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「藤沢今昔まちなかアートめぐり」という展覧会での作品制作2

2024-09-05 13:12:00 | 日記

前回に続き、「藤沢今昔まちなかアートめぐり」に参加した2011年の制作スケッチについて。

 

「藤沢今昔まちなかアートめぐり」という展覧会での作品制作1 - ムラカミの公開制作的ブログ

神奈川県藤沢市にて、毎年秋になると開催される展覧会がある。2010年から始まったこの展覧会は「藤沢今昔まちなかアートめぐり」というタイトルがつけられていて、旧東海道...

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小田急線の「善行」駅から旧藤沢宿に向けて歩くと、大きな段丘を下っていくことが実感できる。そしてその段丘の下に白幡神社が位置し、「伝 義経首洗井戸」がある。引き続き歩いて時宗総本山「清浄光寺(遊行寺)」を目指した。藤沢宿は、この遊行寺の門前町でもあった。

 

ここからは旧東海道筋(国道467号)を東に向かう。

旧鎌田商店蔵(展覧会場)

旧鎌田商店蔵の横の路地の先には「真言宗 般若院 荘厳寺」がある。

路地の奥に「日蓮宗 妙善寺」が見える。旧東海道藤沢宿だけに寺が多い。

「浄土宗 常光寺」

 

「旧桔梗屋」

「境川」

 

次回に続く(下リンク先参照)。

 

「藤沢今昔まちなかアートめぐり」という展覧会での作品制作3 - ムラカミの公開制作的ブログ

前回は旧東海道筋(国道467号)を東に向かって歩いた。今回はその続き、「藤沢今昔まちなかアートめぐり」に参加した2011年の制作スケッチになる。「藤沢今昔まちなかアート...

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「藤沢今昔まちなかアートめぐり」という展覧会での作品制作1

2024-09-02 09:20:11 | 日記

神奈川県藤沢市にて、毎年秋になると開催される展覧会がある。2010年から始まったこの展覧会は「藤沢今昔まちなかアートめぐり」というタイトルがつけられていて、旧東海道藤沢宿地区の歴史的建造物、遺構、景観の中で行われている。

私は2011年3月9日に、この展覧会の中心人物である伊東直昭さんに案内されて、この藤沢宿の歴史についてのお話を伺った。そしてこの展覧会への参加を考えてみることにした。その際の新作の方針を探るためのスケッチを、これから2回に分けて公開し、新作のアイデアへの出会いについての経緯を示してみる。

 

藤沢今昔まちなかアートめぐり

藤沢今昔まちなかアートめぐりのブログ

藤沢今昔まちなかアートめぐり

 

 

先ずは、グリーンハウス「旧藤澤カントリー倶楽部クラブハウス」アントニン・レーモンド設計。小田急線「善行」が最寄駅となる。ここは藤沢宿からは離れているが、伊東さんとの話しの流れで出てきたレーモンド設計物件ということもあって訪ねてみた。

 

グリーンハウス3階展示コーナーの見学

グリーンハウスは「旧藤澤カントリー倶楽部」のクラブハウスで、アントニン・レーモンドが設計した現存する日本最古のクラブハウスです。展示コーナーでは、グリーンハウス...

神奈川県

 

 

善行から国道467号を藤沢宿「白幡交差点」方向に歩く。下り坂であり、実際に歩くことで旧東海道沿いに栄えた藤沢宿の地形を想像することが出来る。

 

坂を下ったところに「白幡神社」がある。

白幡神社の前には川が流れている。段丘下を流れる川であり、もう少し流下すると「境川」と合流する。こうした地形から大昔は湿地帯のようなイメージもわいてくる。

段丘際に位置する白幡神社。

 

小田急線「藤沢本町」駅界隈。

 

「藤沢本町」駅西側に位置する「伊勢山公園」に上ってみる。

立派な庚申塔があった。

伊勢山公園から見た江の島。

 

伊勢山公園から下り、「白幡」交差点に戻って「藤沢警察署本町白幡交番」の脇の路地を入ると、「伝 義経首洗井戸」がある。

 

次回に続く(下リンク先参照)。

 

「藤沢今昔まちなかアートめぐり」という展覧会での作品制作2 - ムラカミの公開制作的ブログ

前回に続き、「藤沢今昔まちなかアートめぐり」に参加した2011年の制作スケッチについて。「藤沢今昔まちなかアートめぐり」という展覧会での作品制作1-ムラカミの公開制作...

