七つの美徳
金銭を愛することは、すべての悪の根源です。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおしています。(第一テモテへの手紙第6章10節)
人間の属性・欲は、「お金・銭が沢山あるから、もう要らない」ではなく、現状の豊かさに満足出きなく、もっと欲しくなることなのです。これが、七つの大罪の1つである、強欲でしょう。
金銭を愛することは、お金・銭に執着することであり、神の存在よりもお金・銭の存在を大事にすることなのです。そしてお金・銭を愛した人達は、ソドムとゴモラの町のように消滅していくのです。
お金・銭によって人生の幸せを得ることが出来ると言うのは、ただの妄想にしか過ぎなく、幸福以外のあらゆるもの(物質的)を供給することのできる、万能の供給者なのです。また、お金・銭は、天国以外のどこにでも持って行くことのできるパスポートなのです。
金銭自体は良くも悪くもありません。金銭への欲望が悪いのです。そして使う人の心によって使い方が大きく変わっていくのです。欲望のために、大金持ちになって、かえって不幸を招いたり、人生の悲惨な結末を迎えたという人々も多いのです。
例えば、前記で紹介した史上最高の金融詐欺バーナード・メイドフは、金持ちから多額の金額を集め、彼自身2億4000万ドルを稼ぎました。しかし懲役150年の罪、更に彼の息子は首吊り自殺をして、家族まで崩壊させています。この例は、「お金を追い求めたために、非常な苦痛をもって自分を刺し通した」ことと思います。私達も気を付けなければなりませんね。
サイコパス(反社会性人格障害者)という精神病の言葉があります。これは、良心や善意を持っていない人のことです。普通、どんな悪人でも少しの良心を持っているはずなのですが、サイコパスは、自分に無関係の世界に存在する私達に、一切同情も共感もなく、退屈しのぎのために人を騙したり、傷つけたりするのです。まったく良心がない人達なのです。また、このような人達は、お金・銭に対して一切罪悪感を持たないのです。
悪人とは、一般的に反社会的な行動、即ち人に害となる行動を繰り返す人達で、お金・銭で人を殺す殺し屋、賄賂を受け取ることを目的に権力を拡大する政治家や宗教家などです。そしてサイコパスは、何かの動機があれば、ためらうことなく他人の弱みに付け込むのです。
また、私達の潜在意識には、悪人でも心のどこかに良心を持っていると信じているのですが、サイコパスは、人をだましても、罪悪とは一切感じず、潜在意識にも罪悪感の記憶は一切無いのです。そしてサイコパスは自尊心が高く、貶されることが大嫌いで、嫉妬心は異常なのです。
「お金、お金、お金」を常に追いかけていると、サイコパスのように罪悪感がまったく無くなり、自然に正当化してしまうのです。
科学は人間にとって素晴らしい力をもたらしてくれますが、その利用の仕方によっては、逆に害をもたらすでしょう。その良い例が、原子爆弾でしょう。そして私達の頭の中に存在する潜在意識は、このような力を持っているのです。
地上に属する全てのものは、必ず消えて無くなるものです。ですので、私達は、それらの物質に頼るのではなく、永遠に続くものを頼るのです。それは、神の愛に従い、天国に宝を蓄え、真の平安と幸福を得る事を求めることです。それが出来なければ、本当のお金・富を得ることは出来ないのです。
お金・銭が儲かるのであれば、何をしても良いという方もいらっしゃいますが、その考えは、サイコパスになる第一歩なのです。だから、お金・銭を愛すると、目がくらみ、全てを失うことになるのです。ただしサイコパスはDNAの一部が生まれつき損失しているため、助けようが無い場合がほとんどです。
またソシオパス(社会病質者)という精神病があります。ソシオパスは、親の育て方、環境などによる後天的な精神病です。そしてサイコパスと同様な行動をします。
サイコパスやソシオパスから攻撃を受けやすい人達(特にお金・銭の話にだまされる人達)の性格をリストしますので、これらに当てはまる人達は、サタンが待ち受けていますので、要注意してください。
1)自分に自信がない人
2)自分の意見を人の前ではっきり言えない人
3)罪悪感を感じやすい人
4)自分を犠牲にしても、相手の願望を優先してしまう人
5)常に恐怖感を持ている人
ここでキリスト教の「七つの大罪」について紹介します。なぜならば、罪の内容を知ることで、黄金律の「自分を愛する」ということがもっと理解できると思います。
人間は生まれたときから「神」から「罪」を知らされたのです。それはアダムとエバが神の言葉に従わなかったことから始まっています。そして人間を罪に導いたサタンが常に私達に攻撃をかけて来るのです。
「神を無視」して自分勝手に生きている人間は、さまざまな「罪」を犯すようになるのです。
七つの罪源のリストは、人間の生活の中で、毎日繰り返されているものです。すでにお気つかれしている読者の皆様は沢山いると思いますし、これらの罪を隠しても、神の前では、罪人となるのもご承知だと思います。それを知ることが道徳上の知識なのです。
人間は、罪を犯せば、後で必ずその結果を刈り取ることになります。その結果は、バイブルには、死なのです。ですのでサタンの誘惑に誘われないように要注意してください。
話は変わって、イエス・キリストを裏切ったユダの話をしましょう。(マタイの福音書22、マルコの福音書14章、ヨハネの福音書12章、使徒言行録1章)
イエス・キリストはダビデ王の血を引くユダヤ人でした。そして33年の人生の内に父のヨセフから受け継いだ大工仕事と伝道をしていました。その間に12人の弟子即ち使途が出来たのです。その12番目の弟子であるイスカリオテのユダは、イエス・キリストが蓄えた資金と、弟子を養うための献金などを管理する会計係を務めていました。
しかし、イスカリオテのユダはイエス・キリストを裏切ったのです。
イスカリオテのユダは、献金などの貯蓄からいつも盗んでいたのです。そして、その恐怖心、疑心、嫉妬などによって、お金・銭を目当てのため、当時の奴隷1人分の価値であった銀貨30枚で、ユダヤの大祭司長達に、イエス・キリストを引き渡すことを約束してしまったのです。
そのころ、ユダヤ選民思想を持つユダヤ人達は、パリサイ派、サドカイ派、ヘロデ派、エッセネ派の3宗の宗教を信じていました。しかし、その中のパリサイ派の戒律の不徹底と、偽善ぶりが目に余るものだったために、イエス・キリストは、ユダヤ教が提唱する神、即ち人を裁く神である事に対し、神は全ての者に無差別で平等の愛を与える神だと批判したのです。
これに対し大祭司長、律法学者、長老達は、神を冒涜、宗教的権威に逆らうとして、イエス・キリストを十字架に架けようと、ユダヤ市民に訴えたのです。
そして、イエス・キリストは、イスカリオテのユダの裏切りのために捕まり、総督ピラトのまえで裁判され、鞭をうたれ、十字架を背負わされて、苦痛の道行き(ヴィア・ドロローサ)をして、ゴルゴタの丘で十字架に架けられたのです。
このときの苦痛の道行きをキリスト教信者に知らすために、裁判(出発点)から始まって死刑(終着点)に至るまでに、14箇所に留が儲けられています。カトリックの教会には、この14箇所のシーンが壁に掲げられています。
イエス・キリストが最高法院に連れられ判決が決まったことを知り、イスカリオテのユダは後悔します。そして、ユダは銀貨30枚を祭司長達や長老達に返しに、最高法院に行って、「私は罪を犯 した。罪のない人の血を売ったりして」と祭司長達に言ったのですが、彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」とつき返されてしまうのです。
そこで、イスカリオテのユダは、銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、非常な苦痛をもって首吊り自殺をするのです。
このイスカリオテのユダは、バイブルでは非常に重要な部分を努めている人物なのです。それは、イエス・キリストを十字架に架けることで、キリスト教の信仰が始まったのです。神が使わした者なのです。
このように神の計画は、すごいものがありますでしょう。そして私達は、神が創造された最高の作品なのです。たびたび書いておりますが、このことを決して忘れないで下さい。
本当のお金・富を築き上げたい読者の皆様、現在、幸福で心が満足りているのであれば、すでに富を得ているのことなのです。私達は、1円たりとも身につけてこの世に生まれたわけではありません。また、この世を去る時にも、1円たりとも持って行くことは出来ません。
しかしお金・富を築きたい人達、特に金持ちになりたがる人達は、儲け話には見境がなく、すぐ罪悪に走ってしまいます。その結果、ひどい目に会い、心を汚し、ついには、地獄へ送り込まれることにな ります。イスカリオテのユダのようにならないように気をつけてください。
サタンの誘惑に誘われ、お金・銭を追いかけてしまい、心の眼までつぶされ、本当のお金・富を得ることが出来なくなってしまわないように、神の贈物である盾、鎧、兜で防御してください。決してお金・銭を愛してはいけません。そして神に感謝、感謝、感謝することです。
人間の属性・欲は、「お金・銭が沢山あるから、もう要らない」ではなく、現状の豊かさに満足出きなく、もっと欲しくなることなのです。これが、七つの大罪の1つである、強欲でしょう。
金銭を愛することは、お金・銭に執着することであり、神の存在よりもお金・銭の存在を大事にすることなのです。そしてお金・銭を愛した人達は、ソドムとゴモラの町のように消滅していくのです。
お金・銭によって人生の幸せを得ることが出来ると言うのは、ただの妄想にしか過ぎなく、幸福以外のあらゆるもの(物質的)を供給することのできる、万能の供給者なのです。また、お金・銭は、天国以外のどこにでも持って行くことのできるパスポートなのです。
金銭自体は良くも悪くもありません。金銭への欲望が悪いのです。そして使う人の心によって使い方が大きく変わっていくのです。欲望のために、大金持ちになって、かえって不幸を招いたり、人生の悲惨な結末を迎えたという人々も多いのです。
例えば、前記で紹介した史上最高の金融詐欺バーナード・メイドフは、金持ちから多額の金額を集め、彼自身2億4000万ドルを稼ぎました。しかし懲役150年の罪、更に彼の息子は首吊り自殺をして、家族まで崩壊させています。この例は、「お金を追い求めたために、非常な苦痛をもって自分を刺し通した」ことと思います。私達も気を付けなければなりませんね。
サイコパス(反社会性人格障害者)という精神病の言葉があります。これは、良心や善意を持っていない人のことです。普通、どんな悪人でも少しの良心を持っているはずなのですが、サイコパスは、自分に無関係の世界に存在する私達に、一切同情も共感もなく、退屈しのぎのために人を騙したり、傷つけたりするのです。まったく良心がない人達なのです。また、このような人達は、お金・銭に対して一切罪悪感を持たないのです。
悪人とは、一般的に反社会的な行動、即ち人に害となる行動を繰り返す人達で、お金・銭で人を殺す殺し屋、賄賂を受け取ることを目的に権力を拡大する政治家や宗教家などです。そしてサイコパスは、何かの動機があれば、ためらうことなく他人の弱みに付け込むのです。
また、私達の潜在意識には、悪人でも心のどこかに良心を持っていると信じているのですが、サイコパスは、人をだましても、罪悪とは一切感じず、潜在意識にも罪悪感の記憶は一切無いのです。そしてサイコパスは自尊心が高く、貶されることが大嫌いで、嫉妬心は異常なのです。
「お金、お金、お金」を常に追いかけていると、サイコパスのように罪悪感がまったく無くなり、自然に正当化してしまうのです。
科学は人間にとって素晴らしい力をもたらしてくれますが、その利用の仕方によっては、逆に害をもたらすでしょう。その良い例が、原子爆弾でしょう。そして私達の頭の中に存在する潜在意識は、このような力を持っているのです。
地上に属する全てのものは、必ず消えて無くなるものです。ですので、私達は、それらの物質に頼るのではなく、永遠に続くものを頼るのです。それは、神の愛に従い、天国に宝を蓄え、真の平安と幸福を得る事を求めることです。それが出来なければ、本当のお金・富を得ることは出来ないのです。
お金・銭が儲かるのであれば、何をしても良いという方もいらっしゃいますが、その考えは、サイコパスになる第一歩なのです。だから、お金・銭を愛すると、目がくらみ、全てを失うことになるのです。ただしサイコパスはDNAの一部が生まれつき損失しているため、助けようが無い場合がほとんどです。
またソシオパス(社会病質者)という精神病があります。ソシオパスは、親の育て方、環境などによる後天的な精神病です。そしてサイコパスと同様な行動をします。
サイコパスやソシオパスから攻撃を受けやすい人達(特にお金・銭の話にだまされる人達)の性格をリストしますので、これらに当てはまる人達は、サタンが待ち受けていますので、要注意してください。
1)自分に自信がない人
2)自分の意見を人の前ではっきり言えない人
3)罪悪感を感じやすい人
4)自分を犠牲にしても、相手の願望を優先してしまう人
5)常に恐怖感を持ている人
ここでキリスト教の「七つの大罪」について紹介します。なぜならば、罪の内容を知ることで、黄金律の「自分を愛する」ということがもっと理解できると思います。
人間は生まれたときから「神」から「罪」を知らされたのです。それはアダムとエバが神の言葉に従わなかったことから始まっています。そして人間を罪に導いたサタンが常に私達に攻撃をかけて来るのです。
「神を無視」して自分勝手に生きている人間は、さまざまな「罪」を犯すようになるのです。
七つの罪源のリストは、人間の生活の中で、毎日繰り返されているものです。すでにお気つかれしている読者の皆様は沢山いると思いますし、これらの罪を隠しても、神の前では、罪人となるのもご承知だと思います。それを知ることが道徳上の知識なのです。
人間は、罪を犯せば、後で必ずその結果を刈り取ることになります。その結果は、バイブルには、死なのです。ですのでサタンの誘惑に誘われないように要注意してください。
話は変わって、イエス・キリストを裏切ったユダの話をしましょう。(マタイの福音書22、マルコの福音書14章、ヨハネの福音書12章、使徒言行録1章)
イエス・キリストはダビデ王の血を引くユダヤ人でした。そして33年の人生の内に父のヨセフから受け継いだ大工仕事と伝道をしていました。その間に12人の弟子即ち使途が出来たのです。その12番目の弟子であるイスカリオテのユダは、イエス・キリストが蓄えた資金と、弟子を養うための献金などを管理する会計係を務めていました。
しかし、イスカリオテのユダはイエス・キリストを裏切ったのです。
イスカリオテのユダは、献金などの貯蓄からいつも盗んでいたのです。そして、その恐怖心、疑心、嫉妬などによって、お金・銭を目当てのため、当時の奴隷1人分の価値であった銀貨30枚で、ユダヤの大祭司長達に、イエス・キリストを引き渡すことを約束してしまったのです。
