暑い日が続いております☀
クーラーをつけ、水分補給をこまめに行い、熱中症を避けたいと心がけてます
クーラーのもとでは喉の渇きが鈍りますが、ジュースではなくお茶を飲んでおります🥤
随分前の日記です
ようやく書き終えたと思ったら、長編作だったようで、その1、その2に分けないとup出来ない事になり、急遽、編集を加えました
前日から車検に出してる車の受取で大阪を訪れております。
昨日は堺市にある、シマノ自転車博物館へ見学に行ってきました
その後、一泊して今日は長男と合流、3人で大阪街なかジョギング散策
参加者:私と夫、長男の3人
平野駅近くより、まずはアベノハルカスを目指してしゅっぱぁ〜つ
国道25号を東へ向かい、JR大和路線沿いに進みます。
お兄ちゃんはこの時期、まだ耳当てして、シャカシャカ着てるから寒かったんでしょうかね❄
あっと言う間に置いてけぼりをくらいます
東部市場前駅(とうぶしじょうまえ駅)
平野駅⇔天王寺駅間の4kmの間に平成元年に開設された、歴史の浅い駅です。
近くに「百済貨物ターミナル駅」もあります。
「百済」って急にアジアンな感じの名前で、どういうこと😯
…とちょっと調べてみると、ここは
古代、渡来人たちの集住地であったようでかつては「百済野」と呼ばれていたそうです
ほう〜、その名残で「百済」なのでしょうか🤔
ほう〜、その名残で「百済」なのでしょうか🤔
今いる住所が「大阪市東住吉区杭全」
なんと読むかというと「杭全(くまた)」と読むそうです。
杭全も調べると「百済(くだら)」が訛って「杭全(くまた)」となった説もあるようです。
他にも大阪には難読地名がありますが、またいつか足👣で回ってみたいですネ
道なりに進むと急に歩行者だけ歩道橋に上らされ、歩道橋と言うより、デッキですね🎵
目指すアベノハルカスも見えます👀反対側には百済貨物ターミナル駅の構内が見渡せます👀
そうかぁ😯トラックやトレーラーがこの中へスムーズにコンテナを運び込めるように、歩行者は高架の上を歩くようになってます
そんなデッキを降りて東へ
また別の高架下にイオンが
土地の有効活用ですが、スゴイなぁ
↑空気が入り続けて、手を振る人形🎎
↑空気が入り続けて、手を振る人形🎎
カワイイです。左手の先が破れてるので「こっちこっち」と合図してるみたい(どこにでもあるか…)
国道25号を東へ
近づいてきました✨
国道25号の上を走る道が気になるのと、そこに上れると思われるこのスゴイ階段も上りたくて行ってみます
結構ぐるぐる上ったら、天王寺バイパスの歩道に出ました。(この辛い思いをして、利用する人いる🤔と思うくらい、高いです💦)
線路が何本も通ってるので、こちらから向こう側に歩いて行くには、この道でしか歩行者は渡れない感じです😱
国道25号を東へ
近づいてきました✨
国道25号の上を走る道が気になるのと、そこに上れると思われるこのスゴイ階段も上りたくて行ってみます
結構ぐるぐる上ったら、天王寺バイパスの歩道に出ました。(この辛い思いをして、利用する人いる🤔と思うくらい、高いです💦)
線路が何本も通ってるので、こちらから向こう側に歩いて行くには、この道でしか歩行者は渡れない感じです😱
こんな大変な道、みんな使うんかなぁ線路を渡りきるのにもめちゃめちゃ距離があります
やっぱり、誰も使わないんかなぁ🤔めっちゃポイ捨てゴミが落ちてて悲しいです😢
電車も高架やけど、車道もその上に高架で、街の中はすごいですね
さぁ、寄り道をしましたが、天王寺駅前到着
JR天王寺駅と近鉄阿倍野橋駅とを繋いでいるペデストリアンデッキが見えます👀
では、行ってみたかった、あべのハルカスへ
デッキに上がると、向こうに通天閣が見えます👀
あべのハルカス16階、屋外庭園があります
デッキに上がると、向こうに通天閣が見えます👀
あべのハルカス16階、屋外庭園があります
↑ハルカス展望台300は有料のため行きません
ここでも十分景色を堪能できます
ここでも十分景色を堪能できます
↑天王寺動物園が見えます。
あべのハルカスを見上げると、てっぺんまではもう見えません高い
どっち向いてるのか、聞かないでくださいもう忘れてしまいました
きっと奥に見えてる山は生駒山地デスネ
どっち向いてるのか、聞かないでくださいもう忘れてしまいました
きっと奥に見えてる山は生駒山地デスネ
これは大阪唯一の路面電車、阪堺電車です先週、堺市をジョギング散策した時に出会いました✨
↓堺市を走る阪堺電車🚋(ジョギング散策より)
天王寺動物園方面へ向かいます
いやぁ~、気持ち良いお天気で、そびえ立つハルカス🏢
「黒田藩蔵屋敷長屋門」立派な門が急に現れましたでも門しかありません慶沢園と言う日本庭園に続いていますがこの門、別名「後藤又兵衛あかずの門」と呼ばれているそう
“大坂夏の陣で豊臣方の黒田藩武将·後藤又兵衛が帰ってくるのを家臣たちが閉めずにずっと待っていた”
と説明がありますが、ちょっとおかしくない
「あかずの門」って「開けるのを禁じられている門」っていう開いてない門なのでは🤔
「後藤又兵衛」は、私の地元播磨の軍師黒田官兵衛(豊臣秀吉の側近)が幼少の折に引き取り、自分の息子よりもかわいがったとも言われる武将
(後藤又兵衛も播磨南西部(姫路⁉️加西⁉️)の生まれです)
大坂夏の陣で散っています。
「黒田藩」は後に黒田官兵衛改め黒田如水が藩祖となる福岡藩の別名
でも、後藤又兵衛は黒田官兵衛が亡くなったあと、息子の長政の代で黒田家を出奔、奉公構まで出され、浪人となって転々と…
諸大名が破格の条件で囲おうとしたり、家康も又兵衛に東軍に寝返るよう打診したと言われていますが、又兵衛は「豊臣の恩を忘れて寝返るのは武士の恥」と豊臣側の西軍で大阪の陣へ。
又兵衛の大坂の陣の敵は徳川家康。黒田軍も敵。黒田藩からみれば又兵衛は豊臣方にて、敵。
黒田藩蔵屋敷長屋門の別名が既に出奔した又兵衛の帰りを開けたままにして待ったと言われる別名「後藤又兵衛あかずの門」では話がちょっと食い違うのでは
素直に「あかずの門」なのだから、「開けるのを禁じられた門」と解釈する方が合ってるんじゃなくて🤨
(知らんけど…)
それなら「閉まらずの門」と呼ぶほうが正しいですね。調べると「不閉門」とも書いてありました
やっぱり、「閉まらずの門」ってことで又兵衛の帰りを待ってたのかなぁ🤔
良く分かりませんが、門を見ながら、大阪の地で播磨の武将たちの歴史に触れることが出来、ちょっと感激して先へ進みます
続きはその2へ