見出し画像

エロゲはやっぱり中古が一番

囲碁四方山話 天元について

天元の名付け親は2世安井算哲といわれています。
1世安井算哲の長子ですが、渋川春海といったほうが分かりやすかもしれません。
なにしろ唐代の「宣明暦」を一歩も出なかったわが国で、渾天儀(こんてんぎ)を作って天体を観測、天球儀、地球儀も作り「宣明暦」に誤りが多いのを痛感し1684年(貞享元年)「宣明暦」を改めて「貞享暦」を作ったことで教科書にもでてくるくらいの著名人です。印籠で有名なあの水戸のご老公様や土御門泰福の強力なバックアップのお陰で、江戸幕府で初めて天文方として250石をもって任じられ、碁方を返上、渋川晴海を名乗り、以降、天文方は世襲制となります。

その算哲が天文の理(ことわり)を囲碁に応用し、局面第一着の石は、盤面中央の一石にありとの断案を下し、名けて大極(万物の根本)、又は天元の一目と称し、以(もっ)て天下敵なしとせり(黒をもって天元に第一着を打てば必勝である!)と、独自で編み出した黒必勝法で本因坊道策に臨みます。もし負ければ二度と初手天元は打たないとまで公言するほど、意気揚々として。

先 安井算哲 本因坊道節(1670・10 御城碁)

で、言葉通り二度と天元には打たなかったそうです。
本因坊道策といえば、実力13段といわれるほどで、長い歴史の中でもトップ3には必ず名を連ねるほどの打ち手なのですから(あとの二人は諸説色々あります)
初手の天元が云々ではなく、単に実力が違っただけというのが定説です。

余談になりますが、棋譜は国立科学博物館に保管されています。もちろん碁というよりは天文学の学者としてですが、それまでの中国では、大極が宇宙の根本と考えられていました。もともと碁盤は縦横19路なのはご存知の通りですが、天元を除いた360個の点は1年の日数(当時は360日)で、四隅の星は春夏秋冬を表すと考えられていたようです。そして全ての根源が中心点の天元だという思想ですね。
今ある19路盤は唐の時代には使われています。それ以前は15路とか17路盤で、「史記」や「論語」にも出てきますが、娯楽というよりは占いや兵法の研究が主だったようです。日本への伝来ははっきりしませんが、飛鳥~奈良時代の頃といわれています。平安時代には僧や貴族のたしなみとして好まれ、古今和歌集や枕草子、源氏物語などにも登場するくらいです。


日本最古の碁盤 木画紫檀碁局(もくがしたんのききょく) 

さて、実際に天元が脚光を浴びたのは大きく時代が飛んで、木谷實・呉清源の提唱した新布石のなかで、中央を重視する手法として打ち出されます。本因坊秀哉との三々・星・天元の1・3・5手はあまりにも有名ですね。
二先二・先番 呉清源五段  名人 本因坊秀哉

それからまたしばらく打たれなかったのですが、東と西に別れたころ(関西棋院の独立)東西戦の初戦で大正生まれの山部俊郎五段(当時)が西の総大将・橋本宇太郎八段(当時)に相対した局がこれ。

黒:山部五段 白:橋本宇太郎八段

初手天元に対して、明治生まれの宇太郎先生はノータイムでケイマにカカります。対して山部五段もノータイムでボウシ、物凄い両者の気迫が伝わってくるようです。
結果はともかく、当時の背景がこのような碁になったのでしょうね。その辺りはここでは省きます。
宇太郎先生には天才橋本宇太郎とか火の玉宇太郎とか呼ばれるくらいいろんな逸話がありますが、あまり知られていない話を少しばかり。高川秀格名誉本因坊を殊の外買っておられて、難しい局面での形勢判断では、他の誰が言っても認めないのですが、名誉本因坊の言だと即座に納得されたそうです。
またこんな逸話もあります。
これは29期本因坊挑戦手合第4局、本因坊秀芳(白)対武宮七段(当時)の一戦です。白40と右辺にヒラいたところです。次の一手が・・・



黒41のボウシでした。
以下白上辺にケイマ、黒さらにボウシ、白反対側へケイマの黒ボウシで、


上辺は白地が確定、黒は中央に模様を築きます。
最終図が下の102手目。


このあと数手後、地が足りない黒の投了となりました。
武宮七段の黒41の手が色々評価の別れるところでしたが、宇太郎先生曰く、「こんな手を打てる人は間違いなく本因坊になるでしょう」
そして数年後、本因坊秀樹から本因坊正樹と名乗り、本因坊6期をはじめ十段3期など合わせて24のタイトルを獲得しているのはご存知の通りです。

