(今回の記事はお寺の新聞「合掌だより」24年夏号用に、先月掲載した「みちのく一人旅1~3」から抜粋して加筆したものです)
「被災地への想いを風化させないために」
東日本大震災から一年余が経ち、最近の新聞やテレビでは、震災や被災地について以前ほど多くのニュースが流れなくなりました。
スカイツリー開業やオウム信者逮捕などのニュースに浮かれて振り回されていると、被災地でも震災前と同じように暮らしているかのように錯覚してしまうことがあります。
被災地には曹洞宗のお寺も多く、昨年は炊き出しやお手伝いに行く機会が多くありましたが、今年に入ってからはなかなかその機会もなく、この五月初め、九か月ぶりで石巻、南三陸の二か所を訪れる事ができました。
日が落ちてから到着した南三陸町は、降りしきる雨。夕闇のなかにぼんやり見えるのは、以前と変わらぬ寸断された道路や壊れた橋脚、そして焼け焦げた建物ばかり。
避難所になっていたホテルで待ち合わせた友人たちも、復興の進まない被災地の現状に衝撃を受けたのか、みんな口数が少なくなっていました。
翌朝、早いうちに街の様子を見に出かけました。雨がやんだ南三陸の街は静かです。
風の音と、ときおり走り去る車の音、そしておだやかな波の音。眼を閉じていれば、震災前と何ら変わりはないでしょう。
しかし眼を開けたとたん、否応なく厳しい現実に引き戻されてしまいます。
到着した時には判りませんでしたが、街中はかなり片付けられています。
しかし瓦礫が巨大な山のように積み上げられているところを見ると、実際は分別が終わっただけで、あとは進んでいないということなのでしょう。
建設業界が特需に沸いているとはいうものの、解体処理にこれ以上お金がかけられない、また、解体しても瓦礫を持っていく場所がない、ということで震災当時そのままになっている建物もまだまだ多く見られます。
また、瓦礫の山の近くに「お店は場所を変えてがんばっています」「全国の皆さん、ありがとう」といった感じの看板も見受けられます。
知恵を出し合ってのさまざまな復興事業も盛んですし、飲食店やコンビニも、仮設店舗ではありますがけっこう賑わっています。
バスを改造したラーメン屋さんは、お昼にはたくさんのお客さんが入っていました。
しかし連休中とはいえ、街中ですれ違う車は、私を含めて多くが県外ナンバーやレンタカー。生活の厳しさは容易に想像できます。
地元の人たちが普通に挨拶し、地元の言葉で笑いあいながら買い物したり食事したりする、そんな普通の生活に戻れるのは、いったいいつになるのでしょうか。
とにかく、三陸は入江という入り江の集落がほとんど被災しているので、全てを元に戻すには膨大な時間と費用、労力が必要なのです。
解りきったことではあるのですが、現場に立ってみると、現実のあまりの大きさに圧倒されます。
この一年、自分は何をしてきたのだろう?この国はいったいどうなっていくのだろう?大きな疑問が、また胸の中で蠢き始めてしまいました。
南三陸町での用件を済ませ、再び激しく降り出した雨のなかを今度は石巻に向かいました。
昨年8月のお盆過ぎに再訪した時、石巻ではお墓や公共の建物などいろんなところがかなりきれいになっていて、東北人は仏様や地域のつながりを大切にしていると感心したことでありました。
ところが今回は、一年たってもまだ手つかずのところが目につきました。被害の大きかった沿岸部でもきれいに直したところが増えたので、壊れている所がかえって目立ちます。
しかしよく考えてみれば、修理できないのは、もしかしたら一家全員亡くなっていらっしゃるからなのかもしれません・・・そう気がつくと、崩れた家の壁や墓石ひとつひとつが、亡くなった方々のせつない悲しみを訴えてくるように感じ、涙を禁じ得ませんでした。
「地震があっても津波が来ても、時期が来れば桜は咲くんだなあ」
昨年の五月、被災地の悲惨な状況を見下ろすことのできる日和山公園で、満開の桜が風にそよいでいるのを見ました。
桜が咲いているという、ただそのことに強烈に心を動かされたあの日のことを決して忘れることはできないでしょう。
今回、雨風をついて石巻にやってきたのは、その桜をもう一度見てみたいと思っていたからなのです。
あいにくの暴風雨に、人の姿はほとんどありません。しかし枝をふり廻されながらも、桜は一年前と同じようにしっかりと咲いていました。
何千年に一度といわれる大震災も自然の営みのひとつです。そして桜もまた、その自然の営みの中で毎年花を咲かせています。
自然をコントロールしよう、征服しようなどと思うのは、人間の思い上がりでしかありません。
なぜなら、人間もその自然の営みの中の一つなのですから。
自然の、宇宙の大いなる営みの前に、人間は謙虚さを忘れてはならないのです。
そしてその謙虚さの中からこそ、人間の本当の智慧は生まれてくるのではないでしょうか。
濡れそぼち、風に振り回される桜の花。それは本当に胸が熱くなる光景でした。
冒頭にも書きましたように、このところ、時が経つにつれて震災のことが忘れ去られていくような感じがしてなりません。
今年の春彼岸に消防署からおいで頂いて防災講話をお願いしたのも、そんな思いがあったからです。
宮城県の徳本寺・早坂老師が、ご自分の寺のテレホン法話のなかで次のように話しています。
「・・・一年間も震災のニュースを見続けていると、もっと違うニュースはないのかと、思う人がいるでしょう。それは風化の始まりです。
今後どんな珍しいニュースがあろうと、それはそれ。
震災の現実は、たった一年で消えるようなものでもなく、復興できるような生易しいものでもありません・・・」
現地に行くことができなくとも、寄付やお手伝いができなくても、忘れないこと、気にかけ続けることはできます。
忘れずに心を寄せていただき、声をかけ続けていただけることは津波、震災の被災地の方だけでなく、原発事故で苦しい生活を余儀なくされている方にとっても大きな力になります。
震災直後に芽生えたみなさんの心の中の「菩薩の願い」を風化させないよう、どうかこれからも復興の地に生きる方々に心を寄せて頂きたいと念願する次第です。
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クチナシが咲き、沙羅も咲きました。
クチナシはこれからどんどん咲きますので、来週には園内あちこちに甘~い香りが漂うことでしょう。
今日はここまで。