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横浜みなとみらい21地区「モクモク ワクワク ヨコハマ ヨーヨー」組立プロセス記録3

2024-08-21 18:38:42 | 日記

更新がストップしたHPからの移植記事が続く。

今回の内容は、私のTake-murakamiという頁を用いて最上壽之さんの情報を発信したものである。当時、最上さん自身のHPが無かったことから、Take-mogamiという枠を設けた。前々回に説明した通り、このWeb.頁が閉鎖になる為の移植である。

 

Take-mogami モクモク・ワクワク・ヨコハマー・ヨーヨー制作プロセス

みなとみらい21 多目的広場モニュメント モクモク・ワクワク・ヨコハマー・ヨーヨー

 横浜のみなとみらい地区に、この巨大なモニュメントが登場して14年(注 2008年の記事である)が経った。設置当初は、JR桜木町駅からランドマーク・タワーに向けて動く歩道を渡り、ランドマーク・プラザを抜けると突然視界に現れるスパイラル状の形態に、説明する言葉が見当たらない衝撃を受けた方も多いはずだ。その造形物の背景に広がる風景は、工事中の仮囲いとおびただしい建設重機、埃っぽい殺伐としたものだった。
 その後、クィーンズ・スクェアの完成によって風景は一変し、この造形物がこの場の必然に基ずくスケールと形態を与えられていたことに、多くの方々が気付かれたことと思う。現在は「みなとみらい駅」の開業によって訪れる人達も多くなり、いつしかこの場が「ヨーヨー広場」と呼ばれるようになった。アマチュア写真家達の格好の被写体にもなり、様々な広告メディアにも登場することになったことは周知の事実だ。

 この、国内最大級のステンレス製モニュメントの制作プロセスを写真30枚で御覧になり(注 前回のブログ頁)、今後少しずつ本HPで紹介していく制作意図に関する記事を読まれれば、様々な意味において画期的、かつ多くの示唆を含む彫刻家、最上壽之氏の仕事であることに気付かれると思う。

 

公共性という要請に対する形態発想の一過程

 ランドマーク・タワー等によるビル風を緩和する方法を、グランモールと名付けられる人口地盤上に考慮しなければならない。その目的を適える装置として造形物の設置が検討されたのは、街路樹では想定される最大風速に耐えられないと判断されたことによる。彫刻家、最上壽之氏は、その形態の発想の条件として、このビル風の抑制という、本来的に彫刻作品に要求されることのない要請が加えられたことに関して、「それは表現上の制約ではなく、風という流体を表現に取り込む良い機会だ・・・」と捉えた。無論、造形物である以上、まして巨大な作品となる以上、氏も経験したことのない量塊性を前提にした制作となった。そのマッチョな作品が、空気の流れという目に見えずに体感する流体を対象とすることは、とても興味深い問題を含んでいると思われた。
 最上氏は、地球を取り巻く大気の流れの中に発想を求めて、あたかも自分の身体が蒸発して雨となって降り注ぎ、大地を流れ、時にみなとみらいの作品設置空間に水蒸気として漂うような気持ちになった。自宅の窓から眺められる相模湾の風景も、突如海上に霧が立ち込め、一筋の陽光の降り注ぐ中、青空が霧を分かち、そして稲妻とともに夕立がやってくる風景を見て、スパイラル状の形態を用いることに発想が落着いていった。
 他にも、高度経済成長期にその制作活動を拡げていった最上氏の見ていた風景の中に、今は見られなくなった灰色の煙を吐く工場の煙突、蒸気機関車の煙突から吐き出される煙が、車体後方に回転しながら置き去りにされつつ拡散していく様。あるいは風神雷神といった神々への畏敬と、神々が空中を飛び交う様。天に昇る竜神が起す突風。そして聳え立つランドマーク・タワーの直線的な形態に対するコントラスト。とめどなく、経験したこともし得なかったことも含めて大量のスケッチに書き留められていった。それらのスケッチは、おびただしい枚数であり、その線のスピード感は、まさしく強烈なビル風を味方につけたごとくの勢いのあるものだ。
 一人の彫刻家として、そうしたイメージを形態に表現して行くことは至極の時間だが、しかし、「果してビル風は緩和出来るだろうか?」こればかりは何等かの科学的な裏付けが得られなければ多くの人達や組織に対しての説得力が得られない。関係者との度重なる折衝が続けられ、しかし、最上氏の発想した形態はほとんど修正を受けることもなく、そのビル風抑制効果が風洞実験で証明された。
 工芸の世界では「用の美」という言葉がよく使われる。「外観が美しいように感じられる器でも、使用に不都合があるものは美としない・・・」ということだが、モクモク・ワクワク・ヨコハマ・ヨーヨーは、その下に立ってみれば誰もが経験出来るだろう。周辺で感じていた風は、その作品の間近では主張を弱めている。横浜美術館方向への突風の通過も緩和している。
 彫刻作品としての諸問題と、都市計画上のビル風緩和という要請を、そして人々が集う場の目印としての機能、勿論話題性も含めて、多くの要素をぶつけるエネルギーによって立ち上がった表現として、未曾有の世界だと言えるのではないか。それはおそらく、美術、芸術や、まして彫刻という範疇にあるものが捉えきれない領域だろう。

