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節分大祈祷法要のご案内
毎春恒例の節分大祈祷法要(豆まき大会)を、本年も下記日程にて開催いたします。
大相撲藤島部屋の力士をはじめ、落語家や芸人さんなど多彩なゲストをお迎えし、賑やかに皆さまの一年間の身体健全、除難招福を祈念いたします。
どなたでも自由にお参りいただけますので、御近所、お知り合いの方お誘いあわせの上御参加下さいますよう御案内申し上げます。
※これまでの節分会の様子はこちらから 2008 2009 2010 2011(上) 2011(下) 2012 2013 2014
記
期 日 平成27年2月3日(火)
会 場 倫勝寺本堂(鳳倫閣二階)
時 間 1時 福笑い節分寄席
3時 節分大祈祷法要
4時頃 豆まき、福引き抽選会
出演者 藤島親方、藤島部屋力士の皆さん、チャーリーカンパニー、三遊亭司、ホンキートンク、三遊亭美るく、柳家小はぜ
日本舞踊:藤蔭里燕(ふじかげ りえん) 藤蔭来留里(ふじかげ こるり)
☆会場内の混雑を避けるため、二階本堂での芸能大会観覧は、祈祷申込者以外の方は先着順といたします。
◎御祈祷の御案内
倫勝寺・節分大祈祷会では、皆様の一年間の身体健全、除難招福祈念のため、特別祈祷以外は当日受付も行っております。
ご希望の方には、その場で御祈祷札をお渡しいたします。
☆特別祈祷
祈祷料10,000円(厄年、歳男・歳女、除難招福、心願成就、身体健全、家門繁栄など)
内容・・大祈祷護符(大)、大祈祷一升桝(福豆付き)
おいずる(霊場巡りなどで使用する白半纏) ゲストの方たちとの豆撒き
☆大 祈 祷
祈祷料8,000円(除難招福、心願成就、身体健全、家門繁栄など)
内容・・大祈祷護符(大)、大祈祷一升桝(福豆付き)
☆一般祈祷
祈祷料5,000円(除難招福、心願成就、身体健全、家門繁栄など)
内容・・大祈祷護符(中)、大祈祷五合桝(福豆付き)
☆子育て地蔵・災除観音 祈祷札
祈祷料1,000円 (お子様の無病息災、災難消滅など)
内容・・子育て地蔵・災除観音祈祷札(金紙札)
☆ご祈祷のお申し込み方法・・・ご希望の方は、管理事務所045-825-2311までお申し込みください。
◎倫勝寺精進料理
倫勝寺の精進料理を、先着40名様限定でお受けいたします。
ご希望の方は、管理事務所045-825-2311までお申し込みください。
◎送迎バス運行のお知らせ
当日は下記区間で臨時送迎バスを運行いたします。
路 線・・・相鉄線「二俣川駅南口」~万騎が原第2バス停~合掌の郷
運行時間・・・①正午から午後2時半まで
②豆撒き終了から午後4時40分頃まで
※JR「東戸塚駅西口」からは大型の送迎バスを運行いたします。
☆参詣者用駐車台数には限りがございます。お車でのご来園は御遠慮願います。
以上
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明けましておめでとうございます。
昨年中は檀信徒や皆様にいろいろとお世話になりました、心よりお礼申し上げます。
今年もお勉強の日々が続きます。
さらなる叱咤激励を賜わりますよう、お願い申しあげます。
早いもので、今日は正月7日。七草の日であります。
拙僧、子供の頃は寒の入りから節分までのひと月、師父と一緒に夕方から托鉢に出ていました。
午後6時から9時ころまでの3時間余。吹雪になろうが、キンキンに冷えた冷凍庫の中のような気温になろうが、毎晩、村の中を托鉢して歩いていました。
わたしは小学校5年から高校卒業まで。そして永平寺から戻って再び修行に出るまでの数年と、横浜に落ち着くまでの期間の十何年。
師父はといえば、私が大学に入って地元を離れ永平寺に修行に行っている間も続けていましたし、癌の手術を受けた年や回復時期の年をのぞいて、合計25年余も寒中の托鉢を修行していました。
正月になるといつも、節分に配る護符の印刷をし(版木に墨をつけて一枚一枚手刷りで作っていました)、網代笠や持鈴の点検をさせられました。
網代笠をかぶり、法衣に長靴、軍手のいで立ちで、持鈴を鳴らしながら深い雪と夕闇の中へ踏み出していく師父の背中を、子供心に誇らしく思ったものです。
私はというと、托鉢の最中に友達と合うとものすごく恥ずかしくて、逃げだしたくなったりしましたが・・・
でも、永平寺での修行を終えて、久しぶりに師父と一緒に托鉢した時は本当にうれしかったなあ。
師父はいい声をしていました。
晴れた夜は空気が冷え切っていて声が遠くまで届くので、かなり遠くの方で経文を唱える師父の声がはっきり聞こえたと、今もいわれることがあります。
かやぶき屋根の古びた一軒屋だった山形の佛性寺を、何とか普通のお寺にしなければという思いが師父にはありました。
托鉢で得た浄財や農協の退職金を前借して、小さな本堂が出来たのは昭和52年。
ある事情から子供の頃に寺に預けられた師父は、本堂が建つ前年に亡くなった父親(私の祖父)とは最期まで解くことのできなかった深い確執があり、何十年も、死ぬまで口をききませんでした。
また、幼い頃に亡くなった実母や、育ててくれた祖母(私には曾祖母)への思慕の想いは、わたしたち家族でも忖度することのできないほどのものであったのだと思います。
詳しく語ることはできませんので略しますが、最近まで私は、そんな「今に見ていろ」的な考えで本堂を建てたのではないかと、師父の仕事を評価していました。
しかしここ数年は、少し見方が変わってきました。
もしかしたら、師父はそんな一切のこだわりを脇に置いて、何も考えずにただ托鉢を修行していたのかもしれません。
ただ読経しながら、ただ歩く。
喜捨してくれた方と一言二言、言葉を交わす。天気のこと、出稼ぎに出た家族のこと、農作業のこと・・
そしてまた、ただ歩きだす。
人間、いつまでも怨嗟の炎を燃やしながら「ちくしょうちくしょう」で生きられるわけではありません。
歩きながらそんな炎を消していったのではないだろうか・・・それがあの、凛とした姿や慈しみのこもった読経の声に現れていたのかなと、最近、考える次第です。
ただ歩く。
ただ歩く。
あらためて問うこともかなわない事柄ではありますが、そんなことを考える七草の今日であります。
今日はここまで。