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NPO法人POSSE(ポッセ) blog

映画『グラストンベリー』 ①~ブリットポップという労働者アイデンティティ~

35年に渡る歴史を持つ、UK最大の野外ロックフェスティバル、グラストンベリーフェスを追ったドキュメンタリー、『グラストンベリー』が公開中!(以下、ライブの画像は本作のHPより)
意外にも、ステージ上のアーティストはBGM程度(それでも豪華34組!)。
むしろ、映画の主役はフェスに参加する普通の人々や、ステージ下の名もないパフォーマーたちだ。

そんな本作のラスト近く。とあるバンドによる、グラストンベリー史上に残ると言われた名演がじっくりとスクリーンに映し出される。
バンド名は、パルプ。歌は「コモン・ピープル」。

ピコピコしたチープな電子音に重なるバイオリンの音。
くねくね踊りながらポーズをとる「やせてのっぽ」のボーカル、ジャーヴィス・コッカー。
正直かっこいいと言い切るには若干ためらわれるこのステージに向けて、8万人の大合唱が響き渡る。

壮大なメロディが歌い上げられるわけでもなく、迫力の重低音が鳴り響くわけでもない。
それなのに、このオーディエンスの盛り上がりようは何なのか?
映画を見ている一観客の鳥肌までも立たせてしまうこの光景は何なのか?

パルプは、この95年のUKロックシーン、かのブリットポップを代表する存在である。
しかし、ブリットポップはグラストンベリー・フェスの思想のいわば対極に位置する現象と言える。
それが、なぜグラストンベリー・フェスを代表する名演につながったのか?
そこには、<労働者のアイデンティティ>をめぐる、ロックのラディカルさとポップのせめぎ合いがあったのだ、と思う。

■ブリットポップを振り返る

○90年代UKバカ騒ぎ

ブリットポップとは何か。簡単におさらいすると、94年~96年を最盛期に、音楽を中心にイギリスで流行した文化のムーブメントである。

表現方法としての新しさはあまりなく、それまでの「イギリスらしい」音楽、歌詞、ファッションなどの焼き直しである。
オアシス、ブラー、パルプ、スウェード、シャーラタンズ、アッシュ、エラスティカ、スリーパー、メンズウェア…。玉石混淆で若手バンドが爆発的に売り出され、イマイチなバンドも大量に排出されたが、ブームの狂騒のなかでもてはやされ、人気を博した。
しかし、とにかく盛り上がった。
ロックバンドはTVのバラエティにまで進出し、あろうことかファッション誌にも登場するようになった。ずっと日陰者だったロックバンドこそが、いまやイギリスが誇る「国民的」文化になったのだ。


95年には、オアシスとブラーのシングル同日発売による対決をマスコミと音楽業界が煽り立た。マンチェスターの労働者階級出身者VSロンドンの中流階級出身者。イギリス中をまっぷたつに割る対決である。他のバンドすらもどちらを支持するかを表明することを余儀なくされ、連日のように双方の陣営の様子が報道された。
前日には、BBCのトップニュースでCDプレス工場からの生中継が行われるほどの、国を挙げてのバカ騒ぎが繰り広げられた。

この過剰なまでの狂騒ぶりは、一体何だったのだろうか。
とりあえず、こうしたブリットポップ誕生までのいきさつを確認してみたい。

○ブリットポップまでの歴史~パンク以降のUKロックと格差社会~

70年代、イギリス。それまでの大量生産・大量消費のフォーディズム型の経済体制が行き詰まり、
飽和状態になった市場の煽りを受け、失業者が大量に発生していた。
構造的な不況を前に、不満を抱いた若者の間に、セックス・ピストルズやクラッシュが先陣を切り、パンクロックが爆発的に広まった(ちなみにクラッシュのボーカル、ジョー・ストラマーは撮影中のカメラを破壊するというパンクの意地を見せたパフォーマンスでこの映画に出てきます)。

