悪くない奴らが成功できるための日記

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悪くない奴らが成功するには、クリスマス祭を理解することです

2012-12-23 12:03:25 | 成功法則

悪くない奴らが成功するには、クリスマス祭を理解することです

3回に亘って、イエスの生誕・聖誕・降誕に関する記述をしましたが、今回はクリスマス祭の由来に関して簡単に記述しましょう。

クリスマス・ソングがあちらこちらの町並みで聞えてきますが、ご存知のようにクリスマス祭はキリストの生誕を祝う儀式です。しかし、聖書にはそのお祭り(降誕祭)に関しては一切記述されていませ。 古代のローマ帝国においてイエス・キリストに関してのお祭りは聖書を元に、イエス・キリストの復活祭(死と復活)が重要視され、イエス・キリスト生誕に関してのお祭りは行われていませんでした。

しかしながら、紀元4世紀のころ、ローマ帝国におけるサトゥルナリア祭(農神祭)そして冬至との関係で降誕祭がキリスト教会で正式に取り入れられたと云われています。

サトゥルナリア祭は、ローマ神話から発しています。主神ユピテル(ジュピターまたはゼウス)は、前主神サトゥルヌス(サターンまたはクロノス)を倒して 主神の地位を得ますが、ユピテルはその後、サトゥルヌスを封印したとされています。

しかしサトゥルヌスはユピテルが年末一週間(12月17~23日)休む間だけ解放されるとされ、この一週間ローマの人々は祝福するお祭りをしました。

 

更にローマ帝国において太陽信仰のミトラス教の休日(太陽が甦る日)が12月25日でもあったのです。当時のキリスト教は当初迫害されていたのですが、徐々に勢力を広げ続けてきていたために、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世が、国民の反乱を恐れ、ミトラス教の祭日を取り込むことにしたのです。

また、この頃、ヨーロッパ全土へと進出していたローマ帝国は、ゲルマン人(狩猟と牧畜)がローマ帝国の兵隊の多くを占める様になってきて、北欧を中心にユール祭(冬至祭)が行われていました。12月25日前後を冬至として盛大な祭りがあり、この祭日がクリスマス祭となったのです。

 

更に最盛期を過ぎていた皇帝コンスタンティヌスが、313年にミラノ勅令で勢力を増していたキリスト教を公認させています。

この時、よく知られるアタナシウス派が主張していた父と子を一体とする教理や復活祭 (イースター) の日付の計算法が決まったのですが、それと同時に、冬至が1225日でしたのでキリストの降誕祭 (クリスマス) の日が決定したのです。

太陽は人間との生活に深い関係があり、冬至の時期にクリスマスが決まったことは、クリスマスが世界に広がるきっかけでしょう。そして現代のお祭り騒ぎ的なクリスマスは、身近な生活に関わる農耕や太陽、冬至に関連したサトゥルヌス祭やユール祭などのお祭り騒ぎに回帰していると言えるでしょう。

サンタクロースの話

さてサンタクロースの起源は、聖ニコラスと云われていますが、正確な年代ははっきりせず、 270年頃の時代、異端となったアリウス派と戦った聖人です。

以下はウキペディアからサンタクロースに関して取り出しました。

「ある日ニコラスは、貧しさのあまり、三人の娘を嫁がせることの出来ない家の存在を知ったのです。そしてニコラスは真夜中にその家を訪れ、屋根の上にある煙突から金貨を投げ入れました。この時暖炉には靴下が下げられていたため、金貨は靴下の中に入っていたと云われ。この金貨のおかげで娘の身売りを避けられたのです」という逸話が残されています。この逸話が由来となり、「夜中に煙突から家に入って、靴下の中にプレゼントを入れる」という、今日におけるサンタクロースの伝承が生まれたのです。

 

