カメラと思い出。第3章

2011年02月16日 00時00分00秒 | 昔話し編


【予約投稿】

昨日の更新とこの更新と、タイミングが
いつもと変わってしまって、ごめんなさい。


もう既に忘れたであろう頃に、続きです。

前置き。
*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆*:゜・:,。*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆

前々回及び、前回ほどの衝撃発言と暗い
話題はそんなに含んでないと思いますが、
やっぱり犬ネタから脱線してます。
すみません、今回かなりの長文です。

*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆*:゜・:,。*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆

























前々回、カメラと思い出。第1章 と、
前回、カメラと思い出。第2章 の続きです。



約1,000万近くの借金を抱えて
その後、どうなった?
勿論、自己破産。



















って、んな訳きゃない!!

どーしても、それだけはしたくなかった。

最終的には5年でキレイさっぱり
全額完済してやりました。

どんなもんだっ!!
女だからって、ナメんな。
って感じです。・・・フンッ。



と、衷心から言えればカッコイイの
だけど実際は違う。

言葉で言うのは簡単でも完済に
要した努力は、『並』じゃない。
流した涙の数もハンパじゃない。

完済までの5年間、ずっとこの生活を
続けてきた訳じゃないけど、朝の9時から
働いて、仕事かけもちして全ての仕事が
終わるのは深夜2時過ぎだったり。

通勤時間を考慮すれば、自由になる
一日の自分の時間は6時間にも満たない。



時間が深夜になればなるほどに
自然と目に涙が滲む。

自分の境遇が悲しくてじゃなく、
ただ純粋に、睡眠時間を削った分
体の痛みがハンパじゃなくて自然と
目から涙が零れ落ちる。

いくら若くたって、体力が持たない。



そんなドン底の状況の中で
出会ったのがHさんでした。

頭はいい。
紳士的な立ち居振る舞いや作法の
綺麗さから、育ちの良さだけは感じ取れる。

世田谷出身のお坊ちゃま。らしい。
・・・まぁ、んな事は知ったこっちゃないけど。

けど、いい意味でバカ。
救いようのないアフォな人です。



自分が借金を抱えてる事なんか
全く話すつもりはなかった。

実はかけもちで仕事してる事も
隠してました。

でも、
出会って間もなくの頃に、ある日
Hさんが発した「ダイジョブか?」の
ひとことに、あたしがなけなしの意地で
張っていた虚勢のガードが一瞬にして
崩壊した時がありました。

