脳科学研究センター-脳研究の最前線

脳の研究を総合的に行うべく、脳科学総合研究センタが1997年に設立された。

Aβレベルを下げるアプローチ

2024-08-09 01:03:23 | 脳科学
現在、アルツハイマー病の根本的治療の対象として、脳内のAβレベルを下げるアプローチが精力的に進められています。これまでの主流のアプローチは、セレクターゼの阻害剤とAβワクチンです。動物実験においてある程度の効果が認められたので、現在臨床試験の最中です。Aβ分解酵素ネプリライシンを活性化する方法も探られています。
Aβワクチンは、Aβに対する抗体を用いて脳内のAβを除去するものです。能動免疫と受動免疫の二つに分けられます。能動免疫は、抗体(Aβペプチドあるいは誘導体)を投与して患者の免疫系に抗体を産生させる方法です。当然ながら、免疫応答は個人差があります。受動免疫は、あらかじめAβに対して作製した抗体を投与します。モノクローナル抗体という均質な抗体を用いるので、個人差やロット差はありません。ただ、抗体医薬品は一般的に高価なので、医療経済学的な理由から普及は容易でありません。
これまで述べてきたように、アルツハイマー病の発症機構について不明なことはまだ沢山あります。しかしながら、原因が生じてから発症に至るまで長期間を要すること、そして、老人斑→神経原線維変化→神経変性という三大病理が存在することは、複数の治療標的があることを意味します。このような理由から、複数の標的に作用する医薬品を組み合わせる、いわゆるカクテル療法が有効な治療法になることが期待されます。

Aβと脳老化-軽度認知症の意味するもの

2024-08-08 17:46:05 | 脳科学
前述したとおり、孤発性アルツハイマー病の発症リスク、80歳を過ぎてから、急激に上昇します。欧米のベータでは、80歳で四人に一人が罹患しています。100歳では実質的に10人中9人が影響を受けているという報告もあります。この数字は、アルツハイマー病が特殊な疾患でなく、かなり一般的な意味での脳老化の行き着く先であることを示唆します。老人斑や神経線維変化などの代表的神経病理を有しながらも認知能力が健常な方はいますが、認知症の潜伏期間にある可能性が高いと考えてよいと思います。
また、1990年代以降に正常な老化と認知症の中間的な状態として、軽度認知障害(MCI:Mild Cognitive Impairment〉)という概念が確立されました。厳密には、主に記憶力に異常があるかないかに分類されますが、ここでは前者を軽度認知障害として取り扱います。軽度認知障害は、健常老人と比較して明確な記銘力(特にエピソード記憶)の低下が認められます。
しかし、判断力などの総合的認知能力が正常範囲にあるため、認知症と診断されるほどに重症ではなく、日常生活や、ある程度の社会生活を送ることはできます。この軽度認知障害は、アルツハイマー病に移行する確率が健常者の10倍以上高く、また、老人斑(Aβ蓄積)や神経原線維変化(タウタンパク質蓄積)や神経変性などの病理像においても、多くの場合に正常老化とアルツハイマー病の中間に位置することが分かってきました。
以上のことは、多くの人々が正常の老化過程で脳内にAβの蓄積を開始し、その量があるレベルを超えたところで、軽度認知障害を経てアルツハイマー病に移行することを意味します。このように考えると、これまで正常の老化の範囲で考えられてきた加齢に伴う神経機能の低下(例えば軽度認知障害と認められない程度の記憶力の低下)の一部は、Aβ蓄積に起因する可能性があります。事実、アルツハイマー病のモデルマウスでは、Aβが蓄積すると神経原線維変化がないにもかかわらず、認知症の低下が認められます。
健常な人間でも、個人差は大きいのですが、40代から80代にかけてAβの蓄積がはじまります。以上のことを考慮すると、あくまで正常の範囲での中年以降の物忘れ(人の名前が出てこない等の記憶障害)も実はAβ蓄積が原因である可能性が浮上してきます。これは、「超軽度認知障害」と称することができます。加齢に伴うAβ蓄積を抑制することができれば、この超軽度認知障害を制御することも可能になります。これは、認知症を予防するだけでなく、正常老化過程の認知能力低下をコントロールすることを意味しますから、冒頭で述べた「脳老化制御学」の対象となると私は考えています。

ネプリライシンを活性化する

2024-08-08 08:36:13 | 脳科学
ネプリライシンを用いた遺伝子のは、アルツハイマー病の患者さんに対して成功する可能性は十分にあります。ただ、脳外科的処置を要するため、実際の患者さんを治療する神経内科医や精神科医には敷居が高いのが現状です。そこで、薬理学的方法の探索が進められています。その結果、神経ペプチドであるソマトスタチンが、培養神経細胞のネプリライシン活性を上昇させることを見いだしました。
さらに、ソマトスタチン破壊マウスを用いて検討したところ、海馬においてソマトスタチンはネプリライシン活性を制御することによってAβ(特に病原性Aβ42)の量を調整することを見いだしました。ソマトスタチンは、ソマトスタチン受容体を介して作用します。受容体の結合部位は特異的な鍵穴のような構造をしているため、格好の創薬の標的です。また、ソマトスタチン受容体には五種類の(異なる遺伝子の産物である)サブタイプが存在し、その中には脳内に選択的に発現するものがあります。このサブタイプだけを活性化する低分子薬剤は、全身的な副作用がなく、脳内Aβレベルを下げる作用があると期待されます。
また、ソマトスタチン自身は認知能力改善作用があることも報告されており、二重の意味でアルツハイマー病に対して予防・治療作用があることが期待されます。さらに、脳内のソマトスタチンは加齢によって減少し、孤発性アルツハイマー病患者では顕著に低下することが報告されています。Aβレベルを上昇させることによって、孤発性アルツハイマー病の原因となる可能性を示唆しています。
米国のヤンクナーらは、ヒト脳を用いて約一万個の遺伝子の発現と加齢との関係を検討しました。加齢に伴って発現が低下する遺伝子は全体の1パーセントにあたる約100個でした。その中の一つがソマトスタチンで、40歳以降有意に低下します。アルツハイマー病の罹患患者率が80歳以降に急激に増えることによく一致しています。もちろん、ソマトスタチン以外にもネプリライシン活性・発現を上昇させる物質が存在する可能性はあります。


