此処路(こころ)ありのまま 光・空の彩 riccoroses by Silver canalian

 雲を見て 風をよみ 太陽を感ずる理

  雲上の たなびく流れに心もて
   そこに在りしを 有らしからずや

旅路 帰着

2011-04-16 22:42:00 | 旅路
4月2日( 第4日目 )~4月3日( 第5日目 )



夕方に大阪に到着。

時間切れの中 大阪城







道頓堀へ。




震災後の節電でグリコはごらんのように消灯していました。

この次の日から点灯されたとのこと。





出航10分前に フェリーに飛び乗って無事帰路に。







大阪の街灯りを写そうとしたのですが ごらんの通り 全く別世界の姿に。


これもまたいい感じではありますが。





本州四国連絡橋のひとつ神戸・鳴門ルートの明石海峡大橋もごらんのように消灯中。

その姿は鮮明には見えませんでした。画面に顔をつけるくらいに迫ると うっすらと橋が見えてきます。






ほうほう どれどれ と顔をつけるくらいに 近づいた人はいるでしょうか?

見えましたか?


橋は見えないではないか!?という方に

明石海峡大橋ではありませんが 夜中に下を通過した本州四国連絡橋のひとつ児島・坂出ルートの瀬戸大橋を。






8時に大阪の港を出たフェリーは翌朝8時くらいに北九州へ。

福岡の街を経由して 夕方6時には長崎に到着。

4泊5日でこれだけの土地をまわれるのだろうか?と思っていましたが 意外とまわれるものなんですね。

久しぶりに長崎の山並みと夕陽を見ました。数日ぶりですが やけに懐かしい長崎。長崎もいいところ 大好きな街です。





 


山も大地も海も どうか猛ることなく おだやかであれと祈りながらの旅路でした。














旅路  姫路へ

2011-04-15 22:02:22 | 旅路

4月2日 ( 第4日目 )


作州武蔵を出て 姫新線に乗り 一路姫路へ。


国宝であり世界遺産でもある姫路城を訪れました。


姫路城の名前ですが 姫路城の位置する姫山の古名「日女路(ひめじ)の丘」に由来するいう説があるようです。


また “烏城”と呼ばれる岡山城と対比されることがある姫路城。


別名“白鷺城”です。




残念ながら 傷みや汚れの激しくなった漆喰壁の塗り直しや


屋根瓦の葺き直しを中心に平成26年まで大規模な補修工事が行われており


白鷺城(姫路城)の全景は見えませんでした。






こちらが白鷺城(姫路城)。


一瞬 布の向こう側に城がうっすらと見えると思うのですが 実はよくできた絵です。





1618年(元和4年)には千姫が本多忠刻に嫁いだのを機に西の丸が整備され、全容がほぼ完成しています。


千姫は安土桃山時代から江戸時代の女性で 豊臣秀頼・本多忠刻の正室。


父は徳川秀忠、母は継室の江。現在NHKの大河ドラマであっている“江(ごう)〜姫たちの戦国〜”の江です。


江は浅井長政の三女で母は織田信秀の娘・市(織田信長の妹)。江は3度目の結婚で秀忠の正室(継室)になった方なのですね。


千姫が住んだという西の丸は補修工事中ではなく全景が見えました。











白鷺城の周りでは地元のみなさんがお花見をしていました。


岡山と同じように開花したばかりの桜。


姫路という名前のせいか より一層美しく しとやかに見えました。







美しく しとやかな花を見た後 勇ましく力強い西大柱を見ました。西大柱についての解説を撮影して 西大柱を撮影し忘れ…


それはそれは大きな柱でした。柱を想像しながら解説を読んでください。







   些(いささ)かの躊躇(ためら)いもなく 力強くつらぬき通し 





                     
                      この言葉に作州宮本武蔵を想い起こしました。








                  



旅路 なぎ

2011-04-14 21:42:40 | 旅路

4月1日 ( 第3日目 )



作州武蔵からは 大地を鎮めるような じつに穏やかな山並みが遠くに見えました。






町の人に聞くと奈義町にある那岐山麓ということでした。

那岐山(なぎさん)は鳥取県八頭(やず)郡智頭(ちづ)町と岡山県勝田郡奈義町の境界にある山。

山の頂にはまだ雪が残っているようでした。





思っているよりも高い山なのかなと調べると標高は1,255m。

長崎市で高い山といえば標高590m(八郎岳) 標高475m(岩屋山)ですから 2倍以上も高いのですね。

奈義町の奈義は那岐山の那岐に由来しており 那岐山の那岐は神話に由来しているというお話もありました。

凪というのは海に関する言葉ですが この山にも凪のような穏やかさを感じました。



それにしても 空気の美味しいこと。

空に向かって伸びる高い木々を見上げながら 大きく息を吸い込みました。












   森の中には松ぼっくりをたくさんつけた松の木もありました。
      
                     
                           明日は一路姫路へ。





旅路  作州

2011-04-10 22:10:10 | 旅路

4月1日( 第3日目 )



