此処路(こころ)ありのまま 光・空の彩 riccoroses by Silver canalian

 雲を見て 風をよみ 太陽を感ずる理

  雲上の たなびく流れに心もて
   そこに在りしを 有らしからずや

南国から届いたもの

2011-05-30 22:55:15 | 太陽と雲と風


南からの荒ぶる風雨が過ぎたあと

青い空が広がり 白い薄雲が舞うように彩りを添えていました。



南国から来た天女が舞い踊っているようで 

心澄み憩い癒されるような ありがたい空。




青い空と白雲を見あげて風に吹かれていると

心身が隅々まで洗われたようになり 力が漲ってきました。







南国の光とおだやかな陽ののどけさ 












            日本の隅々までこの空が運ばれていきますように




推呈

2011-05-27 22:22:00 | 太陽と雲と風

どんなに混沌としていようとも 混沌とした中から自分をととのえていく

光の広く射している場所にたとえば届かなくても その光の瀬戸際のところを目指し

少しの光であっても目指していく その瀬戸際に門があるかもしれない


どんなに混迷があって上にあがっていけるのだろうかというときでも 推しあげていく








       


                昇華される人への想いと山の霧

陽途

2011-05-22 22:09:30 | 太陽と雲と風

満開の桜が散り いまは青々とした葉が風に揺れ 陽を受けて輝いています。



今日は曇り空の1日でした。わずかな陽の光を受けて輝く 桜の葉。

桜の葉自身から光が射しているかのようで。








                  光さす陽途

                 

照準

2011-05-16 23:22:46 | 太陽と雲と風


あまりの美しさに息をのみ 立ち止まって夕陽を眺めていたある日

 
長崎駅前の高架で身動きもしない女性がいるゾ…と警官に声をかけられました。


足早に行きかうのが普通で しばし立ち止まって空を見上げているとは変だゾ?と声をかけられるとは…。





友人らには「今度から大きなカメラ片手に立ち止まれ。」と言われました。


ここで しばらく身動きせずに眺めていても 職務質問はされません。

 
その日の夕陽とは違いますが 長崎駅高架からの夕陽です。


                          ごゆっくり。















 




               自然に照準を合わせて ゆるやかに



 

 

笑うえにしのありがたさ

2011-05-15 22:48:28 | 太陽と雲と風
嬉しいね 楽しいね 面白いね… と人と交わす微笑み 


愛する人への愛の微笑み


それが人と人との心をつなぐ えにしとなる




向けられた笑顔は 人の心奥に届き 命を紡ぐ 


えにしとなるありがたさ

 






     おどる誘(いざな)いの流線形

         

清く 高く 誇らけく

2011-05-13 23:02:00 | 太陽と雲と風



 今日の19時ごろの夕空。

 PCを見る角度が合えば 実際と同じような色彩で見えると思います。(稲佐山付近)




 照り映ず 美しい雲の彩り













        
     なにがあろうと

                清く 高く 誇らけく


見て読み感じる

2011-05-11 23:18:18 | 太陽と雲と風

 毎朝 空を見上げて雲を見る。

 昨日の朝 空は青空なのに岩屋山の山頂には ぶ厚い雲。

 天気予報を見ずとも 雲を見て 事前に

 気象の変化を知ることができる。


 



 昨日の長崎は土砂降り。

 ずぶ濡れになる人 車から出ることができない人

 バケツを一気にひっくり返したような雨。 どしゃぶりの雨。

 
 

  

 月 火 水 木 星 土 日 光 風 雨 空(気)草 地… 森羅万象

 すべては作用し合って 物ごとはおきる。

 これからはますます 日々 見て 読み 感じて生きることが大切になるのでは。

朝焼けの春霞

2011-05-09 21:31:41 | 太陽と雲と風





オレンジ色に染まった空 朝陽の幾重にも重なる環の彩りの美しさ。


光輪が朝陽から幾つも幾つも こちらに飛んできているような輝き。




黄砂によるかすんだ朝陽が多かったこの頃ですが

この日は黄砂はなく 美しい春霞。











         いにしえ世のような おごそかな光景

ありよう

2011-05-05 16:10:16 | 太陽と雲と風


 



  
   運命とは逃れようとした 道すがらに出あうものです。
   
   おもいとは水鏡

   揺り動かせば見えません 見ることはかないません

   ですが これをしずめれば 答えはおのずとあらわれます


                          ( カンフーパンダ より )



   この言葉は 荘 子の内篇徳充符篇第五にある

  「人莫鑑於流水、而鑑於止水、唯止能止衆止」
  
    ( 人は流れている水面を鏡とはせず静止した水面を鏡にする。静止しているからこそ真の姿が見える。)
  
   を参考にしたものなのでしょうか。


         
   孔子が生きた時代に 王駘(おうたい)という人物がいました。
   彼は講義するわけでもなく 議論するわけでもなく 人を指導するようなことは
   何もしていないのに孔子と同じくらいの弟子を集めていました。
   
   孔子の弟子である常季(じょうき)は孔子に尋ねます。
   「王駘は自分の知恵によって自分の心をとらえて 自分の心をさとっただけの人物です。
    とても博学だとは思えません。それなのに どうして多くの弟子が集まるのでしょうか。」

   すると孔子は 
   「人は流れる水を鏡にすることはないでしょう? 止まっている水を鏡にするのです。
    止まっているものだけが物事を映し出すことができるのです。王駘はまるでじっと止まって
    いる水のように落ち着いた平静な心を持っているので 自分の心を見たいという人々の心を
    見事に映し出す。だからみんなの足も止まるのですよ。」
   と答えました。

   この孔子の言葉から 明鏡止水 という言葉が生まれたと言われています。
   「 曇りのない鏡と静かな水。なんのわだかまりもなく、澄みきって静かな心の状態。」(goo辞書)



    波風立てず 澄みきった静かな心…凪の心とも通じるものがあります。

    あらためて瞑想などする必要はなく 日常生活をこのような心で過ごすことができれば これもひとつの悟りでしょう。

    ちなみに 剣道用語としての明鏡止水というものもありました。


    明鏡止水

    研ぎすました鏡の如く、又静止清澄の水の如く澄み切って、どんな小さなものをも心に写す心境のことで、
    剣道では相手の動きをこの浄玻璃に写して直ちに対応しなければならない。心にさざ波が立てば相手の動きを
    とらえることはできない。したがって剣道ではこの清澄の心境を「明鏡止水」と称して尊ぶのである。

                              ( weblio辞書より )


    そういえば 伊勢神宮の神楽殿にも鏡がありました。
    このときの鏡にうつっているのは自分の魂のありようなのでしょう。




天からのおくりもの

2011-05-04 20:50:10 | 太陽と雲と風


カンフーパンダという映画で亀仙人が言った言葉ですが 心に残った言葉でした。

おおよそこんな言葉だったと思います。



あきらめる あきらめない

君は今までと これからを考えすぎています。

昨日とは過去のもの

未来とは未知のもの

今日の日は もうけもの

それは 天からのおくりもの






これは アメリカの歴史家であり著述家でもあったAlice Morse Earleの著書“Sun Dials and Roses of Yesterday”

の言葉がベースになっているというお話もあるようです。和訳せずに英語のまま。



 Yesterday is history.
 Tomorrow is a mystery.
 Today is a gift.
 That's why it is called the present.




今日は眩しくて なかなか直視できない昼の陽を。




















               これは 天からのおくりもの