※青少年育成連合会の歴史
昭和52年、川崎市高津区において、多くの少年達を集めて空手の指導を開始
昭和56年、青少年育成会を設立昭和59年、青少年育成連合会に名称変更
昭和60年、シンナー・暴力が多発、多くの不良少年達を更生させる活動を開始
昭和61年、鹿川裕史君のイジメ自殺をきっかけに多くの子供達の自殺が日本全国で発覚し、大きな社会問題に発展
昭和62年、青少年育成連合会の総力を挙げて、いじめ問題に突入する。いじめ自殺をした遺族を訪ね歩き多くの活動仲間と協力して、いじめ撲滅運動を展開。
平成03年、町田市つくしの中の前田晶子さん鉄道自殺、作文問題、虚偽報告に対しての抗議運動
東京都小松川3中のいじめを受け自殺した菅原君、いじめの実態を追及抗議運動
平成04年、テレビ朝日、朝まで生テレビに出演、その他数々のテレビに出演
学校での教師も参加した子どもの集団のイジメによって自殺した、鹿川裕史君
父親で鹿川雅弘氏を青少年育成連合会の副理事長に選び、九州・北海道を除き、全国のいじめ撲滅運動を遺族と共に開始。
平成05年、「マット殺人事件」で山形県の学校の児玉君が亡くなった体育館に調査と共に児玉さんのご両親と会い改めて学校のでたらめさを知り、この児玉君の名誉の為にも闘うことを決心
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