Nevado del Ruiz、意味は「雪を抱いたルイス山」
南米コロンビア共和国の中央部西寄り、アンデス山脈に属し、位置は北緯4度。
1985年に大噴火し、高温の火山ガスが噴出しました。ガスは万年雪を溶かし、火山灰や火山礫を巻き込んで泥流となって流下。100km以上も離れた町アルメロを襲い、25000人が泥に生き埋めにされました。火山災害ワースト2の記録です。
私がコロンビアに滞在していたとき、JICAの専門家として広部良輔先生(専門は火山防災学)が赴任されました。赴任先はルイス山の麓の町、カルダス県マニサレス市の火山防災研究所です。日本政府は、ルイス山の噴火予知システムを技術供与し、その推進役として広部先生がこられたのです。
噴火予知を目的に、ルイス山周辺には地震計はじめ各種計測器が設置されました。
そして私を含めた5名が、実際にルイス山に登り活動状況を見に行くことになったのです。登山好きの私はこの仕事に大喜び! !(^^)!
標高5000m付近まで一気にジープで上がり、そこから氷河(万年雪かな)を登りました。ところが、この雪、熱帯の太陽熱を受けて柔らかなっており、一歩一歩が膝上まで沈んで歩きにくいこと、この上ありません。しかも標高5千mで酸素は平地の約半分!一歩一歩が地獄の苦しみ
超のろのろペースでようやく山頂へ達しました。ルイス山は小規模ながら噴煙を上げ、巨大なカルデラが口をあけていました。
広部先生から頼まれていた写真を何とか撮り終え「義務を果たした」と思った瞬間から、すさまじい頭痛と吐き気、めまいに襲われ、目が霞み始めます。
何とか這うようにして下山しました。
そして車で町へ降ろされるまで、私は気を失ってしまいました。
(高山病はホント怖いね)
翌日、泥流で埋まった町アルメロArmeroを訪れました。
当時は噴火後すでに6年が経過していましたが、町の住民のほぼ全員が亡くなったため、町は泥流に埋まったまま。遺骨も拾われること無く、砂礫層のところどころに骨が顔を出しています。
そして一面の十字架、十字架、十字架。ゾ~、鳥肌がたちました。
実はルイス山は1985年の大噴火の前に、専門家により噴火が予測され、ハザードマップ(災害予想図)も作成されていました。
しかしそれは作られただけ。実際に現場で使われることなく、住民にも知らされること無く、全く役にたてられなかったのです。
そして無くなった2万5千人の命‥‥。(犠牲はあまりに大きい)
立派なハザードマップも住民に利用されなければ、意味がありません。
火山の国日本に生きる私たちにも、ルイス山の教訓は生かされなければならないですね。
(ルイス山登頂 1991年10月)
南米コロンビア共和国の中央部西寄り、アンデス山脈に属し、位置は北緯4度。
1985年に大噴火し、高温の火山ガスが噴出しました。ガスは万年雪を溶かし、火山灰や火山礫を巻き込んで泥流となって流下。100km以上も離れた町アルメロを襲い、25000人が泥に生き埋めにされました。火山災害ワースト2の記録です。
私がコロンビアに滞在していたとき、JICAの専門家として広部良輔先生(専門は火山防災学)が赴任されました。赴任先はルイス山の麓の町、カルダス県マニサレス市の火山防災研究所です。日本政府は、ルイス山の噴火予知システムを技術供与し、その推進役として広部先生がこられたのです。
噴火予知を目的に、ルイス山周辺には地震計はじめ各種計測器が設置されました。
そして私を含めた5名が、実際にルイス山に登り活動状況を見に行くことになったのです。登山好きの私はこの仕事に大喜び! !(^^)!
標高5000m付近まで一気にジープで上がり、そこから氷河(万年雪かな)を登りました。ところが、この雪、熱帯の太陽熱を受けて柔らかなっており、一歩一歩が膝上まで沈んで歩きにくいこと、この上ありません。しかも標高5千mで酸素は平地の約半分!一歩一歩が地獄の苦しみ
超のろのろペースでようやく山頂へ達しました。ルイス山は小規模ながら噴煙を上げ、巨大なカルデラが口をあけていました。
広部先生から頼まれていた写真を何とか撮り終え「義務を果たした」と思った瞬間から、すさまじい頭痛と吐き気、めまいに襲われ、目が霞み始めます。
何とか這うようにして下山しました。
そして車で町へ降ろされるまで、私は気を失ってしまいました。
(高山病はホント怖いね)
翌日、泥流で埋まった町アルメロArmeroを訪れました。
当時は噴火後すでに6年が経過していましたが、町の住民のほぼ全員が亡くなったため、町は泥流に埋まったまま。遺骨も拾われること無く、砂礫層のところどころに骨が顔を出しています。
そして一面の十字架、十字架、十字架。ゾ~、鳥肌がたちました。
実はルイス山は1985年の大噴火の前に、専門家により噴火が予測され、ハザードマップ(災害予想図)も作成されていました。
しかしそれは作られただけ。実際に現場で使われることなく、住民にも知らされること無く、全く役にたてられなかったのです。
そして無くなった2万5千人の命‥‥。(犠牲はあまりに大きい)
立派なハザードマップも住民に利用されなければ、意味がありません。
火山の国日本に生きる私たちにも、ルイス山の教訓は生かされなければならないですね。
(ルイス山登頂 1991年10月)
言葉がありません。
思ったことは3つ。
Repuさんは、コロンビアに行っても、ただ普通にはしていなかったのね(それは、ビックリ。まさか、そういう研究の一員として仕事もしていたとは!)
2つ目は、高山病で危なかったとか、山ではほんとに度々、もんのすごく危ない目にあってるんだよね、きっと。
危ないことは、やめてほしいわぁー、日本のためにも。
Repuさんの能力は、とんでもなく素晴らしいと私は思っているので、それは…ごめなさいね、とんでもないこと言って…Repuさんだけのものじゃなくて、社会に役立ててほしいと、私は思ってるの。
だから、御身、どうぞ大切にして、活動なさってくださいね。
3つ目は、火山が噴火すると予測がついてて、ハザードマップも作られても、住民は知らされずに25000人だっけ? そんな、とんでもない数の人が死んだの?。
言葉がありません。
アルメロの悲劇は、防災関係者では有名な話のようですよ。ハザードマップ作ったら「アルメロのようにならないように」とすぐに配布したり周知の方法を考えたり。
コロンビアでの2年間はアドベンチャーの日々でした!
2年間で10年以上のことがあったような気がします。ホント、凄かった~
その話はまた、ね。