ブナの中庭で

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奥太拉山(ウータイラシャン 4769m)

2008年05月16日 | 山登り
5月12日午後に発生した四川大地震。
現地の様子が明らかになるに従い、大変悲惨な状況であることがわかってきました。

私はこの地震の震源地汶川県のすぐ近く、四川省黒水県の奥太拉山(ウータイラシャン 4769m)へ2004年8月に登頂しました。「ヒマラヤの東」と呼ばれる中国横断山脈の東端に位置する山であり、登山の対象としては全くと言ってよいほど知られておらず、山で人に会うことはありませんでした。
私たち5名は、個人的に知り合った李さんにガイドをお願いし、11日間の日程で登山に出かけました。


1日目(8月2日)関西空港→北京→成都(ホテル泊)
 ガイドの李さんと顔合わせ。李さんは日本語が堪能で四川の山を専門にガイドしいる方。

2日目(8月3日)雨のち曇 成都→汶川県→黒水県→登山口の村(民家泊)
 車で成都を出発し山へ向かう。途中、岷江(みんこう)に大規模なダムの建設現場を通過したが、工事の斜面が見ている間にも崩れている。いかにも地盤は悪そう。ここで地震が起こったのだから、大変な被害が起こるのは想像に難くない。
車は黒水県に入る。本当に川の水は黒色になった。 

民家は斜面に危なっかしげに建っていた。今回の地震で地盤も家もきっと崩落したのだろう。


農作物を背中の籠いっぱいにつめて斜面を登っていった笑顔のおばあさん、無事であってほしい。


この日は登山口(といっても登山道はありませんが)の、チベット族の民家に泊めていただいた。


水は川から汲む。


周囲の山から取ってきた漢方薬を干す。




3日目(8月4日)晴 登山口→牛棚子(テント泊)
 夏の間は放牧場になっている草原を通って山へ向かう。目指す山塊が近づいてきた。


途中、小さな村を通る。ちょうど麦の収穫の時期で、ため息が出るほど美しい風景だった。


一生懸命お手伝いしていた子供たち。地震でどうなっただろう、無事を祈るばかり。


家は石造り、いずれもチベット族特有の作り方。


エーデルワイスはじめ、一面のお花畑に感激。
 

やがて標高3400m、「牛棚子」というところ(でも集落なし)でテント泊。



4日目(8月5日)快晴 牛棚子→BC標高3922m(テント泊)
 高度順応のため、ゆっくり歩く。コースは沢沿いの道である。
 やがて沢は小滝の連続となり、道も傾斜をました。そして平坦地にでると、前方には素晴らしい風景が広がった。


ここがBC、標高3922m地点。一面のお花畑のなか、テントを設営する。




5日目(8月6日)快晴 BC→お魚湖→ピーク下のカール→BC(テント泊)
 ガイドの李さんも初登頂なので、今日はルート探索と高度順応をかねてゆっくりピーク下のカールまで歩いて戻ることにする。
 BCから沢に沿って上流に進みガレ場を抜けると、突然目の前には湖が現れた。お魚の形をしているので、「お魚湖」と名づける。そして湖の向こうには、今回の目的である奥太拉山が姿を見せてくれた。


お魚の形をしていませんか。


湖をバックにガイドの李さん。





6日目(8月7日)快晴 BC→お魚湖→ピーク下のカール→モレーン斜面→奥太拉山→カール→お魚湖→BC(テント泊)
 最高の天気だ。6時半出発。カール底から巨岩のモレーンが積み重なる急斜面を慎重に登る。ルートを探りながら進んでいった。


11時30分、奥太拉山4769m山頂。外国人初登頂だそうだ。

とても嬉しかった。と同時に、CLであり計画者として、メンバーとともに無事山頂に立つことが出来てホッとした。


帰りはゆっくりお花を楽しみながら歩いた。
 
 

 


7日目(8月8日)晴のち雷雨 BC→三角山ハイキング→BC(テント泊)
 この日は登山予備日だったが、前日快晴に恵まれ無事登頂できたので、のんびり近くの三角山へハイキングに出かけた。


2時間ぐらいの登りで山頂。ここからは昨日登った奥太拉山の全容が手に取るように見える。


奥太拉山は別名「息子の山」であり、両親がいる。
「父の山」


「母の山」


テントに戻るとすさまじい雷雨。しかし雨が上がると再び素晴らしい山々が姿を現した。


ほんとうに夢のようなテン場だった。登山者はもちろん私たちの他には誰にも会わなかった。またコンコンと湧き出る泉があり、川の水で水浴びも楽しめた。


8日目(8月9日)快晴 BC→牛棚子→登山口(民家泊)
 すばらしかったBCをあとに沢に沿って下る。途中振り返ると、昨日登った三角山がすっきりした姿を見せていた。



9日目(8月10日)くもり時々雨 登山口→黒水県→汶川県→成都(ホテル泊)
 朝ごはんは泊めていただいた民家でチベット食の「モモ」をいただく。これは小麦の平焼きパンで、自家製の蜂蜜をつけて食べたが、外はパリパリ、中はフワフワでとても美味しかった。


 6日前に来たコースを車で戻る。昼食のため、今回の四川大地震の震源地、汶川県の町に立ち寄った。いったいどのような状況だろう。


成都に向かう途中、山の中で高速道路を作っていた。「危なっかしい工事だね」と仲間と話をしたことを覚えている。崩落、倒壊したのだろうか。



10日目(8月11日)晴 成都観光、成都(ホテル泊)
 世界遺産の都江堰


 同じく世界遺産の青城山


素晴らしいところだったが、両方とも地震被害がすさまじいと聞き、胸が痛みます。


11日目(8月12日)晴 成都→北京→帰国
 奥太拉山は、咲き乱れるお花畑、360度の大展望、氷河地形のカールとお魚湖、と素晴らしい山でした。しかし今回の地震で、おそらくアプローチとなる車道はほとんど壊滅的な被害を被っていると思われます。
 
 最後になりましたが、今回の地震で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。そして一日も早い復興を願っています。





2 コメント

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本当に心配。 (アンクルトム)
2008-05-20 06:22:10
昨年、ジャパンテントでホームステイした学生が、重慶出身で、地震直後は、中国の両親と連絡がつかず心配したそうです。
その後、連絡が取れ、ひとまず安心だったようです。

5万人を超える死者・不明者。
450万人を超える被災者。

人の数を想像しただけでも、すごい地震だったと思います。
被災地の人たちには、心からお見舞い申し上げます。
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建築物は攻撃者か? (Repu)
2008-05-20 20:12:13
新聞を毎朝見るたびに犠牲となった人数が増える一方で、本当に心が痛みます。
テレビ画面を見る限りですが、崩れた学校はじめ建築物は「身を守ってくれる」存在ではなく、まるで攻撃者のようです。

ダムが崩壊する危険性がある、とこれまたテレビで報道していました。4年前、まさにそのダムの建築時に現場を通りました。5万人だか10万人もの人々を強制退去させての建築だそうで、廃墟になった町をいくつも見ました。そして山斜面の木を大量に伐採していました。
森林が保全されていたら、あそこまでの斜面崩落はなかっただろうにと思います。そしてダム本体の崩壊も。

地震発生をとめることは出来ないけれど、建築物による二次的な被害を最小限に止めることはできるはず。と思うのは素人考えですか?
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