高見沢隆の詩的ライフ

軽井沢の木陰に吹く風のように、高原の空を渡る白い雲のようにワタクシの詩的な生活を綴ります。

軽井沢が避暑地化するのは明治十九年の峠町から

2024-08-27 14:46:08 | 軽井沢 

 こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。

 明治十九年というのは、軽井沢避暑地化に向かった年です。いままで明治十九年はA・C・ショーが軽井沢を初めて訪れたといわれてきましたが、そうではないことが判りました。この明治十九年はコレラが流行していた年で、群馬の温泉でもそれが猛威をふるい、それを恐れた多くの外国人は避暑をすることのできる軽井沢の峠町まで逃れてきました。峠町は外国人でたいへん混み合い、その様子をみた朝野新聞がそれを報道したのです。峠町は宿泊施設がなかったので神社や空家の農家などを借りたり、自らキャンプのできる道具を持ち込んで避暑生活を送りました。たくさんの外国人がそこで涼をとっていたので新聞ではそれを避暑地と報道したのです。峠町と軽井沢宿は近い距離にあります。A・C・ショーは明治十五年に軽井沢に訪れていて、この十九年の軽井沢宿ではA・C・ショーなどの家族がすでに宿泊していました。

 わたくしは地方の歴史というのはおもしろいと思います。調べればたくさんの史実が判ってきます。

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