そのころ、ユダヤ選民思想を持つユダヤ人達は、パリサイ派、サドカイ派、ヘロデ派、エッセネ派の3宗の宗教を信じていました。しかし、その中のパリサイ派の戒律の不徹底と、偽善ぶりが目に余るものだったために、イエス・キリストは、ユダヤ教が提唱する神、即ち人を裁く神である事に対し、神は全ての者に無差別で平等の愛を与える神だと批判したのです。
これに対し大祭司長、律法学者、長老達は、神を冒涜、宗教的権威に逆らうとして、イエス・キリストを十字架に架けようと、ユダヤ市民に訴えたのです。
そして、イエス・キリストは、イスカリオテのユダの裏切りのために捕まり、総督ピラトのまえで裁判され、鞭をうたれ、十字架を背負わされて、苦痛の道行き(ヴィア・ドロローサ)をして、ゴルゴタの丘で十字架に架けられたのです。
このときの苦痛の道行きをキリスト教信者に知らすために、裁判(出発点)から始まって死刑(終着点)に至るまでに、14箇所に留が儲けられています。カトリックの教会には、この14箇所のシーンが壁に掲げられています。
イエス・キリストが最高法院に連れられ判決が決まったことを知り、イスカリオテのユダは後悔します。そして、ユダは銀貨30枚を祭司長達や長老達に返しに、最高法院に行って、「私は罪を犯 した。罪のない人の血を売ったりして」と祭司長達に言ったのですが、彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」とつき返されてしまうのです。
そこで、イスカリオテのユダは、銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、非常な苦痛をもって首吊り自殺をするのです。
このイスカリオテのユダは、バイブルでは非常に重要な部分を努めている人物なのです。それは、イエス・キリストを十字架に架けることで、キリスト教の信仰が始まったのです。神が使わした者なのです。
このように神の計画は、すごいものがありますでしょう。そして私達は、神が創造された最高の作品なのです。たびたび書いておりますが、このことを決して忘れないで下さい。
本当のお金・富を築き上げたい読者の皆様、現在、幸福で心が満足りているのであれば、すでに富を得ているのことなのです。私達は、1円たりとも身につけてこの世に生まれたわけではありません。また、この世を去る時にも、1円たりとも持って行くことは出来ません。
しかしお金・富を築きたい人達、特に金持ちになりたがる人達は、儲け話には見境がなく、すぐ罪悪に走ってしまいます。その結果、ひどい目に会い、心を汚し、ついには、地獄へ送り込まれることにな ります。イスカリオテのユダのようにならないように気をつけてください。
サタンの誘惑に誘われ、お金・銭を追いかけてしまい、心の眼までつぶされ、本当のお金・富を得ることが出来なくなってしまわないように、神の贈物である盾、鎧、兜で防御してください。決してお金・銭を愛してはいけません。そして神に感謝、感謝、感謝することです。
金持ちが貧乏な者を支配します。そして借りる者は貸す者の奴隷となります。(箴言第22章7節)
富豪家が貧乏人を支配することは歴史上当たり前のことでした。金持が権力を持ちで、貧乏人は奴隷という上下関係の構造となっています。今でも、ファーストクラスとエコノミークラスの格差はありますね。昔の世の中では、もし借金・債務を返せない場合には、妻や子供を売って返せと迫られたり、自分自身を奴隷に売って返せと迫られたりしたのです。貧しい国にはこの制度はまだ残っています。
当然、金を借りたら返さなくてはなりません。そして、お金の貸し借りによって、その人間関係は主人と奴隷の関係になってしまうのです。ですので借金・債務は返済が可能の範囲ですることと、なるべく早く返済することです。借金地獄から生えあがるには大きな犠牲が出るかもしれませんが、「目的・目標」を持って1つ1つ片付けていくことが、必要でしょう。
確かに、現在の世の中は、貧乏人でもアイデアや努力次第で出世、そして大企業家ともなりえる可能性があるのです。このことは後記の洋画「ジャイアンツ」の物語を読んでいただければ、理解できると思います。
お金・富を得ることで、全てが自由になるということが、色々な本で紹介されていますが、本当にその自由が、「お金・富」が出来たからといって、本当の自由を勝ち取ることができるのでしょうか。
バイブルには、奴隷と言う言葉が出てきます。そして当時のその奴隷にも、休日が与えられていたのです。それは、ユダヤ教の律法の安息日を、守っていたことなのです。
奴隷制社会であった古代の共和制ローマでは、征服地の住民(ユダヤ人、ギリシア人など)は、多くが奴隷として使役され、大規模な農園や鉱山で働く奴隷の待遇は、特に酷いものだったのです。
ローマでは、哲学や詩、歴史学などに熟達した多くのギリシア人奴隷が家庭教師として、他にも医術や算術をがある奴隷が医術師や会計役として高額で売買されていました。そして、一定の資産を蓄え、息子のいる奴隷に対して、子の代には自動的にローマ市民権が与えられていたのです。
でも奴隷は、主人の財産ですから、その主人から合法的に離れて、自由の身になるには、他人に買取ってもらうか、財産を貯めて自分を買取り、自由になることしかなかったのです。これが、債務の返済をする義務だったのです。
さて、私の小さいときに見た映画の紹介をします。
大きなスクリーンを備え付けた小学校の校庭で映画を母と一緒に鑑賞したことを覚えていますが、これが切っ掛けとなって、色々な映画と出会いました。その中には、ロック・ハドソン、ジェームス・ディーン、そしてエリザベス・テーラー出演の「ジャイアンツ」というテキサスを舞台にした石油発掘に関する映画があったのです。
テキサスに59万エーカーもの広大な土地を持つ牧場主ジョーダン(ビッグ)・ベネディクト2世(ロック・ハドソン)が、東部の名門の娘レズリー(エリザベス・テイラー) を妻に迎えるます。初めてテキサスを訪れた彼女はその途方もない広さに驚き、東部とはあまりにも異なる人間の気質と生活習慣に戸惑います。夫の姉ラズ(マーセデ ス・マッケンブリッジ)の冷たい視線にも苦しめられ、一時は夫婦の間の絆にも危機が訪れますが、レズリーは持ち前の粘り強い性格でそれを乗り越えていきます。
このレズリーに心を寄せるのがひねくれ者の若い牧童のジェット・リンク(ジェームス・ディーン)は、事故死したラズが遺してくれた土地に移って石油を掘り続け、ついに油田を掘り当て、石油事業(ジェットテキサス石油会社)を興して大金持ちになります。
歳月は流れ、米国でも屈指の大富豪になったジェットと牧畜業がうまくいかなくなったジョーダンは、ホテルの祝賀パーティの席で対決の時を迎えます。その切っ掛けは、ジェットがビッグに対して「俺は石油を掘り当。あんたなんか問題じゃないよ。俺はお前より金持ちになった」と言ったのです。
富豪家であった人達が、時代の流れで、新しい勢力に取って代わっていくのです。 いままで、「負け組み」と思っていた者が、いつの間にか「勝ち組み」となり飲み込んでいく話なのです。(ウィキペディアから)
これは当時の日本では想像ができない、ビックリ・ドラマでした。広大な土地に石油が噴き出すシーンなどはとっても日本にはマネできない映像でした。
また、当時のテキサスは人種差別があり、レストランに「当店はサービスを拒否する権利を有す」と壁の額に入れられて、メキシコ人さえ徹底的に差別されていました。当然、黒人は混合することは禁じられていました。それは黒人の奴隷制が残っていたのです。
つい最近まで全ての人間は自由・平等ではなかったのです。今でも米国には差別主義が残っています。ユニオン・クラブ、ユニバーシティ・クラブなどのプライベート・ソーシャル・クラブ(紳士クラブ)といわれる、特殊のグループ(富豪家の集まり)が会員制となって、会合や食事をする場所などを持ったクラブです。これらのクラブの門から、女性は入れないとか、色々な規制がまだ残っていて、富豪家と庶民との差別を付けているのです。
なぜ、そうなるのかと言うと、富豪家は、お金によって社会を支配してきたのです。その影響がこのようなクラブ制にまだ残っているわけです。また数少ない富豪家たちは、庶民が、お金・銭を持ってしまうことで、庶民が奴隷ではなくなってしまうことを恐れ、差別を作るわけです。
富豪家は、あらゆる方法で、彼らの知識を隠し、庶民のお金を奪い、お金を嫌わせ、お金を持たさせないことをするのです。これは現在の社会も同様で、お金・富に関して嫌悪感・罪悪感を持たさせることをするのです。宗教などの力を借りる場合もあります。
では、奴隷状態から自由になるにはどうすればよいのでしょうか。
過酷労働を施られた過去の奴隷達でも、財を積むことで、自由になりました。そして、特別な技術を持った奴隷達は、社会での地位をも築くことが出来たのです。そのような奴隷達でも、富豪家に成れたのです。
ですので、借金・債務は、必ず返済する事が出来ます。
自由になれない奴隷にならないようにするには、全知全能の神から得た知識・知能をフルに生かして、借金・債務を返済し、新しいお金を・富を築くことです。その時に、罪悪感を持っては絶対にいけないのです。そして、お金・富は、神から与えられたものだと信じ、常に神に感謝ることです。
たとえば、日本では、パチンコ屋さんが繁盛していますね。その1つの理由は、暇つぶしでしょう。また女性が嫌いな男性に女性ができないのと同様、お金が嫌いな人には、お金は寄っこないのです。そういう人達に限ってパチンコや競馬などの賭け事で、お金を失ってしまうのです。その1つの原因が、お金が嫌いだから、無駄に捨ててしまう行動をするわけです。
そのような人達は、債務の返済のために、少しの時間を使ってみたらいかがでしょうか。
また、ただ時間を稼ぐだけの残業や、好きでもない仕事をして、お金の奴隷となっているサラ―リーマンが、日本だけではなく世界中あちこちで見られます。これは、毎日の生活費などを稼ぐための、お金を作ることであって、人生の成功をするためのお金でないことが多く見受けられます。
ここで創世記に出てくる、ヤコブの11番目の息子ヨセフの話をしましょう。
ヨセフはヤコブから一番かわいがられていたために、他の兄弟達から嫉妬のために嫌われ、ヨセフを銀20枚でエジプトに行く途中のイシュマエル隊商に売り飛ばされるのです。そして、ファラオ(神権皇帝)の役人で官廷の侍従長のポティファイルの奴隷となったのです。
その後、ヨセフはポティファイルの信頼を得て執事となりましたが、その素晴らしいヨセフを見てポティファイルの妻の誘惑をしたのですが、ヨセフはその誘惑を拒んだために、恨みを買ってしまい、投獄されてしまいます。
このような逆境のなかで、ファラオが2つの夢を見たのです。そしてエジプト中の魔術師や賢者を寄せ集め、夢を解かせさせるのですが、誰もが回答をすることが出来なかったのです。そのことを聞いた給仕役が、ヨセフの夢解読のことを思い出し、ヨセフを牢屋から呼び出し、ファラオの夢を解読させたのです。そのことが切っ掛けで、ファラオはヨセフを宮廷の責任者とさせ、努力の結果、エジプト国内第2位の地位を築き上げたのです。
彼を成功させた理由は、謙虚さ、聡明な判断、努力、そして神に感謝・賛美したことなのです。
現在の私達は、奴隷生活から自由になることは、当時のユダヤ人達に比べ、より簡単に出来るのではないのでしょうか。
バイブルには、私達は、罪の奴隷であるために、神は、唯一の息子、イエス・キリストを使って、私達の罪(債務など)を帳消しています。この帳消しの理由が理解できれば、借金・債務を帳消しすることは可能なのです。だからお金・富を築き上げる前に、罪の帳消しをしなくてはならないのです。
ユダヤ人が、単一民族として一つになった1つの大きな理由は、エジプトにおける奴隷生活、バビロンの捕囚など、常に虐められたゆえであったかも知れません。
現代の金融業、医者、学者、メディアは、ユダヤ人が支配しているのは、彼等の歴史が基盤となって、創り上げてきたのです。そして彼等は、唯一の神の下で、奴隷にならないための金つくりに走ったわけですが、行き過ぎすることによって、批判され、歴史から見ても、奴隷になってしまう繰り返しでした。
イエス・キリストを十字架にかけたのは、ユダヤ人だったことも、覚えて置いてください。何事も行き過ぎは良くないことなのです。
悪くない奴らが成功するには、お金の奴隷から開放され自由になるために、債務を決算し、罪を洗い流すことです。そして努力を惜しまず、繰りかえし、ネバーギブアップの挑戦をすることです。そして全知全能の神に感謝、感謝、感謝することです。
富豪家が貧乏人を支配することは歴史上当たり前のことでした。金持が権力を持ちで、貧乏人は奴隷という上下関係の構造となっています。今でも、ファーストクラスとエコノミークラスの格差はありますね。昔の世の中では、もし借金・債務を返せない場合には、妻や子供を売って返せと迫られたり、自分自身を奴隷に売って返せと迫られたりしたのです。貧しい国にはこの制度はまだ残っています。
当然、金を借りたら返さなくてはなりません。そして、お金の貸し借りによって、その人間関係は主人と奴隷の関係になってしまうのです。ですので借金・債務は返済が可能の範囲ですることと、なるべく早く返済することです。借金地獄から生えあがるには大きな犠牲が出るかもしれませんが、「目的・目標」を持って1つ1つ片付けていくことが、必要でしょう。
確かに、現在の世の中は、貧乏人でもアイデアや努力次第で出世、そして大企業家ともなりえる可能性があるのです。このことは後記の洋画「ジャイアンツ」の物語を読んでいただければ、理解できると思います。
お金・富を得ることで、全てが自由になるということが、色々な本で紹介されていますが、本当にその自由が、「お金・富」が出来たからといって、本当の自由を勝ち取ることができるのでしょうか。
バイブルには、奴隷と言う言葉が出てきます。そして当時のその奴隷にも、休日が与えられていたのです。それは、ユダヤ教の律法の安息日を、守っていたことなのです。
奴隷制社会であった古代の共和制ローマでは、征服地の住民(ユダヤ人、ギリシア人など)は、多くが奴隷として使役され、大規模な農園や鉱山で働く奴隷の待遇は、特に酷いものだったのです。
ローマでは、哲学や詩、歴史学などに熟達した多くのギリシア人奴隷が家庭教師として、他にも医術や算術をがある奴隷が医術師や会計役として高額で売買されていました。そして、一定の資産を蓄え、息子のいる奴隷に対して、子の代には自動的にローマ市民権が与えられていたのです。
でも奴隷は、主人の財産ですから、その主人から合法的に離れて、自由の身になるには、他人に買取ってもらうか、財産を貯めて自分を買取り、自由になることしかなかったのです。これが、債務の返済をする義務だったのです。
さて、私の小さいときに見た映画の紹介をします。
大きなスクリーンを備え付けた小学校の校庭で映画を母と一緒に鑑賞したことを覚えていますが、これが切っ掛けとなって、色々な映画と出会いました。その中には、ロック・ハドソン、ジェームス・ディーン、そしてエリザベス・テーラー出演の「ジャイアンツ」というテキサスを舞台にした石油発掘に関する映画があったのです。
