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NPO法人POSSE(ポッセ) blog

【書評】介護労働の現場が抱える矛盾と希望 (『介護労働を生きる』を読む)

職場から見た介護労働の実態
 今回取り上げる『介護労働を生きる』は介護労働の実態を知る上で必読といっていい本だろう。著者の白崎氏は自ら介護労働者として足掛け22年間(2009年時点)働いており、本書も現場を知る人間だからこそ書ける、介護産業や介護労働のあり方に対する真摯な批判に貫かれている。白崎氏の経験、同僚からの聞き取り、氏が行なった介護現場への取材の成果などの叙述は介護労働の抱える問題を「分かっている」と思っている人にもぜひ読んでほしい内容だ。また、本書後半部の、介護労働者と労働組合について考察した部分も非常に示唆に富む内容である。
 日本は世界でもっとも高齢化が進んだ国だが、高齢社会を支える介護労働の現場は慢性的な人員不足に悩まされている。介護労働者が不足するのは、介護労働は非常にきつく、それにもかかわらず賃金が他業種に比べて低いために離職率が高くなっているためである。しかし、「介護労働はきつい」ということの具体的な中身は実際に介護労働者として働いたことがある者以外にはあまり知られていないのではないだろうか。本書の意義は、①「介護労働のきつさ」を具体的な現場の労働の様子に即して知ることが出来る点、②「介護労働のきつさ」と介護の質の低下の関係について述べられている点、③介護労働者と労働組合というまれな切り口から介護の問題が考察されている点、などだろう。
 ①については本書に収められている豊富な実例をぜひ実際に読んでもらいたい。今回の記事では②と③の内容について順番にレビューしよう。

介護事故はなぜ起きるのか?
 介護事故とは介護を行なう中で利用者にケガをさせてたりその持ち物を破損してしまうことをいう。介護現場での事故は利用者の命に関わる場合もあり、もっとも避けなければならない事態だ。しかし介護保険制度導入後、明らかに増加している。利用者の持ち物を破損した経験のある介護労働者は全体の47.1%、利用者にけがをさせてしまった経験があるものは20.9%だった。これが介護保険施行後(2001年)には、物損事故を含む介護事故の経験者はホームヘルパーで88.9%、施設勤めの介護労働者で92.9%へと増加している 。
 ではなぜ介護事故が頻発しているのだろうか?その原因は職場の実態に注目することで見えてくる。本書の第一章「コムスンショックからグッドウィル派遣ヘルパーへ」には次のようにある。

 そこのデイサービス勤務で一番困ったのは、一日の流れが説明されないことだった。口頭での簡単な指示しかない。次に何をすればいいのか予測がつかないなかで業務をこなすのは、精神的にかなり厳しいものがあった。特に入浴介助は毎回ドタバタで、もう一ヵ所のデイサービスとの違いが露わだった。事故を起こさないように緊張しつつ、10人近い入浴介助を毎回こなした。
 その日初めて会った、名前すら知らない利用者。公務員時代、所属していたデイサービスでは、利用者同士が名前を呼び合うために職員が手作りした名札をつけていたが、名札もなく毎回利用者が替わるため、上履きや鞄に書いてある利用者の名前を盗み見ながら必死で声かけをした。また、既応歴や今の病状が全く説明されないのは致命的だった。
 指揮系統が確立していないため、初めて訪れた看護師が混乱してバイタルチェックを忘れ、入浴させてしまった事故もあった。幸い事なきを得たが、血圧が高ければ入浴中に倒れていた可能性は充分にあった 。

 これは派遣ヘルパーとしてとあるデイサービスセンターへ出向いた著者自身の経験である。人手不足から来る現場の忙しさが病状管理や体調管理に割く時間的余裕をなくしていることや、派遣ヘルパーにやって来た当日にほとんど説明せず介護を行なわせていること、またそれらと関連して現場の指揮命令系統が混乱している。この事例ではヒヤリ・ハットの段階で踏みとどまっているが、こうした労働状況が介護事故の発生リスクを高めていることは間違いがない。また、現場の人で不足のために介護の資格を持たない派遣ドライバーに介護業務をやらせていた事例もあるという 。「介護労働のきつさ」が介護の質そのものに深刻なダメージを与えていることが分かる。このような介護現場のスピードアップや人手不足の背景には、介護報酬の相次ぐマイナス改定によってますます介護の経営状況や労働条件が低下したことが確実に作用している。

