「俳句上の京と江戸』は正岡子規がどこかで講演したと思われる講話の文章。前半を抜書きした。・・・などは省略した箇所。
徳川時代の俳句界中心は何処でありましょうか。京でありましょうか。江戸でありましょうか。江戸の人にいわせると、「誹諧と蕎麦は江戸に限る」と芭蕉のいわれた通り。・・・とかくこの相撲は軍配をあげる事のできぬ取組。・・・やはり無勝負の持というが正当でありましょう。けだし徳川時代の俳句界は焦点が二つある楕円形のようなものであったのであります。・・・それは政治界が楕円であったためであります。
第一貞徳時代ーー無論京が勝ち 第二談林時代――『談林十百韻』というのは江戸でできたくらいで、談林の本家本元は江戸だか京だか大坂だか分らぬ程の事です。この勝負はしばらく預かり。第三は元禄時代――この時代を造った本尊の芭蕉は真ん中でフラフラ。両都ともによい弟子があったから。江戸には其角という大たて者がいて、嵐雪も相応の弟子があり、その弟子も善くつくる。さて西には去来という大たてものがいてこの二人が東西の両大関になっているのです。しかし去来には野明、風国位より他に弟子がない。そのかわり近江にはたくさんの俳人が出ました。丈草・許六・尚白・智月・乙州・千那・正秀・曲翠・珍碩・李由・毛がん・程いなどと申すように夥しく出て、皆腕こきのしたたかものです。第4享保時代。俗俳は盛になりましたが、少しも名人が出ない時代で衰微時代の中絶時代の寂寞時代とも申す時代でした。(子規らしい!)そsれでも江戸では「五色墨」だの何だのと多少の俳人はおりました。談林もふるわぬながらに少しはやっていたようですが、京はさっぱり俳人がいないのです。享保時代は江戸が全勝。
私の考えでは京には京風、江戸には江戸風という特色があって、京風はやわらかで、江戸風は強いです。京のくはうつくしくて江戸の句は渋いです。京のは濃厚で江戸は淡白です、京はおとなしくて江戸は気が利いています。京はすらりとしているが、江戸はまがりくねって居るです。
そこで俳句の実例について吟味してみましょう。元禄時代の京の去来、江戸の其角は極端に京と江戸を代表しているようでうす。「鎧着てつかれためさん土用干し」去来。とおとなしく上品に出る処は去来の本領であって、「夜着を着てあるいてみたり土用干し」其角とどこまでもひょうきんにでかけます。これは其角の本領で江戸風の骨髄です。「なにごとぞ花見る人の長刀」去来。京の人はよけて通りますが、「寐よとすれば棒つきまわる花の山」其角。江戸っ子は無遠慮にでしゃばってけんつくをくいます。嵐雪も其角に似ています。
たくさん見れば見るほど京と江戸の違いはわかってきます。