってください。
この世から いじめがなくなることを願ってやみません。
私たちを愛して下さった神様によって、私たちは、勝ち得(え)て余りがある、圧倒的な勝利者となるのです。