関連資料: 最上壽之のモニュメント《モクモクワクワク ヨコハマヨーヨー》横浜・みなとみらい21に完成 未来思考的な公共性の表現(インタビュー; 聞き手=村上慎二)1994年6月号『SD (鹿島出版会)』
※SD誌取材時の取りこぼし部分などから、HP用に本文を構成しました。

 

関わる人の手の多さは、多くの可能性と結実とを抱きこむ

 1994年4月、バブル景気の終焉というタイミングに、このモニュメントは完成する。多くの下請け中小企業の手わざによって加工されたパーツ、それらは脚部を千葉のAIM工場、ループ部を北海道のAIM工場で組立て、みなとみらい地区に搬入されたのは1993年の師走も迫った頃だった。
 大型クレーンで吊り込まれる様を目撃した人々も限られる。なぜなら、現在と違ってグランモールの通行者はまばらだったのだ。それでも脚部の設置が終わり、足場と養生ネットの間からループ部が顔を出した頃、今まで見たこともない奇妙な形態に、通りかかる人々は気付き始めた。この作品の制作を記録撮影していた私に対して、
「一体何が出来るんですか?」
といった質問が増えだした。ランドマーク・プラザ内のマクドナルドは、今でもこのモニュメントのループ部を水平視線で鑑賞することが出来るポイントだが、ビッグマックを貪りながら、
「これ、なんだろう?」
「ジェットコースターみたいだけど・・・違う?」
といった若いカップルの会話が毎日のように聞かれた。
「グルグル・・・ブピャー」
などと奇声を発しながら、身をくねらせてふざける小学校低学年風男子も目撃した。

 巨大な構造物でありながら、具体的な機能を見いだすことが出来ない人々の感情は、好奇心を刺激して止まないが、とりあえずの答えをその場で得ることが出来ないことに不満を覚え始める。この不安に相対して持続する時間の中に、多くの想像的時間があるはずだが・・・それは芸術、美術の最も大切な時間であるはずだが・・・陳腐な言葉に結び付けた結果に不満足ながら、それで視線を逸らして想像的時間は失速して行く。しかし、失速して行くまでの僅かな時間は、この作品が完成を待たずして表現を主張し始めていることを示していた。(もっとも、完成したとしても無数の失速の積算を経てからしか、鑑賞者の一歩は踏み込まれないものかもしれないが。)
 前例のない形態に構造計算の担当者は頭を抱え、複雑な曲率で構成された有機的な曲線に複雑な関数計算が関わり、ステンレス管の微妙な曲げ技術は、職人のこだわりの感性に委ねられ、卓越した溶接技術によって強度と一体感が保たれ、搬送は低床のトレーラーに積載されて桁下をかわしながら現場への搬入。どれをとっても全てがこの作品一度きりの、一期一会のクォリティーが要求される仕事に、現場は緊張が漲っていた。最上氏の仕事であると同時に、彼らの仕事でもあるのだから。

 「取り込み、取り込まれる関係性・・・」という言葉を多用していたこの頃の最上氏は、「仕事はひとりで行えるものではない・・・」と付け加えることを忘れなかった。独り、アトリエに篭って黙々と丸太にノミを振るう彫刻家像をイメージする人にとっては、これらの言葉は理解不能な衝撃を与えるに充分だろう。そう、最上氏は、独り篭って素材と格闘するばかりの彫刻家ではない。氏にとっての彫刻とは、素材を彫り刻むばかりの概念ではないようだ。