心が、いつ崩壊してもおかしくない
ようなギリギリの状況だったのかも
知れないけど・・・。

決壊寸前のダムみたいな。



この人に、自分が借金を
抱えてる事を打ち明けてしまった時
実は心底後悔した自分がいました。

でも、借金を抱えてる事を話したからと
言って、何ひとつ態度を変えなかった。

翌日からあたしを同情の眼差しで
見るわけでもなく。

接し方を変えてくるわけでもなく。
何も変わらない。


翌日、会社に行ったら、もうあたしの借金話しが
社内で広まっていて、職場の皆が冷やかな目で
あたしを見るんじゃないかと恐怖に怯えていたのに。

会社に行っても、誰もあたしの
秘密なんか知らなかった。それから先も、ずっと。



むしろ、この人は出会って間もない
まだよく知りもしない、あたしを救おうと
必死に考えてました。

「どーしたら金作れるの?」とか、

「俺はオマエに何してあげればいい?」とか、

「俺どーすればいいの?」とか

「消費者金融とか行って、金作って
 くればなんとかなる?」とか、

そんなしょーもない質問を
真剣に、あたしにぶつけてくるけど・・・。


それが、嘘っぱちのその場しのぎの
適当な慰めじゃなく、この人ちゃんと
考えてるんだって事だけは、バシバシ
伝わってきたけど、ぶっちゃけ・・・


「あんたバッカじゃないの」

「なんで本気で金作ろうとしてんだよ」

「どーしたらいいかとか、金作る方法なんて
 そんなのこっちが知りたいっつーんだよ」

って、あたしは
心の中でそう思ってました。

でもね、答えは簡単だよ。
何もしてくれなくていいんだよ。
そんなこと、望んでないんだよ。



でも、それだけじゃない。

あたしが入社した後すぐに、あたしの
経歴詐称に気がついたくせに、一度も
それを、あたしに問いただす事はなかった。

直接的にも、間接的にも。
ただの一言も。
何も言わず、ただ黙って見守ってました。

業務に支障をきたすような、
大嘘ぶっこいてやったのに。


あたしは、平気な顔してHさんを騙したのに。

なんで、何も言わずにいられるの。

自分を騙したあたしの為に、なんで
お金を工面しようとしてるの。

なんで、あたしを責めないの。



サッパリ意味が分からなかったけど
それでも、そんな優しさに沢山救われました。

誰かにお金を工面してもらおうとか
そんな気はサラサラなかったけど、
その気持ちだけでもう十分だったよ。



互いに年齢が近かったせいとか、
あたしの常識に欠けるフランクすぎる
接し方のせいで上司と部下と言うより
感覚的には、なんでも話せる友達。

っていう表現のほうが近いかな。

ふつーなら、部下がそんな接し方
してきたら、怒るだろうに・・・

この人は、
「オマエといる時、どっちが上だとか
 下だとか考えたことねーもん」
「俺が気にしてないんだから、別に
 いんじゃね?
」だって。


嘘ついて自分を騙した相手に向かって
笑顔で、「俺ら、仲間じゃん!!」って言う人です。

そんな純粋に真っすぐな思い
拒否れる訳ないじゃん。

もう誰も信じないって心に誓って
たのに、心底信じちゃうじゃん。

だからいつの間にか、自然と何でも
話せる友達のような関係になってました。



何の因果か、出会いから数年後に
Hさんもあたしと同じく付き合って
いた人に裏切られ借金背負うという
悲惨な運命になってたけど。ケタは全然違うけど。


でも、似たような運命を負ったからと言って、
心の傷を舐め合うような悲しさを共有する
仲間じゃなく、楽しい事や嬉しい事を分かち
合う仲間でした。


一番大きく共有した喜びは、たぶん2人とも同じ。

出会いからしばらくして、私達はある会社へ転職し
ゼロからひとつの支店を作りあげました。
業界最大手と言われた会社から、無名の設立
間もない会社への転職。


取引先もなければ、当然売上もない。

売上が確保できなければ、社員を
雇って給料を払う事もできない。

十分な人材だって揃ってない。

社員をあちこちに転勤させるのが日常茶飯事な
業種ですから、社宅の手配、引越の手配なんて
ものは常に発生する。でも、業者のパイプがない。

こっちの融通聞いてくれる業者を
探すのだって一筋縄じゃいかない。

何をとっても、どーしていいのかが
分からない。何もかもが未完成の白紙。



20代半ばを過ぎたばかりの2人。

会社の中で、最初っから一目置かれる
はずなんてありません。


その会社で働く40、50歳ぐらいの
オッサン連中から、チンピラ責任者(Hさんのこと)
いるとこだの、若僧だのと呼ばれました。

何かをしようと上に申請したって、
「力もない支店がほざくな」的な感じ。

その会社の中での、
功績&実績がないのですから、当然ですが
結果出すって言ってんだから、やらせろ!
の意見が通る訳もなく。


でも支店立ちあげから2年が経過しようと
する時には完全に軌道に乗ってました。

(私達2人除き)スタート時はゼロだった
社員数は、最大時で70名近くを誇り、
売上も収益も順調に右肩上がりに
伸びを見せ、全国の支店の中でも一目
置かれる支店へと急成長を遂げました。



私達と一緒に働いてくれた社員さん達は
私達より年上の社員さんが多かったな。

・・・にも関わらず、若輩者が
たくさんの社員さんから信頼を得られた事、
支店を軌道に乗せ成長させられた事、
一つの歴史を作るということができた事。


これは共に得たかけがえのない
財産であり、共有した大きな喜びです。
最初は若さ故、バカにされ悔し涙を
のんだ分、喜びは一入だったよね。


あたしは、借金を返済しながら一緒に
働いていたから、辛い気持ちもあったけど
そんなの忘れてしまうくらい楽しかったよ。

あたしを評価し必要としてくれた人がいた事、
そして、あたしを信頼して仕事を一任してくれた事は、
失っていた自信になり、もう一度強く前を
向く事への
何よりの糧となった事は言うまでもありません。



