高見沢隆の詩的ライフ

軽井沢の木陰に吹く風のように、高原の空を渡る白い雲のようにワタクシの詩的な生活を綴ります。

軽井沢でもフルーツが取れるかな?

2024-09-11 19:39:40 | 日記

  こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。

  近年の夏は暑くなり、軽井沢でも30℃を越える日があります。そこで軽井沢や御代田町でもフルーツが成らないかと思い、やってみることにします。

場所は御代田町です。冬なども2℃くらい気温が高いので、条件は整っていると思います。

すでにプラムは結実します。ただ、虫が果実のなかに入ってしまうので食べられるまでにはなりません。虫の入らない方法を考えてみます。例えば袋を被せるとか。

あと、リンゴやゆずはどうかな?

苗木を手に入れて、植えてみようと思います。

みなさまにご報告できるのは数年先のこととなります。桃クリ三年、柿八年ですか。ゆずは何年でしょうか。

群馬県方面にはゆずの木をよく見かけます。昔から暖かいからでしょう。

 楽しみだ(^^♪

 

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カラフルな外国人の別荘

2024-09-04 10:44:03 | 日記

 こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。

 たまたま軽井沢の三度山から矢ケ崎川沿いに歩いてみました。今頃になり、太陽が出ないと少し肌寒く感じてしまいます。

 わたくしの小学生の頃とはもちろん風景もだいぶ異なり、別荘も現代風です。かつては外国人がこの辺にはたくさん住んでいました。カラフルな木造の建物ばかりでしたが、それは自分でペンキを塗ってそのようにしていたのです。赤や黄色、印象に残っています。

 近くの雲場の池も水が透明でたくさんの魚(ニジマス)が泳いでいました。当時は釣りを楽しんでいる方もたくさんおりました。わたくしも三十センチくらいのニジマスを釣ったことがうれしくて覚えております。

 その池でも外国人は泳いでいました。冷たい水なのに。

 いま考えてみれば、おかしな風景です。

 11月の上旬には紅葉が美しく語りかけてきます。

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明治十年の軽井沢追分宿

2024-09-03 13:42:35 | 軽井沢 

 こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。

 E・G・ホルサムは鉄道建築技師(御雇外国人)として日本を訪れました。明治政府は日本の近代化のため多くの外国人を雇い、外国の文化に近づけるため努力をしていました。なかでも英国からは多くの教師を迎えています。

 ホルサムは休暇を利用して日本の各地を訪れました。明治十年には軽井沢の追分宿にも宿泊しています。そのなかで「外国人向けホテル」という看板のある茶屋があったことがホルサムの日本旅行記『Eight Years in Japan』から判っています。それがどの茶屋であったかはわからないものの明治十年ということを考えると注目すべきことと思います。

 アーネスト・サトウ卿の日本旅行案図書が発行された翌年、明治十五年A・C・ショーが軽井沢を訪れていますが、明治十年にも看板のある茶屋があったということはある程度の外国人が追分宿の宿をすでに利用していたということです。しかし、それは保養というような目的であったかどうかは判りません。一番、考えられることは浅間山登山という目的ということです。

 

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