また、ニコラオスは学問の守護聖人として崇められており、アリウス異端と戦った偉大な教父でもあったのです。キリスト教会では聖人として列聖されているために、「聖(セント)ニコラス」という呼称が使われています。これをオランダ語にすると「シンタ・クラース」で、オランダでは14世紀頃から聖ニコラスの命日の12月6日を「シンタ・クラース祭」として祝う慣習があったのですが、その後、17世紀アメリカに植民したオランダ人が「サンタ・クロース」と伝え、サンタ・クロースの語源になったようです。

クリスマス・ツリーの話

クリスマス・ツリーに関しては、キリスト教布教に当たって、当時ヒイラギなど常緑樹を飾ったり、プレゼントを贈ったりの風習が、クリスマス祭に取り込まれたとされています。

また古代ローマではモミ材で船を作ったので重用され、これらの常緑樹を飾る風習がクリスマスにクリスマスツリーを飾る習慣になったとされます。

さらに起源地とされるドイツ地方では、古くからキリスト教にとって異教による樹木信仰があり、常緑樹であるモミの木を象徴、クリスマス祭はそれらの地域の風習を利用して取り込んで行ったようです。現在に繋がるクリスマス・ツリーはドイツで15・6世紀から広まり始め、17世紀では各国に広がるようになったのです。

 

さて、なぜ悪くない奴らが成功するために、クリスマス祭を理解しなくてはならないのでしょうか?

それは、イエスが生まれていなければ、西暦の暦が無かったでしょうし、私達に自由を与えてくれなかったんではないのでしょうか。西洋に歴史はイエス・キリスト、即ちキリスト教が元となって創られてきました。そのことを理解してください。


クリスマス特集:悪い奴らが成功するには、イエスの生誕・聖誕・降誕を理解

2012-12-09 18:46:53 | 成功法則

悪くない奴らが成功するには、イエス・キリストの誕生・聖誕・降誕を理解すること

日本でも海外でも宗教を信仰する人々がそれらの宗教に関して理解している人々は少ないと思われます。そして日本では成功している中小企業の片隅に神棚を祭って、お祈りを下げている経営者は多く見られます。

この信仰の基礎は先祖や神に感謝を示すものであり、ユダヤ教は仏壇などのしきたりはありませんが、常に先祖であるアブラハム・イサク・ヤコブを通し神をあがめます。キリスト教はイエスキリストを通して神をあがめます。

全ての宗教は、各々の神が存在し、各地でそれらの神々から祝福をもたらしてもらうためや、感謝をささげる儀式・行事・祭りが行われます。 

キリスト教においては、年に2回キリストのエピソドを基にした大儀式・大行事・大祭りが世界的に行われます。そのひとつがイエスの生誕・聖誕・降誕祭なのです。そしてもう1つはイースター(復活祭)です。

前回はマリアに天使が現れ、身ごもることを知らされたことに関しての記述でした。今回はイエスの誕生に関してフォーカスしましょう。

 

当時のユダヤ教におけるメシア(救世主)は、ダビデ王の子孫から生まれ、イスラエルを再建してダビデの王国を回復し、世界に平和をもたらす者と預言者ミカは予言しているのです。

「ベツレヘム・エフラテよ。貴方はユダの氏族の中で最も小さいものだが、貴方の内から、私のために、イスラエルの支配者になる者がでる。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」(ミカ書第5章2節)

またメシアは、香油を塗られた(神に祝福された)祭祀者・ユダヤ民族の王を指しています。そしてメシアのギリシア語が「クリストス=キリスト」で、ナザレのイエスが、その後イエス・キリストとなったのです。

イエスの降誕・誕生・聖誕は位置的に見て白色人・黄色人・黒色人の3大人種が交わる接点においてエピソードが起こったのです。いわゆる世界の中心に当たるわけですが、神が世界平和を求める舞台を選んだわけです。西洋人のためでも、東洋人のためでもない、全世界の人々のためにイエスを処女マリアから生誕・降誕・聖誕されたのです。このことをしっかり頭の中に入れて置いてください。

 