面と向かって励ましの言葉を言われたり
言ったりした事なんてなかったけど、互いの
存在に互いに励まされていたように思います。

時に上司と部下であり。
時に友達であり。
時に友達より大切な存在であり。

関係的にはひと言で枠にハマらない
相手だけど、今も大切な仲間です。


紆余曲折色々な事があったけど、
互いが互いを強く信じる気持ちが
あたしにとっての一番の財産。



面と向かうと、互いに憎まれ口ばっか
叩いちゃうし、気恥ずかしくて言えない
けど、ありがとう。



読んでる人からは、『長いっ!!』と、クレーム
きそうだけど予想を裏切って、まだ続きます。

途中経過の状態なので、コメ欄は閉じてます。



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なりましたこと、お詫び申し上げます。

          

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カメラと思い出。第2章

2011年02月06日 17時18分38秒 | 昔話し編

前回の続き。

前置き。
*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆*:゜・:,。*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆

前回に引き続き、犬ネタから脱線した
挙げ句、衝撃的な内容及び発言、
暗い話題をかなり含んでおります。

今日は、明るく楽しい犬ブログではありませんが、
それでも見たいって方は、先にお進み下さい。

できる限り丁寧な書き方を心がけたつもりではござい
ますが、不適切な表現及び不快を与える表現が多々
見受けられるかも知れません。
もし読んでいる方々に、不愉快な思いを与えてしまう
ようなことがございましたら、誠に申し訳ございません。

*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆*:゜・:,。*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆
























前回はこちら。今日は、その続き。


『普通の20代の女の子に戻りたい』

って、言葉にできない、こんな願いを
何度思った事か分かりません。

齢(よわい)若干24歳にして、
あたしが負うべきことになった
借金総額は約1,000万近く。


当初は、この大部分を銀行から
一括返済をするよう求められていました。

これを抱え込んだ時、あたしに安定した
職があったわけではありません。
アルバイトで食いつないでいたので、
貯金なんてありません。



18で生まれ故郷を離れて暮らして
きたあたしは、その借金のせいで
住む場所を失う可能性もあったし。

仕事を失ったばかりの時の事だったし。

頼れる人間なんて誰ひとりいなかったし。

自分の生活でいっぱい、いっぱいで
返済できる余裕なんてなかったし。



返済できるアテもなければ、返済
できる見込みすらない状況。

限界にも限界がある。
どう必死にあがこうが不可能を
可能に変えられるような状況じゃない。



もう駄目だと思いました。

よく、多額の借金を抱え込んだ人間に
対し、『なら臓器を売って金作れ』って
いう言葉を言う人がいるけど…。

もしも、これが簡単にできたなら、そんな方法が
その辺にゴロゴロ転がっていたとしたら
あたしは、おそらくやっていたかも知れない。
(臓器提供を切に願い、日々病気と闘っている
 皆様とそのご家族様には申し訳ありません。)



