さんぜ通信

合掌の郷・倫勝寺のブログです。行事の案内やお寺の折々の風光をつづっていきます。 

すりこぎの味

2020-04-17 17:42:58 | お坊さんのお話

 

倫勝寺の属する曹洞宗には、ふたつの大本山があります。
道元禅師が開かれた福井の山奥にある永平寺と、瑩山禅師が開かれた横浜鶴見の總持寺の両大本山です。

そのひとつ、永平寺の大庫院(台所)の入り口には、直径約30センチ、長さ3メートル程もある大きなすりこぎがぶら下がっています。
この大きなすりこぎ、もとは永平寺山内の建物を造るときに使われた地固めの棒だったそうですが、
建物が出来たあと、ほかに利用することはできないかと考え、今のすりこぎの形に直して飾ってあるそうです。

古び黒ずんで、参拝者のさわり撫でた跡だけが光っているそのすりこぎの隣には、以前こんな和歌が掲げられていました。

身をけずり 人につくさんすりこぎの その味知れる人ぞ尊し

すりこぎはゴマや味噌、胡桃などをすったり、豆腐をつぶしたりと様々な用途で使われますが、
使えば使うほどすり減り、しだいに短くなっていきます。
しかし、だからといってすりこぎの味が、材料や料理に移るわけではありません。
食材の口当たりを良くしたり、味や香りを引き立てることはあっても、すりこぎが自身の味を加えるわけではないのです。



相手のよいところを引き出せるよう、自分をまじえずに黙々と仕事をするすりこぎの姿に、古人は仏さまの利他の心、慈悲の心を見出し、
修行僧の心構えの一つとしてこの歌をつくり、台所に飾ったのかもしれません。

ですが、この歌の大事なところは、「その味知れる人ぞ尊し」と歌の中でいわれるように、
表面に出ないすりこぎの味、つまりすりこぎを使って一生懸命料理を作っている人達に思いをいたし、
その苦労に感謝し手を合わせることができる人になりなさい、というところだと思います。

「その味知れる人」とは、その苦労に共感できる人のことです。

天候を気にしながら働く農家の方。
おいしく食べられるようにと心を砕く家族。
日に三度いただくご飯やお汁が、食卓にもたらされるまでにいかに多くの人々の手数や労力が費やされているかに思いを馳せ、
その苦労を頭の中や文字で理解するのではなく、心と体で共感できて初めて、心から手を合わせることができる「その味知れる人」となれるのでしょう。

私たちの毎日の生活は便利になりすぎて身体を使うことや、考えることも面倒になることがあります。
無感動に毎日を過ごす「その味知らぬ人」にならないよう、心と身体をしっかり動かし、日常生活の一つ一つを大事にしたいものです。

・・・・・・・

このお話も、前回アップした「利行は一法なり」のお話し同様、20年近く前に合掌だよりに掲載したお話です。

永平寺で修行していたころに、参拝者の案内をする部署に数か月在籍していました。
沢山の参拝者を前にして、冷や汗をかきながら慣れない説明をするのは本当に大変でした。
あの頃はわたしもまだウブだったのです(;^ω^)

参拝の方に質問されて分かりませんとは言えませんし、適当にお茶を濁して返事するわけにもいかないので、けっこうお勉強もしました。
そのなかでも、永平寺で講師を務められた小倉玄照老師の著された「永平寺の簾と額」という本はすごく参考になりました。
永平寺山内には木の板に刻んだ沢山の墨蹟があり、それがみな達筆すぎて、小僧だった私には読めなかったのです。
この本にはひとつひとつの墨蹟の読み方のみならず、文言の故事来歴や禅の心からの読み解き方も書いてありました。
本当に助けられましたね、この本には。

このすりこ木のお話しも、そのころの経験をあれこれ想いだしながら書いた覚えがあります。

さて、コロナショックの中、懸命に努力をしている医療関係者の方の労苦を考えると本当に頭が下がります。
そんな命懸けの行為はきっと、家族の方々の支えがあってできることなのでしょう。

医療関係者やその家族への、根拠のない誹謗中傷や差別が行われていると聞きます。

緊急事態宣言が発令されて、自粛や様々な行動の制限があるとはいえ、常と大きく変わらぬ日々を送ることができるのは
そういった現場で頑張っている方々やその家族のみなさんのおかげであると思います。

コロナ疫病終息の願いは皆同じです。
共感する心、そして互いに思いやる心を失わずにこの難局を乗り越えていきたいものです。

霊園内はツツジや皐月が咲き始めました。
チューリップは明日の天候次第では、もう終わりになるかもしれません。
霊園と戸塚カントリーの間にある緑地帯では、椿が咲いています。

今日はここまで。

 

 

 



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