 ある所に、独り篭って制作を続けるある作家がいた。その丸太(もしくは石材)は、その素材を調達する目利きによって売られていたものだ。それを作家はインスピレーションによってその素材に価値を見出し、
「素材が俺を呼んでいる。」
と錯覚した。そして情熱と泣きによって値切って入手した・・・としよう。作家の視点から見た素材との出会いである。
 一方、素材屋は商売である。
「この材料なら、あんなことにも、こんなことにも使える。でも、やたらな奴には売らない。目利きのプライドだ。」
と思っていたところに作家がやってきた。
「ははーン!それに引っかかったかぁ・・・(お前には売らねーよっ!)一応お前にも目ん玉ついてんだなぁ。(でも、お前には未だ10年早い。売らねーよっ!)」
と、目利き素材屋は思っている。結果的に素材屋はこの素材を金に替えて手放すのだが、既に作家の手の資質と可能性は、素材屋にある程度見抜かれてしまっている。
 以上の関係においても、「取り込み、取り込まれる関係性・・・」が発見される。作家は作っているのだろうか?素材屋に囲われてはいないか?素材屋の目利きの実力の上に成り立った仕事ではないのか?
 ここに創造主の問題を持ち込まずとも、「独りで作っている」というのは己の思い上がりと言える。「取り込み、取り込まれる・・・」という言葉は、この頃最上氏が繰り返し口にしていた言葉だが、これは一体何を意味するのだろうか?私は不正確だが「柔軟にして謙虚な感性」と翻訳する。そしてそれは自身に向けて発せられた、創作に関する根源的な姿勢表明に聞こえた。その結果は、多くの関係者の卓越した情熱と技の結晶として、前例なき数々の困難を乗り越えて関係者とその作品を囲む場を活性化し、モクモク・ワクワク・ヨコハマ・ヨーヨーが現存するではないか。

当時を振り返り、HP用に書き下ろし 村上慎二 200808

 

モニュメント制作に関わった組織

住宅・都市整備公団 首都圏都市開発本部
横浜特定再開発事務所

横浜市 都市計画局
緑政局

株式会社 大高建築設計事務所
日本鋼管株式会社
ウヌマ株式会社
エー・アイ・エム株式会社
三沢電気株式会社
岩崎電気株式会社
株式会社CADセンター

 

http://www17.plala.or.jp/take-m/mogami%20mm21.html より移植

 


横浜みなとみらい21地区「モクモク ワクワク ヨコハマ ヨーヨー」組立プロセス記録2

2024-08-20 10:47:43 | 日記

今回は横浜みなとみらい21地区の中心、ランドマークタワー傍に設置された巨大モニュメントの制作・組立プロセスの画像をご覧いただきたい。

このモニュメント本体は、脚部を千葉県内の工場で制作し、ループ部を北海道の工場で制作した。更に一つ一つの細かなパーツについては、多くの町工場の仕事が関わっていると聞いた。他に類例を見ない、大規模な取り込みによって作られたモニュメントである。

常々、最上壽之さんは「取り込み、取り込まれる」という言葉を使われており、「取り込みは大きい方が良い」と力説されていた。そのような観点から見ても、最上作品制作において最大級の取り込みを得た仕事だっただろう。

なお、このモニュメントの制作は1993~94年だったため、撮影は全て35mmモノクロフィルムである。画像はキャビネにノートリミングでプリントしたものを、フラットベッドスキャナーでデータ化した。モノクロフィルムを使用したのは、画像の保存性を重視した為である。

1, モニュメント設置前のグランモール(1993年初冬)

 

2, 正面仮囲いの先は現在のクイーンズタワー

 

3, ランドマークプラザ前 円形の植栽が予め人工地盤上に設けられたモニュメントの台座

 

4, 台座とモニュメントの脚部のジョイント部分工事

 

5, 拡大画像

 

6, 脚部は千葉県内の「エー・アイ・エム株式会社」で作られた

 

7, 

 

8, 

 

9, 

 

10, 中心に座るのが最上さん

 

11, ループ部分は北海道北広島市内の「エー・アイ・エム株式会社」で作られた

 

12, 仮組状態

 

13, 夜間照明テストも行われた

 

14, 地面には薄っすらと雪

 

15, 

 

16, 現在のクイーンズタワー側の空地からクレーンで脚部の吊り込み

 

17, 

 

18, 

 

19, 脚部が立った

 

20, 足場設置(ランドマークプラザ階段から見た)

 

21, 北海道からループ部が到着

 

22, ループ吊り込み準備(現在のクイーンズタワーA敷地)

 

23, 吊り上げ開始

 

24, 

 

