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大阪城周辺観光→寄り道話し多し(汗)。

2014-06-05 07:00:28 | 観光・グルメ・温泉・鉄道
先日、舞台「殺風景」大千秋楽を観に、久し振りに大阪へ。

 →東京駅・のぞみ号

私はヲタ活の遠征の時の新幹線は、指定席にしないの。

何時の新幹線って決められると、時間に縛られてしまう気がして。

その時その時の気分や状況やタイミングでの新幹線に乗る。

だから、自由席の車両なんだけど、必ず座れるし、
と言うか、いつもがらがらだったりする。

今回も、行きも帰りも「のぞみ」自由席。

がらがらでゆったり座れて、お弁当もビールも、気兼ねなく(笑)。

 →さすがにビールは帰りの新幹線のみですよ(笑)。

「のぞみ」が出来た頃は、のぞみ自体が指定席車両しかなかったけど、
今は、のぞみにみ自由席があって(1~3号車)、便利だね。

のぞみ自体の本数が多くなったイメージ。


ヲタになる前、関西方面(京都・奈良・神戸・甲子園など・京都は何度も)には何度か旅行してたし、
ヲタ活でも、何度か大阪・京都に遠征しているけど、今回、ホントに久し振りに大阪へ来た感じ。

もう、何年ぶりなのか、記憶にないわ(笑)。

いつ以来だろう。

たぶん、赤坂氏のディナーショー@大阪帝国ホテル以来だと思うから、
うーーん、12~3年ぶりかな。

妻子が発覚してから以来、赤坂氏はディナーショーをやらなくなったし。


あ。

話しそれた(汗)。


行きの新幹線では、富士山が見えたよ。

ちょっと靄がかかってる感じで、はっきりくっきりな富士山ではなかったけど。

富士山が見えると、心なしかパワーが貰えて、いいことありそうな気持になったりするよね。


新大阪駅からの大阪駅で下車して、予約してあるヘアセットのお店を探して、
ちょっとブラブラして迷ったりしたけど、大阪駅周辺がものすごく変わったイメージ。

私の記憶の中の大阪駅とは、全然違ってた。

そういうのも遠征の醍醐味だよね。

街(特に大都市)はどんどん進化していくものだもんね。


大阪の人は親切で凄く感じが良かった。

ちょっと迷った時に場所を聞いた時も、お店の人も、駅の人も、
みんな感じが良くて、遠征先だから余計に気分がイイ。

コテコテの大阪弁はあまり耳にしなかったかも。

電車の中でのおばさん達の会話くらいかな、コテコテの大阪弁を耳にしたの。


大阪駅から、大阪城公園駅で下車して、
まずは、シアターBRAVA!の場所を確認に。

 ←大阪城公園駅



大阪城ホールと川をはさんだ向かい側にありました、シアターBRAVA!。

大阪城ホールWikiのトップ写真に、
大阪城ホールとシアターBRAVA!が一緒に写ってる。

これ、たぶん、大阪城の上のところから撮ってるよね。


私が最後に城ホールに行ったのは、光GENJIの解散コンの1995年だと記憶しているから、
その頃は、シアターBRAVA!はまだなかったね。

城ホール前に行ったの、19年ぶりだ(驚)。


大阪城ホールに初めて行ったのは、確か1991年の光GENJIの冬のコンサート。

当時、光GENJIの主婦ファンのサークルに入っていたので(私は初期メンバー・笑)、
サークルの関東組6~7人と一緒に新幹線で、日帰りで大阪へ。

当時、まだ子どもが小さい人ばかりだったし、私含めてみんな夫とかに子どもを預けて行ってた。

大阪城ホール前で、サークルの40人くらいが集合して、
当時流行っていた(?)パノラマ写真の集合撮影をしたりしてました。

当時のヲタ活は、私は20代半ばの頃で、子育て中でありながらも第二の青春って感じで、
めちゃめちゃ楽しかった。

勿論、当時はヲタ活なんて言うファン用語はなかったけど。

10人で始めた主婦ファンのサークルなんだけど、
メンバーがどんどん増えて全国に120人くらいになってたかな。

ネットが普及した今、たいしたことない感じに見えるけど、昔は、全てが口コミ。

光GENJIファンはサークルが主で、
私も主婦ファンのサークル以外、色々入っていたけど、
それでも120人の大規模なサークルはなかったと思う。

サークルでは色んな活動をしていたよ。

交換ノートとか、月1回の会報とか、コンサートなどで集まったりとか、
みんなでジャニショやファミクラへ行ったりとか。


話しは戻って、1991年の光GENJIの冬コンでは、
確か、2公演ともに11連番でチケット取った記憶がある。

昔は、11連番でも普通にチケットが取れたのだ。

チケット代も、当時は4000円だった記憶がある。

11人分を振り込む時に、44000円+手数料だった記憶があるから。


今なら、アリーナ会場でのジャニコンでは、外周とか花道は当然かもしれないけど、
当時、アリーナコンで、初めて、外周ステージと言うものが出来たの。

ローラースケートで走り回るからこそできたんだろうな~なんて思ったし、
どの席でも、何回かは近くで見ることができて、画期的だ~と思った記憶がある。

光GENJIから始まったものは多いよね。

団扇文化も光GENJIから。

1989年の夏コンで、グッズの団扇を販売してたの。

当時は、何故にグッズに団扇なのかって感じだったよ。

買ったけど(笑)。


で。

11連番はいずれもアリーナ席だった。←横アリで言うところのセンター席ね。

そのうち1回は、外周下。

11人が全て外周下になるような所で笑った。

城ホールの外周って、手が届くんだもん。




あ。

また話しそれてる(汗)。


城ホール前の待ち合わせに使われる噴水は健在。

 

私が城ホールに行く時は、人でいっぱいのコンサートの日だから、
この日は、閑散としていて、何だか記憶の中の城ホールとは違うような気がしました。


この日の大阪城ホールでは、コブクロの色んな宣伝の大型トラックを含めて何十台とあって、
コンサートの設営中だったっぽい。

ヘルメットを被った工事現場にいる方々のような人達が大勢いて、
トラックから荷物を出したりしてたよ。

調べたら、コブクロのコンサートは、6/3・4。

そのための準備だね。



そして、大阪城へ。

昔々、今はなくなってしまったけど、大阪の近鉄劇場で、
赤坂氏と大沢氏主演で「SANADA」と言うミュージカルを上演したの。

1992年くらいのことだったかな~。

勿論、観に行った。

題材は、現代人が400年前にタイムスリップして、大阪城に来てしまったお話し。

真田十勇士が戦に行くんだけど、タイムスリップして来た現代人は結果がわかっているので、
必死で戦を止めるんだけど、それでも戦うと。

その現代人が、源秀頼そっくりの設定で、
秀頼の妻は、現代人に、本当は真田幸村が好きだと打ち明け、
だけど、戦の無事を祈ることしかできない風な歌があって、切なかったよ。

その時の音楽担当と、真田十勇士の1人を演じていた村治さんは、
現Jr.で三味線と言われている、村治くんのお父さんです。→現在、六代目杵屋勝四郎。

歌舞伎界でも活躍し、滝様舞台などでも音楽を担当し、
Jr.達に三味線なども指導している。

今も、大沢氏や赤坂氏と交流があるみたいだよね。


そのミュージカル「SANADA」の舞台になってる大阪城天守閣

でっかくて綺麗なお城だったな。

お堀も大きいし、高い所にあるのは、戦のためでもあるんだものね。


そのあたりをひっくるめて、大阪城公園と言うんだね。

大阪城公園
大阪城公園


写メを適当に。






  

  







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