「祈り」とは、簡単に説明すると神との交わりのことなのです。
少し変なことと思われますが、神は私達から声をかけられることを望んでいます。
神は、私達を創造しました。人間の世界に置き換えると、神は父であり、私達は神の子供たちなのです。両親は子供が問題児であっても愛して、面倒を見てくれます。それと同様、神も私達の面倒を見てくれるのです。その交わりをする言葉(会話)が祈りなのです。
私達が私達の悩み、苦しみ、楽しみなどを神に話しかけることは、神にとっては、嬉しいことなのです。そして神は、それらの全てをすでに見抜いているのです。
ですので、神は私達との会話を楽しみにしていて、私達が話しかけてくることを楽しみに待っています。どうぞ遠慮をしないで、神に何でも良いから話しかけてください。
祈りは教会・神社仏閣などに行って祈る必要はないのです。特に神に感謝する場合、トイレでも、食卓でも、車を運転中でも、電車の中でも、どこでもかまいません。
神との会話をする習慣を身につけてください。
神社仏閣や教会に行ってお祈りをすることばかりが、お祈りではないのです。宗教儀式に縛られることは一切ないのです。自由に場所を選らばず祈ることが出来ます。
そして私達が神に願がったことは、必ず聞き入れ、叶えられることを信じて下さい。
バイブルには神の約束が色々記載されています。その一部を取り上げて見ました。
主によって喜びをなせ、主はあなたの心の願いを叶えられる。(詩篇第37章4節)
神は貴方の呼ばわる声に応じて、必ず貴方に恵みを施される。神がそれを聞かれるとき、直ちに答えられる。(イザヤ書第30章19節)
貴方は私を尋ね求めて、私に会う。もし貴方が一心に私を尋ね求めるならば。(エレミヤ書第29章13節)
私に呼び求めよ、そうすれば、私は貴方に答える。そして貴方の知らない大きな隠されている事を、貴方に示す。(エレミヤ書第33章3節)
あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。(マタイの福音書第6章8節)
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである(マタイの福音書7章7~8節)
祈のとき、信じて求めるものは、みな与えられるであろう。(マタイの福音書第21章22節)
そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。( マルコの福音書第11章24節)
私は貴方に言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、開けてもらえるであろう。 全て求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者は開けてもらえるからである。(ルカの福音書第11章9~10節)
貴方がどんなことをお願いになっても、神は叶えて下さることを、私は今でも存じています。(ヨハネの福音書第11章22節)
何事でも私の名によって願うならば、私はそれを叶えて上げよう。(ヨハネの福音書第14章14節)
貴方がたが私に留まり、私の言葉が貴方がたに留まるなら、何でも貴方がたの欲しい物を求めなさい。そうすれば、貴方の為にそれが叶えられます。(ヨハネの福音書第15章7節)
その日には、貴方が私に問うことは、何もないであろう。よくよく貴方に言っておく。貴方が父に求めるものはなんでも、私の名によって下さるであろう。 今までは、貴方は私の名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、貴方の喜びが満ちあふれるであろう。(ヨハネの福音書第16章23~24節)
そして、願い求めるものは、なんでもいただけるのである。それは、わたしたちが神の戒めを守り、みこころにかなうことを、行っているからである。( ヨハネの第一の手紙第3章22節)
私達が神に対していだいている確信は、こうです。すなわち、私達が何事でも神の御旨に従って願い求めるなら、神はそれを聞きいれて下さるということなのです。 そして、私達が願い求めることは、なんでも聞きいれて下さるとわかれば、神に願い求めたことは、すでに叶えられたことを、知るのです(ヨハネ第一の手紙5章14~15節)
貴方のうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。 ただ、疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている。そういう人は、主から何かをいただけるもののように思うべきではない。(ヤコブの手紙第1章5~7節)