介護労働者と労働運動
 続く第二章「仲間たちの労働実態」では著者以外の介護労働者の労働実態を様々な角度から取材しており、第一章と合わせて介護労働の現場実感に触れることができる。しかし、第二章の後半部は労働組合がきちんと機能しているまれな介護の職場を取材しており、介護労働の現状を変えるための希望が示唆されている。著者は、労働条件がしっかりしている介護の現場では職員が余裕をもって働くことができ、介護事故や虐待などが起きにくいと訴える。これは高齢社会をむかえ介護の質の劣化が社会問題となる現在、無視してはならない指摘である。
 続く第三章で著者は「介護労働者はなぜ労働運動をしないのか」という問いを立て、その答えを探っている。本書の中ではその理由として組合運動が女性労働の問題を長くネグレクトしてきたこと、「優しさ」や「笑顔」を期待される介護労働者のメンタリティが拳を振り上げ団体交渉する一般的な労働運動と相性が悪いこと、が挙げられている。そのため「労働運動関係者は、これから右肩上がりで増大する高齢者と介護労働者に対し、きちんとした対応が迫られる。いますぐにでも介護労働者にきちんとしたヒアリングを行ない、介護労働者に適した労働運動を創造」 することが必要であると述べる。
 介護業界に限らず、日本の多くの労働者は労働運動をしようとしないのが現状だ。その意味では介護労働の特別性を過度に強調することはできない。しかし、「介護労働に適した労働運動の創造」を考えることは決して無駄ではないはずだ。
 本書の第二章で紹介される、労働組合活動に積極的に取り組む北海道のある女性介護労働者の言葉がそのヒントになるのではないだろうか。
 
 (筆者註:著者が)「組合をやるくらいならば他の仕事したほうが楽、と言って転職するケースが多いと思うが……」と聞くと、「楽な仕事なんかないですが、どこに重きを置くのかですね。私は離職率の高い介護現場だからこそ、自ら組合を立ち上げて、良い人材を繋ぎ止めて確保したいと思いました。そのため良い待遇を勝ち取ることが、雇われる側のできることなのかな、と最近思います」と言われた 。

 この女性は、よい介護を提供できる介護現場にしていくためにも、介護労働者自身がきちんとした労働条件を勝ち取るための取り組みをするべきだと主張する。これは労働運動になじまないと言われる介護労働者が、介護という仕事への誇りというメンタリティを媒介にして、劣悪な労働条件の悪化を受忍させるような職場の重力から脱出できる可能性があることを示しているのかもしれない。もちろんそうした取り組みを個人的に成功させることは困難であり、労働組合がそこへどのように関われるかが分岐点となる。しばしば介護労働者は「優しすぎる」ために労働条件を犠牲にしてまで利用者のために働いてしまうなどと言われる。しかしそのようなメンタリティがポジティブに働くかネガティブに働くかは、労働組合がそのメンタリティを労働条件向上の取り組みにつなげていけるかどうかにかかっている。

介護労働の希望
 終章「介護労働に希望はあるか」では現状を打開する展望が見出せない苦しみが書かれ、それでも介護労働には希望が必要であることが訴えられている。しかし、本書を通して強く心に残るのはその労働実態の過酷さもさることながら、介護労働者としての誇りが労働組合を通じた主体的な取り組みへと発展する可能性についての言及である。ともすれば観念的に聞こえる「介護労働、介護労働運動には「愛」が必要だ」という著者の主張も、介護現場での労働者の誇りとは何かを考えたとき、決して無視できない具体的な重みを持つのではないだろうか。
 もちろん介護労働の現状を変える希望をどのような方向に見出すのかは容易には出てこない。それを考えるためには改めて介護現場の実態と矛盾について知ることが必要だろう。ぜひ本書を手にとって介護労働の現状について考えてみてはいかがだろうか。


●本の概要
書名:『介護労働を生きる 公務員ヘルパーから派遣ヘルパーの22年』
著者:白崎朝子
出版社:現代書館
出版年:2009年

●目次
第一章 コムスンショックからグッドウィル派遣ヘルパーへ
第二章 仲間たちの労働実態
第三章 介護労働者はなぜ労働運動ができないのか
終章  介護労働に希望はあるか


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