41.正平一統の破断41.3.足利直冬と山名時氏41.3.1足利直冬の存在観応2年/正平6年(1351年)2月、尊氏は直義と和議を結ぶが、高師直・師泰兄弟は直義方に殺害された。こうして
文和2年(1353)、京都に足利直冬と南朝の軍勢が侵攻し、北朝の御光厳天皇は足利義詮に伴われて...
彦根市葛籠町「産の宮」の話を先日書きましたが、あの前に後光厳天皇は京都を追われて美濃に...