そうした反発を強権的に一掃するかのように保守党のサッチャー政権が登場。
利益をあげる多国籍企業を優遇する一方、カネのかかる福祉や国営の産業を解体し、
失業者や福祉を受けられない人々が増大、格差が拡大していく。
パンク以降、メインストリームで流行る音楽は、きらびやかなファッションでラブソングを歌うようなアイドル的なディスコ・ミュージックばかりだった。。

もちろん、パンク以降にも、テレビやアイドルほどに光の当たらない裏側では、メジャーレーベルではなく、インディーズで活躍したザ・スミス(この映画で、こちらもソロになったボーカルのモリッシーが華々しく登場しますね)など、貧しさや現在の社会の価値観への違和感を訴えるバンドもあった。
激しい競争と格差の社会から離脱して、自然の中で生活を営むようになる80年代のヒッピー、ニューエイジ・トラヴェラーズと呼ばれる若者も登場し始める。映画にも頻繁に出てくるが、彼らはグラストンベリー・フェスのアナーキーさを象徴する存在でもある。

続く80年代後半から90年代初頭は、ロックよりもダンスミュージックが爆発的に拡大し、トラヴェラーズどころかUK中の「普通」の若者、そしてヨーロッパを席巻した。もはや直接的に体制を批判するよりも、夜な夜な集って、DJがかけるダンスミュージックをバックに、ドラッグの手も借りながら、知らない人同士が群れてつかの間の幸せに身をまかせて踊り続けることで、格差や競争の激化した社会から離脱し、快楽の先に新しいコミュニティを志向していたのだ。
ロックの中からもストーン・ローゼズを最大の象徴に、ニュー・オーダー、ハッピー・マンデーズ、そしてプライマル・スクリームなどがダンスカルチャーと融合したギターサウンドをかきならし、マッドチェスターと呼ばれるシーンを作っていた。

しかし、ストーン・ローゼズの停滞、悪質なドラッグの蔓延、そして国家による取り締まりが激化し、「安全」で窮屈なクラブへの収束という商業化の中で、この現象は衰退していった。

そして、91年。ダンスカルチャーにとどめを刺した決定打が登場した。
グランジ―そして何より、ニルヴァーナである。
このアメリカから上陸した新たな波が、このダンスカルチャーのはかない希望を打ち砕いた。
ハードコアパンクとハードロックの影響を受けた激しい演奏、そしてどこまでもシニカルな歌詞やそのスタイルは、無邪気な幻想を撃沈させるのに充分だった。

もはや夢も希望もない、個人のダークな内面にひたすら落ち込んでいくグランジに、イギリス中の若者が染まった。
こうしてイギリスでは、ヒットチャートまでもグランジかヒップホップで占められるなど、アメリカ産の音楽に独占されるようになっていた。

そんななか、イギリスでは「自分たち」の文化が浸食されている。そうした反動の危機感が唱えられ始めた。
アメリカの代わりに、クールなイギリスのロックを再び盛り上げようという風潮である。
『セレクト』誌は、「イギリスらしい」グラマラスなバンド、スウェードを表紙にして、「ヤンキーゴーホーム」という特集を組んだ。

もはや、アンダーグラウンドな文化でも、アメリカからの輸入の文化でもない。
イギリスのロックがメインストリームに躍り出る。自分たちの文化の時代の到来―メディアや音楽業界が騒ぎ始めた。

94年。ブラーの3rdアルバム『パークライフ』が発売された。
「イギリス人らしい」シニカルな知性と「イギリス人らしい」バカ騒ぎの享楽性の入り交じったこの一枚が、ブリットポップの幕開けを告げた。