ネプリライシン:孤発性アルツハイマー原因解明に向けて

2024-07-31 11:06:54 | 脳科学
私たちの研究室では、それまで誰も行わなかった新しい実験方法をもってこの問題にチャレンジしました。まず、ラジオアイソトープで標的したAβ1‐42ペプチドを合成・精製しました。ペプチドの化学合成は、カルボキシ末端側から一残基ずつ付加することによって伸ばしてゆきます。一残基あたり10時間を要しました。放射線物質を取り扱う上に、一つでも失敗したら台無しですから、緊張感が張りつめっぱなしでした。同僚の岩田修博士と津吹聡博士と私では、毎日侃侃諤諤の議論をしたものです。合成と同じくらい苦労したのが精製でした。結局、共同で作業を進めていた米国のある企業の不誠実な対応(脱落)が原因が遅れたため、計画を立てて、精製が終了するまで約一年を要しました。これだけ長い標識ペプチドを合成したのは私たちがはじめてでした。
次にペプチドをラットの脳内に投与して、経時的に分解パターンを分析しました。生理的分解過程をとらえることが目的でしたから、麻酔下の生きたラットを用いました。その結果、中性エンドぺプチターゼ(中性pHでペプチドを内側から分解する酵素)様のプロテアーゼが脳内における分解過程の律速を担う主要な酵素であることを発見しました。
さらにAβ分解酵素の実体がネプリライシンであることを同定しました。最終的な証明はネプリライシン遺伝子ノックアウトマウスを用いて行いましたが、最も重要な発見は酵素活性が50パーセントに低下したノックアウトマウスでもAβ1‐40とAβ1‐42双方の定常量が1・5倍に上昇していることでした。このことは、ネプリライシン活性が半分に減少しただけで家族性アルツハイマー病原因遺伝子変異と同程度の効果があることを意味しています。
では、実際に脳内のネプリライシンは加齢に伴って変化するのてしょうか。マウスの脳内では加齢に伴ってネプリライシンの活性化や発現が低下しますが、同様の現象がヒト脳でも観測されることが複数回報告されました。さらに、病理学的にアルツハイマー病の前段階にある脳において、ネプリライシンの遺伝子発症が50パーセントほど低下していることが示されました。以上のことから、孤発性アルツハイマー病におけるAβ蓄積の原因は、加齢に伴う脳内ネプリライシンの活性低下である可能性が強く示唆されました。
また、疾患研究において原因を特定することは根本治療への道を開きます。言い換えれば、ネプリライシンが新たな治療標的として浮上してきたわけです。アルツハイマー病モデルマウスにネプリライシンを遺伝子治療によって導入すると、Aβ蓄積を抑制することがわかりました。
ネプリライシンを過剰発現するトランスジェニックマウスを用いた実験でも、同様の結果が得られています。いずれもマウスには目立った異常はありませんでしたから、副作用は少ないと予想されます。さらに、ネプリライシン過剰発現はアルツハイマー病モデルマウスの認知能力低下を回復させることもわかりました。神経病理と認知障害の両面において正にの作用を有することになります。

Aβ分解系による挑戦‐研究が遅れている分解素素

2024-07-29 21:17:43 | 脳科学
分解系は合成系と対をなしてAβの存在量を規定します。速度論的には、分解系全体の活性半分が半分に減るだけで、合成系が二倍に上昇するのと同程度の効果があります。家族性アルツハイマー病の原因として最も典型的なプレセニリン1の変異は、Aβ1‐42の畜産力を約1.5倍上昇させるだけで、若年におけるAβ畜産を引き起こします。つまり、分解系が数十年にわたってわずかずつ低下していっても、十分にアルツハイマー病理の原因になりうるということです。たとえば、生まれてから一年ごとに1パーセントずつ低下しても50年では50パーセント低下するということになりますから、その30年以上後の80代以降に発症することを上手く説明できます。また、一般的に代謝過程は加齢に伴って低下することも矛盾しません。
このような理由から、分解系の重要性は認識されていました。しかし、分子細胞生物学的手法によってめざましく進展した合成系の研究に比較して、分解機構については単純な解析の対象とならないために全くとよいほど不明でした。かつての研究方法は、合成ペプチドを任意のプロテアーゼや培養細胞や培養上澄み、神経組織破砕抽出液に曝すことによって、分解されるかどうかを調べる程度の検討しかなされてきませんでした。これがいかに不合理なアプローチであるかは、以下の「ライオンとペンギンのたとえ」によって明白だと思います。檻の中にいる腹ペコのライオンにペンギンを与えたところ、ペンギンを食べてしまったとします。この観察をもとに「ライオンは自然界におけるペンギンの捕食者である」という結論を導くことはできません。
真の捕食者を知るためには、ペンギンが棲息する場所において現場をおさえるしかありません。
Aβの分解は神経組織において細胞質の外側で進むと考えられています。このような方法では脳内の複雑な立体的構造において進行する代謝課程を再現できるわけではないので、可能性のある候捕が次々に浮上するだけでした。