ジャージ姿の走りで来てしまった
「矢掛宿」。
本日は、「本陣石井家住宅」を見学したときのこと。
入館料を払う。500円/人。
その前に寄った「問屋」でここの割引券をもらい、
お父さんの小銭入れの唯一の1000円でお釣り200円もらい見学できる
(いつものジョギング散策感覚でやってきたのでジュース代の小銭しか持っていない)
大きな縄のれんをくぐると
広い土間
平格子。外からは見えず、中からはよく見える
東西に道の北側に96軒、南側に103軒の町家が立ち並ぶ
間口により、伝馬役の負担がかけられたため、皆、うなぎの寝床のように奥にひたすら長い寝床が今日にも続いている
造り酒屋を営んでいたとのことで、昔の建物が資料館になっています。
広い土間
平格子。外からは見えず、中からはよく見える
東西に道の北側に96軒、南側に103軒の町家が立ち並ぶ
間口により、伝馬役の負担がかけられたため、皆、うなぎの寝床のように奥にひたすら長い寝床が今日にも続いている
造り酒屋を営んでいたとのことで、昔の建物が資料館になっています。
水害の多い地区のため、昔から蔵は石垣で守られていたそうです。
私の興味のある山陽道の説明がされていました
姫路宿まで10個の宿でリレーされてます。
好みの宿を利用して、江戸へ行ったり、江戸から戻ったりしたようです。
その中でも矢掛宿は当初は近くの川の川魚しか出せなかったが海からのルートを確立させ、新鮮な海の魚を振る舞うことで人気だったそう。
今も昔も工夫が必要だし、惹きつけるものがあればなお良いのですね
大きな酒蔵内に資料パネルの展示がしてあります
これは実際にこの本陣に宿泊や休憩された方の宿札。
大きな酒蔵内に資料パネルの展示がしてあります
これは実際にこの本陣に宿泊や休憩された方の宿札。
玄関先に表示していたそう。
いくつもの大きな部屋があります。
いくつもの大きな部屋があります。
大名が入ってくる正門です。
こちらに「篤姫様」も来られたように宿泊帳に載っていました。
左から2番目の宿札以外は宿札は
左から2番目の宿札以外は宿札は
「御·様」がないので
御一行の自前の札とのことです。
御一行の自前の札とのことです。
「御勅使 梅渓中将様御小休」
これは本陣で用意されたもののようです。
今も旅館やホテルの玄関先に
「〇〇御一行様」と書かれて張り出されてるのはこの名残でしょうか
一番奥の一段高い間が一番偉い人が宿泊する部屋
縁側から見たら壁に囲われてます。縁側には警備の侍がいたのでしょう。
犬養毅とあります。
徳行とは「とっこう」と読み、「同義にかなった善い行い」だそうです。
一番奥の一段高い間が一番偉い人が宿泊する部屋
縁側から見たら壁に囲われてます。縁側には警備の侍がいたのでしょう。
犬養毅とあります。
徳行とは「とっこう」と読み、「同義にかなった善い行い」だそうです。
「健」の意味も「努めてやまない」とあるので
犬養毅がこの本陣に贈られたお言葉なのでしょうか
この意味で正しければ、
「犬養毅絶賛矢掛本陣」
ということでしょうか
勉強は尽きませんが時代を感じさせるものはとても興味深いです。
勉強は尽きませんが時代を感じさせるものはとても興味深いです。
ジョギング観光〜矢掛宿〜はこれで終了です。
ここまで読んでくださりありがとうございます
「宿のない宿場町」と言われていた時代に取り残されたような町でしたが、
2015年に設立された㈱矢掛屋により
築200年もの建物がリノベーションされ分散型の宿(ホテル)として蘇っています。
日本初のイタリアの
「アルベルゴディフーゾ」
という認定を受けていると
アルベルゴディフーゾ:イタリア語で「分散したホテル」という意味。町の中に点在している空き家をひとつの宿として活用し、町をまるごと活性化しようというものです。
大名や御家老達は本陣、脇本陣にそれぞれ宿泊し、他の者たちは町家に分散して宿泊したので
まさに当時の大名行列を迎えていた、それぞれの宿で行われていたことと「アルベルゴディフーゾ」という考え方が同じとは驚きました。
アルベルゴディフーゾ協会の会長であるダッラーラ教授も矢掛町に来られて滞在され、
「日本の昔の宿場町はアルベルゴディフーゾの新しいヒントになる」
「是非、矢掛町をアルベルゴディフーゾに認定したい」
と言われたそうです
矢掛屋さんや町の人々の協力で
「宿のない宿場町」から「宿泊客で賑わう宿場町」に変貌したそうです。
今はコロナでひっそりとしていましたがコロナ明けには是非一度足を運んでみてはいかがでしょうか
この度もジョギングでの訪問です。