とはいえ、ここには「使えるハケン/使えないハケン」の線引きがあると思う。本来、労働法が守られ、自分の時間が確保されるのは誰にでも当然のことのはず。しかし、このドラマでそうした生活を手に入れているのは、超人的に「使えるハケン」の主人公だけだ。
あれだけ仕事にクール&ドライな彼女も「お時給の分はしっかり働きます」と、スピーディーに仕事をこなしていくし、資格も数え切れないほど持っている。主人公レベルはコメディだから非現実的だとしても、自己責任でもっと努力して、派遣なりに少しでも彼女のようなプロに近づけ、ってのがこのドラマのテーマに思える。
「使えるハケン」になれば、労働法を守らせて、プライベートな時間もしっかり得ることができるよ(現実にはほぼ皆無だと思うけど)、という誘惑。こうして、「使えるハケン」の非常に狭い枠を巡って、派遣労働者をもっと一生懸命働かせようという業界のイメージ戦略なのかもしれない。
一方、「使えないハケン」に転落した労働者は、「使えないし、がんばってないから仕方ない」とばかりに、待遇が劣悪でも問題化されない。それどころか、法律すら守られなくても当然と描かれている。
それが、第1話のラストシーンだ。ワードもエクセルもパワポも使えないのにウソをつき、さらには会社の情報を勝手に持ち出した挙げ句、見事に紛失した加藤あいの「使えないハケン」。誰もがクビを確信する中、担当の上司と次のような会話がなされる。
上司「ペナルティとして…サービス残業です。」加藤あい「はい!」
派遣先クビ(&派遣会社クビ)じゃないんだ、良かった。加藤あいの笑顔。感動的な音楽。
…ってオイ!! サービス残業は違法だろ!!
合理的理由なしの、契約期間を残した派遣の打ち切りも派遣会社の解雇も違法だし!
労働法を守らせる主人公をあれだけ痛快に描いておきながら、「使えないハケン」に関しては、法律違反をあんなに堂々と言い渡しても、全く問題にされない。そして法律の代わりに上司の「人情的」な裁量で派遣労働者の進退が決定してしまう。
上司が全ての権限を持ってしまうこういう不安定な状態が、セクハラやパワハラの温床になるんじゃないの? こうした蔓延しきった脱法的状態に対して、最近は法律によって規制がされる傾向にある。ただし、守られていない労働者の保護規定を撤廃して、あとは自己責任でという、違法状態を追認して合法化するという傾向ですが…。
ちなみに、前述の上司が小泉孝太郎であり、彼の父親が違法行為を感情的なフレーズで乗り切る現代政治の象徴であったことは言うまでもない。
というわけで、『ハケンの品格』は、「使えるハケン」と「使えないハケン」の格差を描き、生活が苦しいなら「使えるハケン」になれるようがんばれ、という自己責任論&極端な能力主義を普及させるためのドラマ…なのかもしれない。次回が楽しみだ。たぶん見ないけど。
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るヒ
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