6月3日(月) 今日は、私の母の事を書きたいと思います。
私から見た母は、完璧な主婦(今は父が主夫みたいな感じですが…笑)、料理などの家事全般が得意で、頭も良くて、元銀行員なので計算も早く仕事もできて、頭を使うゲームが得意で、パソコンも得意で、良い意味でも悪い意味でもかなりの負けず嫌いで、祖父母の言うとおりに生きてきた全く遊びを知らない超真面目な人です。
唯一、母に勝てるのは、車の運転(母は免許がないので)、母よりも几帳面、私も今は全然ダメですが…歌う事・ピアノを弾く事・水泳・スマホの使い方・いろんな遊び(笑)だけです。
よく小学校の参観会で「お母さん美人だね!」と言われ嬉しかったです。
運動会のお弁当も母は料理がかなり得意なので、お重に私の好物ばかり入れてくれて豪華なお弁当を毎年楽しみにしていたのを今でも覚えています。
私の母は、昔からかなり情熱的です。趣味から始めたプリザーブドフラワーアレンジを会社の中の一部門に取り入れて、今では、袋井で本格的に仕事にして燃えています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/31/8963f02502ad0b9a7f516607736cdea2.jpg)
母が15年前に書いた手記を掲載したいと思います。
母の手記 ↓
『 今、生かされているから、何かをしないではいられない。私の隣人に少しでも「愛」を与えたいと願い祈ることができることに感謝し、今、生きていることに、生かされていることに感謝の想いが溢れてくる。
6月に53歳の誕生日を向かえた。実に多くの方々と出会い、触れ合い、育てられてきた。ここまで人が共に歩めるだろうかと思う人から、本当の「愛」を知った。私にとって命の恩人である。 溢れるほどの愛を頂き、生かされていることに身体全体で感謝できたとき、骨髄ドナーに登録し提供した。そこから、私は生まれ変わったように生き方が変わった。
ある牧師から「 浜松・生と死を考える会 」のスタッフとして入会を進められ、早速、柳田邦男氏の講演会の主催に力を入れた。 一言、「今、生きていることに心から感謝しています」と申し上げたときの、柳田氏のなんともいえない優しい眼差しから、柳田氏の心にある「愛」というものが伝わってきた。 アルフォンス・デーケン氏(元 上智大学 死の哲学教授・神父)・井上洋治神父との出会いにも感謝。「いのちを考える会・アネモネ」発足。会報「アネモネ」を発行し、井上洋治神父をはじめ全国の心の友に送った。
中略
一人のクリスチャンドクターが、私の心を救ってくださった。今から、8年前であった。あれから、何十年もたっているような気がするほどに、多くの経験をさせていただき、守られ導かれてきた。一途で使命感いっぱいの私の求めに、多忙な方々が、信じられないほどに協力してくださり、講演会やセミナーを引き受けて駆けつけてくださった。
元牧師で戦後、教育委員会に入り高校の英語教師となった父、初代静岡県知事を祖父に持ち、新村出をはじめ多くの有名人の中で育てられた母から受けた躾と教育はとても厳しいものであった。100% 親の言うとおり生きてきた。清水に生まれ、付属小学校を受験させられ、付属中学、そして、ミッションスクールの静岡英和女学院と短大、その後、商工中金に入庫、教会の方の紹介でお見合いし結婚した。夫の母は、嫁は銀行員でありクリスチャンで短大卒というのが条件であったそうだ。
夫は、5人兄姉の末っ子、繊維の会社の後継ぎ、両親と多くの従業員の中に入っていった私は、耐え忍ぶことだけを求められた。嫁入りの日に、父は一枚の色紙を私に手渡した。「 終まで耐へ忍ぶものは救はるべし 」(聖書のみ言葉である)。厳しくしつけられたお陰で、くちごたえもせず、兄姉夫婦と両親の計10人に心を使うことに努力した。
苦しいことが多かった人生だったが、今は、頂いた愛のみが思い出される。アッシジの聖フランシスコの平和の祈りが、我が家の食堂に掲げてある。舅が大事にしてきたもので、舅の葬儀には700人以上の方が駆けつけてくれた。そんな舅の姿と夫の姿が重なって見えることがある。これからの人生に大きな希望と祈りがある今、この時、隣人に、一番ちいさいものに、愛を返していきたい。 』