話がそれてしまいましたが、武宮九段といえば宇宙流、三々は碁盤から落っこちそうだといわれるくらいですが、私は初手天元の棋譜は生憎知りません。(早碁で打たれたとか、最近どこかで王銘琬九段だったと思いますが、打たれた碁を見かけた記憶があるのですが定かではありません)
ただ現代棋士は、いろんな創意・工夫をしておられるようで、昔と比べてかなり初手天元はありますね。なかでもその筆頭が山下啓吾九段ではないでしょうか。
まずは26期天元戦本戦1回戦です。


黒:山下啓吾 白:大竹名誉碁聖

続いて新鋭トーナメント決勝戦(2000年)では、驚きの連続です。

黒:高尾紳路 白:山下啓吾

初手15の五(5の五)に対して、白2が天元、黒3が再度5の十五(5の五)。これ実は漫画ヒカルの碁(対戦相手 社清春)にそのままの棋譜が使われています。まったく前例のない棋譜で、白番の山下六段(当時)が勝って優勝したのですが、対戦相手の高尾六段(当時)も1か月後のNEC俊英トーナメント戦(準優勝 羽根直樹)と竜星戦に優勝しており、平成四天王と呼ばれたトッププロとして活躍し始めた頃です。
もう一人の張栩九段、七大タイトル(碁聖位を山下は獲得)こそ遅れをとったものの25期棋聖リーグ入、56期本因坊リーグ入を同じ年に果たしています。
それとあまり知られていませんが、初手天元以上の手を研究しており、数年後の2014年62回NHK杯2回戦に横田九段相手に試みています。

黒:張栩 九段 (5目半コミだし)  白:横田茂昭 九段 

3回戦ではさらに驚きの手の連続です。
黒:蘇耀国 九段 (5目半コミだし)  白:張栩 九段

二人が共同で研究した布石の成果でした。詳細はこちら
現代はネットですぐに新手が分かる時代です。これから、益々このような研究が日本だけではなく、中国や韓国など世界の打ち手などでされていくに違いありません。どこまで発展していくのかわかりませんが、楽しみですね。

おまけをちょっとだけ。
2回戦での対戦相手の横田九段、関西棋院で活躍されていますが、師匠の故赤木一夫八段は、天元の石一つでは弱いが、シマれば強く強烈になるとして、宮本直毅九段相手に天元ジマリを試みています。
すでに廃刊になった関西棋院の月刊誌「囲碁新潮」に棋譜と共に、紹介されていたように思いますが、かなり以前のことなので記憶違いなのかもしれません。ただそのココロならつい最近見つけた関西棋院のブログに載っていますので、良かったら参考にしてください。そのページです。プロも勧める有力布石、かも?
天元一石ではウスいが、シマれば厚いというわけですね。
確かに「天元に打ってもらうとコミにして2目半ほど得した気分」(故加藤正夫名誉王座)とか「トップ棋士に対する奇襲戦法であり、今後打つことはないだろう」(山下啓吾九段)など必ずしもトッププロには有効な着点とはみなされていないようです。もちろん究められているわけではないので、今後の研究が待たれることでしょう。(*実際には山下九段、偶に早碁で初手天元や、5の五を打たれていますけどね)

最後になりますが、平成四天王の一人、羽根直樹碁聖は唯一、古来よりの布石を大切にされ、全盛のAI流の手を打ちません。先にあげた62回NHK杯の続きになる準々決勝では、再び黒番の張栩九段との対戦が下図になります。


黒:張栩九段 白:羽根直樹九段(当時)

張栩九段は黒番でこれまでと同じく、勢力の新布石で挑みます。それに対して羽根九段の応手、見ごたえがありますね。結果は白の半目勝ち、以後、理由はわかりませんが、張九段は新布石を打たなくなったようです。


266手完 白半目勝

羽根碁聖は、高中国流とよばれた当時の最先端の布石で一時代を築いた父親の羽根泰正九段とは反対に、堅実で一歩一歩進んでいくような棋風といわれていますが、息長くいまだにトップに立っています。頂点を極めた人が一度落ちると、二度と上がってこれないといわれる勝負の世界では異例なこと。故高川格名誉本因坊のように極めて形勢判断に優れているのでしょう。部分に囚われるのではなく常に盤全体を通しての着眼点。だから個々ではあまり目立ちませんが、終わってみればいずれもが最善手だったとわかるような、バランス感覚が一際優れているのだと思います。見えない凄さを持った羽根碁聖には、残りのあと一つ、名人位を1日も早く奪取されることを願って、終わります。

ありがとうございました。


PVアクセスランキング にほんブログ村

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

最近の「囲碁」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事