恥ずかしいけれど、責任を放棄して
逃げようと思いました。
言い方が悪いけど、当時はそれが
一番楽な方法だと思っていたから。

『あいつは負けたんだ。尻尾巻いて逃げたんだ。』
って、そう言われても構わないと思いました。

この世から逃げてしまえば、もし誰かに
そう言われ後ろ指さされたとしたって、
その声はこの世から逃げた人間には
届くはずもないのですから。



もし仮に、あたしがこの世から逃げた
場合、たぶん誰かがあたしが暮らして
きた部屋に入るんですよ。

遺品整理という形で…。

だから、自分の交友関係を示すもの、
書類関係、写真関係のほとんどの
荷物を処分していました。

いつ、いかなる時でも逃げたく
なったら逃げられるよう。
姿を消したくなったら消せるように。


見られたくないもの、生前の暮らしぶり
が分かるような物を全部処分したのは
誰かにそれを探られるのが嫌だったからです。



馬鹿げているかも知れないけれど
今思い返せば、どんなに辛い状況下でも
逃げ道を持っていることが、ささやかな
支えだったのかも知れません。


こんな話し、友達にすら簡単に相談できる
はずもなく言えたとしたって、皆、根掘り葉掘り
面白がって、ただの興味本位で聞いてくるだけ。

感じ取りたくなくても、そんな事を感じ取ってしまう。
それは、とても浅はかに見えて…。

だから、それ以来、人に自分の事を
詳しく話すのを止めました。



そもそも、あたしが多額の借金を
抱えた理由は、当時付き合って
いた人の連帯保証人だったから。

あたしに借金を負わせ、トンずら
ぶっこいたその人は、きっと今も
どこかで幸せに暮らしている。 と、思う。

債務者だった彼が音信不通となり
返済滞った時、お金を貸していた
銀行は大激怒。当たり前ですが。



連帯保証人だった、あたしは
何度も銀行に呼び出され。

一般の人とは違う、奥のほうの
来客用の個室に通され…、

担当者2名と、その銀行の支店責任者
みたいなオッサン3人ぐらいに囲まれ、

『なんで、こんな状況になってるんですか』
『なんで、(債務者)と連絡が取れないんですか』
『返済してもらえなければ困るんですよ』
『もう残額を一括で返済してもらうしかありません』


債務者がトンずらして姿を現さないわけですから
返済してもらえない事による銀行側の怒りは全て
保証人である、あたしに向きます。

でも、当時のあたしには返済能力が
なかったので、それをただただ黙って
右から左へ聞き流すしかできず。



人を見る目がなかった。
自業自得。
自分の未熟さ故の勉強代だと思え。
そう言われてしまえば、それまでです。

でも、苦しみと悲しみは2重3重です。
だから、そんな簡単な言葉で片付けら
れるのだけは、今も嫌です。

多額の借金返済に加え、信じていた人に
『裏切られた』という悲しみは、いつまでも
あたしの心の中に巣食うのですから。



もう生きていたくなんかない…
って、そんな事を思った時、選択肢は
2つしかありません。生きるか死ぬか。

死ぬという選択肢を選ばない場合、
生きていくしかありません。

あたしが、その選択肢を選ぶ場合、
返済分+日常生活を送っていける
だけの生活費を稼がなければなりません。



そんな状況の中、もしもの時のために
逃げ道を用意し経歴詐称してまで、
入社した会社で出会ったのが、前回
登場したカメラをプレゼントしてくれた
直属の上司でした。

Hさんとします。


もう出会った時は、確かに死んだ魚のような
目をしてると言われるほどに、ボロボロでした。



予想外に長く、そして重たくなったので
さらに続きます。

ホントはこんなに引っ張るつもりじゃなかったんだけど…。

途中経過の状態なので、コメ欄は閉じてます。
でも別にグシグシ泣いてる訳でも、しんみり
してる訳でもなく、至ってふつーに元気です\(^▽^)/



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カメラと思い出。第1章

2011年02月02日 15時52分27秒 | 昔話し編
本日は感傷に浸る編です。

犬ネタから脱線した挙げ句、かなり
衝撃発言と暗い話しを含みます。
それでも見たいって方は、お進み下さい。



お山のう~えで、ピョン♪

っと、犬が跳ねれば
その日はいい事がある\(^▽^)/
て、ホントか?



登ってるのは、こちらの
公園内の小山。

が、しかし。

ウチらが、登ろうとした時には
既に汚された跡があった(* ̄□ ̄*;
こういうのは、何となく悔しい。

横一直線に横断してるのは
おそらく獣さん。



そんなわけで、
無事に登頂したどーーーっ!!