またほとんどの世界の暦は、「西暦」と呼ばれるものが使用され、イエスの誕生・降誕・聖誕の年を「紀元」と定められました。紀元前の英語はB.C.(Before Christ)と呼ばれ、紀元以降はA.D.(Anno Domini)主の時代(ラテン語)と呼ばれています。このようにイエスは世界の歴史を変えたわけです。

当時のローマ帝国(西洋)は、地中海周辺の国々を制覇しており、英国・フランス・スペイン・ユダヤの国々はローマの植民地でした。そのために「全ての道はローマに通る」と言われていました。更に共通語はギリシア語が共通語として使われて、文化的にも統一を図っていたのです。その結果、領土が広がり経済が繁栄していき、最大の帝国を創り上げて行ったのです。「ローマは一日にして成らず」とは700年かけて創り上げた結果の諺でしょう。

 

さて今回のサブジェクト生誕・降誕に戻りますが、当時、人口調査の際には、人々は自分の生まれ故郷に帰ることが定められていました。そのため、ヨセフとマリアはロバでガリラヤ地方の「ナザレ」の町から離れ、ベツレヘムに向かいます。

ベツレヘム産まれという戸籍がそれほどの価値のあることは、ユダヤ人の英雄であるダビデ王の出身地だからです。そのためにベツレヘムは戸籍を登録する人達のために大変混雑をしていたわけです。

ダビデは、ユダのベツレヘム出身のエフラタ人で、名をエッサイという人の息子であった。 (サムエル記上第17章12節)

そしてベツレヘムに着きますが、そのころ戸籍登録だけではなくユダヤのお祭り(仮庵祭=かりいおりさい)も重なって大変にぎわっており、泊まる宿が無かったたのですが、仮庵に泊めてもらい、そこで出産したのです。そして飼い葉桶を借り、そこにイエスを布にくるめて横たえたのです。予言通りイエスは処女マリヤの胎から生まれたのです。

 

仮庵祭とは、ユダヤ人の収穫感謝祭で、三大祭の一つで、過越祭、五旬祭と並ぶもので、因みに仮庵という名前は、祖先が「出エジプト」の時、荒野でテントに住んだことを記念し、祭りの際には柳の枝やなつめやしの葉そしてカーテンで造った仮設の家(仮庵)を建てて、流浪の中でも守ってくれた神の恵みに思いをはせるのです。

以下は聖書から、イエスの誕生・降誕に関しての記述です。

マタイの福音書第1章24~25節:

ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。

ルカの福音書第2章1~7節:

そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

悪くない奴らが、人生の意味そして目的が理解する時、生き生きとした喜びのある人生を送ることができるのです。それが人生における成功なのです。

ヨハネの福音書1章12節には、「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」とあります。

神はイエス生誕・降誕を通じて私達に目的を与え、その意味を与えて下さったのです。それが奇跡である処女マリアからの生誕であり、神がイエスを通して私達人間との交話を可能にし、神の恵み、豊かな愛、希望、真理を与えてくれたのです。そのお陰で私達は豊かな人生を自由に生きる事ができるのです。だからこそ神に喜ばれる生活をすることです。

神に感謝、感謝、感謝です。

次回はこの続きで、生誕・聖誕・降誕後の話です。


クリスマス特集:悪くない奴らが成功するには、受胎告知・聖告をまず理解

2012-12-05 15:03:42 | 成功法則

今年の夏からブロッグを離れていましたが、クリスマスに近くなってきたので、イエス・キリストの生誕に関して話をしましょう。

イエスの生誕を記念するのがクリスマスですが、聖書には一切クリスマスのお祭り・しきたりなどはかかれていません。しかし、イエスが生まれる物語が、聖書に記述されています。それはマタイによる福音書とルカによる福音書なのです。

イエスが生まれる前に起こったことで、非常に重要な部分が、「受胎告知」または「聖告」といわれるエピソートなのです。英語ではアニューシエーション(Annunciation)と呼ばれています。 絵はフォトチャネルに記載しましたので、訪れてください。