母の写真は 『 私の人生 8 』 静岡の川勝平太県知事と挨拶をしたり、お茶を飲んでる写真を見て下さい。
母は、最近 とても優しくなりました。 私を100%受け入れて 心の支えとなってくれています。
以前は 母は 何か私に言う時 (カウンセラーの資格を持っているので)カウンセラーという雰囲気があり とても嫌でしたが、でも、最近は 全然違います。
本当に 私の切なさを受け入れてくれて そのおかげで 今は 生きていくことが出来ています。 両親のお蔭です。
片付けが大好きな母は、私が幼稚園を解雇され 仕方なく 袋井への引っ越す時も、私は動けなかったので、手際よく超スピードでこなしてしまいました。
母は、新作アレンジを仕上げると、必ず「 美耶子 これ どう? 」って、私に感想を求めてきます。
そして、私が感想を言うと、「 美耶子は、プリザーブドフラワーアレンジの評論家だね! 」と、母は 私の感性の深さを感心してくれています。
「 人間って いじめられたり、苦しい体験をすると 感性豊かで、優しい人になるのよ。 」って 母がいつも言っています。
40人以上も講師を育てたハイレベルの母に言われ、私は フラワーアレンジ力抜群(?)のようです。
母のプリザーブドフラワーは、袋井市役所の市長室はじめ、公民館や中東遠総合医療センター等で飾っていただいています。
私がお世話になっている森下整形外科さんは、私がプリザーブドフラワーを差し上げると、とても喜んでくださるので、私も嬉しくなります。
病院内のあちらこちらに飾って下さっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/26/f665b975847d558db086136855cc585a.jpg)
私から見た母は、完璧な主婦(今は父が主夫みたいな感じですが…笑)、料理などの家事全般が得意で、頭も良くて、元銀行員なので計算も早く仕事もできて、頭を使うゲームが得意で、パソコンも得意で、良い意味でも悪い意味でもかなりの負けず嫌いで、祖父母の言うとおりに生きてきた全く遊びを知らない超真面目な人です。
唯一、母に勝てるのは、車の運転(母は免許がないので)、母よりも几帳面、私も今は全然ダメですが…歌う事・ピアノを弾く事・水泳・スマホの使い方・いろんな遊び(笑)だけです。
よく小学校の参観会で「お母さん美人だね!」と言われ嬉しかったです。
運動会のお弁当も母は料理がかなり得意なので、お重に私の好物ばかり入れてくれて豪華なお弁当を毎年楽しみにしていたのを今でも覚えています。
私の母は、昔からかなり情熱的です。趣味から始めたプリザーブドフラワーアレンジを会社の中の一部門に取り入れて、今では、袋井で本格的に仕事にして燃えています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/01/8b467a86411903869e57e9f96db6ec38.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/31/8963f02502ad0b9a7f516607736cdea2.jpg)
母が15年前に書いた手記を掲載したいと思います。
母の手記 ↓
『 今、生かされているから、何かをしないではいられない。私の隣人に少しでも「愛」を与えたいと願い祈ることができることに感謝し、今、生きていることに、生かされていることに感謝の想いが溢れてくる。
6月に53歳の誕生日を向かえた。実に多くの方々と出会い、触れ合い、育てられてきた。ここまで人が共に歩めるだろうかと思う人から、本当の「愛」を知った。私にとって命の恩人である。 溢れるほどの愛を頂き、生かされていることに身体全体で感謝できたとき、骨髄ドナーに登録し提供した。そこから、私は生まれ変わったように生き方が変わった。