貴方は、貪るが得られない。そこで人殺しをする。熱望するが手に入れることができない。そこで争い戦う。貴方は、求めないから得られないのだ。 求めても与えられないのは、快楽のために使おうとして、悪い求め方をするからだ。(ヤコブの手紙第4章2~3節)
この様にバイブルには、悪くない奴らが成功するための人生の成功方法の言葉が豊富に記載されているのです。ですので、決してギブアップしないで、これらの言葉をバイブルかた読んで理解してください。
神は、私達の祈りを聞いてくださると約束してくださいました。そして、どんなことでも祈りを通して神に願い求めることを求めています。困難な状況に出くわしたとき、その状況を神にゆだねるとき、そして信頼するときに、答えは必ず与えられます。ただし、このとき神の義に添った祈りをすることが、非常に重要なことなのです。
私達と神との間にある壁(戒律・儀式)は、イエス・キリストの十字架での死と復活によって、すべて取り除かれているのです。そしてイエス・キリストが神の子として信じることと同時に、神が父であるということを信じることが必要です。
このことを徹底して潜在意識の中に蓄積し、神の言葉の内容を徹底して把握してください。
ここで、神との交わりが、人生に成功(お金・富)を築いたことの実例を照会しましょう。
その1つの実例として、日本でも有名となった映画「ベン・ハー:イエス・キリストの物語」の元となった小説を書いたルー・ウォーレスです。
この小説「ベン・ハー」は、1880年に発行され、1936年のマーガレット・ミッチェル*の「風とともに去りぬ」が出版されるまで、発行部数第一位だった作品です。そして「ベン・ハー」は舞台化されたり映画化されたのですが、1959年、巨匠ウィリアム・ワイラー監督が6年半そして約54億円をかけて完成、3時間半の映画を作製したのです。そしてアカデミー賞の11部門を獲得しています。
このルー・ウォーレスは、米国の有名な将軍で、以前は反キリスト教でした。そして無神論者であるロバート・グリーン・インガスル博士と組んで、「キリスト教撲滅論」という本を書こうとしたのです。そして彼は2年をかけてアメリカ、ヨーロッパを廻り、資料を集めて「キリスト教撲滅論」を書き始めたのです。この本の第2章に関しては歴史に基づく話を企画していたため、彼はイスラエルに行き、資料を集め出したのですが、十字架の死で現されたイエス・キリストの愛、そして神への祈り、何故、恐れて逃げた弟子達がほんの短期間に死を恐れない殉教者になったのかなどの疑問があったのですが、皮肉にもそれらの証拠が真実であることが明らかとなったのです。
この時、ルー・ウォーレスは突然、イエス・キリストの姿に対して膝をついて泣き出してしまったのです。そして、キリスト信者に生まれ変わったのです。その結果、「ベン・ハー」の歴史小説が生まれたのです。
砂煙をあげて激突する白馬と黒馬のクアドリガ戦車の迫力ある競技や、傷だらけになりながら十字架を運ぶイエス・キリスト、そしてキリストの血の滴りで、母娘の疫病が治たりする奇跡の場面が聖書からの引用した映像が大画面を通して、私の目に入ってきました。今でもそれらの画像は鮮明に残っています。
また、富豪家であったユダヤ人ベン・ハーが奴隷となって、ガレー船の漕ぎ手として送られる際、ローマ兵から虐められるシーンがあるのですが、ベン・ハーだけは飲み水を与えられなかったのです。その時ベン・ハーは、「神よ、どうかお救い下さい」と叫んだのです。そしてシーンは変わって、まだ一介の大工に過ぎなかったイエス・キリストの手から、額に水が注がれるのです。イエス・キリストの顔が一切映されていなかったのが、更に神秘的で、監督の技が表現されていました。
ベン・ハーは、この苦しみの時、「心から神に祈った」のです。そして、すぐにその祈りに答えたのが、大工職人であったイエス・キリストだったのです。これが、「願え、そうすれば与えられる」と言うバイブルから取った言葉を、ルー・ウォーレスが書き、ウィリアム・ワイラー監督が上手に表現したシーンだったのです。
さてもう一つの例を挙げましょう。それは、日本でもおなじみのケンタッキー・フライド・チキン(KFC)の設立者、カーナル・サンダースの祈りについてお話します。