小山だけど。

めっちゃ小さい小さい小山だけど。

頂上から下界を見下ろせば、
そこに広がるは、雪のキャンバス
荒らした跡。



もう何年前だったか忘れたけど。

「オマエ、もうすぐ誕生日だろ。
 何か欲しいもんある?」

「えっと~。カ、、、カメラ」

「はぁ?オマエ、写真なんか撮ん
 ねーだろ!!」

「あったら、撮るもん!!」

って、こんな会話をした夏の日の
事を今でも覚えている。



完璧に、欲しい物が浮かばなくて
適当に答えた感が否めないけど(^▽^;)

てか実はそうなんだけど。

案の上、あたしの誕生日に
プレゼントされたカメラは、ほとんど
使われる事なく数年に渡り、
冬眠する羽目になりました。

ごめんなさいm(_ _;)m

あなたの予想、当たってました。



「写真なんか撮んねーだろ!!」

って小バカにされた感が、ちょっと
悔しかったからムキになったけど。

ブログ始めるまでは、ほとんど
新品未使用に近い状態で
冬眠しちゃってました。

プレゼントしてくれたのは、当時
一緒に仕事をしていた直属の上司。

最初の出会いは、まだ互いに20代。



初対面のあたしから見た印象は、

「なんでこんな大学卒業したての
 ような若いやつが上司?」(←心の声)

しっかも、あたしは毎日「あたしに、
話しかけないで」オーラを放出してるのに
毎日くっだらないオヤジギャグ連発で。

若干20代にして、80名以上が在籍
する支店の責任者やってんだから、
実力はすごいって、後に知る事になる
とは、この時まだ知らず。



何の情報もなく何も知らず、面接を受け
入社したその会社は、当時、業界最大手と
呼ばれた一大企業。

グループ会社数は、数え切れない超マンモス企業。
でも、知らなかったんだもん、業界最大手だなんて!!


そんな会社に、経歴詐称して大嘘
ぶっこいて入社してんだから、自分が一番ビックリです。


まっ、若さ故の無謀ってことで!!(笑)\(^▽^)/
いいのか、それで?
通用すりゃ、ありっす。←やっぱダメ?

それに騙されるほうが悪いんだよ、
たかが20代の小娘の嘘に。←コラ!



けど、その若さ故の無謀が招いた
出会いは、その後のあたしの運命を
大きく変えたし、その出会いがなければ
今の自分がなかったかも知れません。

オーバーに言ってるわけではなく。

その人は、今でも、あたしとの出会いを
こう言います。

『死んだ魚のような目をしたやつだった』って。

てか、勝手に殺すなーっ!!凸(`⌒´メ)凸



でも、これ間違ってないんだよね。

今までも、これから先もずっと、きっと一生
その人に本当の事を言う事は絶対にないと
思うけど、あの時のあたしは、いつでも自ら
命を絶てるよう準備をしていたのだから。

漠然と、ふと脳裏にそんな小さな
思いが過った訳ではなく、いつでも
幕が下ろせるようにね…。

もちろん、今はそんな考えは全くない
けれど、当時は逃げたと思われても
構わないとすら思ってました。



もう自分の力では、どうしようもない渦中に
いたのだから…。

読んでしまった人には続きが気になるところ
でしょうが、長くなったので次回に続きます。




*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆*:゜・:,。*:..。o○☆゜・:,。*:..。
先日の犬服アンケートは、たくさんの方々に
ご回答頂き、ありがとーございました(^人^)感謝♪
集計して、ちゃんと載せますから、今しばしお待ち下さいね。
明日になるか明後日になるかは分からないけど。

もしかしたら、今回の記事の続きも、明日になるか明後日に
なるか分かりませんが、いっぱい、いっぱいな時もあるので
気長にお付き合い頂けたら幸いです。
*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆*:゜・:,。*:..。o○☆゜・:,。*:..。


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害したかも知れませんね。どーも、
すみまへんm(*- -*)m

          

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昔話し編 ~クソ野郎な子犬との出会い~

2010年09月27日 20時52分44秒 | 昔話し編

冒頭からお下品なタイトルで、すみませんm(・ω・m)ソーリィ

今日は、こいつとの出会いのお話しを
しましょう。


(現在の写真)

元々、犬を飼いたいと言ったのは私。
結婚して5ヶ月頃の出来事でした。

世話はどうするんだ!
共働きじゃ飼えないだろ!
どこで買うんだ!
とか、夫にウダウダ言われたけど((´‐公‐`))

そもそも結婚して新居を探した時に、将来
ペットを飼えるようにって、ペット飼育可能な
物件に住んでたのに、いざとなったらこうですからね。

困ったやつだ、まったくだ(o-´ω`-)ウムウム



犬が飼いたいというのは私の希望でした。
独身じゃ経済的にも世話をするにも
無理があるので飼えなかったけど
結婚したら飼えるかなぁと。

共働きの家庭じゃ、そこで飼われる
犬は可哀そうかも知れないけど(´-ω-`)う~ん


(生後4ヶ月頃の写真)

