母の日。なぜか思い出す心友の思い出話。
子供の頃、お小遣いをためて
母の日のカーネーションを買いに行った。
花屋で一番キレイな花を一輪。
お母さんの笑顔を想像しながら急いで帰った。
台所の母に「お母さん有り難う!」と花を差し出した。
振り向く母。
と、「あらまあ~や~だ白いカーネーションじゃない」
そのとき心友は思ったのだ。
自分が一番きれいだと思っても
皆と同じ花じゃないと感謝は伝わらないのだと。
母の日が近づくと何故か思い出す話。
大人になって当たり前になったことでも
子供には知らないことがたくさんある。
どんな関係の中にも
当然なことなんてない。。。
ちょっとしたコミュニケーションの行き違いが
関係性に落とし穴を生み出す。
* * * *
コミュニケーション。
我が母には、優れたコミュニケーション術がある。
短冊箋。
これが眠る前の枕元にそっとおいてある。
丁寧語で2~3行。
「元気がないようですね」「心配してます」「ゆっくり寝て元気を出して」
特別じゃない言葉だけど、特別な時におかれているので
胸をぎゅっとつかまれたように愛情が痛かったりする。
大人になって妹と短冊箋の話しをした時。
いづれも特別な事柄を抱えていたときに3通づつ受け取っていた。
母は「心配だけどどうしていいかわからなかったから」と苦笑い。
何も聞かずに気にかけるその思いに信頼を感じた。
* * * *
団塊の妻世代は、
自分のことより家族のことを優先。
自分のことは自分で解決しようとする「甘え下手」だと思う。
甘え下手は、受け取り下手でもある。
「大丈夫自分でやるわ」「大変だからいいわ」
私も多分にそんな態度をしてしまい、あとで反省する。
助けを差し出してくれた人に
相手を思ったつもりで断りを入れた態度が、
かえって拒絶感を生み距離をつくってしまう。
ニッコリ有り難う。。。ただそれだけでよいのに。
その点、姉妹の下は優れている。
甘え上手に頼み上手。ちゃっかりものでも
ポイントの押さえどころには、ただ感心するばかり。
今回の母の日も、好みが近い妹が花の手配。
私もなんか思い出を!と
「藤棚を見に行こう♪」と誘ったら、「いいわよ」と返しが来た。
ここは理解もあるので。。。「あさってあけといて!」と強引に。
群馬まで花見に参ります。
* * * *
白いカーネーション。
記憶する出来事には、当時の親と同じ歳を迎えて理解できること、
今なら違った見方もできるかもしれない。。。
記憶とは妙なもの。
まるでボタンの掛け違いのように、
事実はひとつでも見え方や考え方は人それぞれ違うもの。
血の繋がりがあっても、同じ屋根の下で暮らしていても
理解しがたいことはいっぱいです。
ましてや違う環境で育った他人ならなおのこと。
全てがあう人なんていないです。
だからこそ・・・時間とともに
互いに意見したり、喧嘩したり、
違いを理解したり、認めあいながら関わっていけるんですよね。
身近に起こる出来事は、誰一人同じことはない。
あらゆる関係は特別。
家族も在ることは当然じゃないし、増えもすれば減りもする。
今が今であるように
これからが望む幸せへと繋がるように
全てに感謝
子供の頃、お小遣いをためて
母の日のカーネーションを買いに行った。
花屋で一番キレイな花を一輪。
お母さんの笑顔を想像しながら急いで帰った。
台所の母に「お母さん有り難う!」と花を差し出した。
振り向く母。
と、「あらまあ~や~だ白いカーネーションじゃない」
そのとき心友は思ったのだ。
自分が一番きれいだと思っても
皆と同じ花じゃないと感謝は伝わらないのだと。
母の日が近づくと何故か思い出す話。
大人になって当たり前になったことでも
子供には知らないことがたくさんある。
どんな関係の中にも
当然なことなんてない。。。
ちょっとしたコミュニケーションの行き違いが
関係性に落とし穴を生み出す。
* * * *
コミュニケーション。
我が母には、優れたコミュニケーション術がある。
短冊箋。
これが眠る前の枕元にそっとおいてある。
丁寧語で2~3行。
「元気がないようですね」「心配してます」「ゆっくり寝て元気を出して」
特別じゃない言葉だけど、特別な時におかれているので
胸をぎゅっとつかまれたように愛情が痛かったりする。
大人になって妹と短冊箋の話しをした時。
いづれも特別な事柄を抱えていたときに3通づつ受け取っていた。
母は「心配だけどどうしていいかわからなかったから」と苦笑い。
何も聞かずに気にかけるその思いに信頼を感じた。
* * * *
団塊の妻世代は、
自分のことより家族のことを優先。
自分のことは自分で解決しようとする「甘え下手」だと思う。
甘え下手は、受け取り下手でもある。
「大丈夫自分でやるわ」「大変だからいいわ」
私も多分にそんな態度をしてしまい、あとで反省する。
助けを差し出してくれた人に
相手を思ったつもりで断りを入れた態度が、
かえって拒絶感を生み距離をつくってしまう。
ニッコリ有り難う。。。ただそれだけでよいのに。
その点、姉妹の下は優れている。
甘え上手に頼み上手。ちゃっかりものでも
ポイントの押さえどころには、ただ感心するばかり。
今回の母の日も、好みが近い妹が花の手配。
私もなんか思い出を!と
「藤棚を見に行こう♪」と誘ったら、「いいわよ」と返しが来た。
ここは理解もあるので。。。「あさってあけといて!」と強引に。
群馬まで花見に参ります。
* * * *
白いカーネーション。
記憶する出来事には、当時の親と同じ歳を迎えて理解できること、
今なら違った見方もできるかもしれない。。。
記憶とは妙なもの。
まるでボタンの掛け違いのように、
事実はひとつでも見え方や考え方は人それぞれ違うもの。
血の繋がりがあっても、同じ屋根の下で暮らしていても
理解しがたいことはいっぱいです。
ましてや違う環境で育った他人ならなおのこと。
全てがあう人なんていないです。
だからこそ・・・時間とともに
互いに意見したり、喧嘩したり、
違いを理解したり、認めあいながら関わっていけるんですよね。
身近に起こる出来事は、誰一人同じことはない。
あらゆる関係は特別。
家族も在ることは当然じゃないし、増えもすれば減りもする。
今が今であるように
これからが望む幸せへと繋がるように
全てに感謝