テキサスに59万エーカーもの広大な土地を持つ牧場主ジョーダン(ビッグ)・ベネディクト2世(ロック・ハドソン)が、東部の名門の娘レズリー(エリザベス・テイラー) を妻に迎えるます。初めてテキサスを訪れた彼女はその途方もない広さに驚き、東部とはあまりにも異なる人間の気質と生活習慣に戸惑います。夫の姉ラズ(マーセデ ス・マッケンブリッジ)の冷たい視線にも苦しめられ、一時は夫婦の間の絆にも危機が訪れますが、レズリーは持ち前の粘り強い性格でそれを乗り越えていきます。
このレズリーに心を寄せるのがひねくれ者の若い牧童のジェット・リンク(ジェームス・ディーン)は、事故死したラズが遺してくれた土地に移って石油を掘り続け、ついに油田を掘り当て、石油事業(ジェットテキサス石油会社)を興して大金持ちになります。
歳月は流れ、米国でも屈指の大富豪になったジェットと牧畜業がうまくいかなくなったジョーダンは、ホテルの祝賀パーティの席で対決の時を迎えます。その切っ掛けは、ジェットがビッグに対して「俺は石油を掘り当。あんたなんか問題じゃないよ。俺はお前より金持ちになった」と言ったのです。
富豪家であった人達が、時代の流れで、新しい勢力に取って代わっていくのです。 いままで、「負け組み」と思っていた者が、いつの間にか「勝ち組み」となり飲み込んでいく話なのです。(ウィキペディアから)
これは当時の日本では想像ができない、ビックリ・ドラマでした。広大な土地に石油が噴き出すシーンなどはとっても日本にはマネできない映像でした。
また、当時のテキサスは人種差別があり、レストランに「当店はサービスを拒否する権利を有す」と壁の額に入れられて、メキシコ人さえ徹底的に差別されていました。当然、黒人は混合することは禁じられていました。それは黒人の奴隷制が残っていたのです。
つい最近まで全ての人間は自由・平等ではなかったのです。今でも米国には差別主義が残っています。ユニオン・クラブ、ユニバーシティ・クラブなどのプライベート・ソーシャル・クラブ(紳士クラブ)といわれる、特殊のグループ(富豪家の集まり)が会員制となって、会合や食事をする場所などを持ったクラブです。これらのクラブの門から、女性は入れないとか、色々な規制がまだ残っていて、富豪家と庶民との差別を付けているのです。
なぜ、そうなるのかと言うと、富豪家は、お金によって社会を支配してきたのです。その影響がこのようなクラブ制にまだ残っているわけです。また数少ない富豪家たちは、庶民が、お金・銭を持ってしまうことで、庶民が奴隷ではなくなってしまうことを恐れ、差別を作るわけです。
富豪家は、あらゆる方法で、彼らの知識を隠し、庶民のお金を奪い、お金を嫌わせ、お金を持たさせないことをするのです。これは現在の社会も同様で、お金・富に関して嫌悪感・罪悪感を持たさせることをするのです。宗教などの力を借りる場合もあります。
では、奴隷状態から自由になるにはどうすればよいのでしょうか。
過酷労働を施られた過去の奴隷達でも、財を積むことで、自由になりました。そして、特別な技術を持った奴隷達は、社会での地位をも築くことが出来たのです。そのような奴隷達でも、富豪家に成れたのです。
ですので、借金・債務は、必ず返済する事が出来ます。
自由になれない奴隷にならないようにするには、全知全能の神から得た知識・知能をフルに生かして、借金・債務を返済し、新しいお金を・富を築くことです。その時に、罪悪感を持っては絶対にいけないのです。そして、お金・富は、神から与えられたものだと信じ、常に神に感謝ることです。
たとえば、日本では、パチンコ屋さんが繁盛していますね。その1つの理由は、暇つぶしでしょう。また女性が嫌いな男性に女性ができないのと同様、お金が嫌いな人には、お金は寄っこないのです。そういう人達に限ってパチンコや競馬などの賭け事で、お金を失ってしまうのです。その1つの原因が、お金が嫌いだから、無駄に捨ててしまう行動をするわけです。
そのような人達は、債務の返済のために、少しの時間を使ってみたらいかがでしょうか。
また、ただ時間を稼ぐだけの残業や、好きでもない仕事をして、お金の奴隷となっているサラ―リーマンが、日本だけではなく世界中あちこちで見られます。これは、毎日の生活費などを稼ぐための、お金を作ることであって、人生の成功をするためのお金でないことが多く見受けられます。
ここで創世記に出てくる、ヤコブの11番目の息子ヨセフの話をしましょう。
ヨセフはヤコブから一番かわいがられていたために、他の兄弟達から嫉妬のために嫌われ、ヨセフを銀20枚でエジプトに行く途中のイシュマエル隊商に売り飛ばされるのです。そして、ファラオ(神権皇帝)の役人で官廷の侍従長のポティファイルの奴隷となったのです。
その後、ヨセフはポティファイルの信頼を得て執事となりましたが、その素晴らしいヨセフを見てポティファイルの妻の誘惑をしたのですが、ヨセフはその誘惑を拒んだために、恨みを買ってしまい、投獄されてしまいます。
このような逆境のなかで、ファラオが2つの夢を見たのです。そしてエジプト中の魔術師や賢者を寄せ集め、夢を解かせさせるのですが、誰もが回答をすることが出来なかったのです。そのことを聞いた給仕役が、ヨセフの夢解読のことを思い出し、ヨセフを牢屋から呼び出し、ファラオの夢を解読させたのです。そのことが切っ掛けで、ファラオはヨセフを宮廷の責任者とさせ、努力の結果、エジプト国内第2位の地位を築き上げたのです。
彼を成功させた理由は、謙虚さ、聡明な判断、努力、そして神に感謝・賛美したことなのです。
現在の私達は、奴隷生活から自由になることは、当時のユダヤ人達に比べ、より簡単に出来るのではないのでしょうか。
バイブルには、私達は、罪の奴隷であるために、神は、唯一の息子、イエス・キリストを使って、私達の罪(債務など)を帳消しています。この帳消しの理由が理解できれば、借金・債務を帳消しすることは可能なのです。だからお金・富を築き上げる前に、罪の帳消しをしなくてはならないのです。
ユダヤ人が、単一民族として一つになった1つの大きな理由は、エジプトにおける奴隷生活、バビロンの捕囚など、常に虐められたゆえであったかも知れません。
現代の金融業、医者、学者、メディアは、ユダヤ人が支配しているのは、彼等の歴史が基盤となって、創り上げてきたのです。そして彼等は、唯一の神の下で、奴隷にならないための金つくりに走ったわけですが、行き過ぎすることによって、批判され、歴史から見ても、奴隷になってしまう繰り返しでした。
イエス・キリストを十字架にかけたのは、ユダヤ人だったことも、覚えて置いてください。何事も行き過ぎは良くないことなのです。
悪くない奴らが成功するには、お金の奴隷から開放され自由になるために、債務を決算し、罪を洗い流すことです。そして努力を惜しまず、繰りかえし、ネバーギブアップの挑戦をすることです。そして全知全能の神に感謝、感謝、感謝することです。
自分の宝を地上に蓄えるのはやめなさい。そこでは虫と錆びで、傷物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天に蓄えなさい。そこでは、虫も錆びもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。(マタイの福音書第6章19~21節)
地上のお金・銭のみを人生の生きる目的とする人達は、お金の奴隷となっているのです。そして、地上に蓄えようとするお金・銭は、全てくちはて、消えていってしまうのです。天国には、絶対に持っていくことは出来ないのです。
お金・銭に目を晦ます人達は、必ずと言っていいほど仕事、地位・名誉、酒、薬物、性欲などの奴隷になってしまうのです。そして最終的には全てが、サタンの仕業によって崩壊していくのです。 ですので、私達は、神に仕える者として、サタンと戦うことです。
この地上にお金・富を蓄えようとして崩壊した例は、歴史上沢山見られます。その最近の出来事では、世界金融恐慌を起こした、リーマン・ブラザーズ投資銀行のサブプライム・ローン問題や史上最高の金融詐欺のバーニー・メイドフが良い例でしょう。
米国では、一握りの富豪家と、多数の貧乏人によって成り立っています。そのために貧乏人の人達は、アメリカンドリームを達成するために、色々な手段を行使して富豪家の仲間に入ろうとしています。
その1つの方法が、「皆で横断歩道を渡れば強くない」方式を取った金融商品で、金融機関そして借りてがお金・富を手早く取得するものでした。それがサブプライム・ローン(通常の審査では通らないような信用度の低い人達のために作られたローン)とMBS(住宅ローン担保証券)だったのです。
クレディ・スイスの世界の富豪のレベルに関して2010年に発表したレポートによると、金融資産100万ドル(約1億円)以上を保有する富裕層(億万長者)は世界人口の0.5%で、全世界の富38.5%を占め、2,016年には富裕層人口は57%増加し約4600万人になると予測しています。
アメリカンドリームの一番最初に来るのが、「わが家」なのです。そのために一生懸命働き、家を購入して、庭でバーべキューを楽しむことを、夢見ていたのです。その結果、今住んでいる住宅を担保にして、次々と他の家を買っていき、土地価格を上昇を期待し、成金になろうとした人達がほとんどだったのです。その結果、住宅のバブル、しかしその一方、返済の義務が重なってしまい、家庭の破戒にもつながってきてしまったのです。
この住宅のバブルは、建設・建築・デベロッパーに絡んだ業者が多くの従業員を雇い、家の建築材などの購入が多くなったなどの理由で、米国の総景気が起きたのです。この勢いを創ったのが、いわゆるハーバード大学やMIT(マサチューセッツ工科大学)の経済学を勉強した若い金融技術者達なのです。その中には、「忍者ローン」と言う失業していても、収入が無くても借り入れが可能な住宅ローンがあったのです。
ここ10年あまりで急速に発展した暴利を貪る金融技術の結果、サブプライム・ローンがどんどん証券化され、さらにその証券を担保にまたぞろ証券化が繰り返されるという「信用創造」を創り上げたのです。しかし、その結果、信用機能が働くなって、世界金融危機をもたらしたのです。
証券化が始まる前は、住宅ローンを貸す側は、金利収入と多額の手数料がとれる一方、ローンが貸し倒れになり、損をする危険も背負っていたのですが、証券化をすることで、貸す側は儲けられる部分だけを受け取り、そのローン自体は他の人に売却し、将来発生する貸し倒れリスクから逃れることが可能とさせたのです。
その当時の、金融業者は、ローンがあるために証券化するのではなく、自分達のお金(コミッション)を増やすために、逆に証券化商品が必要となり、誰にでもローンを組ませることをさせたのです。その行き過ぎが、この結果を生んだわけです。
当然、収入が少ない家庭や、収入が無い家庭が、家を購入すれば、明らかに収支のバランスが崩れ、キャッシュフローが無くなってしまい、倒産に繋がっていったわけです。ですから、これらのローンの証券化が崩れるのは目に見えていたのですが、自分達のお金を得ることだけを考えて走っていっために目をつぶってしまったのです。
祭りがすめば、屑だけが残り、それを掃除しなくてはならないのですが、その掃除をする人達、責任者がいなくなってしまたのです。そのために、現在の米国はそこらじゅう、あちこちに今でも空家が見られるのです。
また、バーニー・メイドフ(ユダヤ人)は、元ナズダックの理事長という肩書きを持って、ニューヨークのペンタ・ハウスを持ち豪華な生活をしていました。そして、富豪家からお金を(500億ドル=約5兆円)集め投資活動をしていたわけなのですが、そのほとんど全てが露と消えてしまいました。
その仕組みは、「ポンジー・スキーム」と呼ばれ、出資者に対するリターンを、新たな出資者からのお金で捻出するというもので、ねずみ講と似たような仕組みだったのです。この仕組みでは、 全ての人に返す元金が他の人達に支払ってしまって行くために、いずれ資金が尽き、例外なく破綻するわけです。
その結果、バーニー・メイドフに懲役150年の牢獄生活の刑罰がくだされ、更には、彼の息子は自殺をしています。
もしも、彼がお金・富に目を晦ませず、神に仕え、天国に宝を築き上げ、神が使えることのできる人間であったならば、このような悲惨な結果にはならなかったでしょう。
彼のように、お金・銭には絶対支配されてはいけません。お金・銭を追いかけると、どんどん深みにはまっていきます。
ですので、全知全能の神の存在を信じ、感謝することで、世間のためになる仕事をすれば、必ず、お金・富は向こうからやってくるでしょう。
これが引き寄せの法則なのです。
また、貧乏の人達のほとんどが、自分が金持ちになれなくて、富豪家に対して、嫉妬したり批判したりするのが多く見られます。そのネガティブ思考は、心のなかに不調和を生み、悪循環をもたわすのです。
その結果、それらのネガティブ思考は、頭・潜在意識に蓄積してしまい、ポジティブ思考の力を発揮できないのです。
しかし全ての人間は、知能・知識を神から与えられてるため、誰もが富豪家に成れるチャンスもあるのですが、嫉妬、怠慢・苦情などののネガティブ思考が、常に頭・潜在意識にインプットすることで、富豪家になるチャンスを逃がしてしまっているのです。
不思議ですが、そうしたものなのです。
もしもそのようなネガティブ思考の気持ちが、ふっと頭に浮かび上がってきたならば、すぐに、美を探し、その美を見つめることです。同時に、神との会話をもつことで、ポジティブ思考を頭・潜在意識に徹底して叩き込むことです。
自分の強欲で蓄えたお金・富はむなしいことで、そのように蓄えた物は、結果的には虫がついたり、錆がでたり、盗人に盗まれてしまうことが、極めておおいのです。
当時の私は、富豪の仲間に入ったことを誇っていました。そして、私のファミリー・ルームに玉突きのテーブルを置いて、家族、隣人、友人と楽しむために買う決心をしたのです。そために、色々な新聞からの広告を調べたりして、一番格安の会社を選んだのです。そして、そこの社長が、玉突きのテーブル・サイズ等の判断をしたいので、家に訪れたいとして、遠くから、わざわざ私の家を訪ねてきたのです。そして、教会などの話に夢中になり、私は彼の会社内用を一切聞かなかったのです。
そしてその社長は、最初に代金の半分のお金を請求したのです。そして、彼がキリスト教の信者であったことから、彼を丸っきり信じてしまったて、小切手を切ったのです。そして彼は感謝して帰って行ったのです。ところが、何時になってもテーブルは届かなかったのです。不思議に思って、電話をしたら、その会社はすでに消えてしまっていたのです。
快楽のほうに力を置いてしまった、私の失敗談でした。
このお金を、神のために使っていれば、盗まれることはなかったと後悔しています。しかしこの後悔という字は、ネガティブ思考に入るために、私の思考は、「あの社長は、私のお金で家族に食べ物や借金を返すことが出来た」というポジティブ思考に変えたとたん、気持ちが安らいだのです。
さて私の妻の行った話を紹介しましょう。