そうこうして、当時住んでいた本州の
とある市の保健所へ譲渡申請の書類を提出。


すると、書類を出した翌日か翌々日くらいに
保健所から即レスがあった。
保健所から、PCに1通のメールが届いた。

「生後2ヶ月くらいの、白黒の雑種の♂犬が
います。新しい飼い主さんを探してます。
面会されますか?」
との内容。


あまりの対応の早さに少々驚きつつも
取りあえず面会に行く事になった(。-`ω-)


(生後4ヶ月頃の写真)

当時の我が家は共働き。
お互い平日が仕事で土日が休みだった。

保健所の面会可能時間は、平日だったので
仕事が終わってから、夫と待ち合わせて
もう陽も完全に落ちた頃に保健所に面会に向かった。


当時、私が住んでいた市は財政が豊かな市だったから
保健所の建物も、かなり立派でキレイでした。
今、住んでいる場所に越してきた時に保健所を見て
その差にびっくらこいたほどです((。-Д-)φ


(生後4ヶ月頃の写真)

保健所の3階だと案内されて向かったのに、
3階に到着したら、また別の場所へ案内された。
着いてきて下さいと言われて、保健所の建物内をグルグル回る羽目に。


グルグル回ってる間に保健所職員さんから聞いた話し。
「今年は保護される犬が少ないんです。だから
今、譲渡希望者が順番待ちしてるんです。」


なぬっ?Σ(`‐ェ‐´)


「今回、面会して頂く犬は保健所や市のHPにはUPしてません。
待ってる方々はいらっしゃいますが、先にお見せします」
と。


WHY?
順番待ってる人がいるのに、なぜうちら優先?
特別扱いは嫌いじゃないけど…。
って言うか、実は結構好きだけど(笑)


理由は聞かなかったけれど、それは多分私達が
あれやこれやと希望を出さなかったからではないかと
勝手に思っている((((( ̄_ ̄;)


(生後4ヶ月頃の写真)

グルグル回って辿りついた先は、保健所の裏口。

保健所の裏口にあったのは、立派でキレイな
保健所の建物とは
間逆の掘っ建て小屋のような、
工事現場にでもありそうな、小さなプレハブっぽい建物。

倉庫とか、ゴミ置き場って感じのイメージ[電柱]д ̄) チラッ


私達を案内した保健所の職員さんが、どうぞと扉を
開けて、私達に先に中に入るように勧めた。
レデーファーストだ!!


(生後4ヶ月頃の写真)

プレハブ内に入ったら、私達の背後から、
その保健所職員さんの嘆きの声が聞こえた∑(・∀・;ノ)ノ


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーー!!!」ってね(-`ω´-lll)


でも、すぐに私達はその嘆きの意味が分かりました。
小屋内は、プ~ンと何やら臭い。
ドヨォォ─(lll-ω-)─ォォン…,,


(生後4ヶ月頃の写真)

プレハブ内は、小さな鉄製のケージがいくつも
積み上げられていた。

その内の一つのケージに入れられていたクーは、
ケージ内で、ウ○コをしてしまい、最悪な事に
そのウ○コを踏ん付けて、毛にはウ○コのアクセサリーを
身にまとっていたんです,(|||´Д`)ゞァィャァ~,,


かわいく潤んだ瞳で、出迎えてくれると想像してた
のに現実、全然違うやないかーいΣ( ̄ロ ̄lll)



よりにもよって、新しい飼い主が決まるかどうかの
面会という、犬生の中でとてつもなく大切なその日に…。
そうこいつは、最初っからクソ野郎だったんです(笑)



で、クゥーン、クゥーン鼻を鳴らして鳴きっぱなしでした。


(生後4ヶ月頃の写真)

