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なのセコンドさん

2019-03-21 12:32:11 | 日記

Ameba


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2018年11月23日(金)
「ボヘミアン・ラプソディ」のトゥルース
テーマ:精神世界/ニューサイエンス

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チェコ

現在公開中の映画『ボヘミアン・ラプソディ』はもう観ただろうか?

今回は衝撃的かつミステリアスなクイーンの代表曲「ボヘミアン・ラプソディ」の秘密に迫る。

ガリレオ、フィガロ、ビスミラ、ベルゼブブ・・・誰しも首をかしげるヘンテコな歌詞。

フレディはもちろん、クイーンのメンバーは誰もこの曲のトゥルースを語ろうとしない。

とくに意味などないと言う人は多いが、本当にそうだろうか?

ナノ・セカンドで深読みすると、集合的無意識が見えてくる!







ボヘミアン・ラプソディのストーリーは、一人の少年が殺人を告白し裁きを受けるというものである。

この少年がフレディ・マーキュリーのパラレルだと考えると、悲哀に満ちたドラマと謎めいた展開の結末の先端が、ようやく見え始めてくる。





第一幕:2つの歴史

主人公はボヘミアンの少年。このボヘミアンには2つの意味がある。

①自由気ままに生きる芸術家のような人々。

②チェコのボヘミア地方からパリにやってきたロマ(ジプシー)。



この物語、貧しいジプシーの少年が何らかの理由により殺人を犯したのかと、誰しもがそう思うだろう。

しかし、ボヘミアンの2つの要件を同時に満たすのは、じつはフレディ・マーキュリーをおいて他にない。


フレディ・マーキュリーは、当時イギリス領のザンジバル島(東アフリカのタンザニア)で、ペルシャ系インド人のパールシーの両親の元に生まれた。パールシーとは、かつてササン朝ペルシャがムスリムに倒されたとき、イランからインドのグジャラート州へ逃れたゾロアスター教徒の末裔である。

幼少期の大半はインドのムンバイで過ごすが、ザンジバルに戻り家族と暮らし始めた矢先、ザンジバル革命が起こる。

身の危険を感じた一家はイギリスに逃れる。



一方、ロマは流浪の民でヨーロッパ各地にいるが、元々は北西インドのラージャスターン州の出身で、西暦1000年頃に放浪の旅に出て、北部アフリカ、ヨーロッパなどへとたどり着いたとされる。











劇中フレディが「パキ野郎」と野次られ「違う」と返すシーンがある。

ロマの故郷ラージャスターン州(22)と、パールシーの移住地グジャラート州(7)は南北に隣接していて、どちらもパキスタンの国境沿いである。



また、ササン朝ペルシアのバフラム5世(在位420年-438年)はインドのシャンガル王に使いを送り、リュートの演奏に巧みな男女1万人をムルタン(当時はインド、現在はパキスタン)からペルシアに呼び寄せた。その子孫がロマではないかという説もある。



つまり、ボヘミアンの少年とは、故郷を喪失した異邦人であり、芸事で生計を立てるフレディ自身なのだ。

英国社会ではマイノリティとして生きていかなければいけない。音楽というパラレル・ワールドは、そうした肩身の狭さから救ってくれる自由な空間だったのだ。





第二幕:2つの秘密



バラードは少年の衝撃的な告白からスタートする。少年がフレディの分身だとすると、彼は誰を殺したというのだろうか? これについては、すでにある仮説が立てられている。

「『ママ、人を殺してしまったよ』という部分は、

昔のイメージのフレディを自分自身で殺したという意味だ。

『頭に銃を当てて、引き金を引いたら死んでしまった』。

異性愛者としての自分は死んだ。

フレディは、演じていた古い自分のイメージを壊して、

これこそが自分なのだと、新しいフレディとして生きようとしていたんだ。」



これはイギリスののDaily Mailによる記事からの引用だが、フレディと共作したティム・ライス(作詞家)がインタビューで語ったもので、ボヘミアン・ラプソディでフレディが密かにカムアウトをしたのではないか?という内容である。