彼女は、道で出会った人達に声をかけることが、非常に容易に出来る人なのです。ある日、サンディエゴの海岸を散歩していたとき、黒人の男性が、道端に座って、本を読んでいたのです。そして彼に近づいて行き、声をかけようとしたのですが、彼の服装は汚く、人相も良くなく、ホームレスみたいだったので、私は彼女に、「危ないから、やめなさい」と言ったのですが、私の声を聞かず、彼と話をし始めたのです。そして彼女は彼に、「バイブルを読んだことがありますか」と尋ね、100ドル札(1万円)を彼に渡したのです。そして、ホライゾン・クリスチャン・チャーチに来るようにと言ったのです。その2週間後、彼がきれいな服装とバイブルをもって、教会のドアに立っていたのです。そして彼と一緒に、私達は教会に入りました。
その後、彼は仕事が見つかって、楽しく働いています。
この彼女の小さな行いが、神の根本の愛を分かち合う行動であり、「天の倉に富を積む」ことなのです。即ち、「身魂磨き」こそが、私達の人生の目的と言えるものなのでしょう。
いま、財政に苦しんでいる人達や、家族の破綻に悩んでいる人達、仕事が上手く行っていない人達に、声をかけます。
全知全能の神は、私達の気持ちを知っていますし、見守ってくれています。ですので、見えない神を信じることは難しいのですが、必ず助けの手を差し伸べてくれます。
天に宝を蓄える人生こそが、決して空しくならない、失敗しない、充実した人生を送れることなのです。そして、神に感謝、感謝、感謝をすることです。
地上のお金・銭のみを人生の生きる目的とする人達は、お金の奴隷となっているのです。そして、地上に蓄えようとするお金・銭は、全てくちはて、消えていってしまうのです。天国には、絶対に持っていくことは出来ないのです。
お金・銭に目を晦ます人達は、必ずと言っていいほど仕事、地位・名誉、酒、薬物、性欲などの奴隷になってしまうのです。そして最終的には全てが、サタンの仕業によって崩壊していくのです。 ですので、私達は、神に仕える者として、サタンと戦うことです。
この地上にお金・富を蓄えようとして崩壊した例は、歴史上沢山見られます。その最近の出来事では、世界金融恐慌を起こした、リーマン・ブラザーズ投資銀行のサブプライム・ローン問題や史上最高の金融詐欺のバーニー・メイドフが良い例でしょう。
米国では、一握りの富豪家と、多数の貧乏人によって成り立っています。そのために貧乏人の人達は、アメリカンドリームを達成するために、色々な手段を行使して富豪家の仲間に入ろうとしています。
その1つの方法が、「皆で横断歩道を渡れば強くない」方式を取った金融商品で、金融機関そして借りてがお金・富を手早く取得するものでした。それがサブプライム・ローン(通常の審査では通らないような信用度の低い人達のために作られたローン)とMBS(住宅ローン担保証券)だったのです。
クレディ・スイスの世界の富豪のレベルに関して2010年に発表したレポートによると、金融資産100万ドル(約1億円)以上を保有する富裕層(億万長者)は世界人口の0.5%で、全世界の富38.5%を占め、2,016年には富裕層人口は57%増加し約4600万人になると予測しています。
アメリカンドリームの一番最初に来るのが、「わが家」なのです。そのために一生懸命働き、家を購入して、庭でバーべキューを楽しむことを、夢見ていたのです。その結果、今住んでいる住宅を担保にして、次々と他の家を買っていき、土地価格を上昇を期待し、成金になろうとした人達がほとんどだったのです。その結果、住宅のバブル、しかしその一方、返済の義務が重なってしまい、家庭の破戒にもつながってきてしまったのです。
この住宅のバブルは、建設・建築・デベロッパーに絡んだ業者が多くの従業員を雇い、家の建築材などの購入が多くなったなどの理由で、米国の総景気が起きたのです。この勢いを創ったのが、いわゆるハーバード大学やMIT(マサチューセッツ工科大学)の経済学を勉強した若い金融技術者達なのです。その中には、「忍者ローン」と言う失業していても、収入が無くても借り入れが可能な住宅ローンがあったのです。
ここ10年あまりで急速に発展した暴利を貪る金融技術の結果、サブプライム・ローンがどんどん証券化され、さらにその証券を担保にまたぞろ証券化が繰り返されるという「信用創造」を創り上げたのです。しかし、その結果、信用機能が働くなって、世界金融危機をもたらしたのです。
証券化が始まる前は、住宅ローンを貸す側は、金利収入と多額の手数料がとれる一方、ローンが貸し倒れになり、損をする危険も背負っていたのですが、証券化をすることで、貸す側は儲けられる部分だけを受け取り、そのローン自体は他の人に売却し、将来発生する貸し倒れリスクから逃れることが可能とさせたのです。
その当時の、金融業者は、ローンがあるために証券化するのではなく、自分達のお金(コミッション)を増やすために、逆に証券化商品が必要となり、誰にでもローンを組ませることをさせたのです。その行き過ぎが、この結果を生んだわけです。
当然、収入が少ない家庭や、収入が無い家庭が、家を購入すれば、明らかに収支のバランスが崩れ、キャッシュフローが無くなってしまい、倒産に繋がっていったわけです。ですから、これらのローンの証券化が崩れるのは目に見えていたのですが、自分達のお金を得ることだけを考えて走っていっために目をつぶってしまったのです。
祭りがすめば、屑だけが残り、それを掃除しなくてはならないのですが、その掃除をする人達、責任者がいなくなってしまたのです。そのために、現在の米国はそこらじゅう、あちこちに今でも空家が見られるのです。
また、バーニー・メイドフ(ユダヤ人)は、元ナズダックの理事長という肩書きを持って、ニューヨークのペンタ・ハウスを持ち豪華な生活をしていました。そして、富豪家からお金を(500億ドル=約5兆円)集め投資活動をしていたわけなのですが、そのほとんど全てが露と消えてしまいました。
その仕組みは、「ポンジー・スキーム」と呼ばれ、出資者に対するリターンを、新たな出資者からのお金で捻出するというもので、ねずみ講と似たような仕組みだったのです。この仕組みでは、 全ての人に返す元金が他の人達に支払ってしまって行くために、いずれ資金が尽き、例外なく破綻するわけです。
その結果、バーニー・メイドフに懲役150年の牢獄生活の刑罰がくだされ、更には、彼の息子は自殺をしています。
もしも、彼がお金・富に目を晦ませず、神に仕え、天国に宝を築き上げ、神が使えることのできる人間であったならば、このような悲惨な結果にはならなかったでしょう。
彼のように、お金・銭には絶対支配されてはいけません。お金・銭を追いかけると、どんどん深みにはまっていきます。
ですので、全知全能の神の存在を信じ、感謝することで、世間のためになる仕事をすれば、必ず、お金・富は向こうからやってくるでしょう。
これが引き寄せの法則なのです。
また、貧乏の人達のほとんどが、自分が金持ちになれなくて、富豪家に対して、嫉妬したり批判したりするのが多く見られます。そのネガティブ思考は、心のなかに不調和を生み、悪循環をもたわすのです。
その結果、それらのネガティブ思考は、頭・潜在意識に蓄積してしまい、ポジティブ思考の力を発揮できないのです。
しかし全ての人間は、知能・知識を神から与えられてるため、誰もが富豪家に成れるチャンスもあるのですが、嫉妬、怠慢・苦情などののネガティブ思考が、常に頭・潜在意識にインプットすることで、富豪家になるチャンスを逃がしてしまっているのです。
不思議ですが、そうしたものなのです。
もしもそのようなネガティブ思考の気持ちが、ふっと頭に浮かび上がってきたならば、すぐに、美を探し、その美を見つめることです。同時に、神との会話をもつことで、ポジティブ思考を頭・潜在意識に徹底して叩き込むことです。
自分の強欲で蓄えたお金・富はむなしいことで、そのように蓄えた物は、結果的には虫がついたり、錆がでたり、盗人に盗まれてしまうことが、極めておおいのです。
当時の私は、富豪の仲間に入ったことを誇っていました。そして、私のファミリー・ルームに玉突きのテーブルを置いて、家族、隣人、友人と楽しむために買う決心をしたのです。そために、色々な新聞からの広告を調べたりして、一番格安の会社を選んだのです。そして、そこの社長が、玉突きのテーブル・サイズ等の判断をしたいので、家に訪れたいとして、遠くから、わざわざ私の家を訪ねてきたのです。そして、教会などの話に夢中になり、私は彼の会社内用を一切聞かなかったのです。
そしてその社長は、最初に代金の半分のお金を請求したのです。そして、彼がキリスト教の信者であったことから、彼を丸っきり信じてしまったて、小切手を切ったのです。そして彼は感謝して帰って行ったのです。ところが、何時になってもテーブルは届かなかったのです。不思議に思って、電話をしたら、その会社はすでに消えてしまっていたのです。
快楽のほうに力を置いてしまった、私の失敗談でした。
このお金を、神のために使っていれば、盗まれることはなかったと後悔しています。しかしこの後悔という字は、ネガティブ思考に入るために、私の思考は、「あの社長は、私のお金で家族に食べ物や借金を返すことが出来た」というポジティブ思考に変えたとたん、気持ちが安らいだのです。
さて私の妻の行った話を紹介しましょう。
彼女は、道で出会った人達に声をかけることが、非常に容易に出来る人なのです。ある日、サンディエゴの海岸を散歩していたとき、黒人の男性が、道端に座って、本を読んでいたのです。そして彼に近づいて行き、声をかけようとしたのですが、彼の服装は汚く、人相も良くなく、ホームレスみたいだったので、私は彼女に、「危ないから、やめなさい」と言ったのですが、私の声を聞かず、彼と話をし始めたのです。そして彼女は彼に、「バイブルを読んだことがありますか」と尋ね、100ドル札(1万円)を彼に渡したのです。そして、ホライゾン・クリスチャン・チャーチに来るようにと言ったのです。その2週間後、彼がきれいな服装とバイブルをもって、教会のドアに立っていたのです。そして彼と一緒に、私達は教会に入りました。
その後、彼は仕事が見つかって、楽しく働いています。
この彼女の小さな行いが、神の根本の愛を分かち合う行動であり、「天の倉に富を積む」ことなのです。即ち、「身魂磨き」こそが、私達の人生の目的と言えるものなのでしょう。
いま、財政に苦しんでいる人達や、家族の破綻に悩んでいる人達、仕事が上手く行っていない人達に、声をかけます。
全知全能の神は、私達の気持ちを知っていますし、見守ってくれています。ですので、見えない神を信じることは難しいのですが、必ず助けの手を差し伸べてくれます。
天に宝を蓄える人生こそが、決して空しくならない、失敗しない、充実した人生を送れることなのです。そして、神に感謝、感謝、感謝をすることです。
名誉は多くの富よりも望ましく、品位は金銀にまさります。金持ちと貧乏は、神が造られました。思慮深い人は災難が来ると見れば身を隠します。浅はかな者は通り抜けようとして痛い目に遭うでしょう。神を畏れて身を低くすれば、富も名誉も命も従って来きます。 (箴言22章1~4節)
バイブルの箴言の中には、「畏れる」という言葉が18回、詩篇の中には15回、他にも沢山記載されていますが、「畏れ」と「恐れ」の意味の違いを紹介しましょう。
バイブルが示す「畏れ」には、全てを創造した、全知全能の神に対する畏敬の念であって、「恐怖心」によるものではないのです。それは、全知全能の神を恐れなしに、尊厳をもって近づくことなのです。
世間の評判を得ることや信頼を得ることは、非常に難しいことです。多少の急所・短所・汚点・弱点などがあると、世間から嫌われ、神に対する信頼感・心は離れていきます。ですので、名誉・品位は、私達の世界から見た金・銀よりも貴いものなのです。金・銀は、全知全能の神が創造したもので、決して人間が創造したものではないのです。
神は人間が、楽しく地上で生活できることが、全知全能の神の計画なのです。それは物質だけの富なのです。
そして、全知全能の神の前では、富んだ者も貧しい者も、皆平等なのです。全知全能の神の前では、お金・富の物質財産は、まったく関係ないのです。
福沢諭吉はこのことについて、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言われている__人は生まれながら貴賎上下の差別ない」と言っていますが、この意味は、「人は平等」であると言う事です。これは、トーマス・ジェファーソンによって起草されたといわれるアメリカ合衆国の「独立宣言」からの引用とされています。(慶応義塾豆百NO.22から)
人権宣言集(岩波文庫)から: われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命・自由、および幸福の追求が含まれることを信ずる。
そして、1夫多妻や妾をもつことを非難し、女性にも自由を与えなければならいとし、女も男も同じ人間だから、同様の教育を受ける権利があると主張したのです。
さて話を「畏れ」にもどします。
アダムとエバが罪を犯したとき、エデンの園で彼らを呼びかける神の声を聞くのです。アダムはその声に「恐れて、隠れて」しまいます。(創世記第3章10節)
しかし私達の先祖は、そのときは、善悪も完全には理解していなかったのですが、エバは、サタン(蛇)の言葉を丸呑みして、りんごを食べることで、神に近づけると信じたのです。そのために、エバはアダムにりんごを与えたのです。
それが切っ掛けで罪が認められると、彼らは、神を恐れるようになったのです。
このように罪と係わりを持つと、全知全能の神を恐れなければなりません。
では罪のとは何でしょうか。
悪意、姦淫、淫行、殺人、盗み、貪欲、邪悪、ごまかし、謀、放縦、冒涜、高ぶり、愚かさ、汚れ、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉妬、激怒、ねたみ、酔酒、酒宴などが上げられます。そして罪の報酬は、死なのです。死は、人間にとって、恐怖なのです。
全知全能の神は、生物に命を与えくれたのですが、死も付いてきているのです。
私達は、死を恐れますでしょう。それは、死後の世界が見えないことが、恐怖感を生んでいるのです。神の存在は、死と同様、見えません。
ですので神を畏れることは、信仰があるために起きるのです。
ところで、男にとって、最も注意すべきものは、女の誘惑なのではないでしょうか。そしてアダムの様に、罪を犯すことで、神から隠れようとしたり、神の存在を無視するのですが、神の目からは、逃げ隠れできる人間など一人もいないのです。そして罪のに対する判定・裁定は必ず将来に来るのです。
罪を犯すと、必ず後で報いとなって返ってくるのです。
さて、アダムとエバは、苦しみや悲しみ、困難や苦役を受けると神から宣告され、そして神の前から追放されました。 そして彼らは、罪を犯したことに端を発し、善悪を知る知識・知恵を得たわけです。
この知識・知恵は、私達に神から与えられたものなのです。そして、私達は人生を楽しくすごし、隣人を大切にして、選択の自由を行使する力を、神が与えてくれたことなのです。
私達はアダムとエバのように、全知全能の神を怖がる理由は一切ありません。
その大きな理由は、イエス・キリストがポンテオ・ピラトの下で十字架に掛けられ死にましたが、この死が、私達にとって、大変重要な人生の成功に係わっているのです。
