ブナの中庭で

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日本のノーベル賞受賞者

2013年12月26日 | サイエンス
12月21~23日の三連休は仕事で出張となり、連日朝6時から夜11時まで働いておりました。
ようやく出張から戻り、翌24日は休みなく出勤。
通常業務をこなしていたところ、1通のメール。
「原稿はいつ出来上がりますか?」
・・・・
忘れてました、ゴメンナサイ~。

で、急いで原稿作成に取り掛かりました。
内容は「日本のノーベル賞受賞者」。歴代の受賞者の方々のプロフィールや研究内容、功績などを分かり易く紹介するというもの。

おひとりずつ調べるうちに、ハマりました。実に面白いです

 益川敏英氏(2008年物理学賞)
外国語が大の苦手で、大学院入試では数学と物理学は満点なのにドイツ語は完全白紙で英語も散々な成績だったため、入試委員会で合格を認めるかどうか問題となったそう。海外の学会からの招待は全て断わりパスポートも持っていなかったが、ノーベル賞授賞式への出席が初の国外渡航になった。その時の受賞記念講演でも、最初に「I'm sorry,I can't speak English.」とだけ英語で言って会場の笑いを誘い、その後は通訳付きの日本語で講演を行ったとのこと。

異例中の異例だそうです。大先生でもこんなエピソードがあると、ぐっと親近感を覚えますね

下村脩(おさむ)氏(2008年化学賞)
1928年福知山市に出生。旧制中学生のとき母の実家・長崎県諫早市に疎開し、勤労動員生活。16歳の時、諫早市にて20km先の長崎市への原子爆弾投下を体験。旧制中学卒業後は旧制高校進学を志すが、中学時代に全く勉強できず内申書を得られなかったためため断念。戦後、旧制長崎医科大学附属薬学専門部(長崎大学薬学部の前身)に進学するが、終戦直後の仮校舎で満足に授業をうけられないまま卒業。その後名古屋大学に内地留学してはじめて知識が習得できたそう。
名古屋大学で彼は研究に没頭し、27歳で「ウミホタルのルシフェリンの結晶化」に成功。これが受賞の理由となりました。

本当にご苦労されたんだ 受賞されて苦労が報われましたね。

小柴昌俊氏(2002年物理学賞)
旧制第一高等学校時代は落ちこぼれ。旧制高校の風呂場裏で(当時の旧制高校は全寮制)「小柴は成績が悪いから(東大へ進学しても)インド哲学科くらいしか入れない」と話す教師の雑談を聞き一念発起。猛勉強を始め東大物理学科へ入学を果たす。小柴氏の座右の銘「やれば、できる」は自らの体験から生まれたもの。

小柴氏がニュートリノ発見の場となったカミオカンデ、私も建設中に仕事で訪れました。すごかったよ

調べれば調べるほど、面白いエピソードがいっぱい
田中耕一氏や山中伸弥氏のユニークな経歴は、よく知られていますね。

しかし、何と与えられた字数は、1人当たり200字のみ!
これで経歴から研究テーマと功績、エピソードなどをまとめ上げるのは実に至難の業です。

長い悩みの時間の後に、ようやく原稿が完成しました。やれやれ‥

*冒頭写真:山中伸弥氏、Wikipediaより転載

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