お昼過ぎには美作(みまさか)に向うために岡山駅から津山駅へ。

津山駅からは姫新線に乗り換えて 林野駅まで。

時間にして岡山駅から林野駅までは1時間半ほどだったでしょうか。

夕方前にはホテル“ 作州武蔵 ”に到着しました。


偶然訪れた美作ですが 行ってみると宮本武蔵と関わりの深い地域でした。

最初に訪れた熊本城も宮本武蔵と関わりの深い場所だったので 偶然とはいえご縁を感じました。

ホテル館内には宮本武蔵関連の展示物が数多くありました。


その中に“ 独行道(どっこうどう) ”を記したプレートがありました。

“ 独行道(どっこうどう) ”とは 新免武蔵(宮本武蔵)が自身の生き方を晩年21か条に書き記したです。





   独行道(どっこうどう)


一、世々の道に背くことなし

一、身に楽をたくまず

一、萬づ依怙の心なし

一、身を浅く思い世を深く思う

一、一生の間慾心なし

一、我事において後悔せず

一、善悪につき他を嫉まず

一、いづれの道にも別れを悲しまず

一、自他共に恨みかこつ心なし

一、れんぼの道思いよる事なし

一、物事にすき好みなし

一、居宅に望みなし

一、身一に美食を好まず

一、古道具を所持せず

一、己身に取り物忌みすることなし

一、兵具はかく別よの道具をたしなまず

一、道に当たって死を厭わず

一、老後財宝所領に心なし

一、神仏を貴んで神仏を頼まず

一、身を捨てても名利を捨てず

一、心常に兵法の道を離れず

   
          正保二年五月十二日

                 新免武蔵






ひとつひとつの意味をかんがえつつ ゆっくりと読んでいると 

ゆるぎない信念を持つ男性像が浮かんできました。





美作市の美作は美作国( みまさかのくに )からきており 美作国は現在の岡山県東北部、山陰道に位置。

かつて日本の地方行政区分だった国の一つだそうです。州をつけて言うときには “ 作州 ”と。




こちらは“ 作州武蔵 ”からの夕陽と夕焼け







空の心には善があって悪はない。智恵があり、道理があり、道があって、はじめて心は空である


                                      五輪書(ごりんのしょ) 宮本武蔵











旅路  岡山 後楽園

2011-04-07 00:15:00 | 旅路

4月1日( 第3日目 )








観射亭から道なりに進むと丹頂鶴がいました。

もちろん飼育されている丹頂鶴で雄雌のつがいが数組。

丹頂鶴の“丹”は古くから朱色を意味し 

"丹頂"はすなわち"頭頂部が赤い"ことに由来しているのですね。

その美しさと優雅さにしばし見惚れました。

お正月には放し飼いをし その飛ぶ姿を見ることができるという話をネットで読んだのですが

それが今もあっているのなら お正月に出かけてみたいものです。



丹頂鶴のところからさらに奥に進むと突然視界が広がり 

沢の池や唯心山のある大庭園の中心に出て 正面に岡山城が見えます。








立ち位置を変えると 景色には それぞれ違う味わいがありました。
         

                      とても憩い やすらぐ広々とした空間でした。




景色を堪能した後は 沢の池のほとりにある福田茶屋に。





沢の池 唯心山 岡山城を眺めながら うどんセットをいただきました。

岡山県の郷土料理“ままかり寿司”(ままかりという魚がネタの寿司)と小さなきびだんご ほうじ茶もついていました。

うどんはお野菜が豊富に入っていたので野菜不足の旅行者にはありがたかったです。

“ままかり寿司”は生まれて初めて食べました。少し癖がありましたが 美味しくいただきました。

ほうじ茶は何杯も飲みたくなるお味。






唯心山のふもとに全く動かない亀が3匹。

本物なのだろうか…?としばし確認したくて 眺めました。

しんぼう強くまっていたら数分後 わずかに 見逃してしまうほどわずかに先頭の大きな亀が顔を動かしました。

本物だったようです。( 本物なのはあたり前!でしょうが。よくできた偽物だったら すごいなと。)



