ねうねう句日記

いつか秀句をはきたいと、ねうねうとうち鳴きながら、より所なげに春の夜を・・・
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なぜ何かがあるのか・物置の上の宇宙

2013-11-26 22:19:38 | 日常の中で

(風の強い日階段下に落ちてたコート・吊るしてあげてるのに誰も回収しない)

Why is there something rather than nothing? 「なぜ無ではなく、何かがあるのか」は形而上学の領域で議論される有名な問題の一つという。(ウィキペディア)

それは「何事も十分な理由なしには起こらない」と言ってもいいだろう。言い換えると「よくわかっている人」には、「起こったものはこうであり、別様にならない、その十分な理由を示すことができる」というものである。

私は「よくわかった人」ではないが、我老朽マンションの階下に並んだ物置の上の空間のことは理解した。この秋から行っているマンションの美化運動の最終段階が、約20メートルにわたる物置の上からはみだしている何か、何か、何かを引きずり降ろすこと。そこは無であるはずなのに。

きょう駆り出されたのはK夫婦、Y夫人、T夫人。女性のいでたちは姉さんかぶり、マスク、軍手にジーンズ。K氏がなかなかやってこないので、女性二人がそれぞれ脚立にのって上の何かをひきずり降ろす。埃が音を立てて滝のように降りかかってくる。ンズアーー!!本当にたまげた。まーあ三十数年の埃であろう。アイロンかけの霧吹きを三丁もってきて空間に霧吹き開始。おさまるとも思えなかったがやらないよりはましだ。

9時から11時までかかって降ろしたものは

ベビーバス・ゴルフスティック・スキー道具一式・二つ折り簡易ベッド(薄いマット入り)・フィギュア6個入り段ボール箱・でかいゴム板(50cmx1・5m)釣竿・プラスチック管20本・スチール本箱解体したもの・・・・

   付喪神(京都大学図書館蔵)
不要になったものが妖怪になって絵巻物になってるのがあったな~つくも神といったかしら。鍋やはたきや箒といったいにしえのお道具達だ。そんな可愛い古物などあるわけはなく、なかでも許せないのは吸い終わったカラのタバコの箱や、酎ハイの缶瓶、ジュースの空き缶、脱ぎ捨ての靴下。ちゃんと捨てるところを探さず、目に触れない物置の上にポンポン投げあげていたと思われる。いつかこうやってバレルのに、誰だかわからなければよいということか。これが起こった十分な理由なのか。

それにしてもK夫人とY夫人のお転婆ぶりには恐れ入りました。脚立を自在に移動させ、ほこりなどものともせず、はびこる植木もチョキチョキ切りまくる。11時までにして、降ろしたものの選別、ゴミだし準備は明日の担当にまかせよう。あちこち痛い・・・・

 

 



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