こんにちは。
リーゼント・学ラン歴 21年目(2022年現在)リーゼント矢板(やいた)です。
リーゼント・学ラン歴 21年目(2022年現在)リーゼント矢板(やいた)です。
この夏、遂に私の『リーゼント・学ラン』歴も20年を超え、21年目となりましたゆえ、リーゼントに纏わる思い出話をつらつらと書いて来ました。
その中で、
「リーゼントは元々、イギリス紳士のヘアスタイルであった」
とお話しさせて頂きました。
「へぇ〜そうなんだぁ〜」と驚かれた方もいらっしゃるでしょう。
そして勘のいい人はさらに、
「じゃあ何で今は不良の髪型になっちゃったの?」
という疑問を持たれたのではないでしょうか?
今回はリーゼントが何故「紳士の髪型から、不良の髪型に」なっていったのか?
についてリーゼントの歴史を振り返りながらご説明いたします。
1930年代 イギリス
リーゼントは1930年代にイギリスのロンドンで誕生しました。
紳士の国だけあり、髪型はピッチリ横分けヘアーをしていました。
この横分けの髪を分け目から下に撫で下すのではなく、サイドの髪を後ろへ流してセットするという新しいヘアスタイルが生まれました。この時にできる髪の毛の曲線が、ロンドンの大通りリーゼントストリートのカーブと似ているというところから、リーゼントスタイルという名称がつきました。
また分け目から真横に撫で下ろすのではなく、後方に流すことで、自然と前髪部分が少し立ち上がるというか、持ち上がります。
こうして当時の最新のイギリス紳士のヘアスタイルとしてリーゼントは誕生しました。
1930年代 日本
イギリスの最新流行としてリーゼントが日本にも上陸してきました。
日本人の髪質はイギリス人に比べ硬いため、セットする時に粘りの強いポマードを使わないとセット出来なかったそうです。このポマードが一回の床屋代よりも高かったため、当初リーゼントヘアーは日本でもお金持ちのオシャレさんの髪型でした。
やがて、1941年に太平洋戦争に突入し、贅沢が禁じられ、日本では紳士スタイルのリーゼントは消えてしまいました。
1940年代 アメリカ
こちらでも戦争の時代に入り、人々はモノの節約を強いられていました。
それに反発する貧しい若者が、わざと生地をたっぷり使い、肩パットモリモリ、ブカブカのスーツとズボン(ズート・スーツ)を着て反抗心を示していました。そんな彼らがサイドの髪を後方へ撫でつけるリーゼントスタイルをやっていたのです。
こうして紳士のヘアスタイルから、反骨心のあるアウトローの髪型へと少しづつシフトしていきました。
また彼らはこのヘアスタイルの後頭部へ持っていった両サイドの髪が重なった形がアヒルの尻尾に似ていることから、「ダックス・テイル(ダックテイル)」と独自の呼び方をする様になりました。
こうして同じ一つの髪型が、
イギリス紳士の髪型=リーゼント
アメリカのズート・スーツの若者=ダックス・テイル(リーゼント)として定着していきます。
1940年代(後半) 日本
第二次世界大戦が終わり、日本には多くのアメリカ文化が流れ込んできました。
その一つとしてダックス・テイルもあった。1930年代に紳士スタイルとして日本にやってきたリーゼント。同じ髪型が、当時より少しフロントが盛り上がった形でダックス・テイルがとして再上陸。ダックス・テイル(アメリカ風リーゼント)は貧しく反骨心があった若者のヘアスタイルとして、30年代のリーゼントとはニュアンスが少し変わって日本に帰ってきたのです。このアメリカ風になったダックス・テイルは日本では区別されることなく「リーゼント」という呼び名で、派手なアメリカ文化に憧れる若者を中心に広まっていった。
1950年代 イギリス
イギリスには20世紀初頭のエドワード7世の時代から、エドガーディアン・ルックという伝統的なファッションが元々あったのですが、
エドガーディアン・ルック
40年代のアメリカのズート・スーツスタイルに刺激を受けたロンドンの若者たち。エドガーディアン・ルックを極端に誇張した独自のスタイルを確立しました。足にピッタリの細身のズボン、ウエストが絞られ裾の長めのジャケット。そして髪型もズート・スーツ・ボーイの影響から、フロントを高めにしたリーゼントをしていました。彼らはテディー・ボーイ(テッズ)スタイルと呼ばれるようになったのです。
テディー・ボーイはズート・スーツボーイと同じく、最下層
の目立ちたがりの少年たちが多く、リーゼントを生んだイギリスでもリーゼントは貧しく若いアウトローのヘアースタイルとして変わっていきました。
1950年代 アメリカ
第二次世界大戦により大国となったアメリカ。若者でもお金を持っており、物質的には豊かであったが、精神的に満たされるものがありませんでした。刺激やカッコいいものを求めた若者、満たされず反抗心を抱く若者が行きつく先は、いつの時代も世間や大人が悪いと思う『不良性』のあるモノでした。
その一つに「黒人文化」がありました。黒人文化の音楽R&B(リズム&ブルース)をカッコイイと思う白人の若者たちがあらわれ、R&Bの音楽に合わせて踊る奴らは体を揺すったり、回して踊っていました。この揺する(ROCK)・回す(ROLL)で「ロック・アンド・ロール」という言葉も生まれます。こうして白人ミュージシャンがR&Bを演奏したり、白人音楽のC&W(カントリー&ウエスタン)と黒人音楽のR&Bを取り入れた音楽なども誕生しました。そして56年にエルビス・プレスリーが登場!
R&Bの影響を受け、体をロック(揺する)ロール(回す)しながら歌い踊るエルビスのヘアスタイルはリーゼント。若者たちはエルビスに熱狂するが、白人のエルビスが黒人音楽をやる事、またロック&ロールの踊りの腰使いが(若者はセクシーととらえたが)「卑猥だ」と大人からは大ヒンシュク。
こういった側面からもロックン・ロール、リーゼントは大人が理解できない『不良の文化』と繋がってしまったのです。
黒人文化とリーゼント
黒人は白人から強い差別を受け長い間虐げられていました。彼らの多くは貧しく、心も荒んでしまい、まさにアウトロー。反抗心も強かった。そんな彼らのオシャレをする手段は少なく、髪型をいじるくらい。そこでチリチリの髪の毛を潤滑油のグリースの様な脂で、白人のように伸ばして撫でつけ、頭頂部はチリチリという独自のスタイルを編み出しました。
この独自のオシャレ感覚をまたカッコイイ!と若い白人がマネしだしたりもしました。日本の80年代のグリグリにパーマをあてたリーゼントは、この黒人のスタイルが近いかも知れません。
この様に黒人文化からの『不良性』みたいなモノも、【リーゼント=不良】の図式に少なからず影響を与えていたのではないでしょうか。
このように、
元々イギリスの紳士のヘアスタイルとして始まったリーゼントは、
アメリカの『ズート・スーツボーイ』
イギリスの『テディー・ボーイ』
黒人文化
などの様々な側面から、貧しく反骨心のある若者の髪型へと徐々にシフトしていき、現在のリーゼント=不良のイメージへと変化していったのです。
(終)
今回語った内容は、私が過去に参加したイベントでも解説をしています。
よろしければ、こちらの動画も合わせてご覧になって下さい。
⚡️夜露死苦⚡️
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訂正&加筆致しました。
いつもジックリ読んで頂きありがとうございます!
私もジックリ読み直し、また見つけてしまいました!
↓
誤:カコイイと思う白人の若者たち
正:カッコイイと思う白人の若者たち
引き続き、リーゼント矢板のブログを、よろしくお引き立て下さいませ。