今日、上野発の最後のカシオペアが2000人のファンに見送られながら出発したとのこと。今頃、札幌に向けて走っていることでしょう。北海道新幹線の開業が着々と進んでいるということです。そして、はまなすと白鳥の廃止も着々と近づいているということです。では、前回の続きを…
青森駅には30分くらい前に到着しました。ドトール向かいのお土産屋コーナーで追加のお土産の仕入れです。「そうそう、(青森在住経験者で今回いろいろ情報をもらった)同僚たちへちょっとした手土産を買おう」ということで、リンゴストレート果汁の缶ジュースやアップルパイを買います。「おい、同行者くん、これを見よ!」「あっ!…」 前回、苦労して手に入れた「朝の八甲田」がここにもありましたよ!w ドトールに入ってコーヒーを飲みつつ、荷物の整理をします。お兄さんのガラガラは半分近くがお土産です。同行者君は瓶入りのジュースとか買うから、入りきらずにお兄さんの空きスペースに入れてあげましたw
「では、そろそろ乗りますか!」改札を通ってホームに向かいます。789系電車がお出迎え。
スーパー白鳥21号
座席に座ると前面のテーブル裏面に
青函トンネル通過時刻の案内
丁寧に青函トンネルに入る時刻、出る時刻を案内してくれます。快速海峡の時はあったかな?そもそも海峡にテーブルあったっけ?など考えているうちに発車です。この案内も青函連絡任務が解除されたら剥がされるんだろな。789系は道内の電化区間で普通に特急電車として転用されるみたいです。
客室とデッキを仕切る扉
となると、このドアに描かれている道南と北東北のデザインはどうなるんだろ?と思ってたら
津軽線蟹田駅
蟹田に到着しました。数名の乗客が下車します。地元の人にも青森市内への足として活用されているみたいです。ここはJR東日本と北海道の境界であり、乗務員の交代もこの駅で行われます。かつては寝台特急の北斗星などの車掌さんもこの駅で交代のため、停車していました。北海道新幹線が開業したら、この駅はどうなるんだろう…
白鳥は一路、函館へ向けて走ります。津軽路は並走している車と、たまに見える明かりのみの銀世界。細かくトンネルが続きます。デッキ仕切りドアの上の電光掲示板がトンネル名を流します。17時55分ごろに轟音とともに青函トンネルへ。このトンネル、前後の短めのトンネルと違って湿度が高いから窓の外が結露して曇ります。竜飛定点(旧竜飛海底駅)、吉岡定点(旧吉岡海底駅)を通るときは蛍光灯の明かりが続いて流れます。あ~、まだ「駅」で見学可能だったときに来たなぁ、と感慨深く眺めていました。実は大昔に両方来たことがあって、最終日にも竜飛に来てます(そのうち書きます)
トンネルを出て北海道へ上陸しました。北海道新幹線開業とともにJRから「いさりび鉄道」という3セクに移行になる江差線を通過。なお、江差線は木古内から江差間は先行して廃止されています。(ちなみにこの区間も乗り納め済)五稜郭駅で北斗へ乗り換えのため下車し、函館へラストスパートするスーパー白鳥を見送りました。
五稜郭駅に到着
白鳥、お兄さんが帰省の手段としてよく使っていたころは、盛岡―青森の「特急はつかり」でした。関東から盛岡まで新幹線、盛岡から青森ははつかり、青森から札幌までははまなすと乗り継いで帰省したものです。新幹線とはつかりを乗り継ぐと特急料金の割引制度があり、はまなすは急行のため急行料金が1000円くらい、そして乗車券は学割が使えたので結構使っていました。寝台車は高根の花なので、座席車でうたた寝だったけどね。まあ、当時は平日なら乗車率が2~3割くらいだったからボックス1つを一人で占領出来るような状態で、喫煙車両もあったため、うつらうつらして目覚めてタバコ吸って、またうつらうつらして…と長閑な時代でしたね。そして、就職して金銭的に多少余裕が出来ると北斗星にメインが移りました。年末に車窓の景色を眺めながらグランシャリオで夕食を摂り、B個室でゴロゴロのんびり過ごす幸せ。なんだか、そういう旅の選択肢が無くなるのはちょっと寂しい気がしますね…