保健所職員さんのあの嘆きの声に込められた思いは

「よりにもよってなんでこんな大事に日にウ○コ踏んでんだよ!!」
に違いない,((笑;))--(p´∀`;l|i)---→,,


そんな汚物のアクセサリーを身にまとった、クーの目の前で
保健所職員さんは私達に聞きました。
「どうされますか?」って。


一瞬、夫と目があったけど、貰いますって即答でしたよ(`・ω・´)
汚物のアクセサリーは洗えばいいから、あんまり気にならなかったよ。
ホントですよ。でも臭い犬だったな(笑)


(生後6ヶ月頃の写真)

正式に譲渡が決定したところで、翌日クーを引き取りに
行ったら、保健所の職員さんが思いっきりこう言った。

シャンプーして、虫下しの薬飲ませてありますから!!」って。


そら、そうだ(-"-)
臭いまま来られても、正直困る。


(生後6ヶ月頃の写真)

虫下しの薬飲んでるので、お尻から
虫が出てくるかも知れません。

もしそういう虫が出たら、外飼いか
野良だった可能性が高いです。

虫が出なければ、室内飼いされていた
可能性が高いですとも言われたけど
出なかったんだよね~、虫,(;;;-д-Å


やっぱアホすぎて、貰い手つかなくて捨てられたのか?


(現在の写真)

保健所にたくさんいるワンちゃんの中から、
クーちゃんを選んだんでしょう?と聞かれた事が
ありますが、ちょっと違うんですね~。


ケージはたくさんあっても、収容されていたのはクー1匹のみでした。
だから、クソ野郎もなにも…ねぇ,(●´∀`;汗)ゞ,, 

だからと言って妥協した訳ではなく、窓がひとつもなく
光が一切入らない昼間でも真っ暗であろう
掘っ建て小屋
プレハブの中の小さなケージで汚物アクセを身にまとうと
いうあまり好ましくない環境の中で、クゥーン、クゥーン
鼻を鳴らすクーの飼い主になってあげたいと思ったんです。


そうこうして、この立派なクソ野郎は、
我が家のワンコとなりましたとさ。ゥソダロ…(;´∀`)σ
ホントだってば!!


生後4ヶ月~生後6ヶ月の間に変化した
クーの耳に気づいた貴方の着眼点は
素晴らしい♪( ̄∇ ̄ノノ"パチパチパチ!!




★おまけ★
わんわんシャーベットという商品名で
売られているアイスを目の前に目を光らせていた子犬時代。
おそらく生後6ヶ月頃。




最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
" ゜☆,。・:*:・゜★o(´▽`*)/♪Thanks♪\(*´▽`)o゜★,。・:*:・☆゜"
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   ↓    ↓

 


昔話し編 ~自己紹介 その1~

2010年09月02日 14時18分50秒 | 昔話し編

だらだらと、本日二度目の更新なり。



マウスも直った事ですし(新しいの買ったけどww)
突然ですが、ちょっと昔を振り返ってみたいと思います。

文字の羅列で綴りますが、それだけでは
つまらない(?)と思うので、間にクーの
お昼寝の写真を入れながら、書きます。

記事の内容と、写真は全くリンクしておりませんが
細かい事はお気になさらずにお願いしますヾ(´ε`;)ゝ


興味のない方は、スルーしてくださいましぃ。
意味が分かる人は、懐かしみながら読んで頂けたら幸いです。



////////////////////////////////////////////////////////////////////

*小学校時代*
何が始まるの~!? って聞こえてきそうですが、
まぁ、ちょっとゆっくり時代を遡りましょう~♪

光GENJIの全盛期時代。
ローラースケートをはいた、7人組の男性
アイドルグループが大流行。
歴史上、ローラースケートをはいて歌って
踊るアイドルグループなんて珍しい気がします。
ちなみに、今でも唄えます♪

「言わないで、言わないで、サヨナラは
間違いだよ。何も分からない同士、こんな日もあるよ~

壊れそうなものばかり集めてしまうよ~
輝きはガラスじゃない、ガラスの十代」
 ってね。



あと、その他にあった出来事は…

DAIGOさんのおじいさんであった、第74代
内閣総理大臣 竹下登さんによって、3%の
消費税が導入された時代。
昭和天皇が崩御し、時代が昭和から平成へ。
ベルリンの壁崩壊、西ドイツと東ドイツの統一、
ソビエト連邦崩壊、美空ひばりさん死去などがありました。

