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「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・最終回「白鳥神社」

2024-07-28 09:12:39 | 日記

長々と掛ってしまった「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」だが、本日で一応の締め括りとなる(あともう一回、番外編を予定しているが、それは私の疑問点に関わる推定なので、本編の目的とは異なる)。

富士山頂と神奈川県の西端に位置する矢倉岳頂上を結んだ線を延長していくと、弟橘姫伝説の地、横須賀走水に至る不思議について巡ってきた。それは一応、神奈川県内の神社を巡って終わりとしたい。だが、この弟橘姫伝説と日本武尊の東征に関わる神社は千葉県内にも多い。これは神奈川県民の私には扱いきれないので、他サイトを探してもらいたい。一つ一つの神社を巡られている方のブログが見つかると思う。

それでも、締め括りとして取り上げておきたい千葉県内の神社がひとつある。それが鹿野山の「白鳥神社」である。ここもまた、富士山と矢倉岳を結んだ線の延長線上に、ほぼ位置する。

 Google マップ

Google マップ

 

 

白鳥神社と「鹿野山のはしご獅子舞」
   君津市鹿野山白鳥ケ峯

 白鳥神社は、日本武尊・弟橘比売命を祭神とし、厄除開運、家内安全、生業繁栄をはじめ、吉凶禍福のお告げを授ける神として知られています。
 伝説によれば、景行天皇の皇子である日本武尊が、天皇の命により、鹿野山を拠店として猛威をふるっていた阿久留王を征伐するため、東国へ下ったといわれます。
 途中、相模から船で上総に渡ろうとして、走水(三浦半島浦賀付近)のあたりにさしかかったとき、暴風雨に遭遇し、船は先に進めなくなりました。
 このとき、妃の弟橘比売命が、波風の平穏を海神に祈りながら海中に身を投じたところ、海は静まり尊は無事上総国にたどり着き、阿久留王を征討して民生の安定をはかったといわれています。
 日本武尊が亡くなったのち、白鳥となって鹿野山に飛翔してきたといわれ、住民がその徳をしのび、白鳥神社を創建したと伝えられています。
 当社の祭礼は、毎年四月二十八日に行われ、九十九谷を一望する社前の広場において、千葉県指定無形民俗文化財「鹿野山のはしご舞」が奉納されます。
 伝承によれば、永正年間(十六世紀初頭)に真言密教を流布するため、紀州高野山から弘範上人が当地に訪れた際、上人の徳を慕って多くの「きこり」が鹿野山に移り住んだと伝えられます。
 きこりたちが、遠く離れた故郷の奥高野をしのび、獅子に託して五間一尺(約九・三メートル)のはしごの上で舞ったのが「はしご獅子舞」の始まりであるといわれ、獅子の舞うさまは郷愁に満ちています。
 平成元年一月三十一日
      君津市教育委員会

 

このような言われがある白鳥神社である。

訪ねたのは6月21日、晴れ間ののぞく蒸し暑い日だった。「九十九谷展望広場 駐車場」に車を停めて参拝した。

以下、画像を複数枚示す。

鳥居をくぐり、石段を上り始めるとゴルフ場の道が参道を横切る。

白鳥神社周囲は「鹿野山ゴルフ倶楽部」である。

白鳥神社。その右側には以下画像のような文字が刻まれた石碑がある。

この「弟橘比売神社」(下画像)は、白鳥神社に向かって右手(東側)に位置する。

本殿を正面にして左側に、更に上に上る小道がある。そこを登って行く。足元は良くない。訪ねた時は雨上がりであり、滑りやすい土の急坂で、草刈りがされてなく、草をかきわけ、枝をよけて登ることになった。

登りきるとそこには「元白鳥神社 日本武草薙」が祀られている。

参拝を終えて、登るよりも下る方が滑りやすい踏み跡を無事に降りることが出来た。駐車場に戻り、念のためにシャツを脱いではたくと、地面には小さな尺取虫が数匹落ちた。ここは冬枯れの季節に参拝した方が無難と思われる。

この鹿野山での発生の情報は得られなかったが、周辺の山中ではヤマビル被害の報告もされている。私は軽装で上ってしまったが、念のためにヒル除けスプレーなどしておいた方が良いかと思う。

「九十九谷展望広場 駐車場」からの展望。

 