その説に便乗して付け加えるならば、ボヘミアン・ラプソディには3つのカムアウトが隠されている。

第1に、出自に関すること。先祖にまで遡る歴史的タームでのカムアウト。

第2に、バイセクシャルに関すること。これはフレディの人生の過去と現在に関する。

第3のカムアウトは、この流れでいくと、それは未来のことに関する。

どういうことかというと、カムアウトしないというカムアウトだ。

フレディは在命中に出自に関することも、バイセクシャルであることもカムアウトしなかったのである。
その代わりに、二重苦を背負わされたボヘミアンの少年はこう歌っている。

Anyone can see
誰もが知ってることさ
Nothing really matters - nothing really matters to me
たいしたことじゃない 本当に僕にはたいしたことじゃないさ

マイノリティと聞くと、その不幸な境遇から、必要以上に存在価値を高めてしまいがちである。
フレディは音楽を純粋なエンターテイメントと考えていた。
音楽がなんらかのメッセージ性を持つのは避け難いし、むしろ積極的に主義主張が盛り込まれるものである。

しかし、同時にそれは受け取る側の自由を奪いかねない。
音楽はフレディにとって最大の現実逃避の場だったし、聴き手にもそれを望んだ。

仮にフレディがマイノリティであることをカムアウトしていたらどうなっていただろう。
音楽や芸術は反権力の原動力となりもするが、権力自体にもなりかねない。
そうしたことが、音楽の純粋な評価を妨げてしまうかもしれない。
だから「同情はいらない」とボヘミアンの少年は歌うのだ。




第三幕:2人の偉人



彼を第3のカムアウトに導いたのは何だったのか?

そして、その宣言はどのような形でボヘミアン・ラプソディに提示されているのか?

曲中もっとも謎めいているオペラパートにそのヒントはある。



I see a little silhouetto of a man

1人の男のシルエットが小さく映る

Scaramouch, scaramouch will you do the fandango

スカラムーシュ 道化の者よ ファンダンゴを踊っておくれ

Thunderbolt and lightning - very very frightening me

雷鳴と稲妻ーとても恐ろしい

Gallileo, Gallileo,

ガリレオ ガリレオ

Gallileo, Gallileo,

ガリレオ ガリレオ

Gallileo Figaro - magnifico

ガリレオ フィガロ~貴き人よ



これらの固有名詞には意味がない。単なる音遊びだ。オペラだからオペラにちなんだ言葉が並び立てられているだけだ。そう信じるのは今日までである。



「スカラムーシュ」とはチベリオ・フィオレッリ(17世紀フランスにおいて、最も有名な喜劇役者の1人)が演じ、得意とした役名である。この役は元々イタリアにおいて「隊長スカラムッチァ(Scaramuccia)」として生まれたものを、フィオレッリが下僕役として進化させてフランスに持ち込み、多大な影響を与えたのである。

彼が演じた「下僕スカラムーシュ」の特徴は、「女と酒好き」ということである。好きと言っても生半可なものではなく「女であれば誰でもいいし、酒であるなら何でも大歓迎」という考えを持つ。本来下僕役だが、プライドは高く、旧家出身であることを自慢し、素寒貧のくせに無限の富を持っているかのような態度をとる。(ウィキペデアより)





一人の男のシルエットは過去の自分なのだろう。表向きはセレブだが、それは身分を詐称して貴族のように振舞う道化師のようなものではないか。ファンダンゴを踊らせてみろ。たちどころに正体がバレてしまうのでは?