使途のパウロは、ローマ人へソシテに、このようなことを言い残しています。「死も、命も、御使いも、権威ある者も、今いる者も、後に来る者も、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私達の主であるイエス・キリストの神の愛から、私達を引き離すことはない。」(ローマ 人への手紙第8章38~39節)
全知全能の神の偉大な計画は、神のたった1人の子、イエス・キリストを私達の生贄として、私達の罪の代価・代償として受入れて下さったのです。
ところで、日本のことわざに、「三途の川を渡る」があります。そして「六文銭」が三途の川を渡る「通行証」となっているようです。その通行証のために、多くの人達は、「お金・富」さえあれば、天国に行けると思っているようですが、仏法の教えでは、「解脱、執着するな、空、無」などの言葉が出てきます。
私はそれらの教えは、「全て頭にある罪を捨て、無になって、自分の正しい心を見つめること、そして仏に感謝し、仏を信じること」と解釈しています。
さてここで、死についてふれましょう。
死とは、命がなくなること、なくなった状態、生命活動が止まること、止まった状態あるいは滅ぶこと、滅んだ状態などで、人間の死の定義は文化圏、時代、分野などにより様々なのです(ウィキペディア)。
バイブルには、この死後の世界観が描かれています。
旧約には、人間の死後、陰府に入るとしています。陰府は、地獄とは少し違った意味で、神を信じない人達が、陰府に入るとしています。
新約には、イエス・キリストの十字架で血を流された死後、天に昇り、神の右座に着かれたことで、死後に天国に行くことができるとしています。
カトリック教の教えでは、陰府と煉獄と天国の3段階があり、煉獄は天国と地獄の間に存在します。死者の魂が、天国へ行くために生前の罪を悔い改め、つぐない、そして清める場所としています。
有名なイタリアの詩人ダンテの描いた神曲は、地獄篇、煉獄篇、天国篇の3部から成っていますが、神曲のテーマは愛であり、神の愛と人間の自由意志が描かれている素晴らしい神聖喜劇なのです。
死は、遅かれ早かれ、誰もに訪れ、免れる事の出来ない事実なのです。以下は、神曲の簡約です。
若いダンテは久遠の女性(ベアトリーチェ)と出会い、恋心に燃えてしまうのですが、彼女は違う男性と結婚をしてしまうのです。そして彼女は25歳の若さで死んでしまいます。その後、ダンテは自堕落な生活を10年間続けます。
その時、ダンテは暗い森に入って迷ってしまうのです。そしてダンテは、行き先の前に、まばゆい光に包まれた丘を見つけ、丘に登ろうとしますが、豹と獅子と牝狼に行く手を阻まれます。そのために、谷底に向かうのですが、そこで、過去の昔に活躍していた詩人の魂に会うのです。
その詩人は、久遠の女性から、ダンテを救ってくださいと頼まれ、この世にきたのでした。そしてダンテは、地獄、煉獄、天国を詩人をはじめとする案内人に従って旅をして行くのです。それは、イエス・キリストの復活祭の一週間の出来事でした。
ダンテは、詩人の後について地獄の外門の前まできました。地獄の門には、「我を過ぎんとするものは、一切の望を捨てよ」などの言葉が表示されているのですが、ダンテは、理解をすることが出来ず、詩人に尋ねました。
そして詩人は、「感情を捨てることです」と答え、ダンテは、地獄の門を通ったのです。
ダンテは、地獄に入りました。その時、案内人がいて、その地獄では、生前に悪 行や暴利を貪っていた歴史上の有名人や貴族、聖職者、教皇などが登場してきます。
地獄の案内人は、ダンテがなぜ地獄にいるのか不思議がっている彼らに対して、「この男は死者ではない。罰を受けに来たわけでもない。見聞を深めるため、地獄の谷をめぐっている。私はその案内人」だと言って、彼らの疑問を解くのです。地獄は、阿鼻叫喚(非常な辛苦の中で号泣し、救いを求めるさま)に満ちていました。
そして、地獄のすべてを見終えたダンテは、煉獄へと向かいました。煉獄では、臨終のまぎわに罪を悔いて地獄に落ちることをまぬがれた魂の声が聞えたりするのでした。そして、ダンテと詩人との色々な対話が交せられます。
その中には、詩人が悪愛に関して3つのことをダンテに説いています。
1. 立派な地位から転落することを願ったり、
2. 自分が蹴落とされることが心配で他人の失敗を願ったり、
3. 不正に怒 り復讐感を持ったり」することなどです。
更にその3つは、物質的な愛に陥った人達だったのです。
煉獄山の山頂でダンテは案内人と別れ、その後ベアトリーチェと出会うのです。そして、天国にてダンテは、アダム、ヨハネなどの聖人に会うのです。聖人達は、信仰とは何かとダンテに問われたりするのです。更にダンテは、イエス・キリストやマリアの光に包まれたりして、本当の愛、即ち神の愛を理解するのです。(川出文庫、平河裕弘翻訳から簡略)
くどいようですが、全知全能の神を恐れることを、決してしてはいけません。全知全能の神を畏れることは、良いことなどです。
全知全能の神への畏れは、神を愛し、尊敬し、懲らしめに従い、畏敬の念を持って神を崇拝することなのです。
全知全能の神は、金持ち、貧乏人の両者を創造したわけではないのです。
金持ちは自分が金持ちであることに驕り高ぶることなく、身を低くすること、即ち謙遜をすることが、人生に成功をする秘訣なのです。
また貧乏な者も、貧乏であることに対して落胆する必要はないのです。そして従順の心で、神との会話を交わし、富も名誉も全てが神からの贈物であることを、認めることです。
自分よりも大きな存在である、全知全能の神の偉大さを認め、そして神の言葉を従うことで、喜びを持つことが出来る姿勢をもつことなのです。
富豪家の仲には、「不満・心配だらけ」の人達がいるかと思えば、「お金はそれほどなくても」 結構幸せに生きている人達もいるのです。お金がなければ困りますが、お金そのものが、人生の成功の必須事項ではないのです。
また、貧乏人の人達は、常にハンディキャップを背負って生きていることが多く、大きな夢・願望は叶わないという人達で、小さな欲望で止まってしまっていることです。
バイブルの中には、「身を低くする」と言う言葉が、30回以上記載されています。
ですので、悪くない奴らが成功するには、全知全能の神を敬、畏れ、身を低くすることで、ハンディキャップが取りはずされ、必ず成功の道が開けるようになます。その行動をすることで、お金・富を築き上げる道が、自然に開けられてくるのです。
ですので、全知全能の神に感謝、感謝、感謝することです。
土地を売らねばならないときにも、土地を買い戻す権利を放棄してはならない。土地は私のものであり、貴方達は私の土地に寄留し、滞在する者にすぎないのです。 (レビ記 第25章23節)
このレビ記は、モーゼに率いられてエジプトを出たイスラエル人がまだ「約束の地・カナン」に入れず、荒野を旅していた時代に書かれています。
そのイスラエル人達は、モーゼの指導の下で、神の導きに従って放浪を続けたのですが、40年放浪していたために、その間は土地を所有できなかったのです。
そして神は、イスラエル人達に対して、土地に関する規定を命じたのです。
その中には、土地を売買するときは、互いに損害を与えてはならないと記されていますし、土地が7年ごとに安息させ、50年ごとに人々を所有地に帰らせることを、神は命じているのです。
その大きな理由は、土地は、神によって創造された、神のものなのです。そして人間が死ねば、チリと成って、地に戻されるわけです。動物、植物はみな同じでしょう。このことを忘れてはなりません。
1992年2月12日にスペースシャトルに搭乗した初の日本人である毛利衛さんは、「地球には国境がありません」言われました。当然、宇宙から見た地球には境界線は引かれていません。グーグル・アースを検索すると、その中のカタゴリーである境界線を選ばない限り、境界線は出てきません。
人間は、神から与えられた土地に、勝手に線を引き、それを自分のものだと主張してきました。そして戦争、剥奪することで、線を引いてきたのです。
金持ちの人達が益々富み、貧しい者が益々貧しくなるという現在の社会を変えるためには、人の心を変えなければならないのです。
それには国境がない愛、つまり「神」が私達を愛しているように、聖書の黄金律、即ち他人を愛することから始まるのではないのでしょうか。
2011年3月11日にマグニチュード7.9の東北地方太平洋沖地震は、地震のダメージよりもダメージが大きな津波が、北陸の街々を飲み込み、原子爆弾が落ちたように、野原となてしまいました。そこには境界線も壁も一切無く、人々は唖然となったのですが、この悲劇によって、色々な人達、団体などが一斉となって援助をしたのです。
世界の多くの報道は、なぜ日本人がパニックに陥らず、冷静で、絶望のどん底に陥らずにいられるのか。そして、なぜに何もかも失ったと感じずにいられるのかを、理解するのは容易いなことではない、しかし、その報道のお陰で、日本人の素晴らしさが、世界に知らすことになっています。
神の創造物である家族・土地などを失ったとしても、実際は何も失っていないのです。被害にあった人達そしてその家族の人達に対してお祈りをいたします。
私達は、神の創造物であり、神は私達の父なのです。その神は、私達が失った全てのものを、バイブルの中に記載された、「ヨブの苦難」のときと同じように、全てを 2倍にして返そうとしておられるのです。
こんな途轍でもないことを、と読者の皆様は思われるかもしれません。しかし、このヨブの苦難は、バイブルの中で、神とサタン(悪魔)が試練を、ヨブに与える話なのです。
被害者に対して励ましとして、ヨブ記から一部を取りご紹介しましょう。
ヨブは、潔白で正しく、神を畏れ、悪から遠ざかって生活をしていた大富豪家でした。ある日、そのことを嫉妬したサタンが、ヨブがどれだけ神に対して信仰が強いかの賭けの挑戦をするのです。そして、神はサタンの挑戦を受け、ヨブの命には絶対に手を触れてはならないと命じ、ヨブに試練を与える事を許したのです。
翌日、ロバとラクダが略奪され、羊は雹で全滅し、家が崩壊して10人の子供が全員即死し、全ての財産を無くしたのです。ところが、ヨブは神を非難するこは無かったのです。
さらに、悪魔は神に挑戦し、ヨブに重い皮膚病を与えたのです。そして3人の友人が見舞いに来ます。ヨブは彼らに神に対する怒りを示し、苦情を言いますが、一番若い友人エリフがヨブに、「知恵とか命、さらに苦難における救いは神から来る」と大胆にヨブに訴えたのです。
そのエリフの言葉を切っ掛けとして、神は自ら口を開かれ、ヨブに対しての試練の苦難を治めます。こうしてヨブはついに自己を退け、悔い改めによって神の道を選び、神に従って友人のために祈ったのです。
その結果、神はヨブに以前所有していた財産の、2倍の祝福を賜るのです。
津波や被爆の苦しみと戦っている皆様、是非ヨブと同様、決して諦めないで下さい。
信仰とは、唯一の神の存在を認め、信じ、従うことです。ですので神を信じる人達には、必ずヨブのように、神の祝福が来るのです。いつまでも苦しい状況は決して続きません。必ず逆転があることを信じてください。そして「勝ち組み」になってください。
神は、ヨブのように、試練を日本の皆様に与えられました。しかし、神は決して皆様の苦心を忘れているわけではありません。必ず明るい日が来ますので、頑張って下さい。
私達が住む土地は、神が創られ、そして私達に与えられたことを決して忘れてはいけません。そして宇宙を創造したことを疑わず、素直に私達の存在は神のお陰ですと、神に感謝をすることです。
引き寄せの法則の1つとして、潜在意識にファイルしておいてください。
*毛利衛(1948年~): 北海道余名郡で生まれ、真空表面科学、核融合炉壁材料、宇宙実験の化学者、日本人で秋山豊寛に次ぐ2人目の日本人宇宙飛行士となっています。また、藤村記念歴程賞特別賞を受賞しています。
このレビ記は、モーゼに率いられてエジプトを出たイスラエル人がまだ「約束の地・カナン」に入れず、荒野を旅していた時代に書かれています。
そのイスラエル人達は、モーゼの指導の下で、神の導きに従って放浪を続けたのですが、40年放浪していたために、その間は土地を所有できなかったのです。
そして神は、イスラエル人達に対して、土地に関する規定を命じたのです。
その中には、土地を売買するときは、互いに損害を与えてはならないと記されていますし、土地が7年ごとに安息させ、50年ごとに人々を所有地に帰らせることを、神は命じているのです。
その大きな理由は、土地は、神によって創造された、神のものなのです。そして人間が死ねば、チリと成って、地に戻されるわけです。動物、植物はみな同じでしょう。このことを忘れてはなりません。
1992年2月12日にスペースシャトルに搭乗した初の日本人である毛利衛さんは、「地球には国境がありません」言われました。当然、宇宙から見た地球には境界線は引かれていません。グーグル・アースを検索すると、その中のカタゴリーである境界線を選ばない限り、境界線は出てきません。
人間は、神から与えられた土地に、勝手に線を引き、それを自分のものだと主張してきました。そして戦争、剥奪することで、線を引いてきたのです。
金持ちの人達が益々富み、貧しい者が益々貧しくなるという現在の社会を変えるためには、人の心を変えなければならないのです。
それには国境がない愛、つまり「神」が私達を愛しているように、聖書の黄金律、即ち他人を愛することから始まるのではないのでしょうか。
2011年3月11日にマグニチュード7.9の東北地方太平洋沖地震は、地震のダメージよりもダメージが大きな津波が、北陸の街々を飲み込み、原子爆弾が落ちたように、野原となてしまいました。そこには境界線も壁も一切無く、人々は唖然となったのですが、この悲劇によって、色々な人達、団体などが一斉となって援助をしたのです。
世界の多くの報道は、なぜ日本人がパニックに陥らず、冷静で、絶望のどん底に陥らずにいられるのか。そして、なぜに何もかも失ったと感じずにいられるのかを、理解するのは容易いなことではない、しかし、その報道のお陰で、日本人の素晴らしさが、世界に知らすことになっています。
神の創造物である家族・土地などを失ったとしても、実際は何も失っていないのです。被害にあった人達そしてその家族の人達に対してお祈りをいたします。
私達は、神の創造物であり、神は私達の父なのです。その神は、私達が失った全てのものを、バイブルの中に記載された、「ヨブの苦難」のときと同じように、全てを 2倍にして返そうとしておられるのです。
こんな途轍でもないことを、と読者の皆様は思われるかもしれません。しかし、このヨブの苦難は、バイブルの中で、神とサタン(悪魔)が試練を、ヨブに与える話なのです。
被害者に対して励ましとして、ヨブ記から一部を取りご紹介しましょう。
ヨブは、潔白で正しく、神を畏れ、悪から遠ざかって生活をしていた大富豪家でした。ある日、そのことを嫉妬したサタンが、ヨブがどれだけ神に対して信仰が強いかの賭けの挑戦をするのです。そして、神はサタンの挑戦を受け、ヨブの命には絶対に手を触れてはならないと命じ、ヨブに試練を与える事を許したのです。