南門から岡山城に抜けようとしているときに見かけたのが こちら。





廉池軒(れんちけん)。


戦災をまぬがれた数少ない建物で往時の姿を今に伝える貴重な建物ということでした。

ちょうど近くの桜の木が花を開き始めていました。廉池軒 春の姿です。




南門を出て 月見橋からの岡山城。





外観は黒漆塗の下見板が特徴で“烏城(うじょう)”という別名があり


姫路城=“白鷺城”と対比されることもあるそうです。




この日 岡山は開花宣言を出していました。





後楽園の外周にある散歩道の桜。熊本から岡山…まるで桜前線を追ったかのような旅。


                                  明日はいずこへ~。




旅路 一路岡山

2011-04-06 01:32:18 | 旅路

 3月31日 ( 第2日目 )~4月1日( 第3日目 )



午後には熊本を離れ 一路岡山へ。新幹線で2時間半ほどで到着。

岡山駅の前には 犬 猿 雉を従えた桃太郎がいました。わずかに見える右腰の巾着にきび団子が?







      遠くを見て 前に大きく一歩。力強く踏み出した勇ましさがいい感じ。






翌朝 まず訪れたのは日本三名園のひとつ 岡山市 後楽園。

今日は後楽園に入ってすぐの観射亭付近の花と木々を。

















岡山、と丸わかりの桃太郎の写真。



                  後楽園、と全くわからない花と木々の写真。




                                    明日は後楽園の奥へ。







旅路  熊本城の大樹

2011-04-04 10:50:50 | 旅路

3月31日 ( 第2日目 )


熊本が“銀杏城”と呼ばれる由来の銀杏の樹と熊本城天守閣






この銀杏の樹は加藤清正公が築城の際に植え 西南戦争で燃えたあと

芽吹いた脇芽が130年をかけて成長したものだそうです。







   天守閣全景


天守閣前では 長烏帽子兜を被った現代版加藤清正が大きな縦長の兜を日時計がわりに 

兜の影の位置で時刻をはかっていました。現代版清正公に近づくと「 今は11時40分じゃ 」と呟いていました。

そのとき時刻は確かに11時40分くらい。長烏帽子兜日時計はかなり正確だったようです。


しばらくすると現代版清正公が「そちは何処から来たのじゃ」と尋ねてきました。 

つい大真面目に「長崎からです。」と答えそうになりますが ここはノリ良く

「肥前じゃ」などと答えると清正公との会話も弾むようです。親しみが沸くユニークな現代版加藤清正でした。



熊本城には大きな樹が多く 城がより勇ましく感じられてきます。

頬当御門の近くには それはそれは大きなクスノキがありました。樹齢600年だそうです。







        大きな樹ゆえか 迫力ある木漏れ日






旅路  熊本城と桜の小路

2011-04-03 23:20:10 | 旅路

 3月31日 ( 第2日目 )






午前中に熊本城へ。




全く知らずにいたのですが 桜の馬場 城彩苑が3月5日にオープンしていました。

見どころはいろいろあるのでしょうが 私は熊本城に向かう途中 

熊本県下の特徴ある23のお店が勢揃いした“桜の小路(さくらのこうじ)”で過ごしました。


ここに“天草海食まるけん”の“うにコロッケ”が販売してありました。

その場で揚げたての熱々“うにコロッケ(じゃがいも)”を食べることができます。

新鮮な油で揚がったサクサクの衣とクリーミーなじゃがいの中から出てくる とろとろの“うに”。

(うに好きとしては)もう一度食べたいと希う一品でした。




長崎を出たとき ( 桜の種類によっても違いますが )3分~5分咲きくらいだったでしょうか。

熊本も同じくらいに開花していました。熊本の桜をどうぞ。











        “桜の小路( さくらのこうじ )”の入り口付近にある 開花し始めたばかりの桜。


        


           青空に向かい 伸びやかで凛とし。


                             青空と花色の彩り美しく。










        “桜の小路”を出て お城へと向かう途中の階段付近にある桜。


       

        
           清らけき白色の花と若葉。


                   光の中で一際輝き 写真であっても その清らかさに心洗われ。




    

旅路  始まりの夕陽

2011-04-03 20:56:42 | 旅路

 3月30日 ( 第1日目 )





長崎からJRで熊本に向けて出発。



特急かもめに乗り 新鳥栖で新幹線さくらに乗り換えて熊本まで2時間2分。

今年2月末にも熊本を訪れましたが 新幹線の開通前で所要時間は3時間余り。

ずいぶんと短縮され あっという間の熊本でした。




熊本に到着したときには すでに夕暮れ時。

辛島の街角から撮影した夕陽です。








         


            1日の終わりのとき。

          

                         旅の始まりのとき。