2020年1月18日(土) 更新日3月17日
今日も寒い一日でした。
今朝の静岡新聞に 母の曽祖父関口隆吉の銅像が菊川駅に建立された記事が掲載されていました。
開催概要
日時:令和2年1月17日(金曜日)14時~15時
会場:式典会場(14時~14時30分)プラザけやき2階会議室(菊川市半済1865)
銅像除幕(14時40分~15時)JR菊川駅前広場
内容:除幕式式典、銅像除幕
主催:菊川市、菊川市教育委員会
協力:関口隆吉遺徳顕彰会、関口隆吉いとこ会
問合せ:社会教育課文化振興係(埋蔵文化センターどきどき内TEL0537-73-1137)
↑ 菊川市のHPからコピーさせていただきました。
静岡県の川勝平太県知事もご出席下さいました。
母は、私の事もあり おめでたい席には行きたくないと言い、出席しませんでした。
母の曽祖父は、幕末の幕臣で、明治時代の政治家、初代静岡県知事でした。
県知事時代には、静岡女学校(後の静岡英和女学院)の創立にも関わりました。
関口隆吉は、
天保7年(1836年)、江戸本所相生町に幕臣関口隆船の次男として生まれ、関口家は今川一族の関口氏広の子孫であり、父隆船は佐倉村(現在の静岡県御前崎市佐倉)の池宮神社出身。
月岡八穂神社(静岡県菊川市) 隆吉の屋敷跡や顕彰碑がある。
以前、静岡県知事の川勝平太知事が視察にいらしてくださったことがあり、顕彰碑の前で記念撮影です。
明治3年(1870年)、慶喜のいる遠州城東郡月岡村(現在の静岡県菊川市内田地区月岡)に一家で居を移し、金谷開墾方頭取並となり、移住した旧幕臣たちとともに牧之原台地の開墾と大茶園造成事業に着手した。
静岡の浅間神社境内に関口隆吉の石碑があります。
それにしても 母の親族は凄すぎる!
曾祖母、祖母、母へと受け継がれた礼儀作法はとても厳しいものでした。
関口隆吉等の親族の話は、母も 祖母からあまり話を聞いておらず、月岡に顕彰碑があることも知りませんでした。
袋井に転居して来てから、父が母に「菊川に関口隆吉の顕彰碑があると聞いたので行ってみよう」ということで出かけたそうです。
菊川市役所でも ビックリ!
その日から 菊川の太田市長様はじめ、月岡の関口隆吉遺徳顕彰会の方々とのお交わりが始まったそうです。
一応 ご紹介します。
≪親族≫
妻 睦(のちに改名し綾 茶道宗徧流正伝庵六世の山田宗弥の娘)
長男 関口壮吉(浜松高等工業学校初代校長)
長女 関口操
次女 関口万寿 (母の祖母)
二男 新村出(言語学者・文献学者。『広辞苑』編者として知られる)
四男 関口鯉吉(天文学者・気象学者)
関口隆吉の次女 関口万寿は、母の祖母にあたり、私の曾祖母になります。
万寿は、菊川市の月岡に住んでいましたので、関口隆吉遺徳顕彰会の皆様は ご存知です。
以上です。
静岡新聞に掲載されましたので、今日は そのことをブログに記してみました。
最近 とても寒いので、血流も悪く 母に「手足が冷たすぎる」と言われ、心配ばかりかけています。
身体が怠く ほとんど ベッドの中で 一日を過ごしています。
春になるのかな?