翌日、ロバとラクダが略奪され、羊は雹で全滅し、家が崩壊して10人の子供が全員即死し、全ての財産を無くしたのです。ところが、ヨブは神を非難するこは無かったのです。
さらに、悪魔は神に挑戦し、ヨブに重い皮膚病を与えたのです。そして3人の友人が見舞いに来ます。ヨブは彼らに神に対する怒りを示し、苦情を言いますが、一番若い友人エリフがヨブに、「知恵とか命、さらに苦難における救いは神から来る」と大胆にヨブに訴えたのです。
そのエリフの言葉を切っ掛けとして、神は自ら口を開かれ、ヨブに対しての試練の苦難を治めます。こうしてヨブはついに自己を退け、悔い改めによって神の道を選び、神に従って友人のために祈ったのです。
その結果、神はヨブに以前所有していた財産の、2倍の祝福を賜るのです。
津波や被爆の苦しみと戦っている皆様、是非ヨブと同様、決して諦めないで下さい。
信仰とは、唯一の神の存在を認め、信じ、従うことです。ですので神を信じる人達には、必ずヨブのように、神の祝福が来るのです。いつまでも苦しい状況は決して続きません。必ず逆転があることを信じてください。そして「勝ち組み」になってください。
神は、ヨブのように、試練を日本の皆様に与えられました。しかし、神は決して皆様の苦心を忘れているわけではありません。必ず明るい日が来ますので、頑張って下さい。
私達が住む土地は、神が創られ、そして私達に与えられたことを決して忘れてはいけません。そして宇宙を創造したことを疑わず、素直に私達の存在は神のお陰ですと、神に感謝をすることです。
引き寄せの法則の1つとして、潜在意識にファイルしておいてください。
*毛利衛(1948年~): 北海道余名郡で生まれ、真空表面科学、核融合炉壁材料、宇宙実験の化学者、日本人で秋山豊寛に次ぐ2人目の日本人宇宙飛行士となっています。また、藤村記念歴程賞特別賞を受賞しています。
母の日に贈るイラスト
母の日に贈る詩
私の母は1人だけ
空に輝く星のは、数百万、
海岸の貝殻は、数百万、
空に飛んで、奇麗な声で歌ってくれる鳥は、数百、
奇麗な花に蜜を吸い取っているミツバチは、数百、
芝生の上に舞う蝶は、何百、
しかし世界中のどこを探しても、私の母はひとりだけ。
素晴らしい母
神は、私のために素晴らしい母を創ってくれました。
私の母は決して年をとらない母なのです。
神は、太陽の光と同様、母の輝く笑顔を創ってくれました。
そして神は、純金の心を母に与えてくれました。
常に母の目には、明るい星のような輝を出して、私を見守ってくれています。
そして母の頬は常にバラ色で、温かく、私の顔にこすりつけてくれます。
神は、素晴らしい母親を創ってくれました。
そして私にその愛する母を与えくれたのです。
私は母に感謝すると同時に、神にも感謝します。
母の愛
母の愛は、広大で、海の中に大きく突き出た島、
そして強風、豪雨、嵐から逃げられる、穏やかで、静かな避難場所です。
北は希望、西は忍耐、南は保護、東は安らぎ、
信仰、真理、そして祈りを上から強い光で、私に照らし出してくれています。
そして私は、危険や問題があれば、その避難所を、母に求めていきます。
お母さん、いつも私を見守っていてくれて、ありがとう。
母の日に贈る詩
私の母は1人だけ
空に輝く星のは、数百万、
海岸の貝殻は、数百万、
空に飛んで、奇麗な声で歌ってくれる鳥は、数百、
奇麗な花に蜜を吸い取っているミツバチは、数百、
芝生の上に舞う蝶は、何百、
しかし世界中のどこを探しても、私の母はひとりだけ。
素晴らしい母
神は、私のために素晴らしい母を創ってくれました。
私の母は決して年をとらない母なのです。
神は、太陽の光と同様、母の輝く笑顔を創ってくれました。
そして神は、純金の心を母に与えてくれました。
常に母の目には、明るい星のような輝を出して、私を見守ってくれています。
そして母の頬は常にバラ色で、温かく、私の顔にこすりつけてくれます。
神は、素晴らしい母親を創ってくれました。
そして私にその愛する母を与えくれたのです。
私は母に感謝すると同時に、神にも感謝します。
母の愛
母の愛は、広大で、海の中に大きく突き出た島、
そして強風、豪雨、嵐から逃げられる、穏やかで、静かな避難場所です。
北は希望、西は忍耐、南は保護、東は安らぎ、
信仰、真理、そして祈りを上から強い光で、私に照らし出してくれています。
そして私は、危険や問題があれば、その避難所を、母に求めていきます。
お母さん、いつも私を見守っていてくれて、ありがとう。
あなたは、自分の力と手の働きで、この富を築いたなどと考えてはならないのです。富を築く力をあなたに与えられたのは神であり、神が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのです。 (申命記第8章17~18節)
人々が神が全てを創造したことを(宇宙、動物、植物など)忘れる時、隣人も忘れることが多く、そして失敗した人達をみて、「彼らは努力しなかったから失敗した。だから当然の事だ」などを言って、「負け組み」をケナス人達を見かけます。
その人達は、神が創造した富に対して感謝することを忘れ、傲慢になっている時なのです。そしてそのような人達を神は裁かれるのです。強欲は絶対に持ってはいけません。この時、全ての富を失うこととなります。
神は、私達を裁くことによって、私達を救おうとしているのです。
ユダヤ人達は、神の言葉を、守ることによって救いが得られると信じること、即ち、律法主義という立場を重んじていたのです。そのために、神の言葉を用いて、律法を厳格に守らない人達に対して、人間が人間を裁くという状況が発生したのです。
神の本質は、「愛」なのです。その神の愛が私達のお金・富を築く力を与えてくれているのです。
バイブルの中には、当時の世界一の金持ちの話が記されています。
それはダビデ王の子ソロモンで、イスラエル王国の第三代目の王となります。当時のソロモン王の宮殿は、父ダビデの遺産を受け継いで、黄金の「契約の箱」を安置するための「神殿」を造り上げたのです。また絢爛豪華を誇り、あらゆる贅を尽くして建造されたソロモンの宮殿でもあったのです。
神殿と宮殿には、惜しみなく金、銀、宝石類を使用し、建物全体は煌めくうような白大理石で造られていました。
そして神殿の入り口には、巨大な彫像がたたずみ、扉には、象牙がはめ込まれ、巨大な青銅の柱が林立し、黄金の器や壮麗な飾り石が無数に配置され、床から天井にいたるまで神殿の内側はすべて純金で覆い、内堂におかれたオリーブ材で作られた2体の天使ケルビムも純金で覆われ、高さ4.4メートル、翼の大きさがそれぞれ2.2メートルで、両翼が壁に届いていたのです。
因みに、ソロモン王が所有した金は、10万3千ターレント(5千トン)、銀は、百万7千ターレント(6万トン)、そして計り知れない宝石を持っていたのです。(Ⅰ列王記第9~11章)
そして、その神殿がいかに、すごいものであったかは、当時、ソロモン王を訪問したシェバの女王が、「宮殿を見て、息も止まるばかりの豪華さだった」 と記されています。(Ⅰ列王記第10章1~9節)
これらのお金・富を得たのは、神からの祝福があったからなのです。それは、ある日、神がソロモンの夢のうちに現れ、神は彼の望みを聞きます。その時にソロモン王は、「民を正しく裁(さば)き、善と悪を判断することができるように、このしもべに聞き分ける心をお与えください」と答えています。(Ⅰ列王記第3章7~9節)
それに対して神は、「貴方がこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、貴方の敵の命をも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、今、私は貴方の言ったとおりにする。見よ。私は貴方に知恵の心と判断する心とを与える。貴方の先に、貴方のような者はなかった。また、貴方のあとに、貴方のような者も起こらない」と言われたのです。(Ⅰ列王記第3章11~12節)
ソロモン王は神対して、「お金ではなく知恵を下さい」とお願いしたことで、神は富と知恵をソロモンに与えています。
当時のソロモン王は、「自分の力と手の働きで、この富を築いた」と言う考えはまったく無く、常に自分の持っている富は神からの贈り物であると感謝をしたのです。
その神の一つの贈り物とは、他国との貿易によって経済的大繁栄をもたらすことだったのです。そして、その感謝として、ソロモン王は、エルサレム大神殿そして宮殿を巨大な費用を掛けて造ることと成ったのです。
その間、ソロモン王は、ユダ族(アブラハムから継続した民族)を優遇したことで、他の部族からの反乱が起き、君主政治支持者と部族分離主義者との対立ができてしまいました。
更に、悪いことには、ソロモン王はそのようなことに一切目を配らず、ただ享楽に耽っていったのです。そのため、イスラエルの国は財政赤字が拡大してしまい、国民に対しての重税の負担が激増となり、国民が激怒し、さらに、ユダヤ教以外の異教信仰や偶像崇拝を黙認してしまいます。
その結果、ソロモン王は、唯一の神の命令を守らなかったことで、神の怒りを受け、財政破綻そして崩壊への道を歩むこととなるのです。
ソロモン王がエルサレムで全イスラエルの王であった期間は40年でした。
王の死後、王の子レハブアムが王位を継承するのですが、一度も民を治めたことが無い者が、一度も民を治めたことが無い者に相談した結果、イスラエル王国は、南のユダ王国(2の部族)そして北のイスラエル王国(10の部族)と分裂していまいます。
その後、イスラエル王国はアッシリア帝国によって陥落、10部族は囚人となって、唯一の神に対する信仰を失っています。そして、ユダ王国もアッシリア帝国に代わって勢力を増した、バビロニア帝国に首都エルサレムを陥落され、2部族は捕囚となってしまい、エルサレムは予言どおり神の罰を受け、滅んでしまいました。
人間は、お金・富持ちになるほど、更にお金・富が欲しくなり(強欲)、地位が高くなればなるほど、更に高い地位を望むの(傲慢)が普通でしょう。
しかし神に感謝をせず、自分だけの力を信じることと、良いパートナーとして一緒に築き上げることをしなければ、お金・富を得ることは、決して出来ないのです。
当然、「お金」は収支が合わなくなれば、自然に逃げて行きます。お金には足があります。しかし知恵はありません。そして、この知恵は、いくらでも使うことができ、使うほど知恵は逃げず、泉のように溢れてきます。その知恵を利用すること、即ち神が与えてくれた贈り物をフルに活かすことで、お金・富を築き上げることが出来るのです。
ソロモン王は、このことを十分理解していて、見えるものは見えないものに支配されるこという原理を徹底してコーラン(旧約)から見出していたわけですが、お金・富を得た後、神の存在を忘れてしまい、心の目がつぶれてしまって、神の怒りを買ってしまったわけです。
もっと詳しく調べたい方々は、『幸せな億万長者になる賢者ソロモン王の教え』(ブルース・フリート、アルトン・ガンスキー/著、佐藤利恵/訳、メトロポリタンプレス/刊)を参考にしてください。
ところで、CIA(米国中央情報局)ウィリアム・コルビー元長官*が1989年に、私にこのような話をしてくれています。「歴史的に超高層ビルが完成した際、その国の景気後退がみられ、株式市場に暴落が生じる」と教えてくれました。
この意味は、人類が世界最高峰の建築物を求め始めると、必ずといっていいほどその後に金融危機が来るのという意味なのです。
人間の利欲・見栄が高層ビルを建築し、権力を見せびらかのですが、その華やかさの裏には、必ずと言っていいほど、金融バブルが付いているのです。歴史的に観れば、ソロモンの神殿やバベルの塔が良い例でしょう。また東京都庁ビルが完成した1991年から1993年は「第一次平成不況期」となっています。
中国では、とてつもない超高層ビルの建築ラッシュとなっており、バブル経済が近づいてきているようです。またUAEとサウジアラビアにも超高層ビルラッシュとなっていて、ジェッダには世界で最高のビル、キングダム・タワーが2016~2017年に完成するとのことです。イスラム教の国にも西洋の悪影響が出来ているようですね。
人間の欲は限りなくあり、バイブル、コーランなどの聖典に書かれていることを、守らないで行動、その結果は、歴史的に見ても、神からのサイン・予告を読むことが出来なかったために崩壊して行く羽目になるのです。
さて、ここで少しイエス・キリストの話を触れたいと思います。
「神の子なら、この石をパンに変えてみよ」とサタンはイエス・キリストに言います。イエス・キリストは「人はパンだけで生きているわけではない。神の言葉で生きるものである」と答え、更にサタンは、「神の子なら、ここから飛び降りてみよ。天使があなたを支えてくれるかどうか。」と問い詰めたのです。そしてイエス・キリストは、「神を試してはならない」と答えたのです。 更にサタンは、「この国々のいっさいの権力と繁栄を与えよう」と言ったのですが、イエス・キリストは、「サタンよ、退け。ただ、神に仕えるのみである。権力などいらない」と答えたのです。そしてサタンは立ち去り、天使たちが来て、イエス・キリストに仕えています。(マタイの福音書4章、マルコの福音書1章、ルカの福音書4章)
イエス・キリストは、サタンに「神に仕えるのみ」、そして権力、繁栄は必要がないとはっきり宣言しています。そして、イエス・キリストは私達のために、サタンの誘惑を追放してくれています。そのイエス・キリストは私達に与えてくれた「神からの贈り物」なのです。ですので、私達が「お金・富」を築き上げたときに、驕ることは絶対にいけないことなのです。
人間の利欲は、神が創ったものではなく、私達、人間が造ったものなのです。即ち、サタンの誘惑に乗ってしまったことなのです。
*契約の箱: アカシヤ材で作られ、長さ約1.1m、幅約66cm、高さ約66cmで、純金を内外にかぶせ、持ち運びができるよう左右に2個ずつ金の環を取り付け、金で覆った担ぎ棒を差し込んだものでした。この箱の中に神がモーゼに渡した「十戒」が記された2枚の石板、すなわち神の契約のあかしが収められています。
*ソロモンの金の保有量: 2011年11月の金価格で5,000トンを計算すると約300,000,000ドル/円換算$1=100とすると10兆円となります。当時、貿易の交換通貨として金が使われていました。
*ウィリアム・コルビー: CIAの存在意義が最も問われた1973年から1976年にかけてCIAの長官を務めた。CIAの「MKウルトラ」と呼ばれる洗脳実験への関与や、外国の指導者に対する暗殺計画について公の場で証言した重要な人物です。
人々が神が全てを創造したことを(宇宙、動物、植物など)忘れる時、隣人も忘れることが多く、そして失敗した人達をみて、「彼らは努力しなかったから失敗した。だから当然の事だ」などを言って、「負け組み」をケナス人達を見かけます。
その人達は、神が創造した富に対して感謝することを忘れ、傲慢になっている時なのです。そしてそのような人達を神は裁かれるのです。強欲は絶対に持ってはいけません。この時、全ての富を失うこととなります。