さて簡単に内容を書いてみます。

処女マリアに天使のガブリエルが降り、マリアが聖霊によってイエスを身ごもることを告げられます。そしてマリアがそれを受け入れることを予告するエピソードなのです。以下は聖書から取りました。

ルカの福音書第1章26~33節イエスの受胎告知の記述から。

「天使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女の下にきた。この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなずけとなっていて、名はマリヤといった。天使がマリヤのところにきて男の子を産むでしょうその子をイエスと名づけなさい。彼は大いなる者となり、いと高き者の子となるでしょう。』・・・そこでマリヤは天使に言った。『どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに。』天使は答えていった、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生まれ出る子は聖なる者であり、神の子と、となえられるでしょう。」

マタイの福音書第1章18~23節イエスの受胎告知の記述から。

「イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、まだいっしょにならならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にしたくはなかったので、内密に去らせようと決めた。彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢で現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」

処女マリアが身ごもることは、神自身が「人間と交わる」ことなのです。そして人間とは、「神と交わり生きる人間」であることを証明したのです。即ち「人間とともに居る神であることを明かしたのです。それがインマヌエルなのです。

さて、何故悪い奴らがこのことを理解しなくてはならないのでしょうか?

そのことを照会する前に、少しだけ聖書をタイム・スリップして見ます。それはイザヤ書(旧約聖書の23番目の書)にイエスの誕生が予告されているのです。

「それゆえ、主は自ら1つの印をあなた方に与えられる。見よ、乙女が身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」イザヤ書第7章14節

インマヌエルとは、ヘブライ語で「神は私たちと共におられる」の意味で、紀元前700年ごろの預言者イザヤが、アラム・エフライム連合軍侵入の危機に際し、「神が共にいて下さるので、必ず敵に勝つ」とユダの王アハズを激励した時の印として「乙女が身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」と言ったことからとられています。

マリアは処女にもかかわらず、天使の言葉を聞き入れ、イエスを生むことになるのです。これがいわゆる本当の信仰でしょう。

そして、ヨセフは主の使いの言葉を信じ、マリアと結婚をします。

当時のユダヤ人の社会において、「婚約する」ということは、律法では「結婚する」ことと同じで、婚約期間中に他人の子を身ごもることは、きびしい裁きにかけられ、人々の前にさらし者にし、彼女に石打の刑を受けさせられたのです。

ですので、ヨセフが主の使いの言葉を信じなく、マリアとの結婚をしなかっとすると、マリアは石打の刑になされ殺されて、歴史的出来事は起こらなかったし、クリスマスもなかったでしょう。

しかし王家の血を継ぐヨセフは、あれこれ思い悩んだ結果、マリアとの結婚をしたのです。

当時、皇帝アウグストの勅令により住民登録が実施されたために、ヨセフは、身ごもったマリアを連れて彼等の故郷のベツレヘムへ行くことになります。(ルカの福音書第2章1~4節)

なぜイエスがベツレヘムで誕生しなければならないのでしょうか?

それは、紀元前9世紀から紀元前8世紀頃に預言活動を行った預言者ミカは、離散していたイスラエルの帰還を預言、またメシアがベツレヘムから出ることを預言しているからです。

 「ベツレヘム・エフラテよ。貴方はユダの氏族の中で最も小さいものだが、貴方の内から、私のために、イスラエルの支配者になる者がでる。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」(ミカ書第5章2節)

 

このようにイエスに関する旧約聖書の預言の箇所は350以上ともいわれ、イエスの誕生により、旧約聖書の預言は成就したと表現すうのです。

この受胎告知エピソードは神に対しての信仰がない悪い奴らには理解が出来ないのですが、悪くない奴らが成功するには、この信じられないエピソードを信じることが非常に大切なのです。

 

それは奇跡が起こりえることです。神は全能・全知で永遠の存在、どこにでも・いつでも存在なのです。処女から子供を産させることも可能なのです。ですので、悪くない奴らは奇跡が起こることを信じることで、成功を手にすることが出来るのです。


次回は、悪くない奴らが成功するには、イエス・キリストの誕生を理解することです。