ひとやすみ(風のいろ:別館)

あなたは私のいのちを穴から引き上げてくださいました(ヨナ)
闇の中に座っていても主がわたしの光である(ミカ)

死の誘惑、そして素直な祈り

2006年02月11日 | Faith
病院に運ばれてから 車椅子でトイレに入り そこで出血して 二度気を失った。 一度目は自分で目覚め、「あ、真っ赤な血」とお尻をふこうと思った。そこまでは覚えている。しかしその後また気を失ったらしい。 今度目が覚めたら、誰かに名前を呼ばれてて しかも身体をゆすられてるみたい。ふーっと正気に戻り目を開けたら、看護婦さんとか数人に囲まれてた。 私は便器にまたがったまま、左の壁にもたれて失神していた。もう全く力が抜けていた。ストレッチャーに戻るとすぐにオムツをあてがわれた。。。。。

入院して最初のうちは準ICUクラスの部屋に入った。ナースステーションとは透明のガラスの戸で仕切られている。絶対安静の重症患者のいる部屋。
意識ははっきりしてるので、夜、天井とカーテンしか見えないベッドから、いろいろ考えてしまって。失神していたときの事を思い出し、あのまま眠るように死ねたら楽だったのになあ、なんて考えていた。また、ふと窓を見上げると、大きなガラス窓の鍵が簡単にあけられそうだった。ここは3階だから あの窓をあけて飛び降りたら死ねるかな?なんて考えたり。

死にたいって積極的に思ってたわけじゃないけど、生きていたくないって消極的な願望はあったので、そんな気持ちにとらわれたのだろう。

入院4日目、まだその部屋にいたけれど、ベッドサイドのポータブルトイレで用をたしたり、車椅子に乗せられて電話をかけに行ったりはしていた。娘に頼んで聖書を持ってきてもらっていたが、

自分の時が来ないのに、なぜ死のうとするのか。(伝道者の書 7-17)

という御言葉に出会った。それはまさに主から私に語られた御心だった。その後、祈るたび、最後に、「私は何のために生きているのかもわからないし、生きるのが辛いけど、あなたが生きなさいとおっしゃるので、生きていきます」と付け加えるようになった。


    (本当に暗くてごめんなさい。)


ちっとも主の証し人になれないこんな私だけれど、入院中お祈りの最後には必ず、「あなたのご栄光が現されますように。そして私に祝福を与えてください。」といつも祈るようになった。
以前の私のお祈りの最後はいつもこんなふうだったのに。「私を導いてください。私をお守りください。」
そうそう、それから気にかかる方々の救いについても、以前よりお祈りするようになった。なんというか……がけっぷちに立って 私の心が研ぎ澄まされたような。(とはいえ、相変わらず苦しさは私の中に溢れていたけれど。でももう必要以上にそういう自分を責めないようにした。自分の心は変えられないから。。。 神様に赦してくださいって お委ねした。)

どう祈ったらいいか、このごろどんどんわからなくなっていたけれど(どんな言葉を用いても 誰かの真似だし、どんなことを祈るのが御心に叶う祈りなのかわからなかったし、何より、自分が何を望んでいるのかもわからないでいた。) こんな風に追い込まれて、なにか 素直に神様に祈れるようになったと思う。肩の力を抜いて自分らしく。けれど きっと まだ他の兄弟姉妹と一緒には祈れないと思う。どうしても「人」として意識してしまうし、私には、他の方のお祈りの課題を共に祈る余裕が今はまだないのだ…。

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