さんぜ通信

合掌の郷・倫勝寺のブログです。行事の案内やお寺の折々の風光をつづっていきます。 

利行は一法なり

2020-04-14 16:30:37 | お坊さんのお話

 

利行は一法なり 

ある老僧がこんな話をしてくれました。
「地獄・極楽というが、それはこの世を離れた別などこかに有るものではない。一人ひとりがそれぞれの心の中に、地獄や極楽を作り出している」と。

地獄というところは鳥がさえずり、花が咲き乱れるような温暖な場所で、とても良いところだそうです。



たいそう立派な宮殿があり、大広間には大きなテーブルに素晴らしいご馳走が山ほど並んでいて、美味しそうなにおいがあたり一面に漂っています。
地獄に暮らす人たちはそのテーブルの周りに座らされています。ですが、ご馳走が食べられるわけではありません。
利き腕以外の身体は椅子に縛りつけられて身動き一つできず、
また、動かすことのできる手にも身長より長い箸がくくりつけられていて、思うように食べものをとることができません。
たとえとることができても、長い箸が邪魔して自分の口には入らないのです。
目の前にご馳走があるのに食べることができない。

ついに箸を振り回して罵り合いを始める者や、なんで自分だけがと己の不幸を嘆き、他人の幸福を妬んで怒りわめき散らす者がでてケンカが始まります。
テーブルの上のご馳走はあっという間にグチャグチャになってしまいました。

それでは極楽はどうなのでしょう。

立派な宮殿の大広間にご馳走が並んでいることや、人々がテーブルの周りに座らされ椅子に縛りつけられているのも、
手に長い箸がくくりつけられているのも、みな地獄と同じだそうです。
でも喧嘩したりせず、みんなにこにこ笑いながら楽しそうに食事をしています。いったい何が違うのでしょう?



 極楽の人たちは自分の空腹はさておき、テーブルの向うに座っている人に何か食べたいものはないかと尋ね、持っている長い箸で相手の口に食事を運んであげているのです。
オレが、オレがと自分のことばかりを考えている地獄の人たちは、せっかくの長い箸が邪魔してご馳走を口にできないのです。



この地獄・極楽のお話は、そのまま私たちの毎日の生活に置き換えてみることが出来ます。
誰もが充分に満足し安心できる生活を送っているわけではありません。
まして最近の景気は前例を見ないほど低迷しています。

ですが、世間の不都合や不合理に怒り、自分の不幸を嘆いてばかりいたのでは「長い箸」は邪魔になるばかりで、幸福をもたらす道具にはならないのです。
「長い箸」を毎日の生活の中に見出して使えるようになるのも、オレが、オレがという「我」を離れてのことだと思います。



曹洞宗の経典『修証義』に、「利行は一法なり、あまねく自他を利するなり」という一文があります。
自分を忘れて他の人のために功徳を積むことが、いつか自分にも他人にも、そして全てのものに御利益をもたらすことになる、ということでしょう。
仏教徒として常に心したい、道元禅師のお言葉です。

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けっこうポピュラーな話なので、皆さんもどこかで聞いたことがあるかもしれません。

20数年前に合掌だよりに掲載した文章ですが、いま、コロナウイルスとの関わりの中で読み直してみても、
お釈迦様の言葉は、どんな時代でも心深く沁みわたる教えなのだと思います。

いま私たちができることは、まず自重すること、そしてウイルスが終息したときにしっかり利他の心で行動できるよう
それぞれの立場で準備することだと思います。

政治の状況にはガッカリするばかりですし、罹患者の増えかたも驚くばかりで気持ちも萎んでしまいがちですが、ここが踏ん張りどころです。

しっかり前を向いて生きていきましょう。

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昨日は大雨強風で大荒れの関東地方でした。
今朝は一転して青空のいい天気。

富士山や丹沢はまた雪が降ったようです。
もちのき霊園の展望台からは、真っ白な富士山を見ることができました。

今シーズン最後の雪化粧かもしれませんね。
今日はここまで。



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