25, 奥に見える建物が横浜美術館 けやき通りを挟んでランドマークプラザとの間にあった敷地からもループを吊り上げた

 

26, 

 

27, ループ部ジョイント作業(足場上から撮影)

 

28, ループ部(足場上から撮影)

 

29, 

 

30, いちょう通りから見た遠景

 

31, ドックヤードタワー棟C-Dから見たモクモク ワクワク(足場が外れて全体像が見えてきた)

 

32, コーキング処理などの作業が進む

 

33, 照明設置工事とテスト

 

34, 照明の取付角度に指示をする最上壽之さんとプロジェクトの仲間たち

 

モニュメントの設置と完成式典が終わり、その雄姿が一般開放されると様々な反応があった。それは賛否両論である。

当初、このモニュメントの存在はこの場に唐突に見えたことだろう。「不気味だ」といった感想も聞かれた。勿論、景気が減速していく中でこのような巨大なモニュメントの制作費は?という批判もされた。

不気味だという意見には私としては同意するところがあった。まだ開発中で空地だらけのMM21地区に出現したこのモニュメントは、やはり異様な雰囲気を醸し出していたと思う。だが、このモニュメントが設置された場の完成図から予想すると、このバランスで安定するようにも思えた。本当のところは、これから建設が始まるクイーンズタワーの完成を待たなければ分からないのだった。

 

この頁は、まだ暫く画像の追加、加筆を行う可能性があります。

次回に続く

 

横浜みなとみらい21地区「モクモク ワクワク ヨコハマ ヨーヨー」組立プロセス記録3 - ムラカミの公開制作的ブログ

更新がストップしたHPからの移植記事が続く。今回の内容は、私のTake-murakamiという頁を用いて最上壽久さんの情報を発信したものである。当時、最上さん自身のHPが無かった...

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横浜みなとみらい21地区「モクモク ワクワク ヨコハマ ヨーヨー」組立プロセス記録1

2024-08-19 11:37:00 | 日記

幾つかの不都合が重なったために、更新を諦めた私のHPがある。そのHPも来年には、プロバイダーの都合で閉鎖されるという。そこで、その中でもアクセス数があり、幾らか社会の為になっていると思われる内容を、このgoo blogに移植しておくことにした。移植にあたって、補完と削減をして整理もすることにした。

私は世田谷美術館の開館から数年後に、幾つかのお仕事を頂いて図録制作等に関わることが出来た。そのひとつ「あそびのこころ」展(1990年5月26日~6月24日開催)は、当時の幾つもの美術館が力を注ぎ始めていた教育普及に関わる展示ともいえ、作家の制作プロセスも含めて取り込んでいく内容だった。

この展覧会の準備において彫刻家の最上壽之さんと出会い、以後のお付き合いが始まった。

『「あそびのこころ」展』 | 世田谷美術館 SETAGAYA ART MUSEUM

『「あそびのこころ」展』 | 世田谷美術館 SETAGAYA ART MUSEUM

目次 なし奥付 なし〔作品図版・会場写真・テキストあり〕〔作家名:伊藤知香、熊谷優子、スタン・アンダソン、土屋公雄、藤岡薫子、松本秋則、最上壽之、渡辺豊重〕

世田谷美術館 SETAGAYA ART MUSEUM

 

 

最上壽之さんの詳細については、以下リンク先を参照されたい。

最上壽之 :: 東文研アーカイブデータベース

 

これから数回に分けて、閉鎖が決まったHPから最上さんの内容を移植しようと思う。それは最上壽之さんの仕事として一般的に最も有名で、いつでも見ることが出来る、みなとみらい21地区に設置された巨大なモニュメント「モクモク ワクワク ヨコハマ ヨーヨー(1994年設置)」の組立設置プロセスの記録である。

今回は、出来立てのモクモク ワクワクの記録を示す。

完成間近のモクモク ワクワク(グランモールの横浜美術館側から撮影)

 

完成式典(右から6人目が最上さん)

 

日本丸メモリアルパーク内タワーC-D棟から完成したばかりのモクモク ワクワクを望む

 

次回に続く

 

横浜みなとみらい21地区「モクモク ワクワク ヨコハマ ヨーヨー」組立プロセス記録2 - ムラカミの公開制作的ブログ

今回は横浜みなとみらい21地区の中心、ランドマークタワー傍に設置された巨大モニュメントの制作・組立プロセスの画像をご覧いただきたい。このモニュメント本体は、脚部を...

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