そして、ニルヴァーナのカート・コベインが自宅でショットガンで頭を打ち抜き、グランジは一気に収束を迎える。

音楽シーンを牽引していたカリスマ的なスターが消えた。ぽっかりロックに穴が空いたようになったとき、イギリスはマンチェスターから満を持してスターが登場した。
ギャラガー兄弟率いる、オアシス。ここから、ブリットポップの爆発は決定的なものとなる。UKロックのアンダーグラウンド時代は終わりをつげ、一気にテレビに雑誌にと、表舞台へと急浮上するのだ。

■ブリットポップというアイデンティティ

サッチャーの改革により、福祉国家が解体されることで、地域や職場を通じた「古き良き」コミュニティが崩壊した。それは、一般庶民を経済的に不安定な状態に陥れた。
仕事は慢性的になくなり、充分な社会保障もなくなり、誰もが生活するだけのために極限まであくせくしなければならない。

しかし、改革のもたらした不安定化はそれだけでない。人々の精神的な不安定さ、アイデンティティの揺らぎもまた深刻な現象となっていく。「伝統」的で何十年も変わることのなかったコミュニティ、価値観や仲間が解体され、そこに所属することでアイデンティティを確保していた個人個人が、バラバラにされていった。
「職業」、「地域」…。
共有されていたはずの「倫理」は消失し、生きるための金儲けという道徳を1人1人が必死で追い続ける。しかし、当然、そんな成功ができる人間は僅かしかいない。「生きづらさ」に苦悩した人々は少なくなかった。

そんな社会に広がった価値観、それがブリットポップであった。
ブリットポップを通じて、イギリスの労働者たちは自身を取り戻すようになったのだ。
それが、冒頭のグラストンベリーの大合唱につながるのではないか。もう少し具体的に追ってみたい。

○UKロックのいいとこ取り ~アメリカに抗して~

ブリットポップには、「イギリスの音楽」という点を過度に強調する、ナショナリスティックな側面が強い。
より具体的には、前述したように従来のイギリスの音楽の良いとこどり、と言える。
このことにより、自分たちはこういうすばらしい曲をつくってきたイギリスの国民であるという「イギリス人」としての「誇り」を共有し、自らのアイデンティティを確保した人が多かったのではないだろうか。

ビートルズ、ローリング・ストーンズやザ・フーやキンクスらの60年代ブリティッシュロックや、T-REXやデヴィッド・ボウイのようなグラムロック、
そしてセックス・ピストルズ、クラッシュのようなパンク、XTCなどのニューウェイヴ、ストーン・ローゼズなどのマッドチェスター…。
こうしたUKロックの集大成であり、「アメリカよりもクールなイギリスの音楽の伝統」を蘇らせ、イギリスの音楽というアイデンティティの確率の基盤を築いたのだ。

80年代の敵対性を持ったアンダーグラウンドな音楽は、サッチャーとその改革に怒りの矛先を定めていた。
しかし、90年代前半には、「敵」が、格差拡大を続ける社会から、イギリスのユースカルチャーを侵略したグランジという「アメリカ」へとすり替えられていた。現実のイギリス国内の格差は何も変わっていないのにもかかわらず、だ。

ブリットポップは、格差の矛盾から生まれた不安や敵対性や快楽主義も混ぜ込んで、反アメリカをテコに、「イギリス人」というアイデンティティを確固にしする役割を果たしたのだ。そして、格差問題は音楽の俎上から消えていたのだった。

○労働者としての承認 ~ついに認められた「俺たち」~

そして、もう一つ上げておきたい特徴が、ブリットポップは庶民感覚、特に労働者階級の生活を描き出しているということだ。
バンドたちの見た目や振る舞い、パフォーマンス、そして歌詞。
そこには、華やかで見るからにスター然としている貴族みたいな連中のそれではなく、自分たちイギリスの「普通の人々」(特に労働者階級)の生活や価値観が投影されているのだ。

例えば、ブリットポップ最大、むしろ90年代最高のUKロックバンドかもしれない、オアシス。ノエル、リアムのギャラガー兄弟は、労働者階級出身で、10代前半から肉体労働を続けてきた。