北斗星、エルム、はまなす、白鳥、はつかり、今までありがとう。
青森駅には30分くらい前に到着しました。ドトール向かいのお土産屋コーナーで追加のお土産の仕入れです。「そうそう、(青森在住経験者で今回いろいろ情報をもらった)同僚たちへちょっとした手土産を買おう」ということで、リンゴストレート果汁の缶ジュースやアップルパイを買います。「おい、同行者くん、これを見よ!」「あっ!…」 前回、苦労して手に入れた「朝の八甲田」がここにもありましたよ!w ドトールに入ってコーヒーを飲みつつ、荷物の整理をします。お兄さんのガラガラは半分近くがお土産です。同行者君は瓶入りのジュースとか買うから、入りきらずにお兄さんの空きスペースに入れてあげましたw
「では、そろそろ乗りますか!」改札を通ってホームに向かいます。789系電車がお出迎え。
スーパー白鳥21号
座席に座ると前面のテーブル裏面に
青函トンネル通過時刻の案内
丁寧に青函トンネルに入る時刻、出る時刻を案内してくれます。快速海峡の時はあったかな?そもそも海峡にテーブルあったっけ?など考えているうちに発車です。この案内も青函連絡任務が解除されたら剥がされるんだろな。789系は道内の電化区間で普通に特急電車として転用されるみたいです。
客室とデッキを仕切る扉
となると、このドアに描かれている道南と北東北のデザインはどうなるんだろ?と思ってたら
津軽線蟹田駅
蟹田に到着しました。数名の乗客が下車します。地元の人にも青森市内への足として活用されているみたいです。ここはJR東日本と北海道の境界であり、乗務員の交代もこの駅で行われます。かつては寝台特急の北斗星などの車掌さんもこの駅で交代のため、停車していました。北海道新幹線が開業したら、この駅はどうなるんだろう…
白鳥は一路、函館へ向けて走ります。津軽路は並走している車と、たまに見える明かりのみの銀世界。細かくトンネルが続きます。デッキ仕切りドアの上の電光掲示板がトンネル名を流します。17時55分ごろに轟音とともに青函トンネルへ。このトンネル、前後の短めのトンネルと違って湿度が高いから窓の外が結露して曇ります。竜飛定点(旧竜飛海底駅)、吉岡定点(旧吉岡海底駅)を通るときは蛍光灯の明かりが続いて流れます。あ~、まだ「駅」で見学可能だったときに来たなぁ、と感慨深く眺めていました。実は大昔に両方来たことがあって、最終日にも竜飛に来てます(そのうち書きます)
トンネルを出て北海道へ上陸しました。北海道新幹線開業とともにJRから「いさりび鉄道」という3セクに移行になる江差線を通過。なお、江差線は木古内から江差間は先行して廃止されています。(ちなみにこの区間も乗り納め済)五稜郭駅で北斗へ乗り換えのため下車し、函館へラストスパートするスーパー白鳥を見送りました。
五稜郭駅に到着
白鳥、お兄さんが帰省の手段としてよく使っていたころは、盛岡―青森の「特急はつかり」でした。関東から盛岡まで新幹線、盛岡から青森ははつかり、青森から札幌までははまなすと乗り継いで帰省したものです。新幹線とはつかりを乗り継ぐと特急料金の割引制度があり、はまなすは急行のため急行料金が1000円くらい、そして乗車券は学割が使えたので結構使っていました。寝台車は高根の花なので、座席車でうたた寝だったけどね。まあ、当時は平日なら乗車率が2~3割くらいだったからボックス1つを一人で占領出来るような状態で、喫煙車両もあったため、うつらうつらして目覚めてタバコ吸って、またうつらうつらして…と長閑な時代でしたね。そして、就職して金銭的に多少余裕が出来ると北斗星にメインが移りました。年末に車窓の景色を眺めながらグランシャリオで夕食を摂り、B個室でゴロゴロのんびり過ごす幸せ。なんだか、そういう旅の選択肢が無くなるのはちょっと寂しい気がしますね…
北斗星、エルム、はまなす、白鳥、はつかり、今までありがとう。