彼は10歳で働き出し、16歳で陸軍入隊、その後、大恐慌にあってガソリンスタンドのビジネスを手放し、その後フライドチキンの製法を完成したのですが、あいにく彼の経営していた食堂とモーテルを火災で焼失したのです。その後も苦労して大レストランで再起するのですが、またこれも失敗して、一文無しになってしまうのです。その様な状況下、彼は過去を振り向いて、どうすればこの状況から抜けられるのかを考えていたのです。そのときに、自分がつまずく度に、現実から逃避していたことが、分かったのです。そして、「苦しいから逃げるのではなく、逃げるから苦しくなる」と言うことに気がついたのです。
65歳のカーナル・サンダースは、職につけない、誰からも相手にされないなどのネガティブ思考で頭が一杯だったのです。このような時、負け犬になりたくないとの閃きが起こったのです。そして、神に祈りました。
「神よ。どう か私のフランチャイズのアイデアを成功へと導いてください。そうしたら、貴方の取り分を渡します」と真剣に祈ったのです。
そして最初のフランチャイズ店が、教会の集会に参加したことがきっかけに誕生したのです。その最初のお客が、1010番目であり、彼はキリスト教の信者だったのです。
そのフランチャイズの方法は、彼の母から受け継いだレサピで売れたら、1羽に付き当時、5セント(50円)を収集する方法なのです。その結果、現在では10、000店舗以上のフィランチャイズを築き上げたのです。
そして、カーナル・サンダースは神と誓った祈り通り、十分の一どころか十分の九を世間に捧げています。彼の名言は、「墓地で一番の富豪になる理由などない。貴方はそこで何のビジネスもできないのです」と言い残しています。
日本にもキリスト教の影響を受け「祈りの経営」を押し出した男がいます。
それは、ダスキンを創業した鈴木清一です。彼は1959年、キリスト教精神に基づく企業の民主化を進めるDIA運動の創始者エヴァンズ博士の講演に感銘を受け、エヴァンズ博士から紹介されたカナダのメンデルソン氏と友情を結び、無償でダストコントロール事業の技術を伝授されたのです。
帰国後、彼はただちにダストコントロール事業に着手し、活性剤を用いて繊維に油類を吸着させる「含油繊維の製造方法」を特許出願し、商品試作にも成功して現在のダストコントロール商品の原形となる商品が誕生したのです。
1963年には、株式会社サニクリーンを設立、業務用ダストコントロール商品を相次いで発売するとともに、加盟店募集をスタート。 加盟店14店29名が参加しての第1回加盟店実務研修会の席で経営理念を発表します。その翌年には、株式会社サニクリーンを株式会社ダスキンと社名変更して、家庭用「ホームダスキン」のテスト販売を開始し、1カ月足らずで約200件のレンタルに成功します。
1965年、株式会社ダスキンを発足、リーダースダイジェスト誌への広告掲載でも話題を集める一方、加盟店向けに「社長通信」を創刊したのです。また、1967年には、たった4年間でここまでの企業に育て上げたことで、日本経済新聞に「商魂の記録:ダスキン鈴木清一氏」が連載されました。更に、大阪府知事より産業功労賞を受賞しています。
更に1971年には、ミスター ドーナツ事業の導入をはじめとする多角化をすることで、日本初の複合フランチャイズ企業の道を開き、更に市場を拡大して行ったのです。
ここで、あまり知られていないキリスト教の理念で経営を行った郡是製糸の創立者である波多野鶴吉の話を少しご紹介しましょう。また、鐘淵紡績(武藤山治)、倉敷紡績(大原孫三郎)もキリスト教の理念で経営をして明治維新以降の近代化を計っています。
波多野鶴吉は18~20歳のころ, 京都で放蕩生活を送り, 養家の資産を使い果たしてしまったのですが、そのころに数学や英語を学び,京都の市内にて失敗はしたのですが、数学塾や貸し本屋を営んでいたたのです。京都何鹿郡(現在の綾部市)に帰郷した後には小学校の教員も経験しているのです。しかしそのような経歴が,郡是製糸の創業までの経緯も含めて,郡是製糸における熱心な教育への取り組みに大きく影響してたのです。
波多野鶴吉は、郡是製糸設立の6年前からすでに京都の同志社の伝道でキリスト教徒となっていて、キリスト教の理念に基づいた工場経営を行っており、職工の教育には非常に重点を置いて、競争相手の紡績工場とはまったく異なるものだったのです。
この経営理念に最も大きな影響を与えたキリスト教牧師である川合信水と波多野鶴吉との初対面談で、波多野鶴吉が「職工は親から委託された者であるから,之を教育して善い人に致したい」と牧師に言いました。そして牧師は「職工を善くしたいと思うなら,先づ第一に貴君御自身が善くならなければならない」と返答したのです。この発言に感銘した波多野鶴吉は、牧師をすぐに教育主任に着任させたのです。その後、牧師はキリスト教の理念に基づいた社訓である「至誠訓」を作っています。更に郡是女学校や誠修学院など社会に貢献する事業も行いました。