ある牧師から「 浜松・生と死を考える会 」のスタッフとして入会を進められ、早速、柳田邦男氏の講演会の主催に力を入れた。 一言、「今、生きていることに心から感謝しています」と申し上げたときの、柳田氏のなんともいえない優しい眼差しから、柳田氏の心にある「愛」というものが伝わってきた。 アルフォンス・デーケン氏(元 上智大学 死の哲学教授・神父)・井上洋治神父との出会いにも感謝。「いのちを考える会・アネモネ」発足。会報「アネモネ」を発行し、井上洋治神父をはじめ全国の心の友に送った。
中略
一人のクリスチャンドクターが、私の心を救ってくださった。今から、8年前であった。あれから、何十年もたっているような気がするほどに、多くの経験をさせていただき、守られ導かれてきた。一途で使命感いっぱいの私の求めに、多忙な方々が、信じられないほどに協力してくださり、講演会やセミナーを引き受けて駆けつけてくださった。
元牧師で戦後、教育委員会に入り高校の英語教師となった父、初代静岡県知事を祖父に持ち、新村出をはじめ多くの有名人の中で育てられた母から受けた躾と教育はとても厳しいものであった。100% 親の言うとおり生きてきた。清水に生まれ、付属小学校を受験させられ、付属中学、そして、ミッションスクールの静岡英和女学院と短大、その後、商工中金に入庫、教会の方の紹介でお見合いし結婚した。夫の母は、嫁は銀行員でありクリスチャンで短大卒というのが条件であったそうだ。
夫は、5人兄姉の末っ子、繊維の会社の後継ぎ、両親と多くの従業員の中に入っていった私は、耐え忍ぶことだけを求められた。嫁入りの日に、父は一枚の色紙を私に手渡した。「 終まで耐へ忍ぶものは救はるべし 」(聖書のみ言葉である)。厳しくしつけられたお陰で、くちごたえもせず、兄姉夫婦と両親の計10人に心を使うことに努力した。
苦しいことが多かった人生だったが、今は、頂いた愛のみが思い出される。アッシジの聖フランシスコの平和の祈りが、我が家の食堂に掲げてある。舅が大事にしてきたもので、舅の葬儀には700人以上の方が駆けつけてくれた。そんな舅の姿と夫の姿が重なって見えることがある。これからの人生に大きな希望と祈りがある今、この時、隣人に、一番ちいさいものに、愛を返していきたい。 』
母の写真は 『 私の人生 8 』 静岡の川勝平太県知事と挨拶をしたり、お茶を飲んでる写真を見て下さい。
母は、最近 とても優しくなりました。 私を100%受け入れて 心の支えとなってくれています。
以前は 母は 何か私に言う時 (カウンセラーの資格を持っているので)カウンセラーという雰囲気があり とても嫌でしたが、でも、最近は 全然違います。
本当に 私の切なさを受け入れてくれて そのおかげで 今は 生きていくことが出来ています。 両親のお蔭です。
片付けが大好きな母は、私が幼稚園を解雇され 仕方なく 袋井への引っ越す時も、私は動けなかったので、手際よく超スピードでこなしてしまいました。
母は、新作アレンジを仕上げると、必ず「 美耶子 これ どう? 」って、私に感想を求めてきます。
そして、私が感想を言うと、「 美耶子は、プリザーブドフラワーアレンジの評論家だね! 」と、母は 私の感性の深さを感心してくれています。
「 人間って いじめられたり、苦しい体験をすると 感性豊かで、優しい人になるのよ。 」って 母がいつも言っています。
40人以上も講師を育てたハイレベルの母に言われ、私は フラワーアレンジ力抜群(?)のようです。
母のプリザーブドフラワーは、袋井市役所の市長室はじめ、公民館や中東遠総合医療センター等で飾っていただいています。
私がお世話になっている森下整形外科さんは、私がプリザーブドフラワーを差し上げると、とても喜んでくださるので、私も嬉しくなります。
病院内のあちらこちらに飾って下さっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/26/f665b975847d558db086136855cc585a.jpg)