松城幼稚園のことも 変な圧力から解放されて 本当の春になって欲しい・・・。
本当の春になったら、そして、私がもう少し歩けるようになったら、JRで菊川駅の関口隆吉銅像を見に行きたいな・・・・。
もう 本当に 疲れてしまいました。
私も 血筋は大切に 恥じない生き方をしたいと思います。
P.S もし 興味がありましたら 以前の私のブログ(関口隆吉・新村出・・・)をご覧ください。
今日も寒い一日でした。
今朝の静岡新聞に 母の曽祖父関口隆吉の銅像が菊川駅に建立された記事が掲載されていました。
1月17日(金曜日)
市制15周年記念事業「菊川市の郷土の偉人・関口隆吉氏銅像除幕式」が行われました
1月17日、郷土の偉人である関口隆吉の銅像除幕式が行われました。
関口隆吉氏は、幕末から明治時代にかけて政治家として優れた手腕を発揮し、牧之原大茶園の開拓や東海道本線の敷設、堀之内駅(現在のJR菊川駅)の開駅などさまざまな功績を残した菊川市を代表する偉人です。関口を称えるとともに後世に広く伝えていくことを目的に、銅像がJR菊川駅前広場に建てられました。また、銅像制作には日彫展などでさまざまな受賞作品を生み出したり、県内でも静岡駅前にある徳川家康公像の制作に関わったりしている彫刻家の堤直美氏が携わりました。
除幕式に先立ち、プラザけやきで行われた式典では、来賓40人が参列し、銅像建立を喜ぶ祝辞が述べられました。また、太田順一市長は、「郷土ゆかりの銅像が建立されたことをうれしく思います。関口隆吉氏の多大な功績が子どもから大人まで後世に広く伝わっていけばと思います」と挨拶しました。
式典後には、銅像のあるJR菊川駅前広場に移動し、来賓や地域住民が見守る中、関係者の手で除幕が行われ、銅像がお披露目されました。
開催概要
日時:令和2年1月17日(金曜日)14時~15時
会場:式典会場(14時~14時30分)プラザけやき2階会議室(菊川市半済1865)
銅像除幕(14時40分~15時)JR菊川駅前広場
内容:除幕式式典、銅像除幕
主催:菊川市、菊川市教育委員会
協力:関口隆吉遺徳顕彰会、関口隆吉いとこ会
問合せ:社会教育課文化振興係(埋蔵文化センターどきどき内TEL0537-73-1137)
↑ 菊川市のHPからコピーさせていただきました。
静岡県の川勝平太県知事もご出席下さいました。
母は、私の事もあり おめでたい席には行きたくないと言い、出席しませんでした。
母の曽祖父は、幕末の幕臣で、明治時代の政治家、初代静岡県知事でした。
県知事時代には、静岡女学校(後の静岡英和女学院)の創立にも関わりました。
関口隆吉は、
天保7年(1836年)、江戸本所相生町に幕臣関口隆船の次男として生まれ、関口家は今川一族の関口氏広の子孫であり、父隆船は佐倉村(現在の静岡県御前崎市佐倉)の池宮神社出身。
月岡八穂神社(静岡県菊川市) 隆吉の屋敷跡や顕彰碑がある。
以前、静岡県知事の川勝平太知事が視察にいらしてくださったことがあり、顕彰碑の前で記念撮影です。
明治3年(1870年)、慶喜のいる遠州城東郡月岡村(現在の静岡県菊川市内田地区月岡)に一家で居を移し、金谷開墾方頭取並となり、移住した旧幕臣たちとともに牧之原台地の開墾と大茶園造成事業に着手した。
静岡の浅間神社境内に関口隆吉の石碑があります。
それにしても 母の親族は凄すぎる!
曾祖母、祖母、母へと受け継がれた礼儀作法はとても厳しいものでした。
関口隆吉等の親族の話は、母も 祖母からあまり話を聞いておらず、月岡に顕彰碑があることも知りませんでした。
袋井に転居して来てから、父が母に「菊川に関口隆吉の顕彰碑があると聞いたので行ってみよう」ということで出かけたそうです。
菊川市役所でも ビックリ!
その日から 菊川の太田市長様はじめ、月岡の関口隆吉遺徳顕彰会の方々とのお交わりが始まったそうです。
一応 ご紹介します。
≪親族≫
妻 睦(のちに改名し綾 茶道宗徧流正伝庵六世の山田宗弥の娘)
長男 関口壮吉(浜松高等工業学校初代校長)
長女 関口操
次女 関口万寿 (母の祖母)
二男 新村出(言語学者・文献学者。『広辞苑』編者として知られる)
四男 関口鯉吉(天文学者・気象学者)
関口隆吉の次女 関口万寿は、母の祖母にあたり、私の曾祖母になります。
万寿は、菊川市の月岡に住んでいましたので、関口隆吉遺徳顕彰会の皆様は ご存知です。
以上です。
静岡新聞に掲載されましたので、今日は そのことをブログに記してみました。
最近 とても寒いので、血流も悪く 母に「手足が冷たすぎる」と言われ、心配ばかりかけています。
身体が怠く ほとんど ベッドの中で 一日を過ごしています。
春になるのかな?
松城幼稚園のことも 変な圧力から解放されて 本当の春になって欲しい・・・。
本当の春になったら、そして、私がもう少し歩けるようになったら、JRで菊川駅の関口隆吉銅像を見に行きたいな・・・・。
もう 本当に 疲れてしまいました。
私も 血筋は大切に 恥じない生き方をしたいと思います。
P.S もし 興味がありましたら 以前の私のブログ(関口隆吉・新村出・・・)をご覧ください。