彼らのデビューシングル、「スーパーソニック」は、ドラッグ、酒、タバコさえあればそれでいい、という労働者の日常を歌った、それだけの歌だ。
しかし、それがずばぬけたメロディ、ボーカルによって歌い上げられる。
この曲でオアシスは一躍ロックスターの座に急浮上した。
こんなアンダークラスの生々しい生活がヒット曲になることはなかったのではないだろうか。

更に名曲中の名曲「リヴ・フォーエヴァー」では、
「オマエの家の庭がどうだって別に知りたくない」
「オマエは骨に雨がしみる苦しさを知っているか?」
「俺らにはオマエらに見えないものが見えるんだ」
と、上流階級を侮蔑し、自分たちにしかわからない、労働者の生き方の肯定、賛歌を歌い上げるのだ。

そしてさらに象徴的なバンドが、パルプだ。
彼らは80年のデビュー以降、ほとんど評価されず、ボーカルのジャーヴィスも失業保険で生活し、「ダサいロックバンド」を続け、社会のゴミ扱いされてきた。
ブリットポップムーブメントのなか、その彼らが遂にスポットライトを浴びたのだ。

そんな彼らは、コモン・ピープル、まさに普通の人々の生活の、せせこましい悲喜こもごもをチープなシンセ音にのせて、囁くように歌う。

なかでも、大ヒットしたアルバム『ディファレント・クラス』の「コモン・ピープル」。
ギリシャの上流階級の女性の気まぐれに答える形で、ジャーヴィスがつづった歌詞は、あまりに痛々しいものだった。

「私、ふつうの人たちみたいに暮らしたいの」
「ふつうの人たちがやることを何でもやってみたいの」
「あなたみたいなふつうの人たちとセックスしたいの」

彼女をスーパーマーケットに連れて行き、彼はこう答える。
「ふつうの人みたいに暮らしたいの?」
「ふつうの人たちがやることをやってみたいの?」
「ぼくみたいなふつうの人たちとセックスしたいの?」

「学校なんか行ったことないふりをしてごらん。それでも君にはなりきれないよ」
「だって夜にベッドに転がって壁をゴキブリがはっていくのを見ていても、君はパパに電話すればすぐに解決するんだからさ」
「きみは決してふつうの人たちみたいには暮らせないよ」
「ふつうの人のやることはできないよ」

上流階級と対比しながら、一般庶民のみじめな生活を自嘲的に、屈折した歌詞に乗せて歌う。
しかし、それは、ひがみでもねたみでもない。
そこにあるのは、大いなる発想の転換であり、開き直りであり、労働者階級への賛歌だ。
貧しい暮らしを耐え、一生報われない日々を送る労働者。
その生き方こそが、すばらしいんだ、という断固とした肯定である。

そして、映画『グラストンベリー』のクライマックス。
ブリットポップど真ん中、95年のグラストンベリー・フェスのステージ。
8万人の観客を前に、「コモンピープル」を歌う直前、ジャーヴィスは一息ついて、こう言った。

「やせてノッポの僕にもここまでできた。君たちにだってできるよ。」

彼らのようなバンドがスターとして祭り上げられることで、自分の存在がついに認められた、と多くの人々が熱狂した。
スターでも金持ちでもない労働者であることに、普通の庶民であることに誇りを持てる、自信を取り戻せる、ブリットポップはそんな現象だったのだ。


―しかし、それは良い面とばかりはいかなかった。
むしろ、そのアイデンティティこそが、ゆっくりとバンド自身を、そして労働者自身を圧迫していくこととなるのだ。(つづく)

(るヒ)

コメント一覧

らいら
オアシスっていうと当時ずっとビートルズのパクリっていうイメージがむちゃくちゃ強かったです。
こういう文脈があったというのはオモシロい。
ブリット・ポップってあまりいまとなっては評判悪いですけど、良かった面もあったんだ?
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