4月10日(日)
先週の日曜日の日記今頃です
タイトルの「東播用水」とは兵庫県播磨地域の東に位置する東播地域の、水に困窮し、苦労に苦労を重ねて出来上がった水路のことです
東播地域をジョギング散策する中で、
道路のすぐ脇にこんなデカデカ看板が作られるくらいだから何やらあるんだな…と。
いつか行ってみたいがようやく行けました
色々、地理や歴史を勉強しました✏️
それまで、水は当たり前にあるもので深く考えたことはありません
天からの授かりものである「水」。
と考えると、貴重で大切な水
もう少し語らせてください
兵庫県東播磨地域は古くから水不足に悩まされており、この地域の土台となっている「印南野(いなみの)台地」は日本有数の少雨地帯で水利に乏しい乾燥大地と言われます。
印南野台地は、西は加古川、東は明石川、北は美嚢川に囲まれた段丘のほぼ平坦な土地です。
地図の下側は播磨灘(海)です。
播磨地域五川の中でも最も大きい加古川が西側を流れていますが「印南野台地」は段丘のため、その水を得ることができません
このため明治21年に淡河(おうご)川疎水事業が始まり、明治24年山田川疎水事業に着手され、大正8年に淡河川、山田川疎水(淡山疏水)が完成。
それでも昭和30年代には水稲栽培の拡大や人口増加によりさらなる水源開発が求められるようになり、
昭和45年から平成4年にかけて、
川代、大川瀬、呑吐(どんど)の3つのダムが建設されました。
長い年月をかけて、ようやく完了した
総距離110kmの水路ネットワークです
↓三木総合防災公園から見た北部の山
でも、この公園までしか来たことがないので、取水口がどこなのか見たことはありません
↑この山をサイフォンで下ってくる前に呑吐(どんど)ダムに貯水され、その前に大川瀬ダムに貯水され、その前の川代ダムに取水口があります
それを聞いただけでも生きるための水の確保って実は大変なんだと…
その川代ダムの取水口は丹波篠山市を流れる「篠山川」にあります
そこへこの日行くことができました
(長い前置きですみません)
4月10日(日)☀
長女の「恐竜行ってみたい」と「自動車運転練習」を兼ね、丹波市の恐竜発掘現場とちーたんの館へ🚙
(その話は後ほど…。)
で、少し足を伸ばして、東播用水の始まり、丹波篠山市にある「川代ダム」に行きました
大きな池のような「ダム」かと思いきや、これもダムなのかぁという、川を堰き止めて出来たもので「ゲートダム」と呼ぶそうです
…ということは、よく行く加古川大堰も「ダム」
ダムってなってた知らんかった
印南野台地は川がなく、瀬戸内気候のため、降水量も少なく昔々は人が住めるところではなかったといいます。
清少納言も枕草子で「野は嵯峨野、さらなり。印南野。交野。狛野。…」
と、印南野台地が二番目に出てきます
これは美しい野原と言えば、第一に嵯峨野、次に印南野…が続くという意味の歌だそうで
野とは人の手が入っていない未開の地で、水が乏しいため、田畑にされることなく放置された草原地帯であったことを物語ってるそうです。
それでも人が住み、先人たちが僅かな雨水も無駄にしないよう、たくさんのため池を作り、水を貯めて暮らしてきたとのこと。
降水量が少なく干ばつに苦しめられてきた打開策として、明治〜大正にかけて「淡河疎水」が完成したそうです。
110kmの水路ネットワークの最初の大掛かりな疎水です
神戸市北区の木津川から取水し、印南野台地を潤しますが、すごいのがこの「御坂のサイフォン」です
北東側の山から淡河疎水が来て、
志染川で一旦下がり、南西側の印南野台地に水を引くために大掛かりなサイフォン工法で作られてます。
↑イラストの一番下の眼鏡橋は今も健在で存在します。ここを落差約60m下ってきた水が、志染川に掛けられた、この眼鏡橋を通り、
(↑この写真じゃ、斜度が分かりませんが、かなりの上りです)
この鉄管を水が上って、南西側の印南野台地へ届きます
この鉄管の延長も向こうの山から、このてっぺんまで751m
昔の人ってスゴイです
昔の人ってスゴイです
志染川を挟んで、その両側の標高3mの違いで水が同じ高さになろうとする力を使って水を運ぶなんて…感動
その水路ネットワークの出発点である、これが丹波篠山市の川代ダム。↓
吊橋と桜がきれかったです
東播用水についての看板も見つけました
東播用水水路ネットワークの始まりの川代ダムの取水口です。
ここから山の中をトンネルの水路でつないで大川瀬ダムに貯まります
そこから導水路で呑吐ダムにつながり、御坂サイフォンを通って印南野台地へ
水路ってスゴイです
おまけの話をすると、
「淡山疏水·東播用水博物館」っていう博物館が印南野台地の稲美町にあるんです。↓
土日祝は開いてなくて、平日休みに雨の中、一人で車を飛ばして行ったのに
なんか、ひとけもなくてシ~ンって…
入り口に立つと、暗〜いよぉ…
なんと、休館「こんな遠いところまで来たのに感」満載でガックリ…
入り口前に導水管の展示がしてあったので
それだけ一人で見て帰りました
なんと、休館「こんな遠いところまで来たのに感」満載でガックリ…
入り口前に導水管の展示がしてあったので
それだけ一人で見て帰りました
そうそう、「土管」っていうんですよね。改めてこれを見て、大正〜平成まで使われてたのかと思うと感慨深いです。
そういやぁ、この前、旧赤穂上水道の散策で見たのも土管でしたね(赤穂城跡の近くに展示してある土管)
右側が今、現代で使われている御坂サイフォンの土管ですが、
土管じゃないようです。それはそうかもしれませんが…。「セグメント」という呼び名でコンクリートの管ではあるけど
なんか↑こんなパーツが組み合わさって大きな筒になっているようです。
川代ダムの取水口からいきなり山の中に導水路が入っていくので、要するに水のトンネルが真ん中の写真の小さい版でつながってるんですね
進化してますねぇ
また機会があれば是非、淡山疏水·東播用水博物館に行ってみたいと思います
長くなりましたが、導水路の出発点に行けたという話でした