神は、私達を裁くことによって、私達を救おうとしているのです。
ユダヤ人達は、神の言葉を、守ることによって救いが得られると信じること、即ち、律法主義という立場を重んじていたのです。そのために、神の言葉を用いて、律法を厳格に守らない人達に対して、人間が人間を裁くという状況が発生したのです。
神の本質は、「愛」なのです。その神の愛が私達のお金・富を築く力を与えてくれているのです。
バイブルの中には、当時の世界一の金持ちの話が記されています。
それはダビデ王の子ソロモンで、イスラエル王国の第三代目の王となります。当時のソロモン王の宮殿は、父ダビデの遺産を受け継いで、黄金の「契約の箱」を安置するための「神殿」を造り上げたのです。また絢爛豪華を誇り、あらゆる贅を尽くして建造されたソロモンの宮殿でもあったのです。
神殿と宮殿には、惜しみなく金、銀、宝石類を使用し、建物全体は煌めくうような白大理石で造られていました。
そして神殿の入り口には、巨大な彫像がたたずみ、扉には、象牙がはめ込まれ、巨大な青銅の柱が林立し、黄金の器や壮麗な飾り石が無数に配置され、床から天井にいたるまで神殿の内側はすべて純金で覆い、内堂におかれたオリーブ材で作られた2体の天使ケルビムも純金で覆われ、高さ4.4メートル、翼の大きさがそれぞれ2.2メートルで、両翼が壁に届いていたのです。
因みに、ソロモン王が所有した金は、10万3千ターレント(5千トン)、銀は、百万7千ターレント(6万トン)、そして計り知れない宝石を持っていたのです。(Ⅰ列王記第9~11章)
そして、その神殿がいかに、すごいものであったかは、当時、ソロモン王を訪問したシェバの女王が、「宮殿を見て、息も止まるばかりの豪華さだった」 と記されています。(Ⅰ列王記第10章1~9節)
これらのお金・富を得たのは、神からの祝福があったからなのです。それは、ある日、神がソロモンの夢のうちに現れ、神は彼の望みを聞きます。その時にソロモン王は、「民を正しく裁(さば)き、善と悪を判断することができるように、このしもべに聞き分ける心をお与えください」と答えています。(Ⅰ列王記第3章7~9節)
それに対して神は、「貴方がこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、貴方の敵の命をも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、今、私は貴方の言ったとおりにする。見よ。私は貴方に知恵の心と判断する心とを与える。貴方の先に、貴方のような者はなかった。また、貴方のあとに、貴方のような者も起こらない」と言われたのです。(Ⅰ列王記第3章11~12節)
ソロモン王は神対して、「お金ではなく知恵を下さい」とお願いしたことで、神は富と知恵をソロモンに与えています。
当時のソロモン王は、「自分の力と手の働きで、この富を築いた」と言う考えはまったく無く、常に自分の持っている富は神からの贈り物であると感謝をしたのです。
その神の一つの贈り物とは、他国との貿易によって経済的大繁栄をもたらすことだったのです。そして、その感謝として、ソロモン王は、エルサレム大神殿そして宮殿を巨大な費用を掛けて造ることと成ったのです。
その間、ソロモン王は、ユダ族(アブラハムから継続した民族)を優遇したことで、他の部族からの反乱が起き、君主政治支持者と部族分離主義者との対立ができてしまいました。
更に、悪いことには、ソロモン王はそのようなことに一切目を配らず、ただ享楽に耽っていったのです。そのため、イスラエルの国は財政赤字が拡大してしまい、国民に対しての重税の負担が激増となり、国民が激怒し、さらに、ユダヤ教以外の異教信仰や偶像崇拝を黙認してしまいます。
その結果、ソロモン王は、唯一の神の命令を守らなかったことで、神の怒りを受け、財政破綻そして崩壊への道を歩むこととなるのです。
ソロモン王がエルサレムで全イスラエルの王であった期間は40年でした。
王の死後、王の子レハブアムが王位を継承するのですが、一度も民を治めたことが無い者が、一度も民を治めたことが無い者に相談した結果、イスラエル王国は、南のユダ王国(2の部族)そして北のイスラエル王国(10の部族)と分裂していまいます。
その後、イスラエル王国はアッシリア帝国によって陥落、10部族は囚人となって、唯一の神に対する信仰を失っています。そして、ユダ王国もアッシリア帝国に代わって勢力を増した、バビロニア帝国に首都エルサレムを陥落され、2部族は捕囚となってしまい、エルサレムは予言どおり神の罰を受け、滅んでしまいました。
人間は、お金・富持ちになるほど、更にお金・富が欲しくなり(強欲)、地位が高くなればなるほど、更に高い地位を望むの(傲慢)が普通でしょう。
しかし神に感謝をせず、自分だけの力を信じることと、良いパートナーとして一緒に築き上げることをしなければ、お金・富を得ることは、決して出来ないのです。
当然、「お金」は収支が合わなくなれば、自然に逃げて行きます。お金には足があります。しかし知恵はありません。そして、この知恵は、いくらでも使うことができ、使うほど知恵は逃げず、泉のように溢れてきます。その知恵を利用すること、即ち神が与えてくれた贈り物をフルに活かすことで、お金・富を築き上げることが出来るのです。
ソロモン王は、このことを十分理解していて、見えるものは見えないものに支配されるこという原理を徹底してコーラン(旧約)から見出していたわけですが、お金・富を得た後、神の存在を忘れてしまい、心の目がつぶれてしまって、神の怒りを買ってしまったわけです。
もっと詳しく調べたい方々は、『幸せな億万長者になる賢者ソロモン王の教え』(ブルース・フリート、アルトン・ガンスキー/著、佐藤利恵/訳、メトロポリタンプレス/刊)を参考にしてください。
ところで、CIA(米国中央情報局)ウィリアム・コルビー元長官*が1989年に、私にこのような話をしてくれています。「歴史的に超高層ビルが完成した際、その国の景気後退がみられ、株式市場に暴落が生じる」と教えてくれました。
この意味は、人類が世界最高峰の建築物を求め始めると、必ずといっていいほどその後に金融危機が来るのという意味なのです。
人間の利欲・見栄が高層ビルを建築し、権力を見せびらかのですが、その華やかさの裏には、必ずと言っていいほど、金融バブルが付いているのです。歴史的に観れば、ソロモンの神殿やバベルの塔が良い例でしょう。また東京都庁ビルが完成した1991年から1993年は「第一次平成不況期」となっています。
中国では、とてつもない超高層ビルの建築ラッシュとなっており、バブル経済が近づいてきているようです。またUAEとサウジアラビアにも超高層ビルラッシュとなっていて、ジェッダには世界で最高のビル、キングダム・タワーが2016~2017年に完成するとのことです。イスラム教の国にも西洋の悪影響が出来ているようですね。
人間の欲は限りなくあり、バイブル、コーランなどの聖典に書かれていることを、守らないで行動、その結果は、歴史的に見ても、神からのサイン・予告を読むことが出来なかったために崩壊して行く羽目になるのです。
さて、ここで少しイエス・キリストの話を触れたいと思います。
「神の子なら、この石をパンに変えてみよ」とサタンはイエス・キリストに言います。イエス・キリストは「人はパンだけで生きているわけではない。神の言葉で生きるものである」と答え、更にサタンは、「神の子なら、ここから飛び降りてみよ。天使があなたを支えてくれるかどうか。」と問い詰めたのです。そしてイエス・キリストは、「神を試してはならない」と答えたのです。 更にサタンは、「この国々のいっさいの権力と繁栄を与えよう」と言ったのですが、イエス・キリストは、「サタンよ、退け。ただ、神に仕えるのみである。権力などいらない」と答えたのです。そしてサタンは立ち去り、天使たちが来て、イエス・キリストに仕えています。(マタイの福音書4章、マルコの福音書1章、ルカの福音書4章)
イエス・キリストは、サタンに「神に仕えるのみ」、そして権力、繁栄は必要がないとはっきり宣言しています。そして、イエス・キリストは私達のために、サタンの誘惑を追放してくれています。そのイエス・キリストは私達に与えてくれた「神からの贈り物」なのです。ですので、私達が「お金・富」を築き上げたときに、驕ることは絶対にいけないことなのです。
人間の利欲は、神が創ったものではなく、私達、人間が造ったものなのです。即ち、サタンの誘惑に乗ってしまったことなのです。
*契約の箱: アカシヤ材で作られ、長さ約1.1m、幅約66cm、高さ約66cmで、純金を内外にかぶせ、持ち運びができるよう左右に2個ずつ金の環を取り付け、金で覆った担ぎ棒を差し込んだものでした。この箱の中に神がモーゼに渡した「十戒」が記された2枚の石板、すなわち神の契約のあかしが収められています。
*ソロモンの金の保有量: 2011年11月の金価格で5,000トンを計算すると約300,000,000ドル/円換算$1=100とすると10兆円となります。当時、貿易の交換通貨として金が使われていました。
*ウィリアム・コルビー: CIAの存在意義が最も問われた1973年から1976年にかけてCIAの長官を務めた。CIAの「MKウルトラ」と呼ばれる洗脳実験への関与や、外国の指導者に対する暗殺計画について公の場で証言した重要な人物です。
「神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません」
(第一テモテへの手紙第4章15節)
引き寄せ法則の第一は、まず天地創造のことを理解することです。
私達の身近にある自然、動物などのすべてを、神が創造、そして人間が何のために地球上に生まれたのか、一体地球は何のために造られたのかが書かれているため、バイブルの創世記に目を通されることを、お薦めいたします。
ご存知のように、天地創造から始まる、バイブルは、宇宙と万物の起源が書かれていますので、神自身の目的・目標を読み取ってください。私達は、「神の愛」から創られたのです。
最初に光を創造、大空、陸と海、植物、天体、生き物、そして最後に、全ての生き物を支配するものとして、神は自分の形に似せた人間を創ったのです。その創造の期間は、6日だったのです。そして7日目には、神は休まれたのです。この7日にあたる日を、安息日と呼んでいます。
この天地創造は、第6日目にある、人間は、創造なる神自身に似せて造られたとバイブルに書かれていますが、人間が神のような本能を持たされたということです。
この絵はミケランジェロがシスティーナ礼拝堂天井画に描いたものですが、絵画だけの歴史を見ても解るように、「人間」が創造してきたものは、素晴らしいものがあります。そして、科学、物理、化学、生物、医学、地学、工学、建築学等の分野や、 絵画、音楽、工芸、陶器、写真、舞踏、染め物等の文化・芸術などの分野が地球上にびっしりと詰まっています。
さて、創造論に対する反対は、昔から沢山の意見がありますが、ヘブライ語(ユダヤ人)から翻訳された「日」とは、「長い時間、特別な出来事」という意味であり、創造の6日間は数千年、あるいは数億年の期間と考えられています。
この豊なもの、即ちバイブルを書いたのは人間ですが、その豊な創造性は、神から与えられたものなのです。ですので、全ての物(知能・才能も含めて)は、神から預かったと言っても良いかもしれません。
現世は無神論者達が蔓延っていて、神の存在や神に感謝することなど、とんでもないという人達が沢山いますが、彼らに対して色々な学者達は、過去において無神論者達に忠告をして来ています。
それらの人達の中から、見えない神の存在に対しての言葉を少し選択して,、紹介しましょう。
科学で、神の存在を証明が出来ることが解って来たのは、つい最近のことでした。20世紀初頭では天文学者も含めてほとんどの人達は定常宇宙説を信じていました。しかし、ビッグバンが相対性理論によって証明されて、一番当惑したのは科学者だったのです。
ほとんどの科学者は、「宇宙に始まりがあった」などという考えは、まるっきり馬鹿げていると思っていたのです。また科学の理論は、常に変化していっていますが、バイブルに記されている唯一の神は、絶対で、不変なのです。
では、科学者の神に関する意見を見てみましょう。
万有引力の法則の発見者である「アイザック・ニュートン」は、著書『プリンキピア』のなかで、「太陽、惑星、彗星から成る美しい天体系は、知性を有する強力な存在者の意図と支配から発した以外には考えることができない」、また「至上の神は、永遠、無窮、全く完全なかたであられる」など、自らの新しい科学的知見に基礎づけられた「神の存在論証」によって無神論者に対して反撃したのです。
科学者の「アルバート・アインシュタイン博士」は、「私は、神の天地創造の足跡を探していく人間である」と語ったと伝えられます。そして彼はユダヤ人でした。
天文学者の 「ジョージ・グリーンスタイン博士」は、「すべての証拠を調べると,何らかの超自然的な存在(力を持つ者)が関係しているに違いないという考えが絶えず浮かんできます。私達は突然に,知らないうちに絶対的実在者の存在の証拠を発見するということがあり得るのでしょうか」 と言いっています。そして彼もユダヤ人でした。
実験物理学者の「レオン・レーダーマン博士」は、「神がつくった究極の素粒子」 という著書を出版して、神の存在と科学の関係を説いています。それは、「神のもとにあっては、素粒子一種と力一種の世界であり、力は一つのメッセンジャーによって媒介された」と言っています。更に彼もユダヤ人でした。
ここで面白い科学的に証明される神の存在に関しての文献(統一思想研究院)を紹介しましょう。
1974年にイギリスの宇宙物理学者の「ブランドン・カーター博士」が、神と科学に関する発表をしているのです。それは「宇宙は、意識や知性という能力を持つ存在を生み出すのに必要な性質のすべてを、きわめて正確に持ちあわせている」というのです。
その解釈は、「もし重力が今よりやや弱かったとすれば、恒星において核融合は起こらず、生命に必要な熱と光は得られなかったであろう。そして、もし重力が今よりやや強かったとすれば、すべての恒星は短期間で燃え尽きてしまい、惑星において生命が生まれる時間的余裕はなかったであろう。それゆえ、宇宙は目も眩むばかりの正確さをもって調整されているのである。このような事実も、神による宇宙創造を強く支持するものである。」とのこと。
歴史上、色々な学者は、神の存在を否定せず、逆に神の存在を認めることで、「神と科学」が共存し、人生に切っても切り離せない難問を説いて来ています。
神の存在を認める科学者の名前は、ニコラス・コペルニクス、フライシス・ベーコン、ヨハネス・ケプラー、ガリレオ・ガリレイ、ルネー・デカルト、ロバート・ボイル、マイケル・ファラデー、グレゴル・メンデル、 ウィリアム・トンプソン・ケルビン、マックス・プランクなどがいます。また日本人では、村上和雄、加來 道雄などです。
科学こそ神の摂理を学ぶ事であり、恵みへ感謝、そして敬虔な神の真理なのです。