さて、かなり時間が掛かってしまったこのミステリーだが、どの様な感想を持たれただろうか。富士山と矢倉岳はランドマークとして分かり易い山だ。その延長線上に走水とこの白鳥神社が位置するのは偶然なのだろうか。私はそこにはなにか、象徴的な意味合いが含まれているような気がする。想像(妄想)が巡るところである。

 


「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・神奈川神社庁リストに掲載されていない「吾妻神社(葉山町)」

2024-07-14 10:35:26 | 日記

前回の二宮町「吾嬬社」に続き、偶然見つけた葉山町の「滝の坂不動 吾妻神社」について書く。

日本武尊の東征について地図を見ながら少し考えれば、三浦半島のどの位置を抜けて浦賀水道に面した走水に到達するのか見当がつく。それ程多くのルートがあるとは思えない。勿論、現在の地形と当時の地形が全くの相似だという保証はないにしても、ごく普通に考えれば最有力候補のルートは現在の県道27号線が無理のない地形に思われる。そして富士山と矢倉岳を結ぶ線の延長上よりやや北に位置するルートにはなるものの、概ね線上に近いルートとなる。

にもかかわらず、この周辺に日本武尊の東征に関わる神社が無いのは不思議だった。

この地に用事があり、クルマを走らせていたところで道端に「吾妻神社」という看板を見かけた。それは「滝の坂」という信号のところにあった。吾妻・・・と言えば日本武尊、弟橘媛命である。そこで後日、確認に出かけた。

画像の追加(2024/07/16):上画像、県道27号からの入口の様子を加えた。

 

石段左手に自然の湧水と思われる手水があった。

早速、石段を上ってみた。

小さな社が見えた。

社を正面に見て右手には、井戸らしきものがあった。

消えかけている説明板。

吾妻神社(滝の坂不動)
祭神 日本武尊

日本武尊が東征の途次こんこん
と霊水が湧き出??この地で
休?され走水から上総国へ
向われたと伝えられている。
本殿横の井戸よりかつては霊水が
溢れて?県道横須賀葉山線の
工事に伴い水脈が変化?水位が下って
しまった。森山神社の「世計神事」にはこの
霊水を汲み上げ持ち帰るお水取りから始
?持ち帰った水に麦麹を入れて神
殿内の一年間納め翌年これ??吉
凶を占?このように森山神社の世計神事
と深い関?が?里人?崇められている。

ここに書かれた「森山神社」は、「吾妻神社」よりも葉山御用邸寄りに位置している。ここが管理をされているようだ。

 

森山社

神奈川県三浦郡葉山町一色の森山社公式ページです。

moriyamasha

 

そしてこの森山社の頁内に「吾妻神社」に関する説明があった。

http://www.moriyamasha.jp/info/azumasha/

 

この「吾妻神社」を見つけたことで、地図上の空白が埋められたと思った。

 


「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・神奈川神社庁リストに掲載されていない「吾嬬社(二宮町)」

2024-07-07 13:40:30 | 日記

更新の間が開いてしまった。不定期更新のブログなのでご容赦ください。

 

さて、6月21日(以下リンク)に車利用での参拝情報を付加した際に、〈最近、神奈川神社庁リストに掲載されていない日本武尊、弟橘媛命を御祭神とする神社が見つかった。後日、アップする予定〉と書いたことについて、2回に分けて書こうと思う。

【お知らせ】「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・周辺資料に駐車情報を追加3 - ムラカミの公開制作的ブログ (goo.ne.jp)

 

先ずは神奈川県二宮町の「吾嬬社」に関して。

この社は、グーグルマップ上で見つけて現地を訪ねた。JR東海道線「二宮」駅北口から徒歩10分弱に位置する。駐車場はないので、駅周辺のコインパーキングを利用する。

由来に関しては不明確。ただ、グーグルマップのクチコミによれば、かつて吾妻神社(同じ二宮町吾妻山公園内神社)の宮司だった方が建てられたのではないか、と書かれている。詳細は以下リンク先を参照されたい。

https://maps.app.goo.gl/RQF9THRAafQWaoBv8

私はこの件に関して裏をとることはしていない。だが、十分にあり得る話だと思う。

住所:神奈川県中郡二宮町二宮1021‐1

 

参考のため、以下に吾妻神社(二宮町吾妻山公園内)の画像を再貼付する。

吾妻神社(二宮町吾妻山公園内神社)「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・周辺資料4 - ムラカミの公開制作的ブログ (goo.ne.jp)