でも一番は、これでしょうか!?
全盛期を迎えていたバブル時代が、私が小学校を
卒業する頃には、徐々に崩壊へ向かっていたあの頃。

ジュリアナ東京が、大流行だった時代です。
ボディコン着て、お立ち台の上で扇子を振りかざし
踊っていた人には懐かしいでしょ? (; ̄ー ̄)
当時、小学生だった私の脳裏にも強烈な
インパクトを残しております。



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*中学校時代*
SLAM DUNKがアニメで放送されて、
WANDSが流行っていた。
(↑ 少なくとも私の中では!!
 ちなみに、SLAM DUNKのキャラの中では
 流川 楓が好きだった(o^-^o) ウフッ)

また、CROSS ROAD、innocent worldの曲のヒットで、
Mr.Childrenに火がつきはじめたのもこの頃。

野島伸司さん脚本のドラマ
「人間・失格~たとえばぼくが死んだら」が
物議を醸した時代。
Kinki Kidsが出始めた頃でした。



その他には、ロック歌手の尾崎豊さん死去、
バルセロナオリンピック開催、Jリーグ開幕、
松本サリン事件、阪神・淡路大震災、F1
レーサーのアイルトン・セナさんが死去した時代。

ちなみに、私は亡くなるまで尾崎豊さんを知らなかった。
亡くなった騒ぎで初めて、尾崎豊という人物を知る事になった。
尾崎豊さんのファンだった人からすれば、信じられないかも
知れませんが、私がこれを自分と同い年の人に言うと
こういう人結構いるんです。



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*高校時代*
Body Feels EXIT,Chase the Chanceの
曲のヒットで、徐々に安室奈美恵さんのブームに
火がつき始めていた時代。
のちに、CAN YOU CELEBRATEで大ヒット。

安室奈美恵さんのファッションを真似する
アムラーが大量出現していた頃。
(ミニスカ+厚底ロングブーツ+細眉+
 茶髪のストレートロングヘアのファッション)

チョベリバ、チョベリグなどの言葉も流行。
若い人は意味分からないかな~!?
チョベリグ→超ベリー・グッドの略(意味:最高)
チョベリバ→超ベリー・バッドの略(意味:最悪)
今では死語です。


小林武史さんプロデュースのMy Little Loverや
小室哲哉さんファミリー(globe、華原朋美さん等)も大流行した時代。

ポケベル全盛期だった時代。
高3の終わり頃になって、PHSが出現し始めた。


その他には、地下鉄サリン事件、たまごっち、
ダイアナ元皇太子妃死去、X JAPAN解散、
失楽園ブームがあった。



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長々と文字の羅列で書きましたが、ここまで
読んでくださって、ありがとうございます(人-)謝謝

上に列記した事は、私が小学生、中学生、高校生だった
頃に起こった出来事です。懐かしくないですか?

さぁ、何が思い浮かんだでしょうか?
私の年代も、推測されてしまいましたかね?




ハッキリ書いていない、私の年齢などは
皆さまの推測でお願いしますね(‐_‐)σ
コメ欄に、答えを書いたりするのはご法度ですよー。
誰も書かねーよって? 笑



私は、本州生まれの本州育ち。
出身地は、全国的にも桜の有名なところかな。
都会に比べれば劣りますが、まぁそれなりに
いいところでしたよ。

もとから、この北の大地にいた訳ではないんです。
今年の4月に本州から、この北の大地へ移住したのです。
本州を離れて暮らしたのは初めて。
全くもって、こっちの暮らしには慣れませぬ(;-_-) =3 フゥ




長くなるので、続きは次回に。
次回は、もう少し自分自身に近い事を
書いてみようかな~!?

でも、次回作の発表は未定なり。
だって、私、気まぐれだから!!
また気長に遊びに来て下さったら幸いです。
それでは~(* ̄▽ ̄)ノ~~ マタネー♪


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ジュリアナ東京時代の羽根扇、ジュリ扇って、まだ大事に保管してる
人いるのかな~( ̄ー ̄?).....??
一回、バブル時代を大人の年齢で体験してみたかったよ。
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