なぜなら、ファンダンゴとはフラメンコ、つまりジプシーの音楽なのだから。



ファンダンゴ(Fandango)はスペイン起源のダンス、またはそれとともに歌われる歌あるいは音楽。特にフラメンコで男女ペアで踊るダンスが有名。18世紀末にはスペインのみならず全ヨーロッパで知られ、バレエやオペラにも取り上げられた。クラシック音楽でも、モーツァルトの『フィガロの結婚』を始め、多数の作品に残る。(ウィキペディアより)



ここでフィガロとの関係が指摘される。オペラだからフィガロを引用したとする意見は多いが、それなら他のオペラでもいいわけで、フィガロでなければならない理由はちゃんとある。



フィガロの結婚は、フランスの劇作家ボーマルシェが1784年に書いた風刺的な戯曲、ならびに同戯曲をもとにヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが1786年に作曲したオペラ(Le Nozze di Figaro, K.492)である。

封建貴族に仕える家臣フィガロの結婚式をめぐる事件を通じて、貴族を痛烈に批判しており、たびたび上演禁止に遭った。ウィーンでは期待したほど人気を得られなかったものの、当時オーストリア領だったボヘミア(現在のチェコ)の首都プラハの歌劇場で大ヒットした。(ウィキペディアより)



そう、フィガロの結婚はボヘミアでヒットしているのだ。

全てはフレディの中に流れるボヘミアンの血につながっているのだ。

しかし、ボヘミアンだった過去の自分は葬り去ってしまった。

今後世間とどのように折り合いをつけて行くべきなのか。

Too late, my time has come. 

でも、もう遅い。最後の審判は来てしまう。



雷鳴が轟き少年は畏怖する。雷鳴は神の登場の合図である。だが、まだ少年は神が何者か気づいていない。

ここで2人の人物の名が告げられる。そう、研究者を悩ます最大の暗号!



 ガリレオ フィガロ



ガリレオ・ガリレイは言わずと知れた天文学者。フィガロは前述の「セビリアの理髪師」である。

共通点として反権力的な人物ということが挙げられる。

ガリレオ、フィガロの後にマニフィコと続く。偉大だとか、素晴らしいという意味。



確かにガリレオの功績を否定する者はいないだろう。有罪になってもなお「それでも地球は動いている」と信念を貫いた点でも、彼が偉大であることは間違いない。

では、フィガロの偉大さとは何だろう?

賢い人物ではあるが、ガリレオの賢さとはタイプが違う。

彼は世渡り上手だが、人の為ではなく自分の為に行動する。

しかし、伯爵の召使いに過ぎない男が、自分の為に行動した結果、主人である伯爵を成敗するというのは、当時の庶民には「許されない自由」だった。

「フィガロの結婚でもうフランス革命は動き出していた」とナポレオンが述べたように、フランス革命のシンボルとなったフィガロもまた偉大と言えるのだろう。

ただし、ガリレオは牢にぶち込まれ、フィガロはアンシャンレジームを打倒した。

何れにしても、自由のために権力に屈しなかったし、正しきことは歴史が証明してくれる。

さて、現実は1つ。どちらの人生を選ぶのか?少年とフレディは選択を迫られる。



ちなみに、ガリレオが三回連呼されているのは、ガリレイの父ヴィンチェンツォ・ガリレイと弟ミケランジェロ・ガリレイと合わせた3人のガリレオのことかもしれない。父と弟は高明な音楽家である。





第四幕:2つの原理



But I'm just a poor boy and nobody loves me
He's just a poor boy from a poor family
Spare him his life from this monstrosity
彼は貧しい生まれの哀れな男この怪奇な運命から命を救ってやろう
Easy come easy go - will you let me go
気ままな人生を送ってきたんだ 僕を逃がして



弁護団が少年を擁護し、少年も懇願する法廷のワンシーン。

だが、これはカミングアウトをすれば楽になる、助かるよということなのだ。



Bismillah! No - we will not let you go - let him go
「神に誓って お前を逃がしはしない」ー 彼を逃がしてやろう



