歴史の足跡

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『粉河寺』西国33所3番札所

2015-03-30 20:36:52 | 例会・催事のお知らせ
粉河寺は和歌山県は紀ノ川市にある天台宗系の寺院である。西国三十三所第三番札所、本尊は千手千眼観音菩薩。伝承によれば創建は宝亀元年(770)大伴孔子古によるとされる。粉河寺には『粉河寺縁起絵巻』国宝に伝えられいる。粉河寺の説話に千手観音の由来がある。紀伊国の猟師・大伴孔子古は宝亀元年に山中に不思議な光を発する所を見つけ、そこに小さな庵を結んだ。これが粉河寺の始まりという。もう一つの説話に千手観音菩薩の霊験物語は、河内の長者佐大夫の娘が病に明日をも知れない命、そこに現れた童行者が千手千眼陀羅尼を唱えて祈祷した所娘の病は全快し、長者は喜んで財宝を差し出すが受け取らず、娘の小太刀のの緋の袴だけ受け取り「私は紀伊国那賀郡に居ります」と言って立ち去った。長者が那賀郡に尋ねると小さな庵に千手観音像が立ち、観音の手には娘の緋の袴があった。粉河寺は清少納言の『枕草子』にも登場し、西行や『山家集』に出てくる。平安時代から始まった西国三十三所例所巡りに札所として栄えたが、秀吉の紀州責めに根来宗徒共に戦ったが全山焼失した。そん後、江戸時代に再建されて現在に続く古刹名刹である。

「施福寺」西国札所三番札所。

2015-03-30 06:07:33 | 例会・催事のお知らせ

施福寺は大阪の和泉市の槇尾山は中腹に位置し天台宗の仏教寺院である。本尊は弥勒菩薩で西国三十三カ寺第四番札所である。古くは険しい山岳寺院として葛城修験系の寺院として創建されたと思われる。南北朝時代の記録に成立した寺史の『槙尾山大縁起』には施福寺は欽明天皇の御世に播磨国加古郡の行満上人が創建をしたと伝える。また縁起には役小角の、行基、空海の関わった伝承がある。中世以降は後白河上皇由来の法華経と仏像が奉納されたことに縁起が見える。南北朝時代には南方の拠点としたために戦禍に巻きこまれて、寺は衰退をした。天正年間には織田信長と対立したことによって一山焼き払われた。その後豊臣秀吉によって再建された。江戸時代には川家の援助で栄え寛永年間真言宗から天台宗に改宗した。江戸寛永寺の末寺となった。江戸時代の末期に山火事がもとに仁王門他伽藍が焼失し、本堂はその後に再建されたものである。