ですので、引き寄せの方法の1つの法則は、人間の知能、知恵を超える偉大な知性を持ち、知的生命のいる宇宙を創造された、唯一の神の存在を認めることであり、その神に感謝をするべきではないでしょうか。
* 『プリンキピア』: キリスト教信者であるアイザック・ニュートンが力学体系を解説した、近代科学における最も重要な著作の1つで、天体の運動や万有引力の数学的法則を扱っています。
* アルバート・アインシュタイン博士: ユダヤ人で世界的に有名な公式「 E=mc2 」が、その時まで知られていなかった宇宙の謎を解明、その10 年後 1915 年、「一般相対性理論」を完成させ、1921年にはノーベル物理学賞を受賞して、科学史における象徴的な地位を確立しました。
* ジョージ・グリーンスタイン博士: ユダヤ人で米国マサチューセッツ州のアムハースト私立大学シドニー・ディロンの天文学教授。物理学において、スタンフォード大学で理学士号、イェール大学で博士号を取得。当初は理論天体物理学の研究を中心にしていましたが、後に文筆活動に移る。多くの著書があり、科学者ではない人々のために科学を分かりやすく解説しています。最初の本『パルサー・ブラッ クホール 時間を凍結する星』は、2つの科学書賞を受賞しています。
* レオン・レーダーマン博士(1922年~現在): ユダヤ人でニュートリノビーム法とミューニュートリノの発見によるレプトンの二重構造の実証でノーベル物理学賞を受賞しています。笑う実験物理学者として有名です。
* ブランドン・カーター博士(1942年~現在): オーストラリア人でパリ天文台宇宙理論研究所に所属、ブラック・ホールに関しての専門家です。
(第一テモテへの手紙第4章15節)
引き寄せ法則の第一は、まず天地創造のことを理解することです。
私達の身近にある自然、動物などのすべてを、神が創造、そして人間が何のために地球上に生まれたのか、一体地球は何のために造られたのかが書かれているため、バイブルの創世記に目を通されることを、お薦めいたします。
ご存知のように、天地創造から始まる、バイブルは、宇宙と万物の起源が書かれていますので、神自身の目的・目標を読み取ってください。私達は、「神の愛」から創られたのです。
最初に光を創造、大空、陸と海、植物、天体、生き物、そして最後に、全ての生き物を支配するものとして、神は自分の形に似せた人間を創ったのです。その創造の期間は、6日だったのです。そして7日目には、神は休まれたのです。この7日にあたる日を、安息日と呼んでいます。
この天地創造は、第6日目にある、人間は、創造なる神自身に似せて造られたとバイブルに書かれていますが、人間が神のような本能を持たされたということです。
この絵はミケランジェロがシスティーナ礼拝堂天井画に描いたものですが、絵画だけの歴史を見ても解るように、「人間」が創造してきたものは、素晴らしいものがあります。そして、科学、物理、化学、生物、医学、地学、工学、建築学等の分野や、 絵画、音楽、工芸、陶器、写真、舞踏、染め物等の文化・芸術などの分野が地球上にびっしりと詰まっています。
さて、創造論に対する反対は、昔から沢山の意見がありますが、ヘブライ語(ユダヤ人)から翻訳された「日」とは、「長い時間、特別な出来事」という意味であり、創造の6日間は数千年、あるいは数億年の期間と考えられています。
この豊なもの、即ちバイブルを書いたのは人間ですが、その豊な創造性は、神から与えられたものなのです。ですので、全ての物(知能・才能も含めて)は、神から預かったと言っても良いかもしれません。
現世は無神論者達が蔓延っていて、神の存在や神に感謝することなど、とんでもないという人達が沢山いますが、彼らに対して色々な学者達は、過去において無神論者達に忠告をして来ています。
それらの人達の中から、見えない神の存在に対しての言葉を少し選択して,、紹介しましょう。
科学で、神の存在を証明が出来ることが解って来たのは、つい最近のことでした。20世紀初頭では天文学者も含めてほとんどの人達は定常宇宙説を信じていました。しかし、ビッグバンが相対性理論によって証明されて、一番当惑したのは科学者だったのです。
ほとんどの科学者は、「宇宙に始まりがあった」などという考えは、まるっきり馬鹿げていると思っていたのです。また科学の理論は、常に変化していっていますが、バイブルに記されている唯一の神は、絶対で、不変なのです。
では、科学者の神に関する意見を見てみましょう。
万有引力の法則の発見者である「アイザック・ニュートン」は、著書『プリンキピア』のなかで、「太陽、惑星、彗星から成る美しい天体系は、知性を有する強力な存在者の意図と支配から発した以外には考えることができない」、また「至上の神は、永遠、無窮、全く完全なかたであられる」など、自らの新しい科学的知見に基礎づけられた「神の存在論証」によって無神論者に対して反撃したのです。
科学者の「アルバート・アインシュタイン博士」は、「私は、神の天地創造の足跡を探していく人間である」と語ったと伝えられます。そして彼はユダヤ人でした。
天文学者の 「ジョージ・グリーンスタイン博士」は、「すべての証拠を調べると,何らかの超自然的な存在(力を持つ者)が関係しているに違いないという考えが絶えず浮かんできます。私達は突然に,知らないうちに絶対的実在者の存在の証拠を発見するということがあり得るのでしょうか」 と言いっています。そして彼もユダヤ人でした。
実験物理学者の「レオン・レーダーマン博士」は、「神がつくった究極の素粒子」 という著書を出版して、神の存在と科学の関係を説いています。それは、「神のもとにあっては、素粒子一種と力一種の世界であり、力は一つのメッセンジャーによって媒介された」と言っています。更に彼もユダヤ人でした。
ここで面白い科学的に証明される神の存在に関しての文献(統一思想研究院)を紹介しましょう。
1974年にイギリスの宇宙物理学者の「ブランドン・カーター博士」が、神と科学に関する発表をしているのです。それは「宇宙は、意識や知性という能力を持つ存在を生み出すのに必要な性質のすべてを、きわめて正確に持ちあわせている」というのです。
その解釈は、「もし重力が今よりやや弱かったとすれば、恒星において核融合は起こらず、生命に必要な熱と光は得られなかったであろう。そして、もし重力が今よりやや強かったとすれば、すべての恒星は短期間で燃え尽きてしまい、惑星において生命が生まれる時間的余裕はなかったであろう。それゆえ、宇宙は目も眩むばかりの正確さをもって調整されているのである。このような事実も、神による宇宙創造を強く支持するものである。」とのこと。
歴史上、色々な学者は、神の存在を否定せず、逆に神の存在を認めることで、「神と科学」が共存し、人生に切っても切り離せない難問を説いて来ています。
神の存在を認める科学者の名前は、ニコラス・コペルニクス、フライシス・ベーコン、ヨハネス・ケプラー、ガリレオ・ガリレイ、ルネー・デカルト、ロバート・ボイル、マイケル・ファラデー、グレゴル・メンデル、 ウィリアム・トンプソン・ケルビン、マックス・プランクなどがいます。また日本人では、村上和雄、加來 道雄などです。
科学こそ神の摂理を学ぶ事であり、恵みへ感謝、そして敬虔な神の真理なのです。
ですので、引き寄せの方法の1つの法則は、人間の知能、知恵を超える偉大な知性を持ち、知的生命のいる宇宙を創造された、唯一の神の存在を認めることであり、その神に感謝をするべきではないでしょうか。
* 『プリンキピア』: キリスト教信者であるアイザック・ニュートンが力学体系を解説した、近代科学における最も重要な著作の1つで、天体の運動や万有引力の数学的法則を扱っています。
* アルバート・アインシュタイン博士: ユダヤ人で世界的に有名な公式「 E=mc2 」が、その時まで知られていなかった宇宙の謎を解明、その10 年後 1915 年、「一般相対性理論」を完成させ、1921年にはノーベル物理学賞を受賞して、科学史における象徴的な地位を確立しました。
* ジョージ・グリーンスタイン博士: ユダヤ人で米国マサチューセッツ州のアムハースト私立大学シドニー・ディロンの天文学教授。物理学において、スタンフォード大学で理学士号、イェール大学で博士号を取得。当初は理論天体物理学の研究を中心にしていましたが、後に文筆活動に移る。多くの著書があり、科学者ではない人々のために科学を分かりやすく解説しています。最初の本『パルサー・ブラッ クホール 時間を凍結する星』は、2つの科学書賞を受賞しています。
* レオン・レーダーマン博士(1922年~現在): ユダヤ人でニュートリノビーム法とミューニュートリノの発見によるレプトンの二重構造の実証でノーベル物理学賞を受賞しています。笑う実験物理学者として有名です。
* ブランドン・カーター博士(1942年~現在): オーストラリア人でパリ天文台宇宙理論研究所に所属、ブラック・ホールに関しての専門家です。
意外と目的・目標を理解していない人達が多いので、ここで小学校の生徒に戻って、簡単に説明をします。
目的設定を、「今年、売上げを伸ばす」とした場合、目標設定は、「毎月1千万の売上げを達成」、「新しい商品を発表させる」、「そのための市場調査をする」などが上げられます。
このように、目的に対して、「具体的な目標を立てる事」が重要なのです。
ですので、目標は、目的に比べ、設定度は低くても、具体的なものなのです。そして、ある程度、実現が可能なものを、1つ1つ設定していくことなのです。即ち計画することです。
私の目的は、このブログや本を通じて、日本の皆様に少しでも自殺がなくなること、そしてバイブル通じて幸せで楽しく生活を送っていただけることです。そしていかに多くの人達に読んでもらうことです。
それにはどうすればいいのかという具体的で現実的であるのが、私の目標なのです。
出版してくれる出版社を探すことや、積極的に、マーケティングをすること、本の内容を充実させるために更に多くの書物を読み、参考にすること、そしてインターネットや、アマゾン・ブックなどで多くの人達に紹介していくことです。
期日に関しては、目標を時間表に記入していきます。
例えば、私の本の第1章は、12月1日に終わらせるとかの項目と期日をきちんと記入することなのです。
「目標の達成」は、「目的達成」までの一歩一歩の長い道のりなのです。
「目的」を決めたらその「目的達成」のために、努力そして他人から協力を頂き、完成させることでしょう。
では、「企業の目的」とは何なのでしょうか。それは、継続的に良い商品を提供することで、利益を出し、働く人達とその家族達、更に社会に貢献することで幸福をもたらすことではないのでしょうか。
企業は、優秀な人材、組織力、資金、マーケティングなどを利用してビジネスの収益率を高める努力をします。それには必ずと言っていいほど、「目的・目標」から生まれた計画があります。「目標達成」をする前の、「目的」は明確に作っていることです。
「無目的・無目標」で経営すれば、目に見えて失敗します。
従って、自分の過去を振り返って、失敗談、成功談を徹底的に追求することで、自分を理解し、神からの贈り物、即ち能力・才能を発揮・利用して、世間に貢献することなのです。
では、「個人の目的」とはなんなのでしょうか。個人の目的には格差があり、一概に言えないのですが、例を挙げると、経済的な成功が幸せであるとか、仕事のやりがいや達成感・充実感が幸であるとか、人のためになるということが幸せであるとかであり、人によって様々な価値観があります。しかし、人間は生きている限り、誰もが幸福でありたいと願うものなのです。
簡単に言えば、「人生の成功は、幸せになることで、その幸せを分かち合うこと」でしょう。では、この幸せになる、幸せを分かち合うこととは、一体何なのでしょうか。
多くの人達は、なぜ人間が創造されたのか、即ち「神の目的は何」と聞かれると、ほとんどの人達からは、答えが帰って来ません。
人間としてこの質問に対して答えられることは、極めて重要なことなのです。その答えはバイブルに記載されています。
「神は初から物事を計画(目標)し、計り事(目的)を成し遂げられる」(イザヤ書46章10節)
正しい答えが出来ないことは、単に目的・目標がはっきりしていないことなのです。
神が創造した全ての人間は、知恵・知識・知能を備えられています。人間が他の動物と区別が出来るのは、これらの「知恵・知識・知能」がまったく違うことなのです。
飲食や生殖などの動物的欲求が人間の存在する「目的」であれば、人間はこれらの限られた行動にとなるでしょう。猿を見てください。また、物質的な満足が人生において最も重要な目的とするならば、人間の存在は、最も下等な動物と同様となるのです。
神が人間を創造した目的(理由)は、「知恵・知識・知能」を人間に与えることで、神自身が「愛・美・喜び」を感受し、人間もまた神の創造の目的によって、「愛・美・喜び」を感受することなのです。そして、人間同士が共に愛し、協力し合って、幸福になることにあるのです。
創世記の第一章に記載されている神は、私達を神の形に似せて造りました。そして、その神は、唯一の神であり、「アブラハム・イサク・ヤコブの神」なのです。そしてその唯一の神は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の3宗教を生まさせました。
それゆえに唯一の神、即ちイエス・キリストの父は、私達の父なのです。そして私達の父であるためにこそ、私達の「人生の成功」をもたらしてくれるのです。
幸せになれる方法がバイブルには記載されているのです。また、バイブルには、お金・富の扱い方に関しても描かれています。
だから私達が、目的・目標をちゃんと持たなければ、決して「成功への道」を開くことは出来ないのです。私達は、神の目的を理解することと、人生の目的を理解することで、有益な行動を起こし、自分達がなぜ存在するのかの質問を解読していくことが極めて大切なことでしょう。
他人事のように、「夢を持ちなさい」とか、「願いそして夢を叶えるには、目的、目標を持つべき」とスピーチをする人達もいらっしゃいますね。根本的にはこれらは全て良い教えなのですが、根本の神の存在を教えていない人達が多く観られます。
たびたび繰り返して言いますが、バイブルの中には、「人生の成功方法」が色々書かれているのです。それを見逃すことは、人生の成功することは、難しいのかもしれません。
私の経験から話しましが、バイブルのすごいことは(世界で一番多く発行されている書物)、希望を持っていない人達、問題を持っている人達などの「負け組み」に対して、愛、光、望み・アイデアを与えてくれるのです。それがバイブルなのです。
また、唯一の神は、決してあなたを見下したり、侮辱したりすることはありません。神は、「神の愛」を皆様に知ってもらおうと、何千年もの間、神の言葉をバイブルを通して、私達に教えてくれているのです。そして私達を悪魔の手から見守ってくださっているのです。
私達は、その唯一の神の愛を信じ、神に愛されていることを忘れず、疑わずに、人生を楽しく、幸せに共存して暮らしていくことです。神は、私達の幸せを願っているのです。
そのことが理解できれば、「人生の成功」は一歩近づいたことなのです。