ようやく、
実家への交通が復旧。
被災した茨城県南牛久へ。
通常1時間半強の道のりですが
…2時間半。
到着するなり大きな地震。
震度4強。
余震は毎日。
2日に1回は大きめの地震だとか。
震度3以下は告知もないのかな?
よくゆれます。
電気は大丈夫だったようですが
水道は5日間断水。
「まあ~お水を効率よく使う方法が
うまくなったわ」
と母。
こういうときほど笑顔をみせます。
そこら中の家の屋根が波打ち
瓦が落ち、
道路にも落瓦のあとが。
3~4軒に1軒。
ブルーシートに覆われた家。
壊れた塀や出窓など
ゆがんでしまった場所は
こんな風に
ロープの支え。
スーパーまで歩く道すがら
車はほとんどとおらず、
自転車や歩く人ばかり。
住宅街を歩くときも
道路の中央を歩きます。
ガソリンスタンドは当然休業、
通勤に必要なガソリンもありません。
交通網が限られているため
車生活必須エリアなのに…。
人が外出しないので
商業も低迷…です。
茨城県南は放射能圏内。
怖がるだけでなく
放射線についても
しっかりした基礎知識と
情報を必要としてます。
震源、原発近く
津波に見舞われた場所とは
比べようもない被災です。
…けれど
余震で徐々にきしみ
大風で家が揺れ
ヒビが入る家並。
暮らす多くは団塊、高齢者。
混迷する現実は
この震災が
どれだけ大きく
大変な被害であったかを
物語っているのです。
スーパーに物資が足りない
モノがないと買い占めに走る
輪電停電にご飯が作れないと嘆く
電車が遅れる
放射能にあわてふためく
在りすぎた日常
ゼロなわけじゃない。
私達ができるのは
日々の生活を見直したり、
煩雑な情報の中で
柔軟に対処したり
災害や放射能について基礎知識を深めたり、
落ち着いて周りを考えれば
出来る事って
たくさんあるんですよね。
交通網も遮断され、車も使えず、
急死した従姉妹の葬儀にも
見送りが出来ず。
母方の親族は皆
「生きる人の無事が優先」と
あえてお見送りを断り
葬儀は最小限。
冠婚葬祭も
ままならない方々も多いはず。
被災地、津波に
命助かった人を想えば…。
ない状況でも
出来ることを考える。
被災の端。
多くを学び
行動を考えるのは
私達なのかもしれません。
+ + + +
余震の続く日々。
今月の講座はお休みとさせて頂きました。
*マンツーマン講座、コンサルテーションのご要望は
個別に承っております。お問い合せ下さい。