こんにちは。
リーゼント・学ラン歴19年(2020年現在)リーゼント矢板(やいた)です。
本日は、いかにしてリーゼント習得に至ったか、についてですが、、、
時は90年代も終わりを迎え、2000年代に成り代わろうとしている頃。
漫画のキャラクターの生き様に心底惚れてしまい、『自分も同じように男らしく在りたい』という憧れを抱いた私が、リーゼント・学ランスタイルに目覚めるのは至極当然の流れでした。
しかし、当時のTOKYOは、カラーギャング・顔黒ギャルの時代。
リーゼントの学生など都内にはもはや皆無であり、制服でさえ、ブレザーに切り替わる学校が増え、学ランが珍しくもある状態であった。そして、何を隠そう、私自身が通う中高一貫の男子校も制服はブレザーでした!
つまり、先輩から学ランを譲ってもらう文化も、リーゼントを参考にする友人や先輩もいないのである。
そう、リーゼントを作るために参考にするのは、憧れたキャラクターの漫画。
二次元の平坦なイラストから、あの独特のボリュームを持つ、三次元ヘアスタイルを再現しなければならないと言う難関が待ち構えていたのである。
正面のコマと横向きのコマ。そしてその間の斜め向きのコマを見ながら、様々な角度から鏡を除き、想像力補正を駆使し、形作らねばならない。
多感な時期に通い出したのが男子校で、異性の目はおろか、他人の目すら気にせず、起きたまんまの寝癖姿で登校する毎日。
そんな私が、鏡を買い、ブラシを手に、何時間も四苦八苦なのである。
当時の母親は、「ひろしがやっとクシを持つようになった」と喜んでいたが、この時は、まさか超ボリュームのスーパーリーゼントになるとは微塵も思って無かったであろう。
しかしセットにはクシやブラシだけでは不可能。
そう整髪料の助けを借りるのだ。それまでヘアスタイルを整えたことがない。ましてや周りにもリーゼントはいないし、当時はケータイを持つ学生もまだ数人で、パソコンもやっと一家に一台が広まり出した頃なので、情報収集の方法はとても少なかった。自ら色々と試しながら、繰り返し作って行くしかないのだ。
まず私が手にしたのはGATSBYのヘアムース。
そもそも整髪を使うのも初めてで、髪の毛に色々つけるのが怖かった。
なんとなくムースのアワアワ感がダメージも少なそうで手を出しやすかった。
なんとなく前髪が立ち上がりはするものの、セット力は弱い。
次はジェルを試した。
なんだかあんなヌルヌルしたモノを髪の毛に塗りたくるのか?と思うと髪に何かをつけることの抵抗感は拭えなかったが、セット力は悪くはなかったが、スカスカでボリュームが出せない。
オレは聞いたことがあった。リーゼントにはポマード。
そしてポマードは柳家。試してみたものの、匂いが強烈。お爺ちゃんみたいな匂いがたまらず、1度使ったきり。速攻で先生に注意される始末。
これまでなんとなく、漫画や、映画ビー・バップ・ハイスクールのパンフの中の写真を参考にするしかなかった。そして、自分でセットしたその形はどちらかと言うとオールバックの様なスタイルであった。
どうも理想の形には程遠い。
下校時に恵比寿駅の付近にリーゼントヘアの人とすれ違った。
カッコよかった。しかし、カッコイイが、理想と少し違う。彼は、ストレートヘアをフロントを高くセットし、おでこを出すロカビリースタイル。
オレが漫画でみたリーゼントとは違う。ビー・バップのヒロシの様なクルッと巻いたセットが出来ない。
ここには決定的な違いがある。それを何となく感じてはいた。
乗り越えるには勇気のいる、10代のオレには大きく感じる壁が。
そして、遂にその決定的な違いは、確信として思い知る事になる。
氣志團・メイジャーデビュー。
それを知ったのは17歳の冬。自宅で取っていた報知新聞の芸能面の小さな白黒記事。それを見逃さなかった。
DVDが当たり前になりつつある時代に、VHS、ビデオテープ3ヶ月連続販売でのデビュー。「な、何もななんだ?」すぐに恵比寿のアトレの新星堂で予約をした。
そのメイジャーデビューVHSに映っていた氣志團というグループ。衝撃だった!ロカビリーでもない。ビー・バップでも物足りなかった。私の好んで読んでいた、影響を受けた漫画のキャラクターの、まさにその物のリーゼントヘアをしていたのである。
毎日毎日、帰宅しては繰り返し見ていた。漫画の2Dで見ていたリーゼントが、3Dで立体物として実在していたのである。後ろから、斜めから、上から下から。逃さず観察した。そして確信した。
理想のリーゼントにはパーマが必要だと!
中学から男子校、ファッション・オシャレに無頓着な男にはパーマは相当ハードルが高いのである。
VHSに封入されていた氣志團のポスターを持参し、地元の床屋で、「この髪型にしてください」とオーダし、初めてのパーマをあて、遂に理想のリーゼントへの第一歩を踏み出した。
リーゼントとしてはまだまだ控え目ではあったものの、着実な一歩。今まで出せなかったボリュームが出る。セットにヘアスプレーを使う事を床屋で知る。そして、氣志團という理想の見本がある。そこからのリーゼント技術の伸びは凄まじかった。私は、この18歳の夏を、自分のリーゼント元年と制定し、以後ここからリーゼント歴を数える事にしたのである。
ではまた、次回。
⚡️夜露死苦⚡️
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