
10月14日に出かけた敦賀市のクライミング。同行4名の皆さんは福井県人です。今庄から敦賀へ抜けるとき、旧北陸線「恐怖のトンネルルート」の話題で盛り上がりました。
みなさんのお話をまとめると、次のようになります。
・北陸トンネルが開通したのは昭和37年。それ以前は旧路線を蒸気機関車が通っていた。
・その旧路線は急カーブ急勾配のトンネル続き。特別な機関車が牽引していた。
・旧路線は現在も通行可能。ただし狭くて車のすれ違いはできないので、対向車が来ないことを祈るのみ。
・トンネルは暗くカーブしているうえに、天井からの漏水が凄まじい。自転車で通ったことがあるが、全身びしょ濡れ。
石川県人の私としては、興味津々!
さて、話題の旧北陸線は、次の地図の黄色ルートです。
(クリックすると拡大します)

図はこちらを参考にさせて頂きました。
クライミングの帰り、運転のKさんのご厚意で、私にそのトンネルルートを紹介してくださることになりました。

こんなトンネルが連続します。
すこし前までは、トンネル内の照明もなかったそうです。怖~い!

内部で曲がっているので見通しがききません。
向こうから来る車が、ずっとクラクションを鳴らして走ってきました。
一番長いトンネルは、入口に信号が設置されています。

トンネル群はいずれも煉瓦作り。

トンネル天井には蒸気機関車の吐き出した煙と煤がこびりついていました。


敦賀・今庄間の旧路線は急勾配であったため、スイッチバック方式がとられました。その跡が保存されています。

こちらは旧大桐駅。保存されているプラットフォームは北陸トンネル開通前まで使われていました。
私が子どもの頃、北陸線で今庄を過ぎると、車内放送が入ったことを覚えています。
「まもなく北陸トンネルに入ります。長さ13km余り、難工事の末完成したものです。以前は大変なルートを通っていました」
といったような内容でした。(現在はこの車内放送はありません)
あのときの車掌さんの声は、誇りを感じさせるようなものでした。
みなさんのお話をまとめると、次のようになります。
・北陸トンネルが開通したのは昭和37年。それ以前は旧路線を蒸気機関車が通っていた。
・その旧路線は急カーブ急勾配のトンネル続き。特別な機関車が牽引していた。
・旧路線は現在も通行可能。ただし狭くて車のすれ違いはできないので、対向車が来ないことを祈るのみ。
・トンネルは暗くカーブしているうえに、天井からの漏水が凄まじい。自転車で通ったことがあるが、全身びしょ濡れ。
石川県人の私としては、興味津々!
さて、話題の旧北陸線は、次の地図の黄色ルートです。
(クリックすると拡大します)

図はこちらを参考にさせて頂きました。
クライミングの帰り、運転のKさんのご厚意で、私にそのトンネルルートを紹介してくださることになりました。

こんなトンネルが連続します。
すこし前までは、トンネル内の照明もなかったそうです。怖~い!

内部で曲がっているので見通しがききません。
向こうから来る車が、ずっとクラクションを鳴らして走ってきました。
一番長いトンネルは、入口に信号が設置されています。

トンネル群はいずれも煉瓦作り。

トンネル天井には蒸気機関車の吐き出した煙と煤がこびりついていました。


敦賀・今庄間の旧路線は急勾配であったため、スイッチバック方式がとられました。その跡が保存されています。

こちらは旧大桐駅。保存されているプラットフォームは北陸トンネル開通前まで使われていました。
私が子どもの頃、北陸線で今庄を過ぎると、車内放送が入ったことを覚えています。
「まもなく北陸トンネルに入ります。長さ13km余り、難工事の末完成したものです。以前は大変なルートを通っていました」
といったような内容でした。(現在はこの車内放送はありません)
あのときの車掌さんの声は、誇りを感じさせるようなものでした。