ビスミラとはコーランからの引用。つまり神とはアラーのことだ。アラーは許さないと言っている。

それに対して行ってよし!ゴーサインを出そうとする声。ゴーサイン=カムアウトである。



Will not let you go - let me go (never)
「いや 逃がさない」ー僕を助けて
Never let you go - let me go
「いや絶対にダメだ」ー助けて
Never let me go - ooo
No, no, no, no, no, no, no -
ノーノーノーノーノーノー
Oh mama mia, mama mia, mama mia let me go
ママ ママ 愛するママ 僕を助けて

Beelzebub has a devil put aside for me for me
魔の王ベルゼブブが、僕に悪魔を差し向けるんだ、僕に・・・



法廷の最後の審判で登場するのは、サタンに次いで力を持つとされる魔王ベルゼブブである。

ハエの姿をした悪魔であるが、本来はバアル・ゼブル =「気高き主」あるいは「高き館の主」で、嵐と慈雨の神バアルの尊称の一つだった。そう、ファンダンゴの後の雷鳴はこの神の登場を知らせていたのだ。



パルミュラの神殿遺跡でも高名なこの神は、冬に恵みの雨を降らせる豊穣の神であった。一説によると、バアルの崇拝者は当時オリエント世界で広く行われていた、豊穣を祈る性的な儀式を行ったとも言われる。

しかし、イスラエル(カナン)の地に入植してきたヘブライ人たちは、こうしたペリシテ人の儀式を嫌ってバアル・ゼブルを邪教神とし、やがてこの異教の最高神を語呂の似たバアル・ゼブブすなわち「ハエの王」と呼んで蔑んだという。これが聖書に記されたために、この名で広く知られるようになった。

(ウィキペディアより)



バアルは「戦士」の姿をした嵐の神であることから、ゼウスやマルドゥック、スサノオなど、主神クラスの古代神は性質上バアルと何らかの関係がある。それらの神の象徴は「牡牛」で示される。

じつはボヘミア地方の名前の由来はケルト人のボイイ族の名前なのだが、boio-が「雌牛」または「戦士」を意味しているという。



偶然だろうか、ジプシー文化の根付くアンダルシア(スペイン)や、ジプシーキングスの出身地アルル(フランス)では、闘牛が名物なのである。



闘牛士(マタドール)の由来について

アルフォンソ10世の時代に、ピレネー山脈からラ・リオハ地方にかけて「マタトロス」と呼ばれる職業的な牛殺しが現れるようになった。屠畜を見世物とするマタトロスたちは社会の最下層と位置づけられていたが、やがて騎馬闘牛の助手として闘牛に欠かせない存在となり、闘牛が盛んになるにつれ社会的な地位も変化していった。(ウィキペディアより)

ジプシーも社会の最下層に位置するが、マタトロスとの関係は不明だ。しかし、屠畜文化は生贄の動物を屠る宗教的儀式に端を発していると考えられる。

ゾロアスター教と関係の深いミトラ教の密儀は牛供養だったし、地中海を牛耳ったフェニキア人が崇拝し生贄を捧げた神はバアルだった。



じつは、バアル崇拝は形を変えて現代に蘇っている。

メロイックサイン・・・ロックやヘヴィメタルのライブで見かけるあのポーズである。



もちろん牛の角=バアルを模してたジェスチャーである。(サタンは聖書で蛇や龍に例えられる)

悪魔のハンドサインと呼ばれるこのジェスチャー=コルナは古くから地中海に伝わる邪視返しの呪いであるが、1960年代後半から悪魔教会のアントン・ラヴェイがロックミュージシャンを通じてリバイバルさせた。



クイーンが登場した70年代初頭のロックシーンは悪魔崇拝にどっぷり浸かっており、ビートルズやローリングストーンズ、レッド・ツェッペリン、ブラックサバス等、多くのグループが暗黒面のパワーを支持していた。

フレディもまた、暗黒面に堕ちたミュージシャンの一人だったのだ!



これが証拠の映像である。













お分かりいただけただろうか…

フレディは唐突に牛の角のついたキャップを装着する。

暗黒面のフォースが、彼にそれを選ばせたのだ。



さらに、1988年に発表された、スペインの世界的オペラ歌手モンセラート・カバリエとのコラボレーションアルバムの中でフレディは再び神の名を歌い上げている。



「バアルセロナ」と・・・











冗談はさておき、フレディはゾロアスター教の洗礼を8才の頃に受けている。

ゾロアスター教の最高神はアフラ・マズダー。

アフラとはアスラのこと。アスラに属するヴァルナ神こそアフラ・マズダーの原型である。

このヴァルナが、バアル(牛魔王)とナーガ(龍蛇)の姿となり世界に広まって行った。

そう、少年に差し向けられたバアルゼルブとは、キリストでもイスラームでもない、フレディのよく知るアフラ・マズダーだったのだ。

フレディは暗黒面に堕ちたのではない。全く逆だ。

彼は崇めるべき神が何なのかはっきり理解していたのだ。

そうでなければ、マーキュリーを名乗らない。

彼の本名ファルーク・バルサラはインド・南グジャラートの町であるバルサードに由来する。

過去の自分を殺し「フレディ・マーキュリー」と改名した。

奇しくも、ミトラ教徒の位階で守護星座にマーキュリー(水星)を持つのはペルシア人とされる。





第五幕:2つの世界



ゾロアスター教は善悪二元論の特徴を持つ。

ハルマゲドンや最後の審判の元ネタはゾロアスター教だ。

ボヘミアン・ラプソディのオペラパートは2つの原理がぶつかり合うゾロアスター的な様相を呈している。

そこには、第3の選択=「カムアウトしない」にたどり着くまでの経緯が詳細に描かれていたのだ。

フレディは最終的に、聖書やコーランが説くこの世界以外にも居場所があったということに気づく。

ゾロアスター教は、飲酒や牛・豚・羊などの肉を食べることを禁じていないし、善なる神が創造したこの世界を楽しみなさいという、寛大でハッピーな宗教なのだ。

そうした神に見守られながら描く世界=音楽に窮屈さはない。自由なのだ。



So you think you can stone me and spit in my eye
それじゃ 僕に石をぶつけ顔につばを吐きかけようと思ってるんだな
So you think you can love me and leave me to die
僕を見殺しにしてそれでも僕を愛していると言うつもりか
Oh baby - can't do this to me baby
ああ 君がそんな仕打ちをするなんて
Just gotta get out - just gotta get right outta here
すぐに逃げ出さなくては、今すぐ ここから逃げ出さなくては


オペラからハードロックに変わり、開き直ったかのように怒りをぶちまける。

少年とフレディはシンクロしているが、少年とフレディのいる場所は互いに異なる原理の上に成り立っている世界である。

もしカミングアウトすれば、現実世界ではひどい目にあうだろう。ガリレオもそうだった。

だけどフィガロは架空の人物だ。少年と同じ音楽劇の主人公だ。

この際、お互い自由でいられるために、現実と幻の区別をつけよう。

そう、僕(少年)は幻の存在。最初に戻って、Is this the real life? Is this just fantasy?
これは現実なのか?それともただの幻か?って歌うのだ。

現実の僕(フレディ)は今すぐここから出て行ってくれ。

少年がカミングアウトしてくれるはずさ。フレディの僕は黙っていよう。

それでも苦しくなったら、いつでもボヘミアンとシンクロしてこの分岐点に立ち返り、何度でも僕自身を殺して復活するだけなのさ。

Nothing really matters - nothing really matters to me

だから、本当にどうでもいいんだ。僕にとってあいつは仮の姿なんだから。



フレディはゾロアスターの風葬で葬られた。

ボヘミアン・ラプソディの最後はこう締めくくられる。



Anyway the wind